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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



14日、大阪松竹座で、七月大歌舞伎の夜の部だけを観てきた。
友人がどうしても孝夫(仁左衛門)が観たいと言うので、
それなら萬壽・時蔵の襲名披露もあるからこの機会にと私が提案し、
6月初旬、チケ松の松竹歌舞伎会会員先行発売の日に切符を取った。
私ひとりだったら、まず絶対にやらない、一等席での観劇であった。
果たして、友人は大変満足してくれた。
花道のよく見える、センターブロック前方席、かつ通路沿い。
良かった(^_^;。

夜の部最初は、仁左衛門の「いがみの権太」。
私は上方の「権太」を初めて観たかもしれない。
これまで歌舞伎座で観た、菊五郎や松緑の「権太」とは
台詞や人物像の細かいところで異なる点がいろいろあった。
また、仁左衛門は『木の実』『小金吾討死』から通して『すし屋』まで
出すことにこだわっているというのも、舞台を観てよくわかった。
やはり権太・小せん夫婦の情愛をしっかりと感じてこそ、
権太がどういう男であるかもよく伝わって来るし、
最後の、「もどり」の味わいも深まるというものだった。
『すし屋』の冒頭で弥左衛門がいきなり生首持って帰ってくるという
ギョーテンものの登場場面も、『小金吾討死』を直接観ていれば
全然唐突でなくなり、観客としても頭で了解しただけの観方とは
比べものにならない納得感があった。

しかし何より仁左衛門が若々しく覇気に満ちていることには
改めて感嘆させられた。
本当に仁左衛門は50歳くらいからあと、トシを取った気がしない。
これは決して、私の脳内修正ではない。
冴え冴えとスキのない動き、キレのある台詞、磨き立てた所作!

萬壽の弥助はこれまた美しく、しかも正統派の二枚目、
そしてこちらも、なんとも身のこなしが軽くて自由自在で、
年齢を全く感じさせなかった。
吉弥の小せんが実に「イイ女」で、粗末な暮らしの中にも
廓の女だった色っぽい雰囲気が確かにあって、はまり役だった。
『すし屋』だけの上演では、小せんの周辺は想像で補うしかないが、
権太とどのような夫婦であったかを今回は実際に観たあとなので、
最後に、今生の別れと花道で権太を振り返る姿も心に染みた。
壱太郎のお里ちゃんは本当に愛らしかった。
お里は『すし屋』の芝居の中で、初々しいお嬢ちゃんから一人の女へと
見事に成長し、それゆえに痛々しいのでもあるが、
若葉の内侍との無言のやりとりにも
お里の揺れ動く内心が伝わって来て、こまやかであった。
その、若葉の内侍は孝太郎、過去イチで品格のある若葉の内侍であった。
これまでに観た若葉の内侍は、どこか怖い感じの残るものが多かったが、
孝太郎は、人の心の綾を慮る女性として演じていたように思った。

次は舞踊で『汐汲』、扇雀の苅藻(みるめ)に萬太郎の此兵衛。
進行を損なうほどのものでは全くなかったが
小道具の微妙なアクシデントが複数あった。
汐汲桶の竿が扇雀の思っている位置に来ていなかったらしい瞬間とか、
立ち廻りのときの縄を萬太郎が取り落としかけたりとか(汗)。
しかしそのようなことはともかくとして、扇雀の柔らかな踊りを
久方ぶりに堪能できたのが良かった。
苅藻、本当に行平どのを愛しているのだねぇ、…としみじみ感じた。
萬太郎は勢いというか、エネルギーを解放する力強さが良かった。
しかしこの舞踊、私はよく知っているとは言えないのだが、
結局立ち廻りになるのね……(^_^;???

最後が中村時蔵襲名披露狂言で『嫗山姥(こもちやまんば)』。
先月、歌舞伎座で観たのは、息子・怪童丸(梅枝)の旅立ちを見送る、
母としての山姥(萬壽)だったが、今回のはその怪童丸がどうして生まれたか、
という、『山姥』に至る前の段階の物語。
八重桐(時蔵)は、恋文の代筆を生業としながら、
行方知れずの夫・坂田蔵人時行(菊之助)を探し探して、
とある館で偶然に見つけるのだが、
『アナタ!?よりによって、こんなところで何やってるんですか!』
と言わんばかり、つかみかかるポーズで、再会の最初から強いのなんの、
さすがに、かつて廓で太夫を張った女は根性が違うのであった。
八重桐は質素なナリなのだが極めて美しく、身に備わった威厳があり
しかも「漢」(笑)、男性の演じる女形だからこその、
低い、深い声音の台詞が、要所要所で実に効果的に響き渡り、
堪えられられない味わいがあった。
特に、後の怪童丸をその身に宿してからは、八重桐に「男の血」が入り、
超人的な力を得、これぞキワメツキ「母は強し」!
そして、ぶっ返りからはもう、八重桐本人が怪人そのもの(笑)!
……なのだが、これがまた、男でもあり女でもあり、
でもやはり女、とてつもなく美しい!!!

  
 
ということで、5年ぶり?の大阪松竹座であった。
記憶にあるより松竹座はこじんまりとしていて、舞台と客席が近く、
一体感もひとしおで、上方歌舞伎の灯を消さぬよう支援したいものと
改めて心から思った。
私も、道頓堀に中座があった頃から観てきた世代の端くれである。
上方歌舞伎には、上方ならではの人情や柔らかみがあるので、
その機微を大切に味わいつつ、これからも応援して行きたいと思った。

萬壽・時蔵・梅枝の襲名幕は、松竹座にも来ていた。
歌舞伎座より舞台が小さいので、文字は入っていなかったが、
いかにも道頓堀の夏に相応しい絵柄で、
小川家三代の関西御披露目を観客として寿ぎつつ、存分に楽しく観劇させて貰った。
いや~、しみじみと良い舞台であった!行って良かった!

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改めて。六月大歌舞伎@歌舞伎座。

今月は、「小川家・襲名&初舞台披露」であった(笑)。
五代目時蔵が初代萬壽(まんじゅ)、
四代目梅枝が六代目時蔵を名乗ることとなり、
新・時蔵の長男大晴くんが五代目梅枝として初舞台。
また、獅童の長男次男がそれぞれ、初代晴喜(はるき)・初代夏幹(なつき)
としてこちらも初舞台、……ということで昼夜とも御披露目の公演となった。

私が歌舞伎を自分の意思で見るようになった二十代の初めの頃、
五代目時蔵は、とっくに時蔵であった。
先代が早くに亡くなったのもあり、五代目は若々しい青年時代に
時蔵を襲名し、そのまま、私の印象の中でトシを取らなかった。
「父は、亡くなるときまで時蔵だと思っていた」
と四代目梅枝(新・時蔵)が各所のインタビューで言っていたが、
それは観客としての私も全く同感であった。

その美しい時蔵のまま初代萬壽となった今回の御披露目が『山姥』。
孫の大晴(新・梅枝)と共演したいと、たっての希望であったそうだ。
9歳の梅枝は、花道で見得を切る姿が既に立派な役者。
怪童丸(のちの坂田金時)の踊りも大変に頼もしかった。
幼い息子の旅立ちを、涙を浮かべつつも誇らしく見送る山姥の姿は、
そのまま、今の萬壽であろう。
萬壽によると、梅枝というのは幼名なので、これを孫に名乗らせたい、
息子もまた十分に立派になって、時蔵を継がせるときが来た、
と考え、今回の襲名となったとのことだ。

一方、獅童の息子さんたちは『魚屋宗五郎』の丁稚役で初舞台披露。
7歳の晴喜・4歳の夏幹はまだまだ小さいが、どちらも笑顔がいいし、
大きなお声で立派に務めていて、実に天晴れであった。
獅童は獅童で、今月は昼も夜も初役が多くて八面六臂の大活躍。
『魚屋宗五郎』の宗五郎、『上州土産百両首』の正太郎、
いずれも江戸前で、獅童のシャープな容貌と持ち味が生きていたと思う。
特に私は、正太郎の一本気な熱さが気に入った。

その『上州土産百両首』、菊之助の牙次郎が私の大きな目当てだったのだが、
やはりプリンス菊之助の当たり役と、確信を深めた。
おぼつかない足取りで花道から登場し、正太郎を訪ねてきて、
家にあがるところでいきなり蹴躓いて草履を吹っ飛ばす形が最高で、
「あれれ、草履がどっかにいっちゃった」。
がじ@菊之助は、あまりにも愛らしく、いとおしい。
近年、菊之助のふとした面差しに「昔の旦那(菊五郎)さんにそっくり」と
思うことが増えて来ていたのだが、この「がじ」の柔らかさは異色で、
当代菊五郎とは全く違う味わいだ。
しかしそれとは別に、今回のは、前に芝翫の正太郎で見たときより、
明らかにBL味(爆)が感じられたのだが、何が理由だったのだろうか。
天使である牙次郎に色恋が無いのは当然としても、
いい男の正太郎が、おそで(米吉)という可憐な娘がそばに居ながら、
結局「あじゃがじ」のことしか眼中に無いなんて(^_^;。
この正太郎と牙次郎は、つまり魂の恋人同士、相思相愛ですよね!?
ゆえに黄泉路までも、ともに。夫婦は二世(にせ)、……違いました!??

七之助が『宗五郎』の女房おはま役で出ていて、
これがまたぴたりとはまったいい味であった。七之助の充実ぶりは素晴らしい。
私は観ながら、大昔、菊五郎旦那が初役で宗五郎をしたとき、
七之助の祖父の七代目芝翫が務めていた「おはま」を思い出したりした。
七之助の顔立ちはまさに成駒屋だ。
そこに若々しい感覚があって、姿が良いうえに相手役との呼吸も見事、
実にいい女形になったんだなあと感慨深いものがあった。

新・時蔵の御披露目は『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』の「お三輪」。
「通し」で観る機会のあるような芝居でないので、
全体としてどういう話になっているのか、実は私にはよくわからないうえ、
代々の時蔵の襲名披露の演しものと言われても、痛めつけられるお三輪では、
感覚的にどうも「寿(ことほ)ぐ」気分にもうひとつなれなかった。すみません。
しかし大役であることは間違いないし、時蔵のきめ細かな芸があってこそのお役で、
しかも、清らかな田舎娘の設定でありながら、
心身ともに「いたぶられる」姿に堪えられない色気があるというのは、
なかなか深い境地ではあるよな、と感じ入った。

この演目での金輪五郎今国の松緑は芸の大きさが際立っていたが、
『宗五郎』の鳶吉五郎では軽妙に明るく見せていてこれも流石だった。
菊五郎・又五郎・歌六・錦之助・魁春と、
このたびの華やかな襲名披露に相応しい顔ぶれで、実に贅沢であった。
中でも仁左衛門の豆腐買おむら、御馳走過ぎた(笑)!!

八犬伝で勢揃いした若手たちも色とりどりで、
この世代はまたいい役者が揃っているのだなと、将来が楽しみになった。
男寅は兼ネル若手という感じだが、女形に力点を置くのだろうか?
そういえば新・梅枝は、親の名とは逆に立役がやりたいと主張しているそうで、
見得を切るのが大好きという話がイヤホンガイドの幕間インタビューで出ていたが、
さてこちらは今後どうなるのだろうか。
左近も松緑とは持ち味が異なるし、声も太くないようなのだが、さてさて…。
何であれ各々、自分の演りたいものをこそ、演れるようになって欲しいし、
立役・女形には関係なく、「いい役者」になって欲しいばかりだ。

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20日(木)に夜の部を、21日(金)に昼の部を観て来た。
この2日間、東京は涼しくて大変快適だった。
21日は朝から雨だったが、歌舞伎座に入ってしまえば濡れる心配もなく、
これも大して気にならなかった。

この時期に東京往復を強行したのは、
これまでの時蔵が萬壽に、梅枝が時蔵にという襲名披露があったのと、
新・時蔵の長男の梅枝、更に獅童の長男次男の陽喜・夏幹の
各々の初舞台があったからだ。
襲名幕もそれぞれに誂えられ、御披露目されていた。

   

そして私のもうひとつのお目当ては、菊之助の牙次郎を観ることであった。
2019年夏の大阪松竹座で強烈に魅せられた『上州土産百両首』の再演があり、
今度は獅童の正太郎と組んでの「がじ」ということで、
私はどうしても見逃したくなかった。
期待に違わぬ名演であった。行って良かった!
プリンス菊之助に、どうして、のろまの「がじ」がこんなにハマるのか。
次代の菊五郎の、(私にとっての)当たり役が果たしてコレでいいのか(^_^;、
と思わなくもなかったが(汗)。

明日以降、詳細を書ければと思っている。

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尾上菊之助が来年5月「8代目菊五郎」襲名
当代菊五郎も名前変わらず、歌舞伎史上初の大名跡「菊五郎」2人に
(スポーツ報知 2024年5月27日 15時0分)
『松竹は27日、都内で会見し、歌舞伎俳優・尾上菊之助(46)が、来年5月に「尾上菊五郎」の8代目を襲名することを発表した。「菊五郎」は歌舞伎最高峰の「市川團十郎」に次ぐ大名跡。これに伴い、菊之助の長男、尾上丑之助(10)が「尾上菊之助」の6代目を継ぐ。』『長男、孫が襲名する流れで、菊之助の父で当代尾上菊五郎(7代目、81)の芸名に注目が集まるが、変えることなく、そのまま「菊五郎」を全うする。同時期に同じ大名跡の役者が2人存在するのは約400年の歌舞伎史でも前例がなく、初めてのことだ。』『襲名披露興行は来年5、6月の東京・歌舞伎座から2026年6月の博多座まで。演目は5月が「二人道成寺」「口上」「弁天娘女男白浪」、6月が「菅原伝授手習鑑」の「車引」「寺子屋」、「口上」、「連獅子」となる。』

なんと、團菊祭千秋楽のあと、こういう発表が控えていたのか。
菊五郎襲名は、興行的には團十郎襲名が一段落ついてからだな、
と去年あたりから思っていたが、年齢的にも舞台成果からしても、
菊之助の菊五郎襲名は、既に満を持してという状態だったから、
あとは具体的に「いつになるか」だけと、心待ちにしていた。
来年の團菊祭が大いに楽しみになったな。

一方、菊五郎がどうするのかは、長らく私の関心事だった。
菊五郎の俳名が梅幸だから、これを使うのかな?と思ったりしていたのだが、
ふたり菊五郎、などという離れ業があり得たとは。
まあ、今の歌舞伎界の頂点が菊五郎だから、御本人の意向とあらば、
これはもう、異を唱える人など居ないよね(^_^;。
襲名興行からは、七代目!八代目!で区別することになるのね。
また現実的には、菊五郎の足腰の状態では襲名狂言に何か出すのも難しいだろうから、
何も襲名しないという選択もありだったかな、と思ったり。

菊之助のほうは、この名前は幼名ではないという前提が私にはあり、
少なくとも高校生くらいになってから襲名するものだろう、
という感覚でこれまでは見ていたのだが、
今の丑之助の実力は既に子役の域には収まらないから、
いっそ小学生の菊之助が誕生しても、この際、良いかもしれない。
ひとつひとつ着実にやってきている丑之助なので、
菊之助としての時間がたっぷりとあるのは、きっと良いことだ。
音羽屋の家の芸を、これからも丁寧に受け継いで行って貰いたいものだ。

こりゃ来年はえらいことだな。
私も、長年の音羽会会員としまして、やはりここはお祝いをせねば(^_^;。
そして、残る関心事は、左近の辰之助襲名がいつになるかという………。
三之助(市川新之助・尾上菊之助・尾上辰之助)のうち、
辰之助だけがまだ居ないということになるじゃないか(^_^;。
この春の名題試験にも受かったことだし、左近もそろそろ……。
ああ、團菊左(市川團十郎・尾上菊五郎・市川左團次)で言えば、
左團次も居て頂かなくてはねえ。こうなったら早く(笑)!


尾上菊五郎2人体制へ 歌舞伎史上初
菊之助が菊五郎、丑之助が菊之助襲名へ 現在の菊五郎はそのまま
(スポニチAnnex 2024年5月27日 15:00)
『七代目どうするんだと言う言葉があると思いますが、私も52年間名乗らせてもらった名前を今更変える気はなくて、七代目菊五郎も歌舞伎人生を全うしたいと思いますので、それまでは私も負けずに努めてまいりたいと思います。たまには菊五郎同士が舞台でバッティングするかもしれませんが、そのときは七代目、八代目と呼んでいただければと思っております』


【ライブ】尾上菊之助さん「八代目・尾上菊五郎」襲名 尾上丑之助さん「六代目・尾上菊之助」襲名 襲名披露会見 TBS NEWS DIG(YouTube 2024年5月27日)
↑丑之助がやたらとしっかりしている(汗)。10歳だよね??


尾上菊之助が八代目尾上菊五郎、尾上丑之助が六代目尾上菊之助を襲名(ステージナタリー)
2025年5月 東京・ 歌舞伎座
昼の部 「二人道成寺」
白拍子花子:尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎
白拍子花子:尾上丑之助改め六代目尾上菊之助

夜の部 襲名披露口上
「弁天娘女男白浪」〈浜松屋・極楽寺屋根〉
弁天小僧菊之助:尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎
「弁天娘女男白浪」〈稲瀬川勢揃い〉
弁天小僧菊之助:尾上丑之助改め六代目尾上菊之助

2025年6月 東京・歌舞伎座
昼の部 「『菅原伝授手習鑑』車引」
梅王丸:尾上丑之助改め六代目尾上菊之助
「『菅原伝授手習鑑』寺子屋」
松王丸:尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎

夜の部 襲名披露口上
「連獅子」
狂言師右近後に親獅子の精:尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎
狂言師左近後に仔獅子の精:尾上丑之助改め六代目尾上菊之助

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23日(木)は昼の部観劇。
最初は『おしどり』、松也・尾上右近・萬太郎。
前半長唄、後半常磐津の舞踊劇。
右近が美しかった。松也も歌舞伎座に似合う貫禄が出てきたと思った。
萬太郎は達者に演じてくれるからこその敵役なのだと思うが、
設定が、やられるし・フられるしで、可哀想(^_^;だった。
総じて、若い人たちは体が利くので、踊りが冴えていて、
かたちが美しく、目の保養の舞台だった。



次が四世市川左團次一年祭追善狂言で『毛抜』。
左團次のおハコで、息子の男女蔵の堂々たる晴れ姿、感無量であった。
あれは15年くらい前の博多座だったと思うのだが、
『曾我対面』で近江小藤太を務めていた男女蔵があまりに左團次に似ていて、
私は思わずガン見して、前方席だったせいで男女蔵と目が合ってしまい、
しばらく見つめ合っていたことが、未だに忘れられない(汗)。
しかし今回の粂寺弾正は、左團次生き写しとまでは感じなくて、
むしろ男女蔵ならではの一幕を見せて貰えた手応えがあり、嬉しかった。
なんとものびのびとした気持ちの良い舞台姿で、
声も伸びやかによく通り、おおどかな主役ぶりであった。
役付に関して、左團次は息子を甘やかさなかった、と私は感じているのだが、
その父のもとで、男女蔵がこれほどまっすぐに精進し力を蓄え、
見事な役者に成長していたとは、本当に嬉しい発見であった。
今回の『毛抜』の成果で、これから更に大きな役が来ると良いなと思っている。
左團次の孫・男女蔵の息子の男寅が、可憐な錦の前を務めていて、
これもなかなか美しくて良かった。

小野春道に菊五郎。
短い出番ではあったが、朗々たる台詞はまさに旦那さんの真骨頂。
立って、歩いて進む出方で、お御足のほうも万全ではないにしても
ご回復傾向かなと嬉しく思った。
盟友・左團次の嫡男の晴れの日とあって菊五郎の出演が叶ったほか、
時蔵・鴈治郎・萬次郎・又五郎と、重量級の豪華な顔ぶれであった。
最後の花道では、市川宗家として團十郎が後見につく贅沢さ。

昼の部最後は、團十郎の『極付幡随長兵衛』。
すっかり手の内に入って、余裕のある大きな主役姿であった。
女房お時が児太郎で、大柄なのだが團十郎と並ぶとなかなか見応えがあり、
息の合ったところを感じた。
悪役の菊之助は私には久しぶりだったのではないかと思うが、
姿が良いので敵役もまたお似合いであった。
松緑などが演じるような不良少年っぽさは無かったが、
若さや位取りなど、團十郎の長兵衛とのバランスが大変良かった。
なつおちゃん(先代の團十郎)が居なくなり、
『幡随長兵衛』はいつしか、名実ともに当代團十郎の役になったのだなあ、
という時の流れを感じ、感慨深く思った。

  

**********************

今回、両日とも一番後ろの席を会員先行の段階で率先して取ったのは
「できるだけ周囲に煩わされず集中したい」
という、私にとって大切な團菊祭ならばこその、理由があったからだった。
2013年に歌舞伎座が新しくなってからこれまで十年余、
1階から3階の様々な場所、2階3階桟敷、幕見、
と随分いろいろ試してきて、臨場感重視か・贔屓注視か・全体像把握かと
自分なり・演目なりの欲求を満たす席位置について研究を重ね(笑)、
ついに、還暦目前にして快適さ最優先で落ち着いたのが、「最後列の端」。
よほどの完売公演でない限り、隣が居らず、平日なら高確率で前も空いており、
周辺の私語や物音に煩わされず、ひじかけを両側ともに存分に独占できる。
更に、自分の居る場所がいちばん後ろであるため、
前のめりどころか立ち上がってもOKで、自由な姿勢で花道が覗ける。
ストレスフリーで舞台全景が堪能できる最高の席は最後尾の端、
と私はついに、悟ったのである。

結果として、観劇に関しては二日間とも大いに満足できたのだが、
ひとつ、わかったことがあった。
それは、2階のいちばん後ろの端というのは、空いていることが多いせいか、
ほかのお客さん方から、いとも気軽に扱われている、ということだ。
まず、開演前に、私が着席したら、前方から全然知らない人がやってきて、
『きょう都合で最後まで居られないことになってしまったので、
前方○列一等席の私の席と、この最後列の端の席とを、
よかったら交換して貰えませんか』
と申し入れられた。
丁寧に言って下さったし、さぞやお困りなのだろうとは察せられたのだが、
私としても松竹歌舞伎会先行予約で最初から思い定めて取った席なので、
自分にとってはここが良い理由があるのでと、お詫びして、お断りをした。
本当に申し訳なかったが、ここしかなくて仕方なく買った席ではないし、
私は常日頃から、「前方席ほど良い」という感覚では席を取っていないので。

そのあと、幕間になって席を立って、食事を済ませコーヒーを買って戻って来たら、
なんと、私の席に、見知らぬ人が座り、その隣の席には荷物を置き、
ゆっくりとお弁当を広げて、御食事の真っ最中であった。
完全に間違えて着席されているのかと思い、私は寄っていって自分の券を見せ、
すみませんがここは私の席だと思うのですが、……と控えめに声をかけた。
するとその方は、はじめ私の話がうまく理解できない様子だったが、
次第に大変に驚かれ、
『空いている席だとばかり思ってて。
自分の席が狭いので、ここでお弁当を食べれば良いと思っていた』
という意味のことを言われ、片付けて、立って行かれた。

そして、その次の休憩時間に、私が化粧室に行ってから戻って来たら、
またしても、私の席とその隣の席とに、知らない人達が座っていて、
活発にお喋り中であった。
私が今度も、自分のチケットを見せ、
『すみませんが、ここは私の席なので……』
と話しかけたら、果たしてその方々もまたとてもビックリされた様子で、
『空いていると思い込んでいた』というようなことを言いながら去って行かれた。

皆さん、これが1階最前列だったら、いや1階17列であったとしても、
見た感じ人が居ないからって、そんなに気軽に座らないですよね?
2階最後尾は自由にみんなで使っていい、というその感覚は、一体どこから???
私のように、是非ともそこが良いという理由があって、
先行発売初日に買っている人間もいるのだ。
幕見とは違う、というか、ここは指定席であり二等席なのございますよ(^_^;。
どうかよろしくお願いしますね?

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5月22日(水)23日(木)の一泊二日で、歌舞伎座に行って来た。
團菊祭で、四世市川左團次一年祭追善狂言もあった。
22日に夜の部『伽羅先代萩』『四千両小判梅葉』、
23日に昼の部『おしどり』『毛抜』『極付幡随長兵衛』。
夜の部は一階最後尾、昼の部は二階最後尾の席で、それぞれ、観た。

『伽羅先代萩』は菊之助の政岡、2017年の團菊祭のときとは異なり、
今回は「まま炊き」をすべて丁寧に演じたが、
炊けた御飯を握っておむすびにするところは屏風の陰で行い、見せなかった。
やってやれなくはなかったと思うが、手の白粉がついてしまうので、
それを子役に食べさせるのは――という配慮であっただろうかと思われた。
その子役たち、今回は、鶴千代君に種太郎、千松に丑之助という配役で、
二人がいずれ劣らぬ大変な名演で、かつ主従としてのバランスも絶妙で、
政岡ひとりの力演という舞台ではなく、『御殿』の場面としての、
自然な感情の起伏や迸りにつながり、とてもとても良かった。
「まま炊き」の場面は正直に言って長いのだが、
ここが巧く流れるかどうかは、政岡の演技や手技だけでなく、
子役たちの芝居に負うところが大きいのだと、今回よくわかった。

栄御前に雀右衛門。
存在感が大きく、品格あり貫禄十分で、敵方の頭、……と感じさせるのだが、
役の設定としては、この栄御前というのは大事なところで勘違いをする御方(^_^;。
なんとなく憎めないというか(^_^;。
敵役の八汐は、本役の歌六が病気休演をしたため、
私の観た日はなんと、芝のぶ代役!
女形の演じる八汐を観たのは、初めてだったかもしれない。
女形の八汐は美貌で、リアルで、ストレートに怖いと思った。
いや、それこそが芝のぶの芝居ということなのかも…?
團十郎が仁木弾正で、素晴らしい迫力であった。
台詞ひとつなく、花道に登場し、蝋燭の灯りの中で去って行くだけなのだが
この舞台の成否は、仁木弾正の退場の場面にすべてかかっていると思った。

後半が、松緑の『四千両小判梅葉』。
松緑は、しみじみ良かった。私はこの人の芝居が年々好きになる。
姿勢がピタリピタリと決まり、芝居には篤い情があり、
声が素晴らしく通って、言葉の音ひとつひとつが私好み!
菊五郎の台詞の深みとは趣が違うのだが、あらしちゃんの日本語には
実に歌舞伎らしい美しさがあって、私は大好きだ。

富蔵が護送されていく場面では、橘太郎が憎々しい演技で大活躍。
浜田左内の権十郎も、良い味わい。
私は昔からこの人の声も大好きで。
何年か前の一時期、咽喉が悪かったのか、声が荒れていたことがあったが、
最近は冴え渡っていてとても嬉しい。

……しかしこの芝居、私は多分、観るのは三度目だったと思うのだが、
牢に入った途端、なぜ、かくも様式美に貫かれた、格式高い世界になるのか、
誰のを観ても、不思議な気分になってしまう(^_^;。
四千両を盗んだ富蔵は、罪人仲間の中では破格の英雄なので(爆)
「日本一!」の歓声に送られて、ハリツケになるのだが、
偉いのね?いいのね?という……、やたらと格好良くて困るよね(大汗)??

梅枝が女房おさよ、これがまた震えが来るほど良くて、
Xのポストでも見た表現だが、まさにトップ待ちオーラ!?
左近がなかなかシュっとした姿の美少年、
でももうワルで札付きなのよね、牢屋に来ちゃった子なのだから。
あの、片方の足首の上にもう片方の足の爪先を載せる跪(ひざまづ)き方、
なんという名称なのだろうか。左近少年のがとても妖しくて良かった(^_^;。
最初の四谷見附の場で、おでんと酒を機嫌良く楽しんでいた咲十郎と松悟も、
やっぱり牢で再会する展開で、皆さん、ヤっちゃったんですねぇ(^_^;と。

牢内は名優揃いで、しかもこの様式は、当時の牢の作法を
河竹黙阿弥が聴き取り調査で記録・再現したものだそうで、圧巻だった。
大昔、初代辰之助が、隅の隠居を演っていたんだよぉ(T_T)、
と思い出したりしたが、ここで團蔵の冴えた演技を観られたことが
今回とても嬉しかった。声も所作も渋くて絶品!
牢名主は、休演の歌六の代役で、彌十郎。
富蔵の義父の六兵衛との二役で、彌十郎の引き出しの多さが実感できた。
それにつけても、松江のスッテン踊り……(爆)!!シぬかと!!

お裁きの場面では、鷹之資が堂々たる姿と台詞で締めてくれたし、
楽善の貫禄にも満足した。
藤十郎の梅玉、脚本上は前半はひたすら小物な殿様だったが(汗)、
最後に富蔵と並んで言い渡しを受け、刑を受け入れるところは
目の覚めるような立派な立ち姿で、やっぱりカッコ良かった、という…。
極悪人の大泥棒の門出を褒め称えてどうするよ、と思いつつ、
客席もまた、天晴れ!日本一!と心の中で大喝采を送ってしまうのであった。


(続)

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19日に、こんぴら歌舞伎の昼の部を観てきたのだが、
昔ながらの「小屋」の風情がやはり素晴らしく、
そよ風が時折り爽やかに吹き抜ける客席で、
実に快適で心躍る芝居見物のひとときを過ごすことができた。

今回は、一緒に行った友人が居て、
彼女が金丸座が初めてで気合いが入っていたこと(笑)と、
膝の手術後のため椅子席を希望したこととで、特別席の「前舟」を奮発した。
私ひとりだと、安価な自由席である「後舟」(二階最後列の椅子席)を買い、
外で並び開場と同時に駆け上がって端席を確保したりしていたものだったが、
このたびはまことに優雅な観劇になり、格別であった。
金丸座は全体に小さいので、どこに座っても舞台が近く、
歌舞伎座などでは味わえない、役者さんとの一体感が楽しめる。
更に今回は、客席降りや宙乗りもあり、素晴らしい臨場感であった。

昼の部最初は『沼津』。呉服屋十兵衛を幸四郎。
端正な立ち姿、軽妙なところはどこまでもテンポよく、愛らしさもあり、
一方で物語が深まるとともに芝居も重みを増し、見応えがあった。
演目としては私は、2019年の秀山祭で吉右衛門が演ったのを観たのが
未だに記憶に新しいのだが、あの公演のとき途中で吉右衛門が休演して
幸四郎が代役を務めたことがあった。
あの十兵衛が、幸四郎にとっては初役だった筈だ。
今や押しも押されもせぬ、こんぴら歌舞伎大芝居の座頭としての十兵衛!

対する雲助平作が鴈治郎。
『沼津』は大きな演目なのだが、出だしからしばらくは、
周辺の小さな役や些細なエピソードまでひたすら愉快なので、
多くの場合、これほどの顔ぶれでこの古典落語みたいな芝居を(笑)?
等と初めて観るときは不思議な感じがするのではないかと思う。
しかし話が進むにつれ、生き別れの親子の巡り会いと、仇討ちも絡んだ、
実に重い物語になって行く。
楽しい場面も勿論芸達者でなくては務まらない内容で、しどころが多いが、
やはり千本松原の場になると、鴈治郎の存在感あってこそとしみじみ感じた。

そして娘お米が壱太郎だったのだが、あまりにイイ女なので驚いてしまった。
出てきただけで美しくて、十兵衛が惚れるのも無理からぬ、という。
姉さんかぶりで掃除する姿も、手ぬぐいをはらりと外すときの風情も、
「触れなば落ちん」とばかり、しっとりと女性らしいのだが、
同時に、単なる若い娘ではなく、言い交わした夫もある「女」の部分も
最初から雰囲気にちゃんと出ていて、壱太郎イイわ~~!と感じ入った。

昼の部の後半は『羽衣』。
初めに登場する涼やかな漁師の伯竜が染五郎。
染五郎は『沼津』のほうでも荷物持ち安兵衛を務めていて、
今回のこんぴら歌舞伎では大活躍であった。
音に聞く美少年の染五郎なので、伯竜のシュっとした姿も眼福だったが、
細い首筋や長い手足が、ふとした瞬間に「痩せすぎ」に見えることがあり
安兵衛のときはそうでもなかったが、伯竜としては多少残念に感じられ、
そのあたりは今後の課題なのかなと思ったりもした。

しかしそれより何より、凄いのは天女の雀右衛門なのである!
典雅な天女の舞そのものも大変な見どころなのだが、
最後の引っ込みのところで、宙乗りがあるのだ。
休憩時に天井付近のかけすじのところを、黒子さんが這っていって、
何か支度をされているのが下から見えていたのだが、
天女が舞いながら空へと帰って行くところが、
江戸時代からの古典的な仕掛けによる宙乗りになっていたのだ。
金丸座のかけすじ機構と、当代雀右衛門の宙乗りというものを、
私は初めて目の当たりにした。
拍手が鳴り止まず、この日の客席が大いに湧き、
観客の皆が満足したことが、幕が下りてからも感じられた。

  

当日は朝から完璧なお天気で、絶好の観劇日和でもあった。
脚の悪い友人を歩かせてはいけないと考えて、
行くときは琴平駅からタクシーに乗ったのだが、
帰りは下り坂ということもあって、ゆっくり歩いて駅まで戻った。
友人も膝の具合が素晴らしく良いと言い、
「なおったんかね?楽しいことをしていると体にも良いのかもしれん(笑)」
と喜んでいた。

こんぴーくんは相変わらず元気で、サービス精神旺盛であった。
皆に可愛がられ、写真を撮られていた。
金丸座での公演はボランティアの支えが大きく、
舞台裏方から切符もぎりや案内係等、
地元商工会青年部を中心とする方々の御尽力で運営されている。
その至れり尽くせりのホスピタリティには本当に感激した。
我々の観劇・観光・募金等が、琴平や金丸座のために、
少しでも力になることができていれば嬉しいと思う。

JR琴平駅はこんぴら歌舞伎仕様で、特急南風号はアンパンマン列車、
窓の外には、昔話の絵本で見るような△形の山がいくつも見えて、
「四国に渡ったんだな~」と満喫できた一日だった。
あの屹立したような山のかたちは、広島の側では見かけないものだ。
地形とは面白いものだなと、車窓からの景色を眺めながら思った。

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きょうは、こんぴら歌舞伎の昼の部を観てきた。
間でコロナ禍による中断もあったとはいえ、
私自身、離れていたので、7年ぶり!?の金丸座であった。
今回は、贔屓の音羽屋関係は出ていない座組だったが、
とにもかくにも「こんぴら歌舞伎を観る」のが目的で、行った。
お天気に恵まれ、素晴らしい観劇日和で、大満足。
詳しい感想はまた後日書きたいと思っているのだが
今、最も印象に残っているのは、
壱太郎が実にいい女!になっていたことだ。

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三月大歌舞伎@歌舞伎座、を21日22日の一泊二日で観てきた。
昼も夜も、見どころ満載の今月なので、いろいろ感想はあるのだが、
とにもかくにも今回の私の最大のお目当ては、松緑の踊る『喜撰』!

幾度も思ったことだが、松緑、踊るとどうしてあんなに優美なんでしょうか。
これまで、多分二度ばかり菊五郎大旦那さんの喜撰を拝見したときに、
これは立役と女形の中間に位置するような雰囲気だな、
と思ったものだったが、今回の松緑を観て、その思いを新たにした。
かつての、三津五郎の喜撰には、少なくとも上半身に関する限り、
私はあまり女形めいた「なよやかさ」を感じたことはなくて、
音羽屋ならもともと兼ネル役者だという前提があるからわかるとしても、
芝居で女形を務めることはない松緑に、踊りでこういう面を見せられるのは
意外な感じがしたし、実に新鮮であった。

出色だったのは、抜き衣紋の如く襟元から背中にかけて寛がせた感じの着付け。
うなじの線の、品の良い色っぽさと言ったら、なかった。
あらしちゃんには、私は「体の線」に目を奪われることが多く、
以前に富樫を演っていたときも、ピタリピタリと決まるかたちの美しさに
富樫とはこれほど美しい役であったかと感じ入ったのだが、
喜撰もまた、なんと優美な踊りであるかと、あらしちゃんの一挙手一投足に見とれた。
喜撰は、高僧でありながら女性に惹かれ、祇園のお梶(梅枝)を口説くという、
「生臭坊主」の設定なのだが、あらしちゃんのは「生臭」ではないのだ(笑)。
どこまでもまろやか、馥郁(ふくいく)とした、「生きることの春」の愉しみ。
『喜撰』の舞台を彩る満開の桜は、喜撰法師の心模様そのものなのであった。
行った甲斐があった。眼福でした。ありがとうございました<(_ _)>!

所化がまた、小さい息子さんたちからベテランまで勢揃いの贅沢さだった。
亀三郎・眞秀・小川大晴、と子供たちがいずれ劣らぬ丁々発止だったし、
彦三郎・亀蔵の兄弟、萬太郎・種之助・玉太郎・左近と並ぶと目の保養、
権十郎・松江・吉之丞とベテラン勢も豪華で、もうもう言うことなしであった。
そして、踊るとやはり、鷹之資が巧いことがよくわかった。

時蔵襲名目前の梅枝は、
襲名が公表されて覚悟が決まった、みたいなことがあるのだろうか、
『喜撰』も『寺子屋』も『御浜御殿綱豊卿』もとにかく良かった。
もともと別格の巧さの女形だというのはわかっていたが、
今回はもう、ゼロ番に立つスターオーラが出ている感じだった。
それも、物凄くきめ細やかな、極上のシルクの輝きの如きオーラが。
当代時蔵は、菊五郎大旦那さんに長らく寄り添ってくださっているのだが、
さて、梅枝、いや、次代の時蔵は、これから誰と、どうなるだろう(笑)。
松緑や菊之助との並びにも大いに期待しているのではあるが、
え~、できましたら、この先ますます左近ちゃんを導いて、
いいオトコにしてやってくださいましね、梅枝姐さん(笑)!
いつぞやどこかのSNSでどなたかが、
「左近の辰之助襲名には『名月八幡祭』を、梅枝の美代吉で!」
とリクエストしていて、私は鼻血が出そうになった。それは通い倒すワ。


  

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12月22日の夕方に東京に着いて、この日の観劇は第三部のみ。
『猩々』、酒を愛する松緑なので、この踊りはお似合いの設定だった。
先に舞台に出ていた勘九郎の猩々に呼ばれて、揚げ幕から登場した姿は、
前も書いた通りあまりにも可愛らしい、完全に御人形さんのよう。
松緑にはこういう面もあるのだと、特に舞踊になると思い知らされる。
以前の『男女道成寺』の白拍子桜子のときも痛感したが、
本当に掛け値無しに美しいのである!あの、あらしちゃんが!!
ほころぶように微笑む口元の、無邪気で愛らしいことと言ったら!
踊りは限りなく優美に、かつ、格があり……。御家元の面目躍如。
対する勘九郎の猩々は生き生きとして鮮やかで、見事な対照となっており、
これまた巧いのなんの。指先まで綺麗。
それに加えて、この人の踊りは楽しい!
ふたりとも甲乙つけ難いほどに足さばきも冴え渡り、
引く手 差す手の息もぴったりで、まさに名手同士の競演であった。
酒売りが種之助。パキパキの良い声で、実に気持ちの良い舞台姿、
……ではあったが、酒売りって出番これだけだったっけ??
なんだかもう少し仕事がある筈だったような、……私の記憶違い??
全体に短く、え~~?もう終わり!?と思った『猩々』の一幕であった。
それだけ見所が多くて充実していたとも言えるのだけれど。

『天守物語』には、私は「坂東玉三郎」その人を強く強く感じた。
玉三郎の美意識に貫かれた、このうえなく耽美的で奇矯な世界があった。
七之助は、美貌のうえに、というか美貌ゆえに怖い顔をしているので、
富姫は見事なはまり役だったと思うのだが、初役だっただろうか?
玉三郎のお手本を、丁寧に真摯に踏襲したという印象だった。
きっと今後、再演を重ねることになれば、七之助の色が、
年月をかけて濃く強く出て来るようになるのではと思われた。
亀姫役で玉三郎本人が出て来ると、時空を超越した美しさで、
舞台の「華」が二倍三倍に増幅された感じがした。
若い七之助が、玉三郎の亀姫を前にして、きちんと「お姉さま」に見えるのは、
七之助の成長もあるし、玉三郎の駆け引きが巧みだからでもあり……。
図書之助の虎之介が、思った以上に好演で、口跡も綺麗だったし、
位取りの面でもなんら違和感なく富姫と似合っていて、とても良かった。
勘九郎の舌長姥がまた、なかなかの快演・怪演だった。
勘九郎は、真ん中に立つ存在感や光を持っていると同時に、
周囲の空気や圧を感じ取って、うまくバランスが取れる人だなと、
「出る」「引く」の呼吸にも感じ入った。

翌日12月23日は第二部のみ。
『爪王』、これは全然知らない演目だった。
戸川幸夫の脚本、平岩弓枝の脚色、
猿若流宗家の舞踊、波乃久里子の御披露目演目だった、
とイヤホンガイドで言っていた。
すみません、不勉強で(大汗)。
真っ白い鷹「ふぶき」の七之助が、神々しかった。
勘九郎の狐、敵対してはいるのだが悪役とは違う存在感があって、
体のキレも素晴らしく、修練のたまものと感じ入った。
この二体の命懸けの果たし合いが、舞踊ゆえの壮絶な美しさ。
彦三郎の鷹匠、美声が期待どおりなのは勿論だったが
「鷹」「狐」の世界と私達を繋ぐ役どころなのが絶妙だった。
彦兄、見る度に立派になられて(←何様)。
ふぶき、と呼びかける声音が耳に残った。

そして第二部の後半が、今回の私の目当てである『俵星玄蕃』。
松緑が講談から歌舞伎演目への翻案を試みた第二作目、
前作『荒川十太夫』ほど書き込まれた物語ではないので、
特に前半は「余白の多い」展開という感じがした。
そこを埋めるのが役者のその日の感性であり、
おそらく、観る日によって細部の印象は異なっただろうと思った。
俵星玄蕃(松緑)と蕎麦屋の十助(亀蔵)の、男の友情物語。
これまた、あらしちゃんが飲んだくれの役(笑)。
一見、酒飲みでダメそうな人なのに、実はめちゃめちゃ格好良いという。
途中、台詞劇になり、聴き手としても登場人物の内心について思いを巡らせ、
最後、すべてがひとつの流れになって、大立ち廻りで一気に昇華する。
その立ち廻り、番小屋含めて見所満載で、殺陣師の咲十郎の腕も冴え渡り。
門弟役(←名前を失念!)青虎が行き届いたいい芝居をしていて、
物語を大きく動かす役ではないのだが、鮮明に心に残った。
左近の大石主税は、台詞は綺麗だったが、声が割れていて、
風邪でもひいていたのか、声変わり以来まだ不安定さがあるのか……。
途中、ツケだけでなくハリセンみたいな効果音があって、
ああ、これは講談なんだなとイメージが繋がった感じがした。
三味線方の柏要二郎の妙技も満喫!

……というのが、資料も何も見ず、私の記憶だけで一気に書いた、
まさに、お前は何サマだ的内容の、今回の感想である。
チラシや筋書きなどを読んでから書けば、もっと正確に記録できたと思うが、
逆に言えば、上記の事柄だけはまず、私の心に残ったものであった訳で、
今回の観劇について、最も印象的な箇所であったということだ。
いろいろ多忙だったが、観に行って本当に良かった。
やはり舞台は、いい!
これで年末年始、頑張れます(笑)。

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