館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

「蔵の街」栃木市探訪。

2011-05-18 04:53:13 | 旅は続く
昨日日記

1・呑みすぎた訳では無いが、明らかに内臓系が、不調な1日だった。

2・今頃「メルトダウン」たって、すでに3月から、良識と見識をもった人たちから、指摘されていたし、俺もそう書いた。「小さく見せようと」姑息に隠蔽して、どうにもならなくなって、言うなよだ。

3・読書量が少なくなっている・・・冬眠から覚めると、外にばかり出てるからかな?


さて、お外に出かけた記事が続く。



栃木市が、観光の目玉として「蔵の町」として整備したのは、かなり前から知っていた。
気になっていたが、行ってみた。

東北道を使い、驚くほど早く現地にはついた。高速を走った時間と、下道を走った時間は同じくらいではなかろうか?T市から、正味30分強であった。

江戸時代には市内を流れる巴波川(うずまがわ)の舟運と、朝廷から日光東照宮へと派遣された使者(例幣使)が通行した例幣使街道の宿場町として盛えた商都で、「小江戸」の別名を持つということだ。

その川沿いの余り長くない場所が整備され、栄えた商家などが、展示や飲食などの営業を行なっている。




たとえばこちら。

麻のあきんどにして、銀行なども営み、財を成したようである。




こんな感じ。



ここいらが、撮影スポットかな?

川には舟の運行などあって、船に乗りながら、蔵立ち並ぶ風景を堪能できる。

乗ろうと思ったが、かなり客が多く、順番待ちなので、断念(昼でお腹がすいていた・・・)



中心街(であった)の道路沿いも、残っている古い家などは、整備され、営業していた。
しかし、ここも、全国同じように、ドーナツ化で、シャッターの下りる店が多かった。



あの山本有三の記念館があった。

写真・今は床屋が生まれた家・隣が記念館になっている。




「路傍の石」しか僕は知らないが、あの、暗い厳しい小説とは違い、有三自身は、生まれも裕福で、その後の文筆活動も成功を収めた方だったようである。



「観光会館」で蕎麦(多分ダッフィーさんとこで紹介されていたような・・・)を食べようと思っていたが、あまりに客待ちが多く、ワリワリはリタイア。

どこも、蕎麦屋は並んでいて、ふらっと、この店にした。




僕の食べた「ナスとひき肉の丼(名前を忘れた・・・)」。
女房の「天丼」。

甘め・こってりの味・・・料金もリーズナブル。程ほどに混まず、美味しかった。





旨そうな漬物屋を発見。

ラッキョウの溜まり漬け、そして、金山寺みそを購入。

ラッキョウは甘かったが、味噌はアタリ!!
ばあさんに、土産に買った。エライ!






これ、いいねぇ・・・・

まだ、商売やってるみたい。


ところで、駐車場がどうも、不足気味な印象。

僕らも、探した・・・で、町の裏手の「花屋」さんで聞いたら、「**とか**があるが、ちょっと歩くから・・・」「うちの駐車場に止めなさい」と、好意に甘えたのだった。

この花屋含め、食堂も、漬物屋さんも、記念館も、接客は実に良かった。

もう少し時間をかけてもいいかも?

また、来てみっかな。




コメント (6)
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