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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



実のところ、母95歳は、容態がよろしくない状態のままだ。
7月末に発熱、誤嚥性肺炎と脳出血で一時は危なかったが、
その後落ち着き、10月15日に退院してサ高住に戻り、
以後、低調なりに発熱等なく過ごせているのだが、
「いつ何があってもおかしくない」
ということは、退院以来、幾度も主治医から説明を受けている。
直近では11月8日にもその話は再度、確認があった。

私としても、毎回きょうが最後になっても致し方ないと思いつつ、
神社等の行き帰りに見舞ってはいる。
行けば、目は合うし、バイバイもできるのだが(汗)、
発語は極めて少なく、表情の変化もほとんど無い。
うとうとと眠っていることも多く、苦痛はとりたてて無さそうで、
弱ってはきているのだろうが、つらくなければよい、
と私はとうに納得している。

一昨日、夜の10時半、私のスマホが鳴った。
見たらサ高住からで、その瞬間、私は、まんま正直に言うが、
「うわ、死んだ!!!!」
と思った(殴)。
急遽せねばならない予定変更の山が、私の思考を埋め尽くした。

………のだが。

「お母様のことなのですが。
さきほど、末梢点滴が漏れていて、入らなくなってしまいましたので、
一旦、抜きました。明朝、先生に診て戴くということでよろしいでしょうか」

…………orz

細やかな対応に、感謝せねばならないのは、よくわかっている。
そして、点滴が入らなくなったというのが、使える血管がなくなった、
に等しいのであれば、母の命はあと数日か、長くて十日くらいであり、
それを告げるための連絡であった、ということも。

しかし、しかしだ、その話は8月以来、数限りなく繰り返してきて、
既に結論が出ており、一度ならず私は納得の意思表示をしてあるのだ。
点滴が入らなくなったらオシマイ、で異存ありません、と。
とにかく母がラクなように、苦痛のないようにさえして戴ければ、
死んでも(爆)もう構いません、と。
直前になって気の変わる家族も、それだけ多いということなのだろうか。

下顎呼吸が始まった、レベルの電話でなかったら、夜中に呼ばれたくなかった。
本当に自己中心で、思いやり皆無で、心から申し訳なくは思っているのだが。
私はこのところ、過労のあまり、そうでなくても寝入るのが難しいのだ。
この電話で心臓が轟き、そのあと数時間、どうしても興奮状態が制御できず、
結局、夜中の1時にソラナックスを服用するはめになった。

私の心を占めていたのは、
大切な母の死に目にあえないかも等の感傷的な話ではなく、
スケジュール帳を埋め尽くしている大量の用件を、葬儀のために変更できるか?
できなかった場合、何が起こるか?ということのほうであった。
この日だって遅く帰り、翌日も朝から出勤せねばならなかったのである。
カンベンしてくれ(T_T)。

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母の件
忙し過ぎて、何をどこまで書いたか忘れたが、
母は10月15日に退院し、もとのサ高住の部屋に帰ることができた。
残念ながら、夏前の状態には戻れておらず、腕も脚も細くなったが、
とりあえず体調としては概ね、安定している。
いつ見ても表情は穏やかで、苦痛がありそうでは無い。
しばらく静かにしていると、すぐにうたた寝をする状態だ。
両脚は拘縮が強いので、訪問看護でマッサージを続けて貰うことになった。
点滴は足から取っている。
本人はもともと、血管が豊富ということはないので、
いずれどこからも取れなくなる可能性が高いが、
できる範囲のことを、できるところまで、無理せず続ける、
という方針で、ケアマネさんともサ高住とも連携が取れている。
どうなるか・ならないか、先のことはわからないが、現時点ではOK(^_^;。

手根管症候群なりかけ
8月半ばから私の左手が、痛くなったりなおったりしていて、
先日、時間の空いた日に「手の専門」の整形外科に行ったところ、
手根管症候群になりかけている状態、と診断された。
現状は、ロキソニンゲルなど塗って休ませれば改善する段階だが、
このあと、あきらかに痛みが強くなったり指先が痺れたりしたら、
積極的な治療が必要なので、すぐ受診するようにとのことだった。
ちなみにその病院で私は初めて手のレントゲンを撮って貰ったのだが、
これまでX線写真というと、歯・胸部・KUBあたりが馴染みで、
手の骨の美しさは、それらとは次元が異なるということを初めて知り(^_^;、
「骨とは、静かな魅力のあるものだったのだな」
と(変な)何かに開眼した思いがした。
豆状骨が三角骨の上に乗っているのが、よく観察できた。先生も、
「ふぅむ、これは本当にきれいですねぇ!」
と褒めて(^_^;くださった。見る者を魅了する骨であった(違)。

予防接種
月に一度、血圧を診て貰っている内科に先日行ったとき、
先生とお話して、来月インフルエンザの予防接種を受けることに決め、
次回受診日を接種日として予約した。
見たら、新型コロナウイルスの予防接種案内のポスターも
待合室に掲示されていて、
なんだ、灯台下暗し・ここでもやってたのか(^_^;、
と思ったが、実は私は早手回しに先日、
夏に打って貰ったクリニックで冬のも予約してしまったので、
今回はそのままにすることにした。
母のほうもサ高住から、インフル・コロナともに予防接種の案内が送付されてきた。
こちらは私が問診票に記入して代理で署名して返送すれば、
あとは施設と病院とで、接種日当日の体調を見て判断してくれることになっている。
この秋冬のコロナワクチンは定期接種なので、
取り扱いのあるクリニックも夏よりずっと多い。
今後はどうなるのだろう。年1回の実施なのだろうか。

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7月末に誤嚥性肺炎で入院し、脳出血を併発して
一時は危ないと思われた実家母だが、……持ち直した(爆)。
母はかつて、自身の母親や姑について、
「明治の女は強い!」
とよく言っていたものだったが、その言葉、そのままお返ししますよ、
「戦前の女は強い!」

8月半ばには母は、目も合わないし、言葉も全く発しないし、
自分では寝返りも出来ず、意識はあったが明確な意思表示は皆無で、
苦痛がないならヨシとするか……、と私は諦めムードになっていた。
そして8月23日に私がコロナ陽性となり、面会に行けなくなったので、
それから半月ほどは、病院との電話連絡で容態を聞くしかなくなり、
最悪、会えないままで終わってしまうかなとすら思っていた。
8月の終盤、中心静脈栄養のルートから感染が起こって母は発熱し、
致し方なくカテーテルを抜去することになったが、
抗生剤投与により、幸いにもこの熱は下がった。

そこで主治医の先生から、経鼻胃管または胃瘻を試みるかどうか、
と再度、確認の電話があった。
私はやはり、どちらもやらないと返答した。
経鼻栄養は鼻や咽頭の不快感が常時ついてまわるし、
胃瘻も、母の年齢や腎機能などを考えると、
時間的に「長らえるだけ」になると思われた。
腕や脚などの末梢点滴のみで、やれる範囲のことだけをやり、
血管がダメになったり本人が点滴を嫌がるようになれば、
それもやめて、看取りに向かう、というのが私の選択であった。
母の現時点の意思はもはや確認できないが、以前から本人も、
「苦痛のないのが一番大切なこと、あとは寿命に任せる」
と幾度も言っていたので、おそらくこれで良かろうと思った。
脳出血の検査や治療もしない・水分と栄養の補給は末梢点滴のみ。

ところが、9月に入って母は、追視ができるようになった(^_^;。
脳出血が治まり、幾分か吸収もされ、脳浮腫が取れてきたのであった。
やがて、「おはようございます」と言われれば「おはよう」と返し、
名前を呼ばれれば「はい」と答えられるようになった。
9月10日時点の血液検査は、入院時より腎機能も改善しており、
降圧剤の内服ができるようになってからは、血圧も落ち着いた。
車椅子に座らせて貰って、リハビリもできるようになった。

9月19日に嚥下テストをして貰ったところ、
一口ならば問題なく飲み込めたが、それを継続することは困難で、
咽頭にたまるばかりで嚥下はできない様子だったので、
薬の内服程度は良いが、食事の経口摂取は難しいと判断された。
最終的に点滴は取りにくくなるはずだから、
口からまとまったものが食べられないならば、
あとは自然に衰えるのを見守るという方針になった。
対症療法で追いつかない問題が出てきたら、
意識を下げる等の処置が可能かと私が質問したところ、
脱水傾向が徐々に進んで老衰を迎えるならば、
殊更な苦痛はなく、鎮静などの必要はおそらく生じないだろう、
主治医の先生は仰った。

そして、昨日のことだった。
私が病室にいたとき、看護師さんがたまたま来られ、
名前を呼ばれて母は目を合わせ「はい」と返答し、更に、
「せなかが、かゆい」
と自分から言った。
「喋った!!!」
と看護師さんと私は同時に言った(笑)。
背中を看護師さんに掻いて貰うと、母は、
「きもち、いい」
と感想を述べ、終わると、
「ありがと」
とまで言った。
更に、アイソカルゼリーを見せられると口を開け、
全介助ではあったが、一口どころか、次々と五口、食べた。
とろみをつけたお茶も、全部、飲んだ。
「絶好調ですね(^^)!」
と看護師さんも笑顔であった。
枯れる予定だったが、こりゃ案外、食えるかもしれない(^_^;?

無論、95歳という年齢はどうしようもないし、
誤嚥性肺炎はまたいつでも起こす可能性があるし、
尿には薬剤耐性菌であるESBLも出ているので、
これからも尿路感染症は完全には解決しないと思われる。
しかしとにかく、母は立ち直ったのであった(^_^;。
とりあえず10月初旬まで様子を見て、検査結果等OKならば、
退院してもとのサ高住に戻ることに決まった。

昨日、私が帰るとき「じゃあね」と手を振ったら、
母はイマイチ無表情ではあったが、ちゃんと右手を挙げて「ばいばい」した。
合ってる(笑)!!
たいしたもんだ。

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毎日34度35度の猛暑が続いているのに、先週から神社に毎日通った。
村の神社だけでなく、隣の地区の秋祭の手伝いもあった。
神社の庭で火をぼんぼん焚いて「湯立て祭」があり、暑すぎて瀕死になった。

私は総代会幹部LINEのメンバーであり、
何か用事があると自動的に情報が入って来るので、
知っていながらサボる、というのはなかなかやりにくいものがあった。
「秋祭の案内状作成と封入作業をする。何時集合にしますか」
と総務担当からLINEが来て、
「今週まだ一度も休んでないから欠席したい」
と言いたかったが、いちばんの若輩者には、
さすがにそういうことは言えないのであった(涙)。

家で静かに過ごしているぶんには、もう全くコロナの症状はないのだが、
外で大声で会話したり、作業で呼吸量が増えたり、煙を吸い込んだりすると
咽喉元が痒くなってきて、どうしても若干、咳が出る。
やはり荒れた箇所があって、まだ全快していないのだろうと思われる。
本日は敬老の日だが、私が敬老されたいよホントに(T_T)。六十だよ?
昭和ならとっくに定年退職しているトシじゃないか。
なんでこんなに三連休もなく勤労しないといけないんだ(泣)。

一方で、出ずっぱりで全然パソコンを触らなかったので、
左手が痛いのは感じなくなった。
やはり使わなければ痛くならないのだとわかった。

もうひとつ、実家売却が事実上、決まった。
まだ手続各種これからだが、重要な案件のひとつに決着がついて、
安堵した、というか、むっちゃスッキリした。
実家の墓と家土地を終わらせるのが、長い間の目標であった
墓については54歳時・家土地は今年60歳にして決着をつけた。
誰も褒めてくれないから、私は自分で自分を褒める!
決断力と実行力こそ私の取り柄だ。誰も言ってくれないから自分で言う(^_^;!

……まあ、客観的には、父はきょうだいが4人もいたために、
勝手に大ナタを振るうことができなかった、とも言えるだろう。
その点では若干、父を気の毒に思わないワケではないのだ。
先祖代々の墓を山から下ろすと言ったら、
きょうだいがいたらきっと反対意見が出るし、
「誰が金をいくら出すのか」問題も無視できない。
築100年の実家を手放そうとしても、感傷や欲得から納得しないきょうだいが
必ず居るだろうし、幾度話し合いをしても気持ちの良い合意は得られまい。
家土地の三分の一など、自分の相続分だけ売る、というのも事実上不可能だ。

私は一人っ子だった御蔭で、誰からも干渉されず意見も言われず、
誰の気持ちを思いやる必要もなく、私が良いと思えばそれだけで、
なんでも即、実行に移すことができた。
支払の問題だって、常に、親と私だけの間の話であり、
仮に借金になってもそれを相続というかたちで被るのも私ひとりだから、
私が良ければAll OK、損したトクした誰某はズルい、等々のストレスも皆無だ。
その点は実に簡単で、有り難い状況であったと感謝している。

ということで、明日だけは休みだ。明日しかないが、とにかく明日は休みだ。
死守するぞ!

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あまりにも疲労した自覚があったので、昨日は、
ソラナックス0.4を1錠そのまま飲んで、夜9時半に寝た。
1錠は私にとっていつもの倍量なので、むちゃくちゃ効いて、
夢も何も見ず、あり得ないほど朝まで爆睡できた(^_^;。

このところずっと、最高気温が36度とか37度とか報道されており、
アスファルトの照り返しを受けて歩けば実際には40度超だろうと思われ、
そのような毎日、暑さをものともせずに母の病院に通う自分は、
結構体力があるのではないか、
……と勝手に自信を深めていたが、それは錯覚であった。
やはり大変、疲れ、弱っていたのであった。

どこがどう悪い訳ではないが、外の熱が体にこもった感じが抜けず、
すぐに気怠くなるし、原因不明だが左手首周囲に筋肉痛があるしで、
昨日はさすがに、我ながら、「勢いがない、しんどい」と自覚した。
幸い、転夫ころもん氏は17日から三泊四日の出張中であり、
この期間中は、朝食や夕食の心配が全く要らなかったし、
私自身の神社仕事その他も、昨日の午前中で終わったので、
昨夜から、「寝たいとき寝て、目が覚めたら起きる」を実践することにした。

勿論、病院その他から連絡が入ったら、私はすぐ出動せねばならないが、
とりあえず、呼ばれるまではダラダラしていよう、と決め、
きょうは、母の病院に、最初から行かないことにした。
布団も敷いたままにしておいたので、午前も午後も昼寝をした。
折しも、久しぶりに雨模様になり、気温も下がった。
家に居てさえ、強烈な陽射しがないだけで、随分と体が休まる気がした。

今夜も早寝する予定だが、明日と明後日は用事がある(汗)。
まだ、休み足りないのではないか、という気がするが、
……仕方がないな。

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母の様子からして、脳梗塞か何かがあると思うと申し出て、
数日前、脳CTを撮って戴いたところ、右脳出血のあることがわかった。
時期的にはおそらく、今回の感染症で高熱を出した頃に起こったもので、
昨日今日のような、真新しい出血跡ではないということだった。

今、お世話になっている病院では、独立の脳神経外科がないので、
翌日にでも、前に父が幾度もお世話になった某脳神経外科病院に搬送して、
更に詳しい検査を行い、出血場所が詳細につきとめられたら、
部位によっては血を抜く処置を施すことが可能かもしれない、
と今の病院の主治医の先生は仰った。
どの程度、それができるかは、やってみないとわからないが、
95歳という高齢ではそのあたりが限界で、それ以上の積極的な治療、
たとえば開頭手術などには、とても耐えられまい、とも。

私は、自分の責任において、
「脳外科病院への搬送や治療は、希望しない」
と返答した。
訊けば、母は今、苦痛のある状態ではないし、
幸い、脳室には余裕があり、脳ヘルニアには至っていないそうだ。
「ぼんやりとした状態で、痛いところなどは特にないと思います」
と先生は仰った。
ならば、この先もう、しんどいこと・痛いことは一切、しないのが良い。
搬送も、検査も、治療も、緩和ケア以外には何も要らない。

このところ、危険なほどの高温で毎日暑いのに、
遠くない脳神経外科病院まで搬送されるのは、母にとって楽ではない。
私は去年、父とともに一緒に行ったから、道中がどういうものであるか、
また行った先で検査を受けるとはどういうことか、およそ知っている。
95歳にもなる、もともと寝たきりに近かった老人に対して、
あれこれ検査してなんとかして治療をしろと要求するのが、
医療の、良い在り方であるとは、少なくとも私には思われない。

検査や治療の苦痛もゼロではなく、もし無事にやりおおせたとしてても、
治療やストレスが引き金となって、再度の出血が起こる可能性もある。
もし仮に、すべてが奏功して最善の結果が得られ、「元通り」になるとしても、
その「元通り」自体が、認知症で車椅子生活の状態だったのだから、
努力をしてそこまで戻すことに、いかほどの意味があるだろうか。

このあとの懸念は、再度の脳出血と、
中心静脈栄養のカテーテルからの感染だろう。
それももう、私としては末梢静脈栄養で良いのではないかと思っている。
腎機能も悪いし、鬱血性心不全もあるし、甲状腺機能低下症もあり、
しかも95歳、全身状態の維持に努めて時間を稼ぎたいとは、私は思わない。
むしろ、ぼんやりと穏やかに過ごせれば満点ではないか。
残りの時間がそれにより短くなったとしても、何の悪いことがあろうか。
身体的な苦痛が出て来るようなら、鎮静剤で意識を下げて貰えれば有り難い。

できるかもしれない治療があるのに、受けさせないと、勝手に決めたのは私だ。
問題があるようなら、全部私が悪いということでOK。
母の意向は既に訊けないからわからないが、違ったらごめんね(爆)。

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さすがに連日、母の病院に通い続けて、
心身ともに疲れがたまってきた自覚があったので、
昨夜はソラナックス0.4を半錠のんで、夜9時半に布団に入った。
疲労感が強く、何もしなくてもそのまま眠れることはわかっていたのだが、
安定剤を服用すると、うっとりと落ち着いた気分になって快眠できるので、
私はこの薬が、ナイトキャップ的に気に入っている(汗)。
すぐさまキモちよく寝入って、途中、午前3時頃に一度起きたが、
またすぐ寝続け、起床したのは今朝8時。
10時間あまりの睡眠であった。よー寝た(^_^;。

それで元気が出て、きょうも午後から母の病院に行った。
ちょうど、リハビリの時間になって、担当の方がベッドサイドに来られ、
母の体を抱き起こしてくださった。
一昨日あたりは、まったく姿勢が維持できていなかったが、
きょうは、背中を片手で支えて貰えば、崩れない程度には座っていられた。
それから、抱えて車椅子に座らせて貰った。

母は無表情で、体にも全く力が入らず、特に左側が不自由に見えた。
左手がすぐにだらんと垂れてしまうし、
顔の表情も、右側のほうが口角がやや上がっていて左右差があったし、
目線も、右上のほうを凝視するような感じだった。
服薬のときも、右の奥歯付近を指で触れられると開口する、
という反応があるそうなので、右側は総じて感覚があるようだ。
座った姿勢も、概して右方向へと傾きがちだった。

脳梗塞があるのではないか、という気がしたが、
伺ってみると、脳CTは撮影されていないとのことだった。
仮にこのあと、脳梗塞が確認できたとしても、
年齢的にも、もはやできることは限られるだろう。
血圧も高いし(リハビリ前の測定で142/84ほどあった)、
95歳で、心疾患や腎不全、甲状腺機能低下なども以前からあるので、
状況の大半は、老衰として受け入れざるを得ないだろうと思っている。
しかし勿論、リハビリの効果が徐々にでも上がってくれば、
超高齢とはいえ、本人なりに元気が出て来るかもしれない。
きょうは、多少は呼ばれたほうを見たり、微かに頷くような動作はあり、
明確な意思表示とは言えないが、やや、生気が感じられるようにも思った。
母の体力がこのあとももってくれれば、有り難いことではあるのだが、
そうなればなったで、案外、長期戦かもしれない(^_^;。

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母の容態が変わらないのは、良いことなのか、悪いことなのか(汗)。
毎日、顔を見に行っているのだが、はかばかしくない。
しかし、日々悪化してどうしようもない、というのでもない。

多少、追視めいた目の動きはあるように思うのだが、
私が居ても、すぐに視線を外してしまい、長続きしない。
僅かに頷くような動きは見せるが、声は全く出ていないし、
表情もほとんど変わらない。
目覚めている時間はそれなりにあるようになったし、
寝返りはできないが、身じろぎくらいの動きはするようになったので、
入院直後の頃よりは、体は回復しているように見える。
しかし、発熱以前の、サ高住で暮らしていたときの状態には
到底、戻れそうには見えない。

飲食は全く無理で、点滴だけで繋いでいる状態だが、
看護師さんに伺ったところ、最近は薬を、
小さいスプーンで飲めるかどうか、試しているとのことだった。
母は、右の奥歯あたりに指で触れられると、高確率で開口するそうで、
そのタイミングで薬を口に入れて、飲み込みの具合を見ているそうだ。
巧く飲めるようになって来ると良いのだが。

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母、昨日は再び39度超の発熱があった。
なかなか落ち着いたと言える状態にならない。
目が合わず、反応がないのも相変わらずだ。
名前を呼ばれ、肩をぽんぽんされたりすると、
目をはっきりと開くが、周囲を見回すような動きはない。
発話がないどころか、声も全然と言ってよいほど出ていない。

右手だけはかなり自由になるが、
あちこちをしょりしょりと軽く掻いているような動作をする程度で、
左腕のほうは完全に脱力しており、動かせていない。
リハビリとして体を起こして貰い、ベッドに腰掛けた姿勢で支えて貰うと
逆らわずにじっとしているが、自分で動くことはできない。
寝かせて貰うと、両足は拘縮しているようで、
強く絡ませ合っているようなかたちになっている。
膝の間にクッションを挟む格好にして貰っている。

看護師さんのお話では、母は依然として飲食は不可能、
薬を飲むことも無理で、点滴だけという状態だそうだ。
これまで誤嚥性肺炎等で入院したことは幾度もあったが、
数日で常食がとれるようになっていたことを思うと、
今回はやはり全く様相が異なっている。
良いのは、少なくとも表情を見る限り、苦しそうではないという点で、
いつも、全体としてぼんやりと眠そうな顔をしている。
鼻腔吸引は続けられているようで、枕元の容器の中の「実績」が
行く度に増えている。……あれはさすがに嫌であろうな(汗)。

――という訳で、きょうも、とりたてて動きはなかった。

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母に関して、依然として進展は無い。
目覚めているように見えるときも、視線が合わない。
加齢黄斑変性のため、かなり目が悪いのは以前からだが、
今は、至近距離で話しかけても、何も意思表示が無い。
高齢ゆえ、急変の可能性については幾度も指摘されているのだが、
そうでなく、今のまま状態がある程度固定してしまい、
予断も許さない容態が、短くない期間、続く、
となるのもまたよろしくない。
女学校5年間皆勤賞だったヒトは、根本的に丈夫だからな(汗)。

母がこのままの病状で過ごすと仮定すると、
中心静脈栄養はカテーテルからの感染の心配があるから、
最大でも1か月くらいしかできないのではないかと思うが、
どこかの段階で、場所を変えて入れ直すことになるのか、
それとも胃瘻の話が出て来るのか。
経鼻胃管は不快そうなので、私のほうが嫌なのだが……。
95歳だし、積極的なことをして頑張らせなくても…、とは思うのだが、
「何もせず自然に任せる」と、本人の苦痛はどの程度になるのだろうか。
慢性腎不全もあるので、尿毒症となるとキツそうだし(汗)。

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