転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夜は東京オペラシティでシフのリサイタル。
休憩なしのリサイタルとのことで覚悟したが、
聴いていたらソナタ四曲なんかあっという間で、
そうか演奏会に休憩なんか要らないじゃないかと開眼した気分だった。
(→それは弾き手がそのような弾き手であればこそですね(汗))

シフの音は最高級で神業に近かった。
天上にきらきらと昇る音、紗幕のむこうにあるかのようなこだま、
絹糸のようなきらめき、針金のような響き、温かい毛糸のような感触、
数えきれないほど様々な質感と存在感の音が
ひとつずつ意味と必然性を持って次々と目の前に提示され圧巻だった。

ちょっと片岡仁左衛門の芝居を連想した。
…突飛に聞こえるだろうけど(汗)、今夜の正直な感想として記録しておく。


追記:アンコールの一曲目でゴルトベルクのアリアが始まったときには、
ワタクシ、自分に予知能力があったのではないかと思いました(笑)。
しかしその演奏は、「このまま第何変奏まで行くのか?」というものではなかった。
最初はともかくとして、演奏が展開するにつれて、私は
「これはアリアだけで終わるのだな」とだんだん確信できるようになった。
シフの演奏は、見事なまでに、そういうことを伝えてくれるものだった。
だから私はこのとき、聞き手として極めて『能動的に』聴くことができた。
言葉によらず、弾き手のメッセージを理解することのできた、
希有な、素晴らしい体験だったと思う。

Trackback ( 0 )




卒業式→築地市場→築地本願寺と来て、次は国立劇場へ。
吉右衛門と菊之助による仇討ちの物語『伊賀越道中双六』。

吉右衛門・又五郎・歌六・東蔵、皆味わいがあったし、
菊之助の美しさも際立ち、目を見張った箇所も随所にあった。
しかし私は観る側として基本的な教養がないので、
「仇討ち」系は設定の違和感に耐え難い思いになることが結構あり、
今回もその例に漏れず(汗)であった。
舅の仇をとるためとはいえ「助太刀」で参加した者(吉右衛門)が、
どうして我が子を自分の手で犠牲にしてまでその役割を全うせねばならないのか、
更になぜ周囲がそのような行為に深い感銘を受けるのか、
どうにも設定について行けなくて、困った。
ワタクシは20世紀の、戦後の民主主義教育を受けたオバサンなのだった(汗)。
物語の世界に入り損なった私が悪いのだとは思っているが、
しかし、この顔ぶれなら、設定の不条理さを超えて強引に見せて欲しかったなと、
やや、舞台に対して無いものねだりをしてみたい気持ちもあり……。

Trackback ( 0 )




安芸門徒としましてはやはり、
娘の卒業の報告と御礼のため本願寺詣でを。
そして、どうかこれからも幸多かれと。

Trackback ( 0 )




こっちも場合によってはいずれ見納めになるか?と
横浜からの帰りに築地市場に寄ってみた。
主人は東京出張の際には必ず築地で朝御飯を食べるので
愛着もひとしおであるとのことだったが
まあ私にとっては東銀座の先にフィッシュ・マーケットがあった的な…

Trackback ( 0 )




今朝は、娘の大学の卒業式に行った。
10時からの式で、場所は入学式のときと同じく構内の某会館。

これに先立ち、娘は横浜某所での着付けと写真撮影があり、
その予約時間が早くて5時起きで出かけたそうだが、
私は特に手伝うこともないので都内の定宿で普通に起床し(殴)、
LINEで娘から進行状況を聞きつつ、8時過ぎに大学の敷地内で合流した。

娘の支度がそのように早い時間になったのは、
ひとえに、昨年秋、衣装決めと着付け予約の段階で出遅れて、
10時の開式に合わせて仕上がるような丁度良い時間帯は皆、
既に予約で埋まっており選択の余地がなかった、という事情によるのだが、
結果的には、当日、早く用意が整ったことは大変良かったと思った。
混雑する前にキャンパス内で写真をいろいろと撮ることができたし
式までに時間的な余裕があり、ゆったり行動できたからだ。

和装のレンタルは、去年の9月だったか大学の生協に業者さんが来たときに
娘が自分でいくつか試着して決めたものだったが、
本人の選んだ小振袖と袴を実際に見てみたら、なかなか清楚で良かった。
すっかり大人になった娘を見て改めて嬉しく思った。
良いお友達にも恵まれ、幸せな大学生活であったと思う。
娘が学生時代を過ごした街も、私にとっては恐らく今日が
とりあえずは見納めとなりそうだった。

四年間はあっという間だったな。
卒業おめでとう、転娘みーちゃん。

Trackback ( 0 )