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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は名古屋の顔見世を昼夜通しで観て来た。
台風18号の影響を予想して、前夜から名古屋入りしておいたのは
今考えても大正解であった(汗)。

書いておきたいことが山ほどあるのに、パソコンの前に座っている時間が無い、
といういつもの状態で(8月の三津五郎『たぬき』さえまだ書いてない!)、
またしても、あっという間に時間が経ってしまいそうな気がするのだが、
ひとつだけ今の勢いがあるうちに記録しておかねばと思っているのは、
松緑×菊之助による『棒しばり』の舞踊についてだ。

そもそも記憶を辿ってみると、御園座の顔見世は、
何かというと『棒しばり』を上演しているような気がするのだが、
これがこんな妖しい演目だとは、私は今回まで知らなかった。
いや、松緑も菊之助も決して奇妙な『棒しばり』を演っていたのではなかったし、
最初、次郎冠者(松緑)が、両肩にかついだ棒に手を縛られたところまでは
ただただ楽しいばかりで、何もおかしなものは感じなかったのだが、
そのあと、太郎冠者(菊之助)が後ろ手に両手を縛られた姿で並んだら、
これが予期せず立雛の「男雛・女雛」みたいに見えて来て、
私のほうに変なスイッチが入ってしまったのだ(爆)。

物語としては、大名(亀寿)の留守に、勝手に蔵の酒を飲まないようにと、
酒飲みの太郎冠者・次郎冠者ともに手を縛られてしまった、というのが設定だ。
この性懲りも無い二人組は、不自由な態勢のまま蔵にしのびこみ、
太郎冠者が懐に隠し持っていた盃を、次郎冠者が彼の胸元から取り出し、
太郎冠者に支えて貰って樽から酒をくみ、そのまま太郎冠者に飲ませてやり、
次は酒をくんだ盃を太郎冠者の後ろ手に持たせておいて、
次郎冠者は後ろへ回って屈み込み、窮屈な姿勢でそれを飲む。
ここまででも既に、観るには文句なしに愉快だが、
実はドタバタ喜劇どころか、修練のたまものというべき高度な舞踊だ。

……が、松緑×菊之助で観ると、これがどうも、
単なる次郎冠者×太郎冠者ではなかった(汗)。ように見えたのだ(大汗)。
うぅむ……(^_^;。ヤバいと思う私が、ヤバい……(^^ゞ?
と内心で焦っていたら、絶妙のタイミングで大向こうさんが、
ご両人!!
大向こう公認か(爆)。

やがて、最初の小さなかわらけでは飽き足りなくなり、
葛桶(かづらおけ)のフタを大盃に見立てて飲みに飲んだふたりは、
酔いが回って、舞い始める。
両手を縛られたかたちで舞うのは、どうも…と困惑気味の太郎冠者に、
次郎冠者は、「不自由なところがまた、ひとしおじゃ」。
交互に踊り踊りて、ついには「連れ舞、いたそう」。

太郎冠者の菊之助は、眉を下がり気味に描いていて、
表情も言動も、ほよんとしていて可笑しかったし、
次郎冠者の松緑も実に生き生きと朗らかに演じており、棒の舞も見事で、
演目としては娯楽性芸術性ともに優れて高く、文句なしだったのだ。
ふたりが意図して、それ以上に「妖しい」何かを付け加えていた、
ということではなかったと思う。
それにも関わらず、縛られてお互いに酒を飲ませ合い、
不自由な状態のまま小舞を舞って、それを愛で合うというのは、
考えてみたら、結構危険な設定だったのではないかと、思えてならなかった(^^ゞ。
私が今まで気づいていなかっただけで、このハナシってもともとそういうもの?
だいたい、次郎冠者が修練していたという『夜の棒』って、何……(爆)。

***********

それにつけても、すみません、本当に恥ずかしいことなのですが、
私は今回もまた、『十種香』を寝ないで観ることができなかった(爆)。
幾度観ようと、いかなる名優の八重垣姫であろうと、
この芝居のときだけは睡魔に勝てない。
私にとって、まるで催眠術のような芝居だということを、
改めて、またしても、身を以て確認できた。

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私にとって極楽三連休の二日目。
お彼岸なので舅姑のお墓に行って、掃除をしてお参りをした。
今月上旬、娘が横浜に戻る直前に参って以来、約半月が経っていたので、
前に供えた菊は、既に茶色いドライフラワーになっていた。
それらを新しい仏花に取り替えて、お灯明とお線香をあげた。
お線香はもちろん、この夏の知床みやげのラベンダー線香だ(笑)。
このところ結構、秋めいてきて朝晩は涼しいと思っていたが、
晴天だと昼はまだ暑く、墓所ではツクツクボウシが鳴いていた。
それから舅宅を見に行き、ダイレクトメールやゴミを片付け、
また戸締まりして、バスに乗って市街地まで帰って来た。
空は青く、外は心地よくて、実に良い休日だった(^^)。

**************

9月7日に南座で観た『壽三升景清(ことほいで みますかげきよ)』
について、何かは記録しておきたいとずっと思っていたので、
時間のある今、遅ればせではあるが書いてみようと思う。
公演は26日が千秋楽なので、残り僅かになってしまった。

今年のお正月に新橋演舞場で初演されたこの作品が、ついに京都に来た。
市川海老蔵が、歌舞伎十八番に出て来る悪七兵衛景清を、
『関羽』『鎌髭』『景清』『解脱』の四場面において、
それぞれの主人公として演じ分けるという通し狂言だ。
設定は、壇ノ浦の合戦で敗れたあと洞窟に逃れた景清が、
迫り来る死を予感しつつ、人生の終末のひとときに見た夢、というもの。

魏の武将の館に攻め入る、無敵の英雄・関羽としての景清、
源氏の侍たちが、大鎌で首を切ろうとするのに刃をものともせず、
意気揚々と自ら縄にかかってみせる景清。
前後のつながりよりも、場面場面の盛り上がりや展開が見せどころなのは、
景清の一瞬の夢という設定を考えると、いかにもそれらしいものだと思われた。

『景清』に関しては、私はどういうわけか歌舞伎十八番の『景清』よりも、
昔観た近松門左衛門の『出世景清』のほうが自分の中では思い出があり、
こっちの阿古夜は設定が違う…、と途中で道に迷いかけたが、
孝太郎の阿古夜は、この女性の筋の通ったところが前面に出ていて、
虚仮威しのような花魁道中ではなかったところが私は気に入った。
見事な阿古屋がついていれば、それだけ景清の格が上がるのだから…。
大立廻りには津軽三味線・長唄・大薩摩という通常では見られない三重奏が添えられ、
『壽(ことほいで)』の標題に相応しい彩りになったと感じた。

『解脱』は、文字通り景清が悟りを開いて行く様が描かれるのだが、
彼の人生に交わりのあった人達が次々と姿を現すだけでなく、
舞台上にしつらえられた客席に連なる観客もまた、
解脱する景清の生涯に遠く近く関わった様々な人々、という存在に見えた。
この場での海老蔵は、一転して「静」の存在だった。
景清の人生の終末には結局は、源氏も平氏もなく、侍も農民もなくなって、
残ったものはただ魂だけだったのだな、……ということが、
台詞は無いのだが舞台の空気から伝わって来た気がした。

題にもある『三升』は市川宗家の定紋だ。
刀の鍔が四角になっていて模様が三升だったり、
立ち回りの途中に海老蔵の周囲に縄を重ねて三升を作って見せたり、
また終幕『解脱』で舞台の両端に格子状に設けられた客席の名称も
『三升席』となっているなど、三升になぞらえた演出が各所にあった。
公演前に海老蔵が成田山に祈願して貰ってきたというお札の、
『商売繁盛』『火の用心』なども舞台上に貼られていた筈なのだが、
三階席からはそれは確認できなかった。

引幕には華やかで豪壮な海老。
この絵は、亡き父・團十郎が、海老蔵襲名を祝って描いたもので、
海老蔵襲名披露興行のときにも使用された。
果敢に挑戦する海老蔵を、團十郎が大きく包んでくれているようで、
眺めていて胸が熱くなった。

海老蔵は八面六臂の大活躍で、関羽見得も立派なら、
鎌髭での剛胆ぶりも観ていて爽快だった。
牢破りの景清の豪快さも存分に見せて貰ったし、
解脱の場は能舞台のような荘厳さだった。
なつおちゃん、貴男の御子息は、実に大きな主演者になりましたよ。
堪能させて頂きました!


追記:『解脱』の場面を観ていて、自分の中にもやもやと
佐藤恭子先生に昔習った、ロシア演劇の話が蘇ってきた。
それは文章化することもできない、ただのイメージの断片のような
かなり正体不明のものだったのだが、後々何かに繋がるかもしれないので、
ここに記録しておこうと思う。
まず、メイエルホリドが取った実験的手法の中に、確か、
『舞台と客席の連続性』という考え方があったはずだ。
三升席には何か、そのあたりに繋がる発想があったような気がした。
それと、『解脱』の開始部分は舞台も客席も照明が落とされて、
かなりの時間、真っ暗なままで進行するのだが、
これまた確かメイエルホリドが、新作の革新的な試みとして
真っ暗にする演出で舞台を始めたら、スタニスラフスキーだか、
ネミロヴィチ・ダンチェンコだか誰だか(全然思い出せない・涙)が途中で、
「もうやめろ!観客は○分以上、何も見えない芝居に耐えられるものではない」
と言ってそのやり方を否定した、……とかいう逸話があった筈だった。
あれは、いつの何の話で、そのあとどうなったんでしたっけ(汗)。
ああ、佐藤恭子先生にもう一度、確認させて頂くことができたら(爆)。

追記2:舞台上の暗闇を否定したのはスタニスラフスキーで、
1905年10月『タンタジールの死』舞台稽古のときの逸話だったようだ。
台詞等は若干、私の記憶とは異なっていたが(汗)。
(『メイエルホリド』佐藤恭子・著 昭和51年)

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忙しくて書く機会を逸していたのだが、15日に、
『松竹大歌舞伎 市川亀治郎改め四代目市川猿之助 九代目市川中車
襲名披露 公文協 西コース』@福山リーデンローズ 昼の部、を観に行った。
演しものは、『小栗栖の長兵衛』『口上』『義経千本桜(川連法眼館)』。

歌舞伎俳優としての中車(香川照之)を観るのは初めてだったが、
新歌舞伎を手がけるというのはピッタリの選択だったと感じた。
芝居運びが巧く、演技力が活かされていて、舞台姿も大きかった。
大酒飲みの狼藉者という役どころで、少しも「綺麗」ではないのだが、
現在の中車の最も魅力的な部分が最大限に発揮された役だったのでは、
という気がした。
右近・笑三郎・春猿ら、支える周囲の快演・怪演ぶりも素晴らしかった(笑)。

『義経千本桜』は、新しい猿之助の若さにただただ感じ入った。
台詞も芝居そのものも身のこなしも、すべてに漲るような若さと力があった。
早抜け・欄干渡り・早変わりなど、猿之助の俊敏な動きで見せられると、
盛り上がり方も際立っていて、これこそ澤瀉屋の四の切なのだなと思った。

狐忠信も若く、親狐を思う気持ちは子狐としていじらしく映った。
菊五郎あたりの狐だと、『孝行したいときに親は無し』に見えるが、
猿之助の狐は、とても早くに親を奪われたという設定に見え、
鼓から離れようとしない哀切さもひとしお、と感じられた。

襲名の祝幕は、福山雅治から贈られたもので、
猿之助が所有していた三代の隈取りからデザインされたものだそうだ。
かねて話題になっていたが、実物を観ることができて良かった。

*****************

この日、一緒だった友人が新幹線の中で私の左側に座っていて、
更に観劇も、下手側の壁に沿った側面の席だったために、
私はかなりの時間、自分の左側に顔を向け続けて過ごすハメになり、
翌日から左首・左肩に筋肉痛が起きて、困った(^_^;)。
起きていながら寝違えたような状態になり、このあと四日ほど難儀した。
そもそもがかなり疲労していたのだが、それに左肩の痛さが加わり、
最初の二日など左腕を使うだけでもいちいち響いて、
「五十肩?それとも、もしや狭心症とか心筋梗塞の前触れってこういうの?」
と不安になったくらいだった
(腕の上げ下げに伴って痛むならば、整形外科の領域であることはほぼ確実、
と自分でも一応わかっては、いたのだが(^_^;))。
何であれ先週は、病院好き(爆)な私が受診する暇もないほど忙しかったが、
有り難いことに単純な筋肉痛だったようで、
肩痛は徐々に回復し、昨日からはほぼ痛みがなくなった。
助かった(^_^;)。

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海老蔵の意欲をひしひし感じる舞台だった。
海老蔵の発するスターオーラも目覚ましかったし、
市川宗家ならではの仕掛けや演出に凝った点も見応えがあった。
また、津軽三味線と歌舞伎の融合という試みは
想像していた以上に素晴らしかった。

初日が開いてから初めての週末だったためか、
團十郎夫人希美子さんと海老蔵夫人麻央さんがお揃いでいらしてました♪
客席は祇園町の総見で、これまたなんとも華やかだった。

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音羽屋さんの、来年のお正月の国立劇場の予定が出た。
初春歌舞伎公演「通し狂言 南総里見八犬伝」(国立劇場)
2015年1月3日(土)~2015年1月27日(火)
開演時間 12時開演(4時30分終演予定)
 但し、16日(金)・23日(金)は4時開演(8時30分終演予定)
前売開始日 電話予約・インターネット予約開始=12月6日(土)10時~
 窓口販売開始=12月7日(日)

ついにキタ、たき沢ばこん、じゃない、曲亭馬琴の八犬伝、通し!!
こりゃ、お正月を東京で過ごして初日を観るか、
一週間ほどずらして音羽会新年会(←多分あるだろう)に合わせるか
なかなか悩ましいところだが、ともあれ楽しみだ。

もうひとつ、来月は家族旅行のついでに、私は巧い具合に南座が観られそうだ。
海老蔵の主演する九月花形歌舞伎『壽三升景清』。
壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)(歌舞伎美人)
こうやって先々の、それもかなり期待できる予定が入っていると、
まさに「なんだか心が面白くってね」@魚屋宗五郎、の心境だね(笑)。

ちなみに、歌舞伎座や新橋、松竹座、南座などの公演情報については、
歌舞伎座公式の『歌舞伎美人(かぶきびと)』をチェックするのが、
一番確実で速い方法だろうし、チケット関係も『チケットWEB松竹』が
一般のプレイガイドよりもずっと良い席を枚数多く持っているのだが、
国立劇場だけは、独立行政法人・日本芸術文化振興会の管轄なので、
公演情報もチケット購入も、そのほうのサイトを見ていないと
情報を入手するのが遅くなってしまう。
日本芸術文化振興会は歌舞伎のほか、国立演芸場や能楽堂、
大阪の国立文楽劇場なども扱っている。
独立行政法人・日本芸術文化振興会

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(写真は、道頓堀の松竹座近くにある、人形浄瑠璃・竹本座跡)

松竹座の昼夜については、いずれできるだけ記録しておきたいと
思っているのだが、とりあえず書いておきたいことは、
仁左衛門の完全復帰を観ることができて本当に嬉しく思ったことと、
時蔵×菊之助の『豊志賀の死』がとても面白かったこと、の二点だ。

去年の10月、仁左衛門の右肩が悪化し、かなり痛々しい様子だったのを
私は実際に歌舞伎座で観ていたので、今回、松王丸と山蔭右京の役で、
舞台を自在に動き、思いのままに観客を沸かせる仁左衛門の姿を観ることができ、
心から嬉しく思った。
仁左衛門が演るとどのような役にも華と品格が備わり、
舞台全体の輝きが全く違って来るということを、今更ながらはっきり感じた。

『豊志賀の死』は、私にとって以前から「怖いけど可笑しい」演目で、
昨日の時蔵と菊之助の組み合わせは、
その「怖い」と「可笑しい」のバランスが、開始から幕切れまで絶妙で、
首尾一貫したものが感じられ、観ていて実に心地よかった。
菊之助は以前、映画『怪談』でも新吉を演じており、私も観たが、
歌舞伎では、時蔵とともに今回が初役だったそうだ。
時蔵の長男・梅枝のお久も、美しく清楚で、
かつ、家を出たいと新吉に打ち明ける場面も演り過ぎず、好印象だった。
時蔵の次男・萬太郎が噺家さん蝶の役に抜擢されていて、
この作品が三遊亭円朝の口演『真景累ヶ淵』から来ていることを考えると、
荷の重い役だったと思うが、これまた随分と健闘していたと感じた。

ちなみに、翫雀・扇雀の踊った『女夫狐(めおとぎつね)』
という演目は今回初めて観たのだが、
これって『義経千本桜』の『川連法眼館』をモトにしたというより、
つまるところ同じ話なのね(^_^;??
演出面でも、狐言葉も同じだったし、欄干渡りも海老ぞりもしてたし。
明らかに違うのは、設定と名前、狐が嫁を連れていて二体だったことと、
体がモフモフでなかったことくらいか(笑)。
こんな舞踊劇があったとは、今まで全然知らなかった。

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昨日20日の、松竹座昼夜を通しで観て来た。
3月の南座や6月の左近襲名@歌舞伎座のときとは、私の気分が全く違っていて、
今回は上ずった気持ちなどなく、完全にゆったりと楽しむことができた。
落ち着きすぎて、……じゃない、多分疲れ過ぎていたせいで、
昼夜とも、ちょっと途中で睡魔に勝てず、オチたりした(殴)。

詳しいことは、書けたら、また……。



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昨日は朝から夕方まで仕事をして、すぐ新幹線で大阪に来て、
一足先に午前中からレンタサイクルで奈良散策をしていた主人と
梅田で待ち合わせて晩御飯。
なんば泊。

半日以上、日に照らされつつ奈良を走り回った主人と、
仕事でフル稼働してクタクタだった私は、
ともに疲れすぎていて、ホテルに着くなり早くから爆睡し、
明け方、目覚めて時計を確認したりはしたが、すぐまた寝て、
結局、今朝8時まで寝坊した。最高だった(笑)。
なんせ普段が5時起きだからして。これぞ休日。

それから、朝食後、主人は今度は京都方面に出かけ、
私は松竹座で歌舞伎、このまま昼夜通し観劇の予定。
馴染みの三階席一番後ろから長閑に…、というつもりで席を買ったが、
上がってみたらほぼ満席、幕見も埋まっている。

おまけに、私の隣が大向こうさん(笑)。

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今回の六月大歌舞伎は、私は左近のために観に行ったようなものだった。
私にとって、近年、これほどおめでたい襲名がほかにあっただろうか!
更に、演目が、松緑が務める『蘭平物狂』とあってはもう、
万難を排して駆けつける以外に、あり得ようもなかった。

私の真横の花道で、左近が見得を切ったときには、私の涙腺は決壊・崩壊した。
左近が、幼いけれども紛れもなくひとりの役者として、
客席の視線を堂々と一身に集め、見事にそこに存在していたからだ。
口跡が素晴らしく綺麗で、心憎いばかりの芝居心があり、
それでいて、一歩一歩の踏み出し方、手の上げ方など、
ひとつも揺るがせにせず、習った通り丁寧に演じているのがよくわかり、
芸の正しさと様式美を兼ね備えていた亨さん(辰之助)に通じるものが
左近の舞台姿から鮮やかに感じられた。

この演目の繁蔵は一定年齢以下の子役でないとできず、
蘭平も、尋常でなく気力体力を要求されるため若くないと駄目で、
その意味では、松緑と左近が父子で演じられる機会も、
今後、決して多くはないと思われた。
だから今年、初舞台披露の運びとなり、この演目が実現したことは
まことに素晴らしい巡り合わせだった。

松緑は、いつにもまして冴え渡るようだった。
花道を去った繁蔵のあとを目で追いながら、
「てぇ~いっ!」と地団駄を踏んで、一瞬で胸のすくようなギバ
(両脚を前に投げ出すようにして瞬時に座るかたち)に落ちて、
そのまま微動だにせずに行く手を睨み続けるときの、
全身から発せられるオーラが凄まじかった。
その後の前半の見どころ『物狂』の場面は、舞踊家としての松緑の真骨頂、
そして後半は菊五郎劇団の団結力が遺憾なく発揮された、
30分にも及ぶ大立ち回りがあり、文字通り手に汗握る迫力だった。
花道での大梯子も、私の真横、というより頭上で展開された。
まさに命がけの舞台だった
(かつて亨さんはこの役に、億という保険をかけて臨んだと言われていた・汗)。
今回はそれに加えて、深手を負いながら
「父は、ここにおるぞ」「繁蔵やー…い」
と息子の姿を探す蘭平の切なさが、これまで以上に深く胸に染み入った。

左近初舞台とあって、立ち回りの後に劇中口上があり、
舞台上手から、菊之助・菊五郎・松緑・左近・團蔵・時蔵が揃い、
菊五郎、松緑、左近の順に、客席に向かっての挨拶。
私くらいの年代のファンは、二代目松緑や初代辰之助も観ているし、
当代松緑にしても左近であった頃から知っているわけで、
三代目左近が、いつの日か青年になって次の辰之助を継ぐだろうと思うと
この日の口上を聞きながら、私は幸福な空想を止めることができなかった。
左近は、次代の辰之助は、どのような役者になって行くことだろうか。
そして、やがては、また次の、小さい左近が誕生するかもしれない。
歌舞伎はそうして受け継がれて今日まで続いてきたのだし、
亨さんの生きた証しもまた、ここにこのように繋がっているのだ。
願わくは、左近がこのまま、ずっと幸福な青年時代を過ごせますように。
松緑と左近との父子の時間が、このあとも長く永く、続きますように……。

辰之助の遺児だった松緑が、今や立派な父親となって、
息子の初舞台公演を蘭平として務めるところを、私は観ることができた。
その左近の初舞台姿も、私はつぶさに、この目で観た。
それを見守るのは、辰之助の盟友・菊五郎だった。
菊五郎劇団が、松緑と左近の親子を命がけで支える場に、私は居合わせた。
この舞台を観ることができて、本当に良かった。
私は、なんと恵まれた幸せなファンなのだろう!
蘭平「に」物狂いしている幸福なファンが、目下、さぞや多いことと思う。
このあと千秋楽まで、何卒、皆様お元気で舞台を務められますように!


六月歌舞伎座の『蘭平物狂』と松緑・左近親子については、こちらもどうぞ↓
受け継がれる 家の芸 -尾上松緑・左近さん親子-(NHKひるまえほっと6月10日)

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6月5日に、始発で広島を出て歌舞伎座の昼夜を観て来た。
どう考えてもこの日しか自由になる日がなく、
翌日も午後から仕事が入っていたので、
朝6時に広島を発って10時半に東銀座に着き、昼夜観て、
一泊して翌朝8時には東京を出るという強行軍で頑張った(汗)。

昼の部の幕開きは、『春霞歌舞伎草紙』。
若い設定の役で時蔵を観るのは、私には少し久しぶりだった気がしたが、
出雲阿国は艶やかで大輪の花のように輝いて見えた。
幽霊として出て来る菊之助の山三がまた、文字通りこの世ならぬ美しさ。
亀寿の若衆も見ることが出来て、眼福だった。

次が『実盛物語』。
斎藤実盛は、颯爽と格好良く演じる役者さんなら多いと思うのだが、
菊五郎の実盛は、姿が立派な上に柔らかな包容力を感じさせた。
その情の篤さを持ったまま実盛はいずれ老い、戦場に散って行くのだな、
……と想像させられ、ファンの私には特に、こたえられないものがあった。
小さい太郎吉が葵御前(梅枝)の産室を覗こうとするのを再三、とめて、
おとなしく待っているように言い聞かせ、
最後には「ツネツネを致すぞ」と言ったりするのも楽しかった。
左團次の瀬尾がまた熱くて愉快で、更に哀しく、名演だった。
誰もが、源氏の将来のためにその身を沈めるという展開は、
こういう時代物ならではだが、自然に気持ちを添わせて観ることができた。

(今回は退場まで滞りなく運んだので、やはり安心した。
2011年の南座のときは、馬が崩れて音羽屋の旦那さんは落馬なさったのだ。
舞台というのは、常に様々な危険と隣り合わせなのだと思わずにいられない。)

三本目が『大石最後の一日』。
新歌舞伎で、舞台の変化が少なく、劇的な立ち回りもなく心象風景が中心で、
幸四郎でなかったら私には爆睡系の演目なのだが(殴!!)、
今回は随分と、台詞のひとつひとつをじっくりと聴かせて貰うことができた。
やはり幸四郎はこういう役が実によく似合うと思った。
また、おみの(孝太郎)があのように魅力的な役だったとは、
私は今まで思ったことがなかった。
彌十郎の堀内伝右衛門の声音も、あとを引くように印象に残った。

そして、仁左衛門の祝・復帰の舞踊『お祭り』。
登場しただけでスター性カリスマ性で圧倒する仁左衛門だった。
孫の千之助との踊りなので、舞台の雰囲気や視線の行き交う様も
生き生きとして微笑ましく、幸せな一幕だった。
待ってました!!お帰りなさい、ニザ様!!!

**************

夜の部の最初が、私の今回の遠征の主目的であった『蘭平物狂』。
松緑が家の芸としての蘭平に臨む、大変な演目なのだが、
何よりこのたびは、松緑の長男・大河くん(8歳)が、
三代目・尾上左近を名乗っての初舞台公演とあって、
私は大奮発をして、花道のすぐ横(上手側)、前から一桁の列に座った。
歌舞伎座ではだいたい三階席か幕見が普通という私が、
地上に降りてきたのも久々なら、一等席というのも稀なことだった。
それくらい、切符を買う段階から私には気合いが入っていたのだ(笑)。
写真は、この夜の自分の席から見上げた、祝い幕だ。
この演目については、受け手としての私が尋常でなかったので(^_^;、
感想はまた、別のところにまとめて書きたいと思う。
とにかく、あまりにも見事な初舞台だった。
左近には畏れ入った。
ここまで孤軍奮闘して来たであろうあらしちゃん(松緑)の軌跡にも、
改めて思い至り、感慨深いものがあった。
きっと、父の辰之助も祖父の松緑も、どこかでこの舞台を見守り、
あらしちゃんの今日の姿を「よくやった」と喜んでくれていたことと思う。

次が『素襖落』で、これは三月の南座でも松緑・権十郎で観たわけだが、
今回は幸四郎・左團次によるオトナ版だった(笑)。
重厚感のある舞台で、至芸を堪能させて貰ったのだが、
幸四郎が巧すぎて、太郎冠者の明るさというか人の良さみたいなものが
あまり前面には出ていなかったような気もした。
しかしあれはあれで、幸四郎の見せ方なのかもしれない。
それに私は元来、舞踊がわかっていない。
これは自覚のあるところだ。

最後が『名月八幡祭』。
私はこの演目には縁が薄くて、これがやっと二度目の巡り会いだった。
しかも前回観たのは多分、二十年以上前で、
そのときの新助は八十助(現・三津五郎)、美代吉は児太郎(現・福助)だった。
しかし私は、なぜかその舞台を、今に至るもかなり克明に記憶していた。
当時の八十助・児太郎は、もしかしたら物凄い名演だったのかもしれない(汗)。
その、二十年来、私の記憶にあった『名月八幡祭』の印象は、
清らかで真っ直ぐな若者と、彼の運命を操る美貌のファム・ファタールとの狂気の恋、
それをただ満月だけが、静かに見下ろしていた、……というものだった。
ところが今回の『名月八幡祭』には、そのときとは少し違う世界があった。
そしてそこが、とても面白かった。

芝雀の芸者美代吉は、男を狂わせる性悪女というほど根深いものではなく、
ただ、生まれも育ちも、縮屋新助などとは全く別世界の女だった。
世間の常識から言えば、彼女のやっていることは自己中心的で傍迷惑だが、
本人の性根は少しもねじれておらず、奔放というより骨の髄まで健康で、
したたかというより単純で逞しい女、という印象だった。
優しさはあるのだが、万事において切り替えが早く、悩むことがない。
魚惣の主人(歌六)の言う、「あいつも悪い女じゃねぇんだが」は、
『が』も含めて、まさにその通りなのだった。
そういう女だからこそ、旦那の鑑のような藤岡慶十郎(又五郎)が、
彼女を好ましく思い、極めてスマートなやり方で面倒をみてくれたことも道理なのだ、
というふうに、私には感じられた。

対する、吉右衛門の新助は、もう、出てきたときから良い人で、
しかも美代吉と話すときだけは、田舎者まるだしで可哀想なくらいだった。
商売人としてなら駆け引きもでき、客あしらいも決してヘタではない男が、
一目惚れした女を前にしては、理屈も才覚も飛んでしまうのだ。
こういう新助の一途さは、美代吉にしてみればキモい(!)のだが、
彼の純粋な気持ちを、そのように否定するのは酷というものだっただろう
(児太郎(=福助)のはそうではなく、その場限りにせよ新助に対して肯定的で、
美代吉自身もひとときの夢を見たように見えたものだったし、
八十助(=三津五郎)もこれほどキモくはなかったように思う)。

「もし姐さん、私をお騙しなさるんじゃないでしょうねえ」
という新助の台詞には、彼の、単なる慎重さや疑り深さだけとは言えない、
既にヤバい(汗)雰囲気がふんだんにあった。
新助はもはや正常な判断力を失っていて、地獄に片足を突っ込んでいる、
ということがこの段階から感じられた。
事実、新助の胸には、自身を破滅に向かわせることになる計画が
このときから進行していたのだから、考えてみれば当然なのだった。
美代吉は美代吉で、積極的に『騙した』つもりではなかった。
決して新助に恋をしていたわけではなかったけれども、
あの場はああ言うしかなかったじゃないか、
というのが、おそらく美代吉の言い分だっただろうと思う。

最後はどうしようもなく重い結末ではあったが、手応えと納得感があった。
吉右衛門×芝雀で観ると、この話の救いの無さが際だって見えた。
二十年前に観て思っていたのと、違うところがいろいろとあったが、
ひとつの作品が、このように様々な可能性を持っているのは、
新歌舞伎ならではの良さかもしれないと思った。

この日の夜の部は、横浜に住んでいる娘を呼び出して二人で観たのだが、
蘭平物狂→素襖落→名月八幡祭、という順で観劇できたことは
歌舞伎初心者に近い娘にとっては、なかなかの「当たり」だった。
大立ち回りのスペクタクルに、狂言由来の古典的な舞踊、
それに、わかりやすい新歌舞伎に本水を使った迫力の演出、……等々は、
歌舞伎の面白さと多様さを堪能するに十分な、絶妙の演目構成だった。
娘は大いに満足した由、観劇後に感想を話してくれた。


では、『蘭平物狂』については、これから、改めまして……。

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