goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



本日より令和元年。
この佳き日に、我々家族3人は、札幌で遊んだ。
北海道は、まさに桜の季節を迎えようとしていた。
本州から来た我々にとっては、なんと、ひと春で二度目の花見!

まずは、旭山記念公園へ。
高台から札幌市内が一望でき、桜に彩られた美しい風景を満喫した。
札幌は大都市であるにも関わらず、その周囲まで含めて本当に平野が広く、
何にも遮られることなく、どこまでも見渡せる。

  

それから、地元民の友人某氏のお勧めに従い、円山公園~北海道神宮へ。
やはり令和元年五月朔日であるからして、神宮へまずは参拝せねばと、
境内に向かったらば、これがなかなかの賑わいであった。
期せずして令和元日の初詣になったので、
ここは襟を正し、我が国と世界の平和を願い、家内安全を祈願して
振り返ってみたら、背後には御朱印を頂くための長蛇の列があった。
我々は誰も、御朱印帳を持ち歩く趣味は無かったので
そこは眺めただけでやり過ごし、娘がおみくじを引いたら「中吉」。

    

そして、社殿の外側にある庭園では、道民は花見の真っ最中であった。
かつて漫画『動物のお医者さん』で読んだ通り、
それは我々広島人の知っている花見とは若干、様相が異なり、
どの桜の木の下からも、もくもくと白い煙が上がっていた。
そう、……ジンギスカンであった。さすが北海道!
ピクニックシートに座って花の香を楽しみつつお弁当を食べるのではない。
どのグループも、木の下に立って、肉や野菜を焼いているのであった。



上空には、その進行状況を伺うカラスたち。
『カラスに肉を見せないでください』という看板もあったが、
ちょっとくらい隠したって、カラスはパァではないので、
物凄い高速の低空飛行でたびたび迫って来ていた。

更に、居並ぶ露店の中に、なぜか見慣れたオタフクソースの絵があり、
広島焼き』。ふ(^_^;、なるほどな(^_^;。
しかし少し歩くと、『大阪焼き』というのもあり、
公平であったので、許すことにした(何様)。

もうひとつ驚いたのは、札幌では梅の花が、
桜と同時か、桜にやや遅れて、満開を迎える、という事実だった。
本州の大半では、梅は2月・桜は4月、の筈なのだが、
北海道神宮では、桜の花見ジンギスカンの脇で、梅林も賑わっていた。
なんとも贅沢な(^_^;。



「2月に梅、って花札だけだと思っていた」
とは、前出の地元在住・友人某氏の弁。

*****************

夕方からは、札幌シネマフロンティアで、映画『翔んで埼玉』。
主人と私は既に広島で観たのだが、娘がまだだと言うので、
是非観るべき映画である!と彼女を誘って、3人で出かけた(笑)。
この映画は、埼玉や東京を知っていても知らなくても笑える。
札幌でもほぼ満席、要所要所で爆笑が起こり、大変支持されていた(^^)。

夕食は、札幌駅の『北○』(←伏せ字ではない。店の名前がキタマル)で。
改めて話を聞いてみたところ、娘はすっかり日本酒に開眼しており、
食べ物も酒に合うかどうかで選ぶようになっていたことを、
私は今更、知った。
なめろう、鮭トバ、等々、もはや私の知らない世界であった。
家でオヤツを食べるときも、以前のように甘いものでなく、
チー鱈などを好んでいる、と娘は言った。塩分過剰!
今、目の前にいる人物は、外側は娘のようではあるが、
中身はもしかしたら別の人間なのではないか、
と主人と私は、とても、いぶかしく思った(^_^;。

Trackback ( 0 )




……ということで、昨日は到着して小樽のホテルにチェックイン、
主人は早速大浴場へ、娘は小樽の街を散策、私は部屋で休息。
夕食付きではないプランだったので、夜は3人で居酒屋へ。

そして今朝もまた、天候に恵まれたので、3人揃ってバスに乗り、
娘の主目的である、余市のニッカウヰスキーへと出かけた。
4年前の夏にも来ているので見学は二度目なのだが、
何しろ今回は娘がウィスキーに目覚めていたので、
展示されている各年代の商品や、醸造の過程の展示などを
大変興味深く眺めている様子だった。
そして、最後は念願の(!)試飲コーナーへと。
有料つまみを購入してまで、主人と娘は
オンザロックやハイボールを存分に楽しんだ。
私は、例によってアップルジュースでお相伴(^_^;。

      

3人とも、ホテルの朝食ビュッフェで食べ過ぎていたので、
昼食は要らないということになり、余市から小樽に戻って
そのまま市内観光。
前に来たときには無かった「小樽芸術村」というのが出来ていて、
似鳥美術館、アールヌーヴォー・アールデコ グラスギャラリー、
ミュージアムショップなどのある複合施設になっていたが、
私はその中のステンドグラス美術館に特に心惹かれたので、
そういうものに感心のない主人と娘とは別に単独行動を取り、
しばし、中世ヨーロッパの世界に遊んだ。



お土産品として、チョーサーの『カンタベリー物語』のステンドグラスが
3万円超で売られていたが、さすがに買う気には、なれず(^_^;。

その後はまた3人で、小樽運河を眺め、堺町筋商店街を冷やかし、
北一硝子では主人と娘がまたしても日本酒とワインの試飲をした。

夕方には今夜の宿泊地・札幌へとJRで移動。
午後から結局、観光しつつソフトクリームを楽しんだり、
小樽「かま栄」でパンロールを食べたりしたので、
夜もさほど空腹でなく、主人と私はラーメン屋へ行き、
娘はひとりで狸小路を歩いて、目に付いた居酒屋に入り、飲んで帰って来た。
全然知らない街で、ひとりで店を物色し、一杯やって来るとは、
我が娘ながら天晴れ、漫画『ワカコ酒』状態だな(汗)。


これが、我々一家の、平成最後の一日であった(笑)。

Trackback ( 0 )




昨夕、東京に来て娘も交えて夕食をし、
改めて本日朝、羽田に集合し、家族旅行の始まり!
今回は、小樽と札幌。

北海道旅行はいつ行っても楽しいものではあるが、
今回なぜ、特に小樽方面を優先したかというと、
前回2015年に余市のニッカウヰスキーまで行ったのに、
娘は当時はまだ飲み方がよくわかっていなかったために、
せっかくのハイボールを味わう機会を逃した、
……と最近になってさんざん悔やんでいたので、
主人がリベンジを計画したのだ(笑)。

天候に恵まれ、快適なフライトだった。
羽田のチェックインも思ったほどの混雑は無かったが、
新千歳のバゲージ・クレームだけはかなり待たされた。
やっと荷物を受け取り、JRで一路、小樽まで。
途中の駅で桜の咲いている風景を見て、北海道に来たことを実感した。
季節が一ヶ月違う!

Trackback ( 0 )




今年は夜桜を見に行く時間が取れなかったが、
昼に、仕事の合間に縮景園の桜を見ることが叶った。
満開を僅かに過ぎた状態だったが、
まだ、園内のあちこちに桜が残っていた。

  
   

ひとり花見の最中、庭園内の石ころのある道で、左足を捻ってしまった。
転ぶほどではなかったが、左足の外くるぶしに鈍痛が残った。
ここは14歳のときに平均台から落ちて捻挫をした箇所で、
41歳のときにも段差のある道で転んで剥離骨折してしまい、
以来、ハッキリと自分の弱点になった部分だった。
無傷の右足なら踏みとどまれるような、道のちょっとした凸凹で、
左足のほうは外くるぶしのところが簡単にぐるんと回ってしまい、
酷ければ転倒するし、そうでなくても捻ってしまうことが最近は多い。
「捻挫はクセになる」というのはこれのことだなと、
昼下がりの縮景園で、思った(汗)。

Trackback ( 0 )




休日だったので、昼前に縮景園に行った。
2月の下旬まで梅の見頃が続いていることを知っていたのだが、
日頃は忙しくて、なかなかゆっくりと庭園を愛でる機会が無かったのだ。
入って左側一帯はこんな見事な梅林になっていたのか、と初めて知った。
紅梅と緋梅は赤でもかなり色合いが違うのだな、とか、
白梅、……そういえば母校の大学の白梅寮というのがあったな、とか(^_^;、
とりとめもなく考えながら、時間に急かれず、思いのままに歩いた。
自然の中で心身ともに解放され、最高だった。

    

    

Trackback ( 0 )




17日(日)18日(月)の東京一泊二日は、
前回までのような徹底的な静養とは、少々違う内容になった。
今回は定宿ではあったのだが、たまたま角部屋を割り当てられ、
普段とはレイアウトが異なり、ベッドのすぐ横に窓があったため、
遮光ロールスクリーンの両端から漏れる日の光が目の前に来ていて、
18日の朝は、そこそこ早く7時半頃に目が覚めてしまったのだ。

9時過ぎまで寝ていても大丈夫な日程だったので、
ちょっと損をした気分で起床したが、朝食後スマホをチェックして、
その少し前に、大阪を中心に大きな地震のあったことを知った。
テレビをつけたら、どこのチャンネルも大阪北部震度6弱のニュース一色で、
その時点ではまだ、正確な被害状況はわかっていなかったが、
とりあえず津波の恐れはなく、火災等も発生していない様子だったので、
一気に大規模災害に発展する危険性は低そうだとわかり、
最低限の安心をすることは、できた。

ただ、東海道新幹線が全線運転を見合わせているということを知り、
とすると、果たしてきょう予定通り広島まで帰ることができるだろうか、
と朝から一計を案じることになった。
最初に思ったのは、
「帰れなかったら、もう一回、夜の部、観られるじゃん!!」(殴)
↑この考えは、実に魅力的ではあった(^_^;。
私はいつも、一泊分よけいに下着だけは荷物に入れてあるし、
火曜の朝のうちに発てれば、会社に行くには問題なかった。

宿泊しているホテルに尋ねると、この時点で、
月曜夜はまだ空きがあり、宿泊可能とのことだったので、
「夕方になっても新幹線が動かないとなれば、戻って来ます」
とだけ言って、チェックアウトした。
そんなものは予約でも何でもないから、そういう事態になったとき、
本当にまだ部屋が残っているかどうか保証の限りではなかったが、
それも含めて、運を天に任せるという気持ちだった(^_^;。
とりあえず午後4時前まで歌舞伎座の昼の部があり、
5時半の新幹線の指定席を持っていたので、
状況を見ながら判断することにした。

ホテルを出て、観劇前に、まずは近くの築地本願寺にお参りした(^_^;。
地震のあった地域について心配でもあったし、
交通網を中心とした今後の混乱についても、
理屈でなく、「神様、仏様」の心境だったのだ。
それから歌舞伎座に行って、昼の部を観劇した。
『妹背山婦女庭訓』が終わってスマホでニュースを見たら、
0時50分に共同通信が「東海道新幹線 全線復旧」と報じていて、
…ちっ、帰れるじゃん(殴)、と思いつつ、主人にLINEで知らせた。

直後はかなりの遅延が各所で起きており、
東京発新大阪行は間引き運転されているものもいくつかあったが、
5時頃東京駅に着いてみたら、乗車予定の博多行のぞみは
乗車案内が出ていたのでホームに上がった。
この時点で、待合室は混雑していなかったが、
改札横の窓口の前には長蛇の列が出来ていた。
変更や払い戻し、遅延分の料金精算を希望する人達が
大変多かったということだろう。
一本前ののぞみは10分遅れで東京駅を出たが、
私の乗った17時半の便は定刻に発車した。
さすがに指定席は完売で、自由席も混み合っていたようだった。
結局、広島には7分遅れで着き、大した影響はなく済んだ。

夜になってみると、新幹線の状況よりも、
大阪を中心とする被害地域の在来線や私鉄のほうが大変で、
きょうは「帰宅困難者」の方々が少なくなかったと、
ニュースでも報じられていた。
都市部の生活は日頃、分刻みで動く正確な鉄道に支えられているが、
ひとたび災害が起こると、それは一瞬で瓦解してしまうのだと、
……3.11のときにも知った筈だったのだが、
また、かたちを変えて、実感させられることになった。

Trackback ( 0 )




3月30日の夜に、縮景園に夜桜を見に行った
去年は満開の時期に、昼の桜を見に縮景園に行ったものだったが、
今回はライトアップされた夜の庭園を満喫することができた。
天気の良い夜で、空にはほぼ満月になった月が浮かび、
夜空に桜の花びらがほんのりと白く浮かび上がる様は大変に美しかった。
頼山陽の父・頼春水の『題縮景園詩』には桜の詩は無いのだろうか、
とふと思ったが、今は調べる余力なし(殴)。また、いつの日か。




Trackback ( 0 )




(写真は、定宿から徒歩で行けるので毎回お詣りしている築地本願寺)

この週末、8月27日以来、12週ぶりに「日曜が休日」となったので、
私は東京に行って来た。
ここを逃すと、今月の歌舞伎座と国立劇場が観られないからだ。
演奏会だとその日1回きりだから、逃した時点で即・終了だが、
歌舞伎は、有り難いことに20日間以上同じ演目で公演が続くので、
こうしてなんとか、観たい舞台を逃さずに観ることができている。

その舞台の話はのちほど書きたいが(書けるのか?)
今回は、観光シーズンのせいなのか、どこへ行っても何をしても
いちいちかなり混雑していて驚かされた。
新幹線は指定席完売で、3人掛けの真ん中のB席まで埋まっているし、
ホテルも満室で、週末などビジネスホテルでも1万円台だったりした。
あり得ないだろう、普段なら6000円台からあるようなクラスの部屋が!

しかし、それはそれとして、私は今回あらためて、
私の定宿は私にとって素晴らしいホテルである、ということも痛感した。
混雑時の価格が、それなりに高く設定されるのは仕方ないが、
会員になれば、閑散期は5000円台、通常でも6000~7000円台で泊まれるし、
ベッドと枕は硬めなので好みに合っており、
よく眠れるし、もちろんオバケも出ない(爆)。
歌舞伎座へは徒歩、国立劇場にも東京駅にもバスで直通。
これほど価格も環境も立地も申し分ないホテルを、
我ながらよくぞ見つけたものだと、自画自賛したい気分だった。
末永く、ここを定宿としたいと思った。

尤も、このホテルにはレストランはついていない。
食べる楽しみが要る人は、主人のように築地へでも行くのが良いだろう。
私自身は、主として観劇のために旅をしているのであって、
「食」はもともと評価の対象に入っていない。
悪しからずご了承下さい<(_ _)>。

Trackback ( 0 )




19日の午後、まずは大阪に行って、
北翔海莉の出るミュージカル『パジャマ・ゲーム』を観て、
その足で、新大阪の最終の新幹線で東京に向かい、
翌20日は昼に歌舞伎座で『マハーバーラタ戦記』観劇、
夜はサントリーホールでポゴレリチのピアノリサイタルを聴いた。

みちこさんの退団後ミュージカル第一作は、
作品選択として大変良かったと感じた。
ヒロインが決して若くなく、それなりの人生経験もした大人、
という設定での、それでも甘い面も可愛らしい面もある恋の物語は、
今のみちこさんの存在感に、よく似合っていた。

『マハーバーラタ戦記』は、驚くばかりの傑作に仕上がっていて、
もしポゴレリチの来日がなかったならば、
私は10月をこれに捧げ尽くしても悔いはなかっただろう、と思った。
菊之助が企画、構想、脚本製作、振付を担当。
カズくんは今や最高潮だ。

しかしポゴレリチのリサイタルがまた、唸ってしまうほどの見事さで、
印度伝とポゴ氏と、一日で一度に味わってしまうなんて、
良すぎて勿体ない経験だったと、……このうえなく感激しつつも、
何か後悔せざるを得ないような複雑な気分を味わった。
超弩級の舞台や演奏会には、それに見合った長さや濃さの、
「浸りきる時間」や「反芻する余裕」が本来的には必要なのだ。
それを得ることが許されていない今の境遇を、恨めしく思った。

そして、21日は土曜日でも休みどころか、
私は午前11時からいつもの仕事が始まる予定になっていた。
そのために、品川6時始発の「のぞみ99号」で帰って来た。
ホテルで4時起きだった。
朝5時半になるまで、JR品川駅の新幹線改札は閉鎖されている、
ということを、今回初めて知った(^_^;。
新幹線の中でサンドイッチとコーヒーの朝食をとり、洗面所で歯を磨き、
そのまま爆睡して、9時41分に広島着、
怒濤の勢いで家に帰って荷物を置いて着替えて、
いつもは徒歩通勤なのだが特別にバスに乗り、会社に滑り込んだ。
間に合った!

最初から最後まで、休憩なしに走り続けた2泊3日が、終わった。
何かこう、体積が3立方センチしかないのに重さが1トンあった的な……。

Trackback ( 0 )




島根に来たら、やはり出雲大社であろう。
私の両親が結婚したとき、新婚旅行で出雲に来たと言っていたが、
私にとっては、これが人生四度目の出雲大社。
初回は新婚時代、二度目は娘が1歳の頃、
三度目は娘が小学生だったか中学生だったか、
そしてそれから十数年ぶりの、今回の出雲詣で。

案内の方のお話では、ここのシンボルとも言える巨大な注連縄は、
数年に一度、傷み具合を見つつ、掛け替えられるのだそうだ。
祭式も独特で、多くの神社は「二拝・二拍手・一拝」だが
出雲は「二拝・四拍手・一拝」だそうだ。



Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »