転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



6月5日に、始発で広島を出て歌舞伎座の昼夜を観て来た。
どう考えてもこの日しか自由になる日がなく、
翌日も午後から仕事が入っていたので、
朝6時に広島を発って10時半に東銀座に着き、昼夜観て、
一泊して翌朝8時には東京を出るという強行軍で頑張った(汗)。

昼の部の幕開きは、『春霞歌舞伎草紙』。
若い設定の役で時蔵を観るのは、私には少し久しぶりだった気がしたが、
出雲阿国は艶やかで大輪の花のように輝いて見えた。
幽霊として出て来る菊之助の山三がまた、文字通りこの世ならぬ美しさ。
亀寿の若衆も見ることが出来て、眼福だった。

次が『実盛物語』。
斎藤実盛は、颯爽と格好良く演じる役者さんなら多いと思うのだが、
菊五郎の実盛は、姿が立派な上に柔らかな包容力を感じさせた。
その情の篤さを持ったまま実盛はいずれ老い、戦場に散って行くのだな、
……と想像させられ、ファンの私には特に、こたえられないものがあった。
小さい太郎吉が葵御前(梅枝)の産室を覗こうとするのを再三、とめて、
おとなしく待っているように言い聞かせ、
最後には「ツネツネを致すぞ」と言ったりするのも楽しかった。
左團次の瀬尾がまた熱くて愉快で、更に哀しく、名演だった。
誰もが、源氏の将来のためにその身を沈めるという展開は、
こういう時代物ならではだが、自然に気持ちを添わせて観ることができた。

(今回は退場まで滞りなく運んだので、やはり安心した。
2011年の南座のときは、馬が崩れて音羽屋の旦那さんは落馬なさったのだ。
舞台というのは、常に様々な危険と隣り合わせなのだと思わずにいられない。)

三本目が『大石最後の一日』。
新歌舞伎で、舞台の変化が少なく、劇的な立ち回りもなく心象風景が中心で、
幸四郎でなかったら私には爆睡系の演目なのだが(殴!!)、
今回は随分と、台詞のひとつひとつをじっくりと聴かせて貰うことができた。
やはり幸四郎はこういう役が実によく似合うと思った。
また、おみの(孝太郎)があのように魅力的な役だったとは、
私は今まで思ったことがなかった。
彌十郎の堀内伝右衛門の声音も、あとを引くように印象に残った。

そして、仁左衛門の祝・復帰の舞踊『お祭り』。
登場しただけでスター性カリスマ性で圧倒する仁左衛門だった。
孫の千之助との踊りなので、舞台の雰囲気や視線の行き交う様も
生き生きとして微笑ましく、幸せな一幕だった。
待ってました!!お帰りなさい、ニザ様!!!

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夜の部の最初が、私の今回の遠征の主目的であった『蘭平物狂』。
松緑が家の芸としての蘭平に臨む、大変な演目なのだが、
何よりこのたびは、松緑の長男・大河くん(8歳)が、
三代目・尾上左近を名乗っての初舞台公演とあって、
私は大奮発をして、花道のすぐ横(上手側)、前から一桁の列に座った。
歌舞伎座ではだいたい三階席か幕見が普通という私が、
地上に降りてきたのも久々なら、一等席というのも稀なことだった。
それくらい、切符を買う段階から私には気合いが入っていたのだ(笑)。
写真は、この夜の自分の席から見上げた、祝い幕だ。
この演目については、受け手としての私が尋常でなかったので(^_^;、
感想はまた、別のところにまとめて書きたいと思う。
とにかく、あまりにも見事な初舞台だった。
左近には畏れ入った。
ここまで孤軍奮闘して来たであろうあらしちゃん(松緑)の軌跡にも、
改めて思い至り、感慨深いものがあった。
きっと、父の辰之助も祖父の松緑も、どこかでこの舞台を見守り、
あらしちゃんの今日の姿を「よくやった」と喜んでくれていたことと思う。

次が『素襖落』で、これは三月の南座でも松緑・権十郎で観たわけだが、
今回は幸四郎・左團次によるオトナ版だった(笑)。
重厚感のある舞台で、至芸を堪能させて貰ったのだが、
幸四郎が巧すぎて、太郎冠者の明るさというか人の良さみたいなものが
あまり前面には出ていなかったような気もした。
しかしあれはあれで、幸四郎の見せ方なのかもしれない。
それに私は元来、舞踊がわかっていない。
これは自覚のあるところだ。

最後が『名月八幡祭』。
私はこの演目には縁が薄くて、これがやっと二度目の巡り会いだった。
しかも前回観たのは多分、二十年以上前で、
そのときの新助は八十助(現・三津五郎)、美代吉は児太郎(現・福助)だった。
しかし私は、なぜかその舞台を、今に至るもかなり克明に記憶していた。
当時の八十助・児太郎は、もしかしたら物凄い名演だったのかもしれない(汗)。
その、二十年来、私の記憶にあった『名月八幡祭』の印象は、
清らかで真っ直ぐな若者と、彼の運命を操る美貌のファム・ファタールとの狂気の恋、
それをただ満月だけが、静かに見下ろしていた、……というものだった。
ところが今回の『名月八幡祭』には、そのときとは少し違う世界があった。
そしてそこが、とても面白かった。

芝雀の芸者美代吉は、男を狂わせる性悪女というほど根深いものではなく、
ただ、生まれも育ちも、縮屋新助などとは全く別世界の女だった。
世間の常識から言えば、彼女のやっていることは自己中心的で傍迷惑だが、
本人の性根は少しもねじれておらず、奔放というより骨の髄まで健康で、
したたかというより単純で逞しい女、という印象だった。
優しさはあるのだが、万事において切り替えが早く、悩むことがない。
魚惣の主人(歌六)の言う、「あいつも悪い女じゃねぇんだが」は、
『が』も含めて、まさにその通りなのだった。
そういう女だからこそ、旦那の鑑のような藤岡慶十郎(又五郎)が、
彼女を好ましく思い、極めてスマートなやり方で面倒をみてくれたことも道理なのだ、
というふうに、私には感じられた。

対する、吉右衛門の新助は、もう、出てきたときから良い人で、
しかも美代吉と話すときだけは、田舎者まるだしで可哀想なくらいだった。
商売人としてなら駆け引きもでき、客あしらいも決してヘタではない男が、
一目惚れした女を前にしては、理屈も才覚も飛んでしまうのだ。
こういう新助の一途さは、美代吉にしてみればキモい(!)のだが、
彼の純粋な気持ちを、そのように否定するのは酷というものだっただろう
(児太郎(=福助)のはそうではなく、その場限りにせよ新助に対して肯定的で、
美代吉自身もひとときの夢を見たように見えたものだったし、
八十助(=三津五郎)もこれほどキモくはなかったように思う)。

「もし姐さん、私をお騙しなさるんじゃないでしょうねえ」
という新助の台詞には、彼の、単なる慎重さや疑り深さだけとは言えない、
既にヤバい(汗)雰囲気がふんだんにあった。
新助はもはや正常な判断力を失っていて、地獄に片足を突っ込んでいる、
ということがこの段階から感じられた。
事実、新助の胸には、自身を破滅に向かわせることになる計画が
このときから進行していたのだから、考えてみれば当然なのだった。
美代吉は美代吉で、積極的に『騙した』つもりではなかった。
決して新助に恋をしていたわけではなかったけれども、
あの場はああ言うしかなかったじゃないか、
というのが、おそらく美代吉の言い分だっただろうと思う。

最後はどうしようもなく重い結末ではあったが、手応えと納得感があった。
吉右衛門×芝雀で観ると、この話の救いの無さが際だって見えた。
二十年前に観て思っていたのと、違うところがいろいろとあったが、
ひとつの作品が、このように様々な可能性を持っているのは、
新歌舞伎ならではの良さかもしれないと思った。

この日の夜の部は、横浜に住んでいる娘を呼び出して二人で観たのだが、
蘭平物狂→素襖落→名月八幡祭、という順で観劇できたことは
歌舞伎初心者に近い娘にとっては、なかなかの「当たり」だった。
大立ち回りのスペクタクルに、狂言由来の古典的な舞踊、
それに、わかりやすい新歌舞伎に本水を使った迫力の演出、……等々は、
歌舞伎の面白さと多様さを堪能するに十分な、絶妙の演目構成だった。
娘は大いに満足した由、観劇後に感想を話してくれた。


では、『蘭平物狂』については、これから、改めまして……。

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