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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



毎日、病院へ母の顔を見に行ってはいるのだが、
「元気になった」という手応えは、今のところ、ない(汗)。
熱が下がったぶん、入院直後よりマシ、とは言えると思うが、
先月末までサ高住で普通に生活していたときと較べると、別人だ。
基本的にいつ行っても寝入っていて、呼びかけても起きない。
点滴だけは続いているが、その他身体拘束は無く、
酸素吸入もせず、自分でゆっくり呼吸しており喘鳴もないので、
全体としてラクそうな感じで、その点は有り難い。

昨日は途中で自然に目を覚ましたので、
母の目を覗き込んで、大きめな声で話しかけたら、
視線が合った感じがして、僅かに、追視らしき動きもあったが、
意思表示と言えるほどのものは、残念ながら無かった。
眠っていても起きていても、
右手は触れたところを掻くような動作をよくしているが、
左手は全く動かず、脚なども自分で動かすような様子はなくて、
高熱を出したために弱ったからなのか、
新たに麻痺等が出たということなのか、よくわからない。
口腔ケアのとき、看護師さんから、
「おくちを開けてください、あーんしてみてください」
等と指示されても、そのようには出来ない様子で、
これまた理解できないのか、やりたくないだけか(^_^;。

良い情報としては、昨日今日と、解熱剤を使わずとも、
熱が36度台~微熱程度で済んでいることが挙げられる。
抗生剤の投与は奏功している様子だ。
さきほど看護師さんに伺ったところでは、今朝からずっと平熱なので、
午後から熱が上がらなければ、入浴しようかという話になっているそうだ。

さて、これからどうなるのだろうかね(汗)。

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……ということで、今日も行って来たが、特に進展は無かった。
悪化しているようでもなかったが、母は全然目が覚めなかった。
耳が遠いのもあって、少々話しかけても母には聞こえないから、
物音で起きる、ということはそもそも無いわけだが、
私が居た1時間ほどの間ずっと、母は寝入っていて、
表情も動かさず、みじろぎもせず、寝返りも打たず、
ただゆっくりと呼吸だけをしているという状態だった。

額に触れてみたら熱くはなかったので、熱は下がったのか、
解熱剤が効いているタイミングだったのか、よくわからなかったが、
ラクそうではあった。
母は、これまでも何度も誤嚥性肺炎で入院しているのだが、
今回はことのほか、ダメージが大きかったという印象だ。
それだけトシを取っているのもあるし、
誤嚥性肺炎と尿路感染症のダブルで来たので厳しかったのもあるだろう。

父が亡くなる前の半月ほど、寝てばかりいて、
呼んでも呼んでも、全然目が覚めなかったときと、なんとなく似ていて、
「なかなか『こっち』に帰って来なくなったな……(^_^;」
という感じが、今の母にもあった。
いや、母はこのあと回復する望みも勿論あるので、
失礼なことを言ってはいけないのかもしれないが(!)、
90歳超が寝込むと、この感じになるのだなと既視感ありありであった。

ともあれ、母の呼吸はゆっくりとしていて、喘鳴もなかった。
本人にとって、楽ちんなら、よし。

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昨日の「母95歳、入院」のページが、驚くような閲覧数・訪問者数で、
95歳で、ほぼほぼ老衰なおばーさんの入院が、
どうしてそのように注目を集めたのか??不思議であった(^_^;。
どこか変なところに間違ってリンクでもされているのだろうか。
それとも、私が日頃ここのアクセス解析をほとんど活用していないために、
何か、その仕組みを誤解しているのだろうか。
もしかして昨日は、gooブログのユーザー全員のアクセス数が変でした??

母のは、超高齢者に本当にありがちな誤嚥性肺炎と尿路感染症で、
ニュースバリューがありそうな話では全然ない。
私だって誰だって、95歳までも生きたら大なり小なり皆なりますよ(爆)。
かつて清志郎が死んだときに物凄いアクセス数になったのは、
むべなるかな、と思ったものだが、
今回はうちの老母の、しかも入院程度で閲覧が増えるとは、摩訶不思議としか。
と言ってほかに何も、注目されるような記事も書いてないのだがね?

その母だが、きょうも見舞いに行って来た。
病院からの呼び出しが無かったので、急変していないことはわかっていた。
病室に行ってみると、母は、点滴されて寝ており、
酸素吸入などはしていなかった。
ゆっくり呼吸しており、見た感じは苦悶の表情等もなかったが、
看護師さんが検温されたときには38度2分ということで、
当初の39度超ではないにしても、依然として熱は下がっていなかった。

内服はできない状態なので、解熱剤は座薬を使っており、
これが1日3回までだそうで、今は様子を見ているが、
38度5分を超えるようなら使うとのことだった。
おそらく解熱剤はアセトアミノフェンなのだろうが、
母は腎機能が低下しているので、用量など加減が難しいだろうと思った。

母は、少々呼びかけた程度では目覚める様子がなく、
熱のために意識朦朧としているということなのか、
極端に耳が遠いので聞こえていないだけなのか、よくわからなかった。
看護師さんが、強めに肩に触れて名前を呼ばれると、
母はうっすら目を開け、私がそばにいくと目が合った感じはしたが、
話しかけても反応はせず、明確な追視はなかった。
95歳で高熱を出すと、なかなか、ダメージが大きいかもしれない。

何度も書いたが、うちは何か言ってくる親戚など皆無で、
『カリフォルニアから来た娘』も居ないため、
私がOKといえば、即、すべてOKだ。
私が良いように万事を決定する代わりに、全責任も私ひとりで負う。
その意味では病院との連携もシンプルの極みである。
なおっても、なおらなくても、母本人がラクであるならどちらでも私は良い。
検査や治療の同意書を求められたとき、私が訊くのは、
「それって痛いですか」
「やるのとやらないのと、どちらが本人にとって主観的に体がラクですか」

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母はここ数ヶ月、調子が良くて、嬉しく思っていたのだが、
トシもトシなので全く何も無しというワケにも行かず(汗)、
昨日から高熱が出てしまい、本日朝、入院することになった。
こういうときのために、病院と同じ建物内にあるサ高住に居るのだから、
移動や手続についてはスムーズなものであった。
早速に診て戴いたところ、とりあえずコロナやインフルではなく、
CTや血液検査等の結果から、誤嚥性肺炎と尿路感染症とが強く疑われる、
という診断であった。

95歳という高齢であるうえ、昔から腎機能が悪く、
年齢とともに弱って現状は透析一歩手前くらいまで悪化しており、
更に慢性心不全や甲状腺機能障害などももともとあるので、
抗生剤の点滴をあまり強力に行うと、
心臓が弱ったり呼吸機能が落ちたりする可能性があり、
様子を見ながら進めて行かねばならない、と主治医の先生は仰った。
食事も取れていないので、中心静脈栄養のためカテーテルを早速、
上腕から胸まで入れて戴いた。

母はさすがに弱っている様子で、目覚めても、うまく目が合わず、
呼びかけても返答は無く、すぐ目を閉じてしまって、
ウトウトというか朦朧という感じに見えた。
肺炎で咳が出たり、咽喉もとがゼロゼロ言ったりするときがあるので、
看護師さんが鼻腔内吸引をしてくださったが、
これはさすがに苦痛と見えて、本人は明らかに嫌がり、抵抗していた。

あの鼻からカテーテルを押し込まれる苦痛は、
舅や姑の闘病のときも端で見ていて、居たたまれないものがあった。
姑など、敗血症で今夜が峠みたいな状態になったときでも、
鼻腔内吸引をされると蘇ってきて、
「何するんね!死んだらどうするんね!はぁ(=もう)死んだ!!」
と目をサンカクにして看護師さんに抗議したものだった。
意識が清明であるほど、キツい処置であろうと思う。
家族としては、できればやめておいてほしいとさえ思うのだが、
しないと呼吸がつらくなるし、
咽喉にたまった唾液等で誤嚥を重ねることにもなるのだろうから、
なかなか難しいところだ(汗)。

ともあれ、家族としては、
「年齢に不足はないので、あとは可能な限り安らかに、苦痛のないように」
と、先生や看護師さんに重ねてお願いをし、
容態悪化しても蘇生措置を希望しない、という主旨の書類に署名をした。
今回の回復状況がこのあとどうなるにしても、95歳ともなれば、
大事なことはもう「人生をどのように終えるか」だけだろう。
どんな治療に耐えてでも一日でも長く!などとは、私は思っていないし、
母も判断力があったなら、おそらく同様に言うであろう。
父も母も、「(最期は)痛ぅないんが一番よ、いろいろせんでええんよ」
と、80代頃から既に言っていたものだった。
私は明日また病院に行くことにして、今日のところは帰って来た。
如何ともし難い(汗)。

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天井材が劣化し、いつ脱落するかわからぬ状態なので、
母が寝室にしていた部屋を急遽、片付けた。
転姑ばーちゃん→実家母、と2人で合計20年近く愛用したベッドを、ついに処分した。
母95歳が、サ高住からこの自宅に戻る可能性はゼロに近いし、
仮に機会あって、外泊などが万に一つも実現することがあるなら
そのときは介護ベッドをレンタルすれば良かろう。
なんであれこの部屋はもう使えない。
ここ数日は暑い晴天が続いているので、雨漏りはしていないが、
このあと台風でも来れば、またぞろ水浸しになるに決まっている。
天井裏は、悪化するばかりだ。

お願いしていた業者さんは、過去何年かに渡り、
この家には既に何度も来てくださっているので、
きょうの3名のスタッフさんの中には、
お顔に見覚えのある方もいらしていた。
ガレージやら土蔵やら、……本当にお世話になりましてすみません<(_ _)>。
素晴らしく手際良く、10時から一時間ちょっとで、この母の寝室と、
旧台所に積んであった、サ高住から持ち帰った父の私物とを、
綺麗さっぱり片付けてくださった。

この家も近い将来、売却する予定になっているので、
とにかく中身をどんどん出して、カラにして行かなくてはならない。
室内が天井裏と完全に開通する前に、売ってしまいたいものだ。
舅宅と同様、昔のアルバムなどは一応、持ち帰ることにしているのだが、
それも全部でなく内容をよく吟味し、取捨選択する必要がある。
その他のものは、基本的に処分する方向でやろうと思っているが、
着物・貴金属・骨董については、買取業者さんをこちらにもいずれ呼んで、
いかほどのものが有るか無いか不明だが、一応は見て貰うつもりでいる。

それにしても、こう何もかも無くなってみると、
この部屋が昭和40年代にどのような有様だったか、
今更ながら、思い出すことができた。
ここは古びた和室で、かび臭く、レトロな肘掛け椅子が置いてあり、
部屋の電灯は暗めの白熱灯で、室内は黄色というか橙色っぽかった。
壁には私の曾祖母の写真が掛けてあったものだった。
丸髷を結って紋付きを着た白黒写真だったから、多分遺影だったのだろう。
パンスーの祖母の姑にあたる女性だったワケだが、
その祖母の話によると、曾祖母は58歳のとき脳溢血で急死したということだ。
曾祖母の生まれは江戸時代の終わり、亡くなったのは大正半ば頃か。
写真の彼女は丸顔で猪首で太り肉(ふとりじし)、小柄な人だったそうで、
父と私はこのヒトに容貌が似ているのだった(汗)。血は争えぬ。

その曾祖母の写真と反対側の壁際には、棚がつくってあって、そこには、
ダイヤルの無い、交換手を呼び出す方式の黒電話が置いてあったものだった。
この電話機にはスピーカーがあって、村の役場?からの放送が流れたりした。
今で言う警報みたいな、農作業関係の天気に関する注意とか、
どこそこの誰某が何月何日に亡くなり、通夜葬儀はいつどこで、喪主は長男某、
みたいなことが、唐突に放送されたりしていた。
そのあと、昭和40年代の終わりに、ダイヤル式の電話がついたが、
これがまた農集(農村集団自動電話)で、一つの回線を5軒ぐらいで使っており、
ほかの家が使用しているときは、終わるまで待たねばならなかった。
受話器を上げると知らない人の通話が聞こえて、使用中だとわかるのだった。
市外通話はダイヤルではできなくて、100番に申し込んでいた。


ああ、思い出すだに、いろいろキショク悪(殴)。
古き良き時代、…とは全然思わんな。二度と戻りたくない。
早く片付け終わって、断ち切りたい(逃)。

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午後、主人と舅宅に出向き、家の中に残っていた私物のうち、
昔のアルバムや、主人のサイズに合う肌着、新品のタオル類、
それに、神社の仕事のタシになりそうな和装用の腰紐等々を、
持ち帰り用にまとめた。

舅宅は普段は無人なので、ブレーカーを落としているのだが、
昨日はあまりにも暑くて、エアコンや扇風機が必要と思い、
到着して最初に電源を入れた。
リモコン類の電池も切れて久しかったが、
エアコンは本体のON/OFFスイッチで動かすことができたので助かった。

それでも全室を冷やすことは無理で、
ふたりで汗だくになりつつ、2階から玄関まで何往復もして荷物を運んだ。
そして舅宅にタクシーを呼び、バッグと風呂敷包みの合計7つの荷物を
トランクに積み込んだ。
最後にブレーカーを元通り上げて出ることも忘れなかった!
自宅マンション玄関に到着して車を降りてからまた、
荷物たちをエレベーターまで運ぶのがエラいことであった(汗)。

ともあれ、なんとかこれで、舅宅の整理も終わった。
あとは、既に主人との話が進んでいる業者さんに連絡をし、
残っているものの処分と、家の内外の修繕やリフォームをして貰い、
しかるのちに舅宅は売りに出される、……という段取りになる筈だ。
その仕事は転夫まーくんの管轄なので、私はノータッチ。
舅宅界隈も改築等を施した家が何軒もあり、
居住者の顔ぶれも年々変わって、新しい人たちが入って来ているので、
どこかの段階できっと、売却は叶うだろう。

このあと、アルバム類は中身を見て、要る写真だけ選り分け、
データ化する等して現物の量を減らそうと思っている。
肌着やタオルは、生活の中で順次、消費されるだろう。
転夫ころもん氏は、私より遅れてスタートしたのに、
親の家の片付けを、こうして早々と終わらせてしまった。
やはり都会の人の家は、シンプルで良い。
うちの田舎家は、明後日、もう第何弾か不明なゴミ処理の日を迎えるのだが、
まだまだ先が長い。


追記:舅宅に行く前に、神社の用事があって実家に寄ったのだが、
前回いた猫は、気配もなくなっていた。
到着したときと帰る前と、二度、確認に行ったが、親猫も子猫も見なかった。
どこかヨソで幸せになっていてくれるようにと願っている(殴)。

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御守が欲しい、という電話があったので、
昼前に社務所を開けに行った。
その前に両親宅に寄り、神棚と祖霊舎を拝みに座敷に行ったら、
どうも何か「ぉぉ~ん……」と、くぐもった変な声が聞こえて、
ん??と思ったのだが、急いでいたので、そのままにして神社に上がった。
ネズミとかイタチとか、よくわからないものが出没する家なので、
なんかまた出たんかね、とウンザリした気分だった。

約束の方に御守をお渡しし、賽銭箱を改め、
軽く草抜きなどしてから、社殿・社務所を閉めて再び実家に降りてきたら、
座敷で、今度こそ、もっとはっきりと、何かの声がした。
「おぉ~ん、ぐるぐる… おぉ…」
「ミューーー ミューーーー ミューーーー」

猫やんけ(--#)!!
親猫と子猫のセットか、この声は!!

どっから声しよる?上から?下から?いや縁側に入り込んどる??
大昔にあったよな、野良猫が屋根裏で子供産んだ事件が!!
探して行くと、声は幸いに家の中ではなく、外からしていた。
前庭に出てみると、表玄関の向かってすぐ左側に、
かなり声の大きな子猫が一匹いた。
座敷で聞いた声は、成猫のとあわせて二匹分だった筈なのだが、
外に居たのは子猫だけだった。

「ミューーー ミューーーー ミューーーー」

と、子猫はこちらを見るなり、必死の形相で寄って来ようとした。
しかし虫が飛んできたので怖がり、またもとの隅っこに戻っていった。

「ミューーー ミューーーー ミューーーー」
「ミューーー ミューーーー ミューーーー」

私は一旦、家の中に入って思案した。
元来、私は猫は嫌いではない(汗)。
実家に住んでいた頃は、長年の猫飼いだったのだ。
野良猫を手懐けて、何匹も家で飼ったものだ。
さっきの子は、ミーコちゃんを拾ったときくらいの感じか。
この暑さで、小さい子がひとりで、凄い声で鳴いていて、
このままでは弱ってしまうだろう。
はてさて、どうしたものか。水くらいやるべきか。
あの程度に成長していたら、
皿に水を入れてやれば自分で飲めるだろう。

しかし、こいつに覚えられ、頼られたらオオゴトなのだ。
覚悟もないのに、「可哀想だから」と手出しをしてはいけない。
私はこれから、2時間近くかけて中区の自宅に帰る身だ。
連れては帰れない。
第一、私はもう一匹、オトナの猫の声を聞いている。
母猫が居る可能性がある。
あの子猫は、衰弱しているふうではなかったし、顔もきれいだった。
一時的に離れただけで、親がいずれ戻って来るのでは。

と、しばらくすると、
「ミューーー ミューーーー ミューーーー」
の声が途端に、やんだ。
あの勢いから、いきなりコト切れたとは思えないので、
恐らく、恐らくだが、母猫が帰って来たのではなかろうか。
私は外に出ずに、足音を忍ばせるようにして、
最初に猫の声を聞いた座敷に行き、気配だけで様子をうかがった。
猫の耳なら、室内の私の動きは察することができる筈だが、
コトリとも音がせず、もう、鳴き声もしなくなっていた。
二匹で静かにしているのか、それとも親が子猫をくわえて、どっか行ったか?

………ということで、きょうはそのままにして、帰って来た(汗)。
前も書いたが、私は実家に出入りするとき、表玄関は元々使っていないのだ。
母屋ヨコのガレージから入って、裏口を使用している。
猫のほうは敢えて見に行かないようにして、裏口から家を出て、帰途に就いた。
現時点では、急にどうしようもないし、
母猫がついていて、宿替えでもしてくれるのを祈るしかなかった。
なんでもいいから、なんとかなっといてくれ(祈)!

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ある日のこと剥がれた天井は、きょう見たらますます悪化していた。
天井材が大きく剥がれ落ちた跡には、天井板が露出しており、
板の割れ目からは真っ暗な天井裏(だろう)が僅かに見えた。
私はホラー系の本を結構読むので、
この割れ目の間から、上のヒトと目が合ったらオワリだね、
と想像して、シビれた。

その右側の、まだ天井材そのものはかろうじて残っている箇所も、
黒っぽいカビが発生しているようだった。
この右隣の部屋にあたる洗面所の、天窓のあたりが雨漏りしているので、
そこから雨水が伝わってこちら側に来ているのだろう。
天井材が剥がれた箇所から向かって右に、黒い跡が続いているので
この推測はおそらく当たっていると思う。
天井裏は相当に困ったことになっていると想像され、
いろんな意味で実家の天井裏は覗きたくないわね(^_^;、と思った。

 

ということで、本日、いつもの一般廃棄物収集運搬業許可業者さんにお願いし、
この部屋にある有象無象と、父が亡くなって有料老人ホームから持ち帰った私物、
母の電動ベッド、何十年と放置されている古いライティングデスク、等々を
一掃していただくとしたらいくらになるか、まずは見積をお願いした。
トラック2台になりそうなので12万円+消費税、とのことだった。
背に腹は代えられず、即決した(汗)。作業日は後日打ち合わせ。
この際、できるだけたくさん引き取っていただこう(大汗)。

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実家の母の寝室の天井が剥がれた件
以前からお世話になっている地元の○○電興のお父さん
一昨日、おいで戴き、どんなもんでしょうかと相談したのだが、
「こりゃ~、雨漏りじゃろうねえ!」
とのことだった。
写真の赤丸印の箇所も、天井材がふくらんで劣化しており、
遅かれ早かれここも落下するだろうと思われ、これらの原因は、
以前から雨漏りで問題になっている隣室の洗面所の天窓箇所だろう、
と言われた。
天井裏は内部で繋がっているので、隣室の天窓のところから入った雨水は、
天井板の傾斜に沿って、隣のこちらの部屋にも来て、溜まっているのだろう、と。

これを止めるには、屋根を開いて問題の箇所をつきとめ、
天井裏を直し、天窓を撤去して新たに屋根を葺き替える、
……というオオゴトになるので、家を売却する等の処分の話があるなら、
「悪化するだろうけど、今のところ何もしないのが良いのでは?」
とのことだった。
「だいじなもんが濡れんように、下に置いとるもんは出来るだけ退けて
あとは様子を見る以外に、きょうのところは何もできんと思うねえ。
見た目の話で、剥がれたところにこっち側から何か当てとくいうのは、
できんことはないけど、それじゃあ、なんも解決になっとらんしねえ」
ですよね(^_^;。

それで、とりあえず、いつもの一般廃棄物収集運搬業許可業者さんに電話して
近日中に母の寝室を一掃するように、昨日、決めた。
今の母の状態では、家に戻って来て生活を再開することはもはや望めないし、
部屋がこの有様では、誰であろうとここで暮らすことなどもうできない。
片付けよう(^_^;。それしかない(^_^;。

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先日の半日作業だけでは終わらず、再度、同じ業者さんに
舅宅に来ていただくことになっており、今日がその約束の日であった。
前回は土曜日だったので主人も居たが、
今回は平日朝から丸一日の予定だったので、私だけが立ち会った。
姑が30年ほど前に新舞踊をやっていた頃のステージ衣装がまだあったし、
毛皮、貴金属、腕時計、カメラ、家電、切手、掛け軸、等々も、
この際なので思いつく限り出して、査定して貰った。
煩雑なものが多かったので、これだけで昼過ぎまでかかった。

午後からは、庭の倉庫内の食器類のうち、箱のあるティーセットなど
引き取り可能なものを運び出して、ひとつずつ見て戴いた。
一点100円200円のようなアイテムが多かったが、数があったし、
まとめて買い取って貰えるのは、それだけで有り難いことだった。
前も書いたが、何しろ転夫ころもん氏は最初、
「家の中身は、ゴミ処分業者を呼んで、一切合切、持ってって貰う」
と言ってたのですよ?
何もかもタダで手放すどころか自分でお金を払うという!
それくらいなら、先に買取業者さんのものですよアナタ(^_^;。
私だって、なんでも捨ててるように見えるでしょうが、
実家の和服や骨董類には、まだほとんど手を付けてないのですよ?

買取業者さんのお話では、眼鏡は、古いものでも、
途上国でフレームを活用して貰えるケースが多々あるそうで、
無償でも引き取りは可能であった。
また、壊れた家電の部品や、デジカメの内部の精密機械などが、
リサイクルされる等の話もあった。
じーちゃん&ばーちゃんの遺したものたちが、
もしかしたらこれからも、どこかでかたちを変えて活かされるかもしれない、
というのは嬉しいことだった。
どうか役に立つものがありますように。

 

朝10時から夕方5時までかかり、私は立ち会っただけで何もしなかったのだが、
これでも結構、疲れた(^_^。
業者さんが帰られたあとは、タンスや倉庫ががらんどうになり、
舅宅の片付けがいよいよ完了に近づいたという手応えがあった。
良い日であった(^_^;。

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