もう一週間も過ぎたんだな・・・那覇市内からバスで、このような場所に下車。
一人旅・・・
女房「いつもガイドだと、修ちゃんの沖縄旅の新しいところなど無くなっちゃう?」「一人で行きたいところ行って、新しい沖縄を深めてきて」
と・・会話があって、(いい話じゃないの!!!)俺は気になっていた場所など、気ままに歩いた。今回記事は、興味ない人は、つまらないと思うのだ。
バス停から歩いて出発点にやってきた。
琉球王朝の「王府の道」がある。首里王府からの諸令達や貢租のために使われた宿道で、王様の行幸なども行われただろう。
皆、首里城を起点に、西へ向かう「国頭方西海道」「中頭方西海道」そして東海岸沿いに「国頭方東街道」「中頭方東街道」があった。まあ、東海道とか中山道とかと思ってもらえれば良い。
沢山の市町村にまたがるが、現在部分的ながら、古道が整備されている。方西街道は3日に分けて歩いた。
今回、ついに「中頭方東街道」を歩くのだ!中城(つまりは、中城村の所だけ整備されてるのだが)が整備した古道で、ここ「東太陽橋(あがりてぃーだばし)」から中城城址までのおよそ6キロていどだが・・・
ハンタ道とは、がけっぷちの道という意味だ。
太平洋がずっと右に広がり、崖下にはギンネムがはびこっている。
地域の自治会などが清掃活動を行っている場所は歩きやすい。
休憩場所(広場)などユクヤーと呼ぶ。この場所は迷ったぜ!分岐があって、広い道と路地・・行くべき道は細い道だった。
だんだん怪しい道になってくる・・どうやら、琉球石灰岩のタイルが敷いてあるところを進めばいいんだとわかる。
消防学校前・・・ここも迷った・・・選択肢が3つもあった・・・・
調べた資料で、そういえば「自販機のそば」だったと・・・階段発見!
この後驚きの生物を発見するのだが・・・その話は後日。
さて、ここはこの旅のメイン!!「キシマコの嶽」・・「161.8高地陣地」にやってきた。
塹壕跡など見やりながら・・さらに登る。
元々あった、キシマコ御嶽(きしまこうたき)という拝所に日本軍が陣地を築き、戦闘が繰り広げられた場所だ。
調べた文献ではこのようなけもの道から行くようだったが、中城村が階段を整備してくれたようで助かった。
4月1日に上陸した米軍と西では嘉数、東ではここ161.8高地で戦いの火ぶたが切られ、激戦となる・・
やがて嘉数もここも持ちこたえられず、前田高地(ハクソーリッジ)へ撤退となり、米軍が「ありったけの地獄を一つにまとめた」と言った、闘いが始まるのだった。
井戸がぽっかり口を開け、小高い監視哨が今もたたずんでいた。
現地に立ってみる・・その凄み。この感覚に囚われて、俺は沖縄に足を運び、歩き続けているのだ。文献では生べない凄みだよ。
今立つ小高い山・・そこまでとその周辺の地形・・・空気・鳥の声・・こんなものを感じると、ここに車でやってきて、ほんの数分山道を登って、この高地を眺めるのとは、とっても違うものを感じると思うのだ。
事前に、水分・行動食など買っておいた。今日の行程には、店も何もないに違いないからね。9時から1時間歩いて第一回休憩。行動食を食べた。
ますます怪しくなる道・・・・道の真ん中に木を残したまま、整備したって・・・!!天晴だわな・・・整備後生えたのでは無いとわかる。
新垣集落を歩く・・・畑があちらこちらで綺麗だった。
この上り坂には、しばしたじろぐ・・・・・400mはずっと登る感じ・・・・
14世紀に作られたグスク・・そして、この部落の創始者の屋敷跡など続き・・・
本日2つ目の、マイポイントにやっとやってきた・・前回休憩から1時間後であった。休憩・行動食。休憩所があるのは嬉しかった。ベンチもあるしさ。
浦賀に先立つこと、1853年5月に燃料や食料補給などで、ペリーが琉球にやってくる。兵士200余名・絵描きや学者まで加わって、首里から金武町やがて恩納村と反時計回りに176キロも琉球を歩き調査している。そして親書を大統領に送り「江戸が開国しなかったら、琉球を占領するつもり」と言い放っている。
その176キロで、絵をかき・植物や岩石など採集(今もスミソニアンなどにある)している。地図を作り。風俗・文化も調べている。
首里からほどなく、、この岩に、踏破した印に旗を立てたのだった。
俺の方東街道踏破も終盤・・・・ここからは、ゴルフ場が出来て、本来の道は無く、ゴルフ場のフェンス沿いを歩く、つまらん時間になった。
30分ほど歩き、見覚えのある県道146号に出る。ここから2キロ弱のひたすら登りを登れば、中城城址だ。
山の頂上の中城城址・・・・この道を通り(車でだけど)何度この城跡には来たことか・・・・
道沿いに、中城村・北中城村の運営するごみの焼却場があった。このランドマークなら、タクシーを呼んでも分かるだろうと、配車のセンターに電話し、タクシーを呼んだ。
俺の中頭方東街道テクテク旅はこうして終わったのだった。
ほぼ3時間状強・・・・しかし平らな道は無く、登って降りての道は、まぁ・・よく歩いたもんだって感じだった。
面白かったけどさ・・・・