goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



2日目は朝から熊野大社参拝。
ここは出雲国一ノ宮で、…こう言ってはナンだが相当辺鄙な場所にあるので、
こうして団体旅行で連れてきて貰う機会がなければ、
私などには参拝することはなかなか難しかっただろうと思った。
正式参拝の団体客が次々と並んで待機していたので、
やはりツアーならではの貴重な機会なのだろうと思われた。

出雲大社の宮司さんが新しく就任されるときには、
まず、一ノ宮であるこちらの熊野大社に、
おつきの方々とともに奉告に来られるとのことだ。
出雲大社を擁していながら、この地方では今も熊野が一ノ宮として尊重されている。
注連縄なども出雲大社と同じ形式だそうだ。

Trackback ( 0 )




宿泊は皆生温泉。
なぜ泊まるためだけに鳥取まで来たのか、謎の旅程だったが、
ここは娘が1歳の頃に、家族3人で来たことがあるので懐かしかった。
本当はそのとき、舅姑も一緒に家族5人での温泉旅行の筈だったのだが、
舅宅の柴犬コロが病気をしたので、舅たちは参加をとりやめたのだった。
コロさんは、まだ6歳半だったのに結局そのまま助からず、
「コロに留守番をさせて我々5人で温泉に行くのが、気に入らなかったのだろう」
と舅は言った(爆)。
「憤死した」
と主人も同調したものだった。

……という、当時は微かに困った思い出の残った皆生温泉滞在だったが、
今回は仕事関係の慰安旅行なので、そんな感傷とは関係なく、
遅くまで飲めや歌えやのハデな一夜だった。
修辞ではなく、本当に大広間での宴会とカラオケであった(^_^;。

寝るのは女性4人で和室の一間。
温泉もさほど込んでいなくて、堪能できたし、
何より、海の好きな私にとっては、ロケーションが最高だった。
部屋からも波打ち際が眺められたし、散策に出るのも自由だった。
残念ながら夜の漁り火はあまり見えなかったが、
それでも、波の音を聴きながら眠るのは至福だった。



Trackback ( 0 )




1日目の最後の観光は、美保神社~美保関灯台。
美保神社は、楽曲の神様でもあるそうで、
境内には様々な楽器が納められており、
月次祭(←定かでない。聞き漏らした)で奏される特別な大太鼓もあった。
注連縄は細くて、ぴんと張ってあり、
村の神社での見慣れたものとかなり違った。
こういうものにはきっと、それぞれの地域や神社の謂われがあるのだろう。



参拝のあと、灯台へと歩いて、日本海を眺めてみたら、隠岐の島まで見渡せた。
撮影するのは難しかったが、水平線の向こうに島の山並みが見えていた。



松江勤務の時代、主人が時々出張で隠岐の島に行っていたものだ。
渡るには船しか手段がなかったので、海の状況により、
行ける季節とそうでない季節があった。




Trackback ( 0 )




大根島は中海に浮かぶ島で、松江市内から車で30分。
大昔に舅の運転する車で来たことがあったが、
私はもう何も覚えていなかった。
「牡丹と高麗人参の里」ということで、
観光バスで到着すると、まずは高麗人参茶が振る舞われ、
それから昼食、ぼたん園と庭園の散策など、
しばしゆったり過ごすことができた。
天気は良かったが、もう8月中のような厳しい暑さはなく、観光日和だった。
牡丹の鉢植えはお土産に買って帰ることもできたのだが、
私は植物には自信がないので、手を出さず(^^ゞ。



Trackback ( 0 )




仕事関係で山陰に慰安旅行に行った。
一泊二日で、松江―皆生温泉―出雲大社。

二十年以上前、結婚して半年くらいの頃から3年ほど、
私は松江に住んでいたことがあるので、
市街地などとても懐かしい風景があちこちにあった。
一方で、堀川巡りをしながら眺めていたら、
昔と違う風景もいろいろとあり、特に、
娘の生まれた松江赤十字病院が建て替えられ、
すっかり新しくなっていたのには驚いた。



Trackback ( 0 )




好天に恵まれ、四国こんぴら歌舞伎大芝居を観るために、
二年ぶりに琴平まで行って来た。

こんぴら歌舞伎というと、何か遠方の特殊な催しのように
思っていらっしゃる方もあるかと思うのだが、
出発地から岡山までがどの程度遠いかだけが決め手であって、
例えば広島からならば、極めて気軽に日帰りできる距離だ。
岡山―琴平の特急も平均して一時間に一本出ているので、接続も良い。
この特急『南風』号は、アンパンマン列車で、
出発や終着の駅ではアンパンマンの声で案内があるので、
お子様づれだとちょっと楽しいかもしれない(笑)。
JR琴平駅は、ひなびた風情の残る小さな駅舎だ。
こんぴら歌舞伎の期間中は、駅の玄関に歌舞伎の幟が飾られ、
観光客の撮影スポットになっている。



琴平駅に着いたら、こんぴら歌舞伎の会場までは徒歩15~20分くらいだ。
商店街に沿って歩いて行けば良いだけで、表示も出ているのでわかりやすい。
行きは階段や坂のあるところは「上り」になるので、
雨が降って足下が悪いと、少し用心しないといけないかもしれないが、
特別に問題になるような距離や勾配ではないと思う。
朝、第一部開演前に到着すると、商店街のあたりで太鼓の音が聞こえ、
琴平駅から会場へと向かう道なりに、役者幟が色とりどりにはためいている。



前回と今回の経験の範囲では、芝居は当日券の販売があるので、
急に思い立って出かけても、多分、観ることができると思う。
切符は、一応指定席にはなっているが、枡席の中でどこに座るかは自由だし、
私が今回買った後舟とよばれる二階後部の席などは、
うしろの壁に沿った最後列のベンチ席か、その前一列の座布団の席の中から、
入場の早い者順に、自由に選んで着席できるようになっており、
等級の指定の範囲内では自由席とも言える状況だった。
また、券のない人も、芝居小屋には入れないが敷地内の売店利用はできる。
ゆるキャラこんぴーくんは、サービス精神旺盛だ(笑)。
ツーショット撮影に次々と応じてくれるし、
カメラを向けると、びしっ!とポーズを決めて応えてくれる。



芝居のほうは、今年は第一部が『神霊矢口渡』『忍夜恋曲者』『お祭り』、
第二部が『葛の葉』『雀右衛門 襲名披露口上』『身替座禅』。
詳しいことは明日また書きたいが(書けるのか!?)
滝夜叉姫のとき雀右衛門が先代のジャッキーおじさまにそっくりだったこと、
お舟の孝太郎が愛らしさから女の一念まで実に見事に見せてくれたこと、
松緑の踊りがキレッキレだったのと太郎冠者役が可愛かったこと、
そして、やはり仁左衛門は当代最高の役者だと思ったこと、
……を、とりあえず書き留めておく(^_^;。

Trackback ( 0 )




昼に、一時間だけ縮景園に行って来た。
最近は、何やかやと時間的に拘束されることが多く、
このままでは桜を愛でないで終わりそうだったので、
さすがにそれは勿体ないと思い、久しぶりに園内に入ってみた。
(↓それぞれ、クリックすると大きめの画像が開きます)





櫻の樹の下には』、と考えるような繊細さを持たないワタクシ(^_^;は
縮景園の美しい光景を眺めると、かなり自分を回復させることができた。
お蔭で今夜は、仕事がはかどった。
これからも、もっと積極的に縮景園に遊びに行こう、ときょうは思った。
花に囲まれて季節を感じるのは、実に良いものだ。
頼山陽の一族にゆかりの史跡でもあることだし。
価値ある文化財を多々遺したことは、封建時代の権力者の偉大な功績だな(^_^;。

Trackback ( 0 )




安芸門徒としましてはやはり、
娘の卒業の報告と御礼のため本願寺詣でを。
そして、どうかこれからも幸多かれと。

Trackback ( 0 )




こっちも場合によってはいずれ見納めになるか?と
横浜からの帰りに築地市場に寄ってみた。
主人は東京出張の際には必ず築地で朝御飯を食べるので
愛着もひとしおであるとのことだったが
まあ私にとっては東銀座の先にフィッシュ・マーケットがあった的な…

Trackback ( 0 )




これから方々へ旅立つ「おみやげ」たち(笑)。

四泊五日の釧路旅行が、無事に終わった。
今年もまた、実に良い夏だった。
連れて行ってくれた主人に感謝を。

***********

旅に出ると私は、海や水辺に強く心惹かれる。
大海原を眺めたり、波打ち際で水音を感じたりすることに対して、
私はなぜか、郷愁とか懐古などに似た感慨を覚える。
私自身は海辺の出ではない。むしろ山の育ちであるのに。

もうひとつ、私はどうやら道東がかなり性に合うようだ。
これまで夏になると幾度か北海道旅行をしたが、
一昨年の斜里・ウトロと今年の釧路に関しては、
将来きっともう一度ここに来たいと、慕わしい思いがした。
主人は、バスが来んとか店が無いとか不平を言うのだが、
私は、のんびり座って待つとか、身近にあるもので済ませる的な、
自分が実家の村でやっていた類いの生活も、できないことはないので
少なくとも旅行中なら、そのようなことは一切、苦痛ではない
(一生それでいいかと言われると、毎月の歌舞伎が観られなくなるし、
ポゴレリチが来日したときも遠くて困るから、やはり躊躇するけど)。

私は若い頃から、誰に言われたわけでもないのに
「これだな」と感じるものがあってロシア語やソビエト演劇の授業を取ったし、
オホーツク、という響きに何か惹かれて、
いつかオホーツク海をこの目で見たいと思い続けていた。
納沙布岬や宗谷岬に立ってみたい、という願望も、二十歳頃から持っている。
また、前に知床半島の開拓団の住居跡を通ったときは特に、
ここで暮らして死んだ人達の生活について、
さしたる根拠もないのに強い思い入れを感じたりもした。
私の前世はもしかして、道東に住んでいた開拓団の誰かだったとか、
今の北方領土のほうから来た人だったとか、アイヌの一族だったとか、
あ、流氷に乗って北から北海道にやってきたキタキツネだったとか!??
……いやいや、知らんけど(笑)。

私は時々、いつの日か冬の北海道を訪れてみたい、と考える。
北海道の夏は、束の間のリゾートの季節であって、
やはり冬にこそ、ホンモノの北海道の姿があると言えるのではないか。
雪の季節を過ごさずして、安易に北海道を・道東を語る勿れ。
しかし、現実にはそれはおそらく大変難しいだろう。
なぜならば私は瀬戸内に暮らしていてさえ、周囲の誰よりも寒がりだからだ(爆)。
札幌でも冬は私には到底、無理だろう。ましてや道東となると。
前世に知床で凍死したか何かで、寒さを恐れるワタクシになったのか(^_^;?
何にしても、今の脆弱な私が北海道の冬に耐えられるとは思われない。

やはり、妄想とは自分に都合の良いものであるに過ぎず、
現実からはかなり乖離しているものだな。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »