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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は朝9時半の新幹線で広島を発って、
昼に横浜で娘とランチをしたあと
夜は友人達とBlue Note東京でゴダイゴのライブを聴いた。
そのまま皆で表参道界隈の居酒屋に行き、夜食。

そして、本日は歌舞伎座昼の部を観劇。
音羽屋の喜撰を観るのが大きな目的だったのだが、
結果的に、2月の大阪に続き東京でも拝見しましたわ、がんじろはん。
このうえ、夏には更に地方公演まで行こうという……。
現象だけ見ると、今年前半のワタシはどんだけ鴈治郎の追っかけを……。
いや本当に、先代の扇雀の頃からあの御一家には縁があるわぁ。

ともあれ、忙しくも充実した一泊二日であった(笑)。


余談なのだが、一人で東京に行くとき私は銀座の某ホテルを定宿にしていて、
シーズンや曜日にもよるが一泊だいたい5000円~7000円で済ませている。
治安と衛生面の問題さえ無ければ、私にとってホテルは安いほど良い。
古くても狭くてもいっこうに気にならないし、
室内ではテレビすら使用しないので、特別な設備は元々必要としていない。
食事にも一切興味が無いから、レストランなど無くていいし素泊まりが基本、
コンビニで晩と朝、パンか何か買ってくれば私には十分だ。
…という理由で私はこのホテルを愛してきたのだが、
なんと先日、主人も同じホテルの会員になっていることが判明した。
東京出張の際にはほぼ毎回泊まっているのだそうだ。
主人もやはり、立地と値段でここに目をつけたようだった。
尤も、グルメな主人は、早朝、築地まで行って朝ご飯を食べるのだそうだが。
同じ姓で同じ住所の人間が、別々に手続してめいめいが会員になっていて、
毎月のように現れるのに、決して一緒に来たことはない、という(笑)。
フロントの人は、(もし気づいていたら)何だと思っているだろうか。

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一昨日は、娘が横浜に戻る日で、しかも主人が一泊二日の東京出張に出発したので、
私にとってこれほど単独行動に適した日は無い!と思い至り、勢いで京都まで行ってきた。
月曜日は会社が休みなので、それも大いに幸いした。
日程的に午前の部が観られなかったことは残念だったが、午後の部を満喫できたし、
舞台の内容も期待を遙かに上回る素晴らしいもので、行って良かったと満足できた。

今回の南座は『三月花形歌舞伎』で、
松也・歌昇・巳之助・右近・種之助・米吉・隼人、という若い面々だった。
一番年上の松也でも今年ようやく30歳。
菊五郎劇団関連で松也と右近は私にとっても以前から馴染みだったし、
巳之助は三津五郎の息子、隼人は錦之助(信二郎)の息子、
歌昇と種之助は又五郎(先代歌昇)のところの長男次男だから、
歌六の息子である米吉と彼らは従兄弟同士。
同世代のうえに父親世代からの共演関係や親戚関係もあり、
何かと繋がりの多い七人組なのだった。

午後の部の前半は、『弁天娘女男白浪』。
松也の弁天に、巳之助の南郷。
武家の娘のこしらえで花道に登場した松也の声が痛々しく割れていて、
最初は驚いたが、幸い、舞台の進行に伴ってだんだん声が出るようになり、
弁天が正体を現してからあとの立役としての台詞は、ほぼ問題がなかった。
…と思ったら、日本駄右衛門の歌昇の声もまたひどく傷んでいて、
若手にとってあまりにも大きな演目が、慣れぬ咽喉には負担になったのか、
それとも、皆の間で悪い風邪でも流行っていたのか(汗)。

そのような中で、ひとり響き渡る巳之助の台詞が際立っていた。
眼光鋭く荒々しい南郷は、今の研ぎ澄まされたような巳之助にはぴったりだったと思う。
松也は、私の思っている弁天より、ずっとお行儀の良い感じはしたが、
松也の若さを思えば、それもありかなと好感が持てた。
総じて、芸よりも前に、素の存在感に近いところでの弁天・南郷だったと感じたが、
こういう舞台は今でないとできないものだとも思うので、楽しく観ることができた。
忠信利平の隼人はイケメンで、かつ、若いのに渋みがあったし、
右近の赤星十三郎はどことなく典雅な空気があって、これまた良かった。
米吉の宗之助は、ひな人形みたいなぽってりとした愛らしさがあり、
それでいて、浜松家の若旦那として育っている品格もあり、実によく似合っていた。
鳶頭清次の種之助は、粋で、利かん気のある感じが素晴らしかった。
黙って控えているときの、目つきだけの芝居も呼吸が絶妙だったと思う。
まだ少年の初々しさも残る種之助だが、これからの成長ぶりが楽しみだ。

後半は舞踊で、『闇梅百物語』。
私にとっては全く初めての演目で、どういう内容かも知らなかった。
幕開きの場面は、とある大名屋敷で開かれた百物語の会。
普段は99話でやめるところ、この夜は100まで行って怪異が現れるのを楽しむ趣向になり、
その100個目のろうそくを消す役目を言いつけられたのが、新参者の小姓の白梅(右近)。
逃げるに逃げられず、白梅がやっと思いでろうそくを消すと、あたりは真っ暗、
得体の知れない空気に捕らえられて白梅は気を失ってしまう。
心配になって様子を見に来た腰元たちが、倒れている白梅を助け起こしてみたら、
なんと彼女は、のっぺらぼう――。

ここから百鬼夜行が始まり、まずは狸(歌昇)と河童(隼人)が、
一本足のオバケ傘(巳之助)を奪い合って相撲を取る。
狸が愛らしいのやら、河童があまりにも美形なのやら(爆)に感心しているうち、
オバケ傘の身体能力の高さ+お色気にもヤられてしまい、実に楽しい場面だった。
次は一転して、一面の雪景色になり、花道スッポンから新造(米吉)登場。
せり上がって来たのだからこの世の者でない、といえばそうかもしれないが、
この米吉は、「絵画になった女郎さん」という感じの、
実体を伴わない美しさを出していて巧かった。
続いて舞台中央のセリから上がってきたのは、ため息ものの雪女郎(右近)、
右近は、ひとりで舞台の芯が務まるような女形になりつつあるなと、
そのスケールの大きな艶やかさに見惚れた。
そのあとは枯野原になり、骸骨(種之助)の愉快な踊り。
いろいろと仕掛けもあり、大変楽しい場面になっており、
種之助のエンターテイナーとしてのセンスに感じ入った。
最後が、満開の桜の庭園。
大内義弘(松也)、読売(種之助)、……ここはしかし、どういうわけか、
松也が堂々として立派だったこと以外、あまり私の印象に残った箇所は無かった(汗)。
こちらの集中力が切れていたのか、舞台として「後始末」的な雰囲気になっていたのか。

ともあれ、観ることができて本当に良かった。
若さのみなぎる舞台は、やはり良いものだとつくづく思った。
私の世代から言えば、既に「息子」と言える年齢の若々しい役者さんたちが、
果敢に大役に挑み、しかもそれを成功させている公演に居合わせるのは、
観る側としてもこのうえない幸せだった。
「揃いも揃ぅてこないに立派な息子がおって、どこの家もほんまに良かったなぁ」
としみじみ思った、このたびの観劇だった(笑)。

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来たぞ、花形歌舞伎@南座!
きょうしか動けないと考え、急遽、思い切った(笑)。
本日午後の部のみ観劇、日帰り。

見逃した1月の新春浅草歌舞伎とほぼ同じ顔ぶれで、
尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、尾上右近、中村種之助、中村米吉、中村隼人。
昨年の松緑・菊之助・亀亀兄弟の座組より、更に一世代若い!
演目は、『弁天』と舞踊の『闇梅百物語』。

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・3月12日に、娘が二十歳になった。
…ので、娘は外食の折などに、我々の前で梅酒やチューハイを飲むようになった。
アルコール度数から言えば低めのお酒ばかりだが、
とりあえず酔う気配はなく、翌朝二日酔いになっている様子もないので、
私の、アルコールアレルギーと言えるほどの極点な体質は、
娘には受け継がれていなかったらしいことがわかった。
ただ、娘は炭酸が嫌いなので、ビールの美味しさはわからないとのことだった。

・先日のTOEICの感触があまりにも不本意なものだったので、
リベンジを果たさんと、本日、5月のTOEIC公開テストを申し込んだ。
ったく、この前のTOEICに関しては、「今の、なし!」の心境だ(^_^;。
5月のこれは第200回TOEIC公開テストで、節目というか記念すべき回になるので、
おそらく受験者数はまたかなり多いのではないかと思われる。
心を入れ替えてこれから頑張るのみ(笑)!

・この夏のイベントは、これだっ!
松緑に亀亀BROTHERS、今観ないでどうする!!
公文協 東コース 松竹大歌舞伎
中村翫雀改め 四代目 中村鴈治郎襲名披露
平成27年6月30日(火)~7月31日(金)
(歌舞伎美人)

・そのまえに、五月の歌舞伎座も見逃せない。
團菊祭五月大歌舞伎
平成27年5月2日(土)~26日(火)
(歌舞伎美人)
今年もやってきた團菊祭、合邦に辰五郎、文句なしだっ!
……というのは、しかし、音羽屋に関してのみだ。
海老蔵はこのところ、特別公演とか自主公演とか、他ジャンルとのコラボとか、
大変意欲的に活動しているのは良いのだが、なぜ歌舞伎座ではこうなってしまうのだろう。
やっと團菊祭が巡ってきたのに、演目は音羽屋中心で、成田屋のほうは見劣りがする。
松竹が若い海老蔵にはまだ役を与えないのか、
海老蔵本人が自分の企画する公演のほうを優先しているのか、
あるいは、興行的な面での事情により、
松竹が彼の動員力を頼みに単独公演ばかりをさせたがっているのか、
……素人の私には、あることないことを想像する以外にできないが、
未来の團十郎にはもっと、歌舞伎座で、古典中の古典を演り込むことが、
今の時期、必要なのではないかという気がしてならない。
その面でせめて團菊祭くらいはと、演目配役に期待をしていたのだが、
発表を見て、海老蔵に関しては正直なところ私は失望した。
昨年は弁慶や幡随長兵衛を演っていたではないか。
あの規模の配役を毎回持ってきて欲しい。
当代團菊の「團」を欠いたぶん、配役が「菊」寄りになるのかとも思うが、
しかしそれなら團菊祭を名乗る必要は、当分、無いのでは……。
こういうことを言う私は、飽くまで菊五郎ファンである。念のため。

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三津五郎さん死去 59歳すい臓がん肺転移(日刊スポーツ)
『歌舞伎俳優で日本舞踊坂東流家元の坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名・守田寿=もりた・ひさし)さんが21日午前、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。59歳だった。2013年9月にすい臓がんの摘出手術後、昨年4月に舞台復帰した。しかし、9月に、12月に予定した主演舞台の降板を発表。治療に専念したが、再び舞台に立つことはかなわなかった。大親友の中村勘三郎さんに続いて、歌舞伎界は次世代の大きな柱を失った。』

去年の8月に歌舞伎座の納涼歌舞伎で観た『たぬき』が、
私にとっては三津五郎の最後の舞台になってしまった。
奇しくも、一度は死んだと思われて葬式まで出されたあと、
墓場から蘇って帰って来る男の役だった。

三津五郎には、昔から数え切れないほどの舞台を見せて貰ったし、
今も鮮やかに思い出せる舞台姿が様々にある。
だからこそ尚更、還暦を迎えた三津五郎を観ることができなかったのは、
歌舞伎ファンとして、残念でならない。
一般的に歌舞伎役者の60歳は、最高の円熟期だと私は思っており、
役者・三津五郎にとっても、おそらくこれから数年が、
本来ならば最も大きく開花できる時期となった筈だと思うのだ。
特に近年の三津五郎は、観るたびに、
「巧い!!」と唸らされるような舞台を見せてくれていただけに、
その先にあったものの見事さを、私はどうしても想像せずにいられない。
限りなく大きな損失となった。
これからの坂東三津五郎は、数々の映像の中にその姿を留めるのみだ。

舞台以外で私の印象に残っている三津五郎は、
八十助時代、偶然にその楽屋入りに遭遇したときのことだ。
20年以上前、児太郎(現・福助)の出待ちをする友人につきあって、
私が旧・歌舞伎座の楽屋口にいたら、そこに八十助がやってきたのだが、
その彼が、それはそれは怖い顔をしていたことが、今でも忘れられない。
若く無遠慮だった私でさえ、そのときの八十助には声もかけられなかった。
「ぇ……、さっきの、八十助、ですよね……(汗)?」
と一緒にいた友人も彼の後ろ姿を目で追いながら小声で言った。
普段の八十助は、笑顔を絶やさない気さくな感じの人に見えていたのに、
その日の彼は、出番を目前に、別人のように鬼気迫る顔つきをしていたのだった。
八十助がすべてを賭けている舞台というものの大きさが、
ひしひしと伝わって来て、心底、圧倒された瞬間だった。

(そうだ、あれは八十助が『名月八幡祭』に出ていたときだった!)

****************

十年前、第33回『俳優祭』で『奈落――歌舞伎座の怪人』に主演したとき三津五郎は、
役者三津五郎は吸血鬼として、何百年も延々と生き続けてきた存在だ、
変化舞踊で有名だった三代目三津五郎も、
喜撰の巧かった七代目三津五郎も、皆わたしだ、
と言っていたよね。
「年とっては眠り、若返って目覚め、また新しい三津五郎として蘇ってきた」
「わたしは生きる。これからもまだまだ何千年も生き続けるのだ」
と……。
だったら、喜撰も蘭平も宗五郎も弁慶も物凄く見事だった十代目三津五郎は、
今はただ少し眠っているだけで、きっと、きっとまた、帰って来るのだよね…(涙)


追記(2月25日):
音羽屋の旦那さんとの共演でも三津五郎の思い出は尽きないが、
平成元年(89年)に音羽屋が初役で宗五郎を務めた際に、
八十助だった三津五郎が三吉の役で出てくれたときのことが、
私は今でも忘れられない。
配役として大変豪華に感じられたのも無論だが、
宗五郎の芝居は、周囲の受けに成否がかかっているので、
先代松緑の時代からこの演目をよく知っている八十助が、
三吉として菊五郎のそばにいてくれたことは、
菊五郎劇団としてのこの芝居の継承という点で大きな意味があり、
八十助の果たした役割は非常に大きかったと、私は今でも思っている。

尾上菊五郎、三津五郎さんと1か月前対面「夏には復帰」聞いたのに…(2月24日付スポーツ報知)
『歌舞伎俳優の尾上菊五郎(72)は23日、歌舞伎座「二月大歌舞伎」の出演前に報道陣に対応し、三津五郎さんへの思いを語った。』『「つらいですね…」と切り出すと、約1か月前に三津五郎さんの自宅で会っていたことを明かし「病状や、今後のことも相談したいということで、1時間ほど話して経過などを聞いた。『夏には復帰したい』と前向きに話していたので、良かったなと思っていた。それが最後のお別れです」と肩を落とした。』『さらに、自身の還暦には三津五郎さんから赤いキャディーバッグを贈られたエピソードを明かすと、「来年は何を贈り返そうかと考えていたところだった。残念です」と肩を落とした。』

三津五郎さん告別式 菊五郎切々と弔辞(2月25日付デイリースポーツ)
『21日に膵臓(すいぞう)がんのため59歳で亡くなった歌舞伎俳優・坂東三津五郎さんの葬儀・告別式が25日、東京・青山葬儀所で営まれ、歌舞伎俳優・市川海老蔵(37)ら歌舞伎界をはじめ、多くの著名人が参列した。』『三津五郎さんの長男で歌舞伎俳優・坂東巳之助(25)が喪主を務めた葬儀では、歌舞伎俳優・尾上菊五郎(72)が弔辞を務めた。』『菊五郎は「残念だ。あなたは本当に若手を可愛がって、育てて下さいました。今後3年後、10年後にあなたがまいた種が花開いてくれると思えば、楽しみです。あなたはネオン街も好きでした。向こうの世界でいい店を探しておいてください」など切々と故人に語りかけた。』『戒名は香り漂う芸が客席に醸し出すなどの意味を込め「香藝院爽進日壽居士(こうげいいんそうしんにちじゅこじ)」とした。』

尾上菊五郎 三津五郎さんに誓った「巳之助くんを立派な役者に」(2月25日付スポニチ)
『すい臓がんのため21日に59歳で死去した歌舞伎俳優で日本舞踊坂東流家元の坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名守田寿=もりた・ひさし)さんの本葬が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。』『歌舞伎俳優の尾上菊五郎(72)は弔辞で、「若手をかわいがって、育ててくれました。3年後、5年後、10年後に君のまいた種が花咲き、歌舞伎界を背負って立つと思うと私も楽しみです」と親身になって後輩を指導した三津五郎さんの人柄を称賛。そして「きっと立派な役者にしてみせます」と喪主をつとめた長男の坂東巳之助(25)を一人前の役者に育て上げることを天国に誓った。』『城好きとして知られ、BS番組ではナビゲーターも務めていた三津五郎さん。「あなたは姫路城が好きと言っていましたね」と語りかけた菊五郎は、“夜の街”が好きだったことも明かし「向こうの世界のネオン街でいい店を探しておいてください」と親しい先輩らしい粋な弔辞で笑わせ、そして泣かせた。』

三津五郎さん告別式 盟友・菊五郎が弔辞 「残念だ…」と悲痛(02-25 15:40 ORICON STYLE)
『今月21日にすい臓がんのため亡くなった歌舞伎俳優の十代目・坂東三津五郎さん(本名・守田寿=もりたひさし 享年59)の告別式が25日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。弔辞を読み上げた歌舞伎俳優・尾上菊五郎(72)は「本当に残念だ」と声を振り絞りながら故人との思い出を振り返った。』『「寿くん」と語りかけた菊五郎は「1月前に病状や今後のことを話したいということで君の家で二人きりで話したね」と回顧し「帰り際に『風邪を引かないようにね』と玄関で別れたのが最期。残念だ…」と悔やんだ。』『続けて「君は、若手を可愛がって育ててくれた。君の蒔いた種が花咲き、歌舞伎界を背負って立つと思うと、私も楽しみです」と感慨深げに話した菊五郎。喪主を務めた長男で歌舞伎俳優の坂東巳之助(25)に触れ「きっと、立派な役者にしてみせます」と誓った。』『また、神妙な様子で話す一方で「君は本当に趣味が多くて、野球やゴルフをした。お城も好きで自分の番組を持っていたね」とプライベートの一面を明かし「『姫路城が好きだ、彦根城が好きだ』と言っていたけど、君はキャバクラ嬢やホステス嬢も好きでした」と暴露。「どうか向こうの世界のネオン街でいい店を探しておいてください。私がそちらにいったらいい店を紹介してください。本当にこれまでお疲れ様でした。ありがとう」と冗談交じりに締めくくった。』『三津五郎さんは、2013年9月にすい臓がん摘出手術を受け、昨年4月に舞台復帰を果たしたが、同年秋に出演予定だった主演舞台『芭蕉通夜舟』の降板を発表。再び療養に専念していた。』『祭壇には、2009年に歌舞伎公演などの宣材用に撮影された写真を使用。三津五郎さんは晩年、生け花を好んでおり、トルコキキョウなど計4100の花や、2009年に授与された紫授褒章などが飾られた。』

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初日から駆けつけてる私って一体(笑)。
思い返せば、藤十郎が扇雀だった頃から
何かというとよく観て来たのよね、この御一家の舞台を…。
「扇雀近松座」のロゴが入った30年くらい前の黒Tシャツ、今でも持っているし。

先代鴈治郎の襲名も藤十郎襲名もどちらも関西で観て、
きょうまた、新しい鴈治郎の襲名を松竹座で。
観客のひとりとして、不思議な御縁を感じないではいられません。

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数日前、こんぴら歌舞伎(4月11日(土)~26日(日))の詳細が発表された。
こりゃもう、行くしかあるまいよ(笑)。

会社のない日曜日月曜日を利用して、なんとか金丸座まで行って来られないものか、
……などと、最初は大仰に悩んでいたのだが、
よく考えてみたら、広島から琴平なんて、その気になれば日帰りできる距離だった。
だって、かつて私は、今治―宝塚を平気で日帰りしていたではないか(爆)。
広島からなら別に始発に乗らなくても、朝10時に琴平に着いていることなんか簡単だし、
むこうを夕方遅く発ったとしても、こっちに帰るのが午前様になるわけではない。

日帰りで唯一、問題になることがあるとすれば、強風による瀬戸大橋線の不通くらいか。
当日の朝これが起こると、私は四国に渡れず観劇チケットがパアになり、
公演後の夕方から夜が荒天になった場合は、私は高松のあっちに取り残されるか、
瀬戸大橋の上で停車した揺れる列車の中で、夜明かしするはめになるかもしれない。
まあ、舞台さえ見終わっていれば、「夜道に日は暮れない」からどうでもいいが、
翌日が仕事、という日に出入りするのは、やはり冒険過ぎるかもしれない(汗)。

写真は、前に金丸座に行ったときに撮影したものなのだが、
仁左衛門が主演だった公演で、多分2002年だったと思うので、
いわゆる『平成の大改修』より前の話だ。
当時は主人の勤務先の今治に住んでいたので、
近いところに居るうちにと、小さい娘を連れて家族で出かけたのだ
(尤も、主人は全く歌舞伎を観ずに、ひたすらうどんを食していたものだったが)。
あの公演では、客席を仕切っている花道と仮花道とに仁左衛門と愛之助が立ったら、
同じ美男が二人居るとしか思えず、ドキリとしたことを、今でもよく覚えている。

こんぴら歌舞伎オフィシャルサイトの、ポスターで綴るこんぴら歌舞伎に、
今、検索のついでに、ついうっかり見入ってしまった。
ふっくらした少年だったあらしちゃん(松緑)や、幼いボクちゃんだった松也が、
今や菊五郎劇団のスターとなって金比羅さんを訪れるのだから、
いやはや、私もオバさんになる筈だね(笑)。
勿論、実に実に、結構なことだ。


追記:facebookでこんぴら歌舞伎の話題を書いたときに、
友人某氏が、「世間が亀三郎・亀寿兄弟の素晴らしさに気付き始めた…」
という趣旨のコメントを下さったのが、全くもってその通りだ!
今年は、亀亀兄弟、更なる大活躍・大躍進の予感(^^)!!

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1月3日に、国立劇場の八犬伝・初日を観た。
鏡開きから行った。豪華、豪華。

舞台としては総花的に楽しいという趣のもので、
出演者は豪華だし仕掛けは大がかりだし、立ち回りはあるし、
ダンマリがあってキメがあって、最後は手ぬぐい撒き、
まさにお正月に相応しい眼福だった。

ストーリーは有って無きがごとし(逃)で、
飽くまで場面場面を見せるための「設定」に過ぎず、
それ以上でも以下でもないという印象だった。
毎年、お正月の菊五郎劇団は、そういうものではないだろうか。

ロビーでは予想通り寺島ファミリー大集合で、菊之助長男・和史くん初お目見得。
瓔子お母ちゃまに抱っこされて、和服の正装、涼やかな目元にキリリとした口元、
まさに栴檀は二葉にして芳し(笑)!
一方、寺島しのぶ長男・眞秀(まほろ)くんも羽織袴で周囲の大人に手をひかれて、
あちこちキョロキョロ。全く人怖じしないのが、さすが!
おめめパッチリで、こんな綺麗な子がいるんだなあと(^^)見とれてしまった。
ローランさんも和装でご挨拶に立たれ、ずっとニコニコ。
時々しのぶちゃんのゴーカイな笑い声が響き渡るロビーであった(笑)。

そして、あれ?純子夫人がいらっしゃらない!?と最初、私は探してしまったが、
なんと私の目の前にいらした(爆)。
ヘアスタイルを変えられていつものアップスタイルでなかったので、
すぐにはわからなかったのだ(恥)。
相変わらずあまりにお美しい純子夫人だった。

大向こうさんの「きおいちょっっ(紀尾井町)!」の声は、
何度聞いても胸が熱くなる。
松緑、そして左近が、客席からの大きな拍手で迎えられるのを観ながら、
ああ亨さん御覧になってますかと私は内心で呼びかけずにいられなかった。

菊五郎劇団は若手に至るまで発声が素晴らしく、台詞が美しい。
私は声フェチなので、この舞台はこのうえない耳福でもあった。
また、若いスターが次々と育っているので、
もう菊五郎旦那は真ん中に立っているだけでいい、という余裕ぶりだった。
左團次に至っては最後のほうに出てきて舞台中央でキメて、誰が主演?状態(爆)。
菊五郎旦那の刀売りの台詞が「qあwせdrftgy」になっちゃったことや、
時蔵が一瞬、自分が犬塚だか犬坂だかわかんなくなっちゃったことはご愛敬だった。

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菊五郎劇団、八犬伝初日!
鏡開きからフル参加、満喫いたしました~。

若々しい面々がいずれ劣らぬ充実ぶりなので
音羽屋の旦那さんはもう、自ら奔走なさる必要などなく
舞台の要として大きく構えていらっしゃるのみ。
左近が早くも菊五郎劇団の一角を担って働く役者になりつつあり
これまた大変頼もしく感無量だった。

手拭い撒き、亀三郎が見事な遠投で二階席まで次々と。
いい肩だ!と感動した(笑)。


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歌舞伎座は本日初日だが、私は残念ながら今年は切符を持っていない。
前売り段階で、1月3日以降なら買える日もあったのだが、
私は明日は国立劇場初日に行かなくてはならないし、
そのまま広島に帰るので、今回の歌舞伎座は見送るしかなかった。
そのほか、きょうは新橋演舞場も浅草公会堂も
それぞれ新春公演の初日の幕が開く。
東京宝塚劇場もきょうの午後三時公演が宙組初日だ。

どこの劇場も年末の28日から元日にかけては休みになるので、
こちらにしてみれば限られた東京滞在で、身ひとつしかなく、
毎回、なかなか厳しい。

ちなみに、きょうの夕方は家族で清水ミチコの武道館公演を
観に行くことになっている。
武道館、……私にとっては、清志郎がいなくなってから初めてだ(汗)。

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