羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

内田樹著『下流志向』から喚起されること

2007年02月14日 19時54分39秒 | Weblog
 この本を読み終わって、思い出したことがある。
 一昨日に書いた父の交通事故のときのことだ。
 辻堂の病院に入院して、家族はもちろんのこと、父方・母方双方の祖父母から両親の伯父や伯母、そして甥までもが見舞いに飛んでいった。
 病院の様子を見て
「この病院では、死んでしまう」
 誰ともなく発した言葉を医者が聞きつけてしまったらしい。
 そこで少し離れたところにあった病院に転院することになった。
 命を助けよう。なぜなら母子家庭にしてはいけない、というのが大きな理由だったそうだ。そしてできるだけそれまでの生活が維持できるところまで回復させるための治療をしてもらうというのが、全員一致した結論だったそうだ。

 昭和32年当時、その手術で問題になるのは、麻酔技術だった。
「そこまでおっしゃるなら、東京から麻酔医と外科の助手を連れてきてほしい」
 当時としては二人しかいなかったアメリカ帰りの麻酔医一人と同じ大学病院の助手を車に乗せて、辻堂まで国道を疾走したのだという。
 小学校2年だった私は、両親の知人一家とともに、東海道線に乗って辻堂へ向かった記憶がある。東京駅のホームを駆け上がって、タラップに飛び乗るとすぐさま発車したことだけが鮮明に残っている。あたりはすでに暮れかかっていた。

 病室に入ると父は畳の上に寝かされていた。今になって表現すれば、ピエタ像のような父の姿が目の奥に焼き付いている。入院期間は、かなり長かった。その間、近所で懇意にしている家族や、知人や、親戚の人たちが面倒を見てくれて、暮らしに不自由はなかった。
 
 九死に一生を得た父は、暮らしを取り戻すことが出来た。
「この人を死なせたくない。母子家庭にはしたくない」
 皆の思いは強烈だった。
 幼い私にも、生死の問題では「現状維持」を可能にするということは、ものすごくエネルギーがいることが理解できた。経済的な裏づけもさることながら、大勢の人の思いが一致し行動をともなって、その方向に働かなければ実現しない。

 ここまでの話を善いが悪いかという価値基準で書いているつもりはない。そういう出来事が、昭和30年代初めの我が家に起こって、子供だった私だが自分なりに考えるところがあった。
―ビジネスでは「破産をしない」というオプションはない。「現状維持」を選択することは資本主義市場経済においてはほとんど自動的に「没落」を意味する。しかし……内田氏の言説。

 数年後には、人様に迷惑をかけないでなんとか暮らしていけるところまでもちなおした。ひとえに親戚や知人が差し伸べてくれる援助あってのことだった。
 当時は、迷惑をかけてもそれを当たり前として受け入れてくれる人々がまわりにいた。
 その後の両親は、親戚はもちろん知人や友人や他人に対しても、出来ることは惜しまずにやっていたように思う。いまだに我が家を実家のように慕ってくる方々がおられるのだから。

 そのことを通して、何十もの入れ子構造リスクを回避するには、「現状維持」という感覚がなければならないということが、幼心にも染み付いていったのだと、『下流志向』を読むことで気づかされた。
 実は、「現状維持」ということは凄く大変なことなのだ。
 丁か半かという基準でものを見ない。丁か半かで行動をとらない。二者択一ではない日常的感覚は、簡単にはキレない我慢強さとある種の成熟から生み出されることを教えられたような気がしている。
 勝ち組・負け組みと言い放ってしまえば簡単だ。
 勝ちもしないが負けもしない。ギブ・アンド・テイクの関係でもない。
 言ってみれば人生に見返りを想定しない生き方のなかで、豊かさを実感することは可能だ。運良くたまたま生かされた命という時間はかけがいがない。
 実は、人は誰でも「運良くたまたま生かされている」のだけれど、それに気づかないだけだ。
 その上で、紆余曲折を乗り越えて、破産や破綻はきたさないという生き方を可能にするには、それだけが条件ではないけれど、まずは慎重に腹をくくっていないと出来ないことに違いない。

 ……もしかして……国だってそれが出来なかったから、戦争へと突き進んでしまったのではないだろうか。そんな思いが脳裏をよぎる……。
 キーボードの脇には、二冊の本が置いてある。
 今日、読み終わった本は、なかにし礼著『戦場のニーナ』講談社。
 次なる本は、保阪正康著『昭和史の教訓―昭和10年代を蘇らせるな』朝日新書。
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内田樹著『下流志向』 リスクヘッジ

2007年02月13日 19時05分12秒 | Weblog
 片付けと確定申告準備で、しばらくの間、本を読む気が起こらなかった。
 ようやく目処がたって、読み始めた。
 
 手始めは、撫明亭のご主人が推薦していらした『下流志向―学ばない子どもたち 働かない若者たち』内田樹(たつる)著 講談社を一気に読んだ。
 ご自身で書かれたというより、テープおこししたものに手を入れられたので、読みやすかった。
「そうはおっしゃるけど」などと異議申し立てしてしまうようなところもあったが、全体として平易なことばで、本質をえぐっておられる好著だ。

 たとえば「リスクヘッジを忘れた日本人」、-リスクヘッジは面倒な仕事です。丁半の両方に張るわけですから、目に見える仕方では利益は上がりません。最良の成果が「まだ破産していない」ということなんですから…中略…ビジネスでは「現状維持」というオプションはありません。成長するか、没落するか、二つに一つです。「現状維持」を選択するということは、資本主義市場経済においては、ほとんど自動的に「没落」を意味しますー
 
 しかし、その後に「三方一両損という調停術」の話が続く。生死にかかわるリスクの場合、とにかく生き延びたという「現状を維持する」技術を知らなければならないという。「丁か半か」の二者択一勝負ではない知恵、つまりリスクヘッジを可能にすることを現代日本では、学校でも家庭でもメディアでも教えないとおっしゃる。
 ここを読んで振り返ってみると、我が家で教えられたことを思い出す。
 折に触れて「現状維持」というリスクヘッジを教えられてきたような気がしているのだ。

 このことは10代のころ、ものがわかり始めていながら、まだまだ子供だった私自身が、否定した我が家の「前近代性」のなかにあったことに他ならなかったように思える。
 今、この年になってこの本を読むと、野口三千三先生に再認識を促された我が家の「前近代性」が、必ずしも全面否定すべきものではなく、肯定的な目をひとたび向けてみると、その内側に「知恵」を秘めていたことに気づかされ、そのことと共通する価値観が語られている。そこにこの本への共感を覚えるのかもしれない。

 印象に残った内田氏のことばをここに記しておきたい。
―ほんとうの「多文化共生」というのは、一人の中に、複数の価値観や複数の言語や美意識が混在していて、それがゆるやかに統合されている状態を達成することを通じてしか実現できないと僕は思っているんです。そんなこと実現できる社会なんて、どこにもないですけど」
 
 野口先生もこの考えに近い価値観をお持ちだったと思う。
 だから野口体操に魅かれた若き日の私がいた、ということを改めて思い出させてもらった本だと言い添えて、今日のブログを書き終えたい。
 ご一読をおすすめ!
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「蚊帳」と「江戸のタンチョウ物語」

2007年02月12日 09時53分49秒 | Weblog
 小学校2年生のときに、父が交通事故で大怪我をした。肋骨が3本折れて、肺にささった。もう少しずれていると、肝臓に刺さって助からなかったといわれた。大手術だったが命拾いをした。その病院は辻堂だった。
 それから1年もたたないうちに、父は胃潰瘍の手術をした。現在、国際医療センターで、当時は国立第一病院だったと記憶している。(この第一か第二かは、ちょっとあいまい)。前身は陸軍病院で、新宿の戸山にあった。つまりそこが現在の国際医療センターになった。

 私が3年生になったとき、住んでいた新宿の家を手放すことになった。しばらく母方の実家の離れに親子三人で身を寄せた。やせ細った父は、病後のからだをやっと引きずって生きていたような思い出がある。その家は、もともと戦前に祖父が別荘とした家だったらしい。戦時中にそこに家族の一部が疎開していたところだった。そばに多摩川があった。

 当時、夏の夜は新宿でも多摩川でも蚊帳を吊っていた。その蚊帳をいつまで使っていたのだろうか。小学校3年生時点で、記憶はプッツリ途切れてしまっている。

 話は変わるが、先日、『月刊・原子力文化』(日本原子力振興財団)2月号を読んでいた。
 石川英輔「江戸のホモ・サピエンス 第五回」-江戸の鳥たち(一)。
 実は、その記事を読みつつ、蚊帳を使うことがなくなった東京の暮らしに慣れてしまった恐ろしさを痛感したのだった。
 
 その記事によると、江戸時代にタンチョウはどこにでもいたそうだ。もちろん江戸の町中でさえ見かけたのだという。
 要約してみよう。
 日本橋から五里(約20キロメートル)以内、そして郊外も禁猟区になっていた。当時の日本ではタンチョウに限らず狩猟一般を禁止・制限する藩が多かった。 徳川将軍の鷹狩は朝廷に献上するためにタンチョウを捕獲した公式行事だったそうだ。記録によると年平均の捕獲数はわずか1・02羽に過ぎなかった。タンチョウの生態にはまったく影響がない数字である。
 タンチョウが絶滅しそうになった原因は、狩猟が解禁になった明治維新にあると筆者は指摘する。
 
 将軍の「鷹場」は現在の東京23区内。東は稲毛、葛西、小松川、深川。北は岩淵、千住、島根(現・足立区)、王子。西は高田、中野。南は品川、麻布、牛込あたりに及ぶらしい。
 この地名を読んだとき、思い当たるふしがあった。新宿で生まれ育った母は遠足で井の頭公園に出かけたという。私も、幼いころの記憶では、中央線に乗って新宿を、西に向かって出ることはめったになかった。中野から先は田舎という感じを持っていた。電車に乗るといえば、中央線は東京駅に向かい、山手線は内側がほとんどだった。都心に出かけるという言葉が新宿でも使われていた。当時の都心は、日比谷や丸の内、銀座のことを指していた。

 江戸のタンチョウに話を戻そう。
 早稲田鶴巻町では、小石川で放し飼いにしていたタンチョウが住み着いてしまったので、番人をおいて世話をさせたのだという記録まで残っている。
 つまり江戸の町中でもその周辺でもタンチョウはどこにでもいる鳥だったというわけだ。
 
 むしろ将軍家の「鷹場」は、環境保全地域として機能していたらしい。大型のタンチョウが生きられるだけの食べ物が十分にあったことがそのことを証明している。
 朝廷に献上するタンチョウが確保できないと政治的に困るという理由から、幕府は農民に対して鷹場全体の徹底的な環境保全を命じていた。
 当時の人々は環境を守るために「なにもしない」という発想を知っていたのだそうだ。
 多様性のある自然界を維持することは、現代にあって非常に難しくなっている。

 著者は書く。
「ホモ・サピエンス以外の動物を出来るだけ排除して成り立っている東京と、タンチョウのような大型鳥類までが雑居している江戸は、同じ場所に同じ日本人が住んでいるといってもあまりにも異質すぎて、別の世界としか考えようがない」

 今ではヨドバシカメラに象徴されるような店が立ち並ぶ、かつて私が生まれ育った新宿の夜は、遅くなってからも昼間のように煌々と明るい。南口を初台方向に向かって甲州街道を一つ内側に入った場所にあった我が家の庭には、鳥小屋も砂場もあった。枇杷の木・無花果の木も数本、イチゴや青菜までも栽培していた。
 もちろん蚊帳は必需品であった。
 1958年(昭和33年)だ。約半世紀といえば、相当に長い時間かもしれないが、江戸から比べれば、人類の誕生と比べれば、短いとしか言いようがない。
 しかし、とりわけ戦後の変化はテンポが早すぎる。人間のからだ(野生)を置いてきぼりにしているのだと思えてならない。
 
 我が家の「蚊帳」はメモリアルとしてとっておきたい心模様を、この記事に重ねている自分を感じている。
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魔法の逆立ち包助法

2007年02月11日 19時13分31秒 | Weblog
 火曜日の朝日カルチャークラスに参加されておられる女性が、「魔法の逆立ち包助」をされたのは、先々週のことだった。
 びっくりしたのは私だけではなかった。
 そこで次の週になって、私も彼女に逆立ちをさせてもらった。
 とにかく逆立ちしていくという感じがないままに、逆さまになっているのだ。
 彼女は野口先生の教室にもいらしたことがある。

 私自身は、そうしたやり方を、野口三千三先生のもとでは一度として経験したことがなかった。
 そこで彼女に教えられたように、昨日、土曜日の朝日カルチャークラスで試したみた。

 最初は手探り状態だったが、男性3人がその方法の呼吸をのみこまれた。
 そして男性・女性ともに、数名の方に試みた。
 立たせてしまった!
 逆立ってしまった!

 逆立ちした方は、皆「狐につままれたようだ」という表情をされている。
 私も、最初に試してもらった時には、同様の経験をした。
 野口先生から教えられた逆立ちとは、やり方が少々異なる。
 しかし、基本的な理論は一致しているところもある。

 一言で言うと「壁から手が出て、立たせてもらった」って感じかな?
 いや、違う。
 なんと表現していいのかわからないのが、今のところだ。

 とりあえず「魔法の逆立ち包助」と名付けてみた。
 しばらくこの方法を比較検討してみたいと思っている。
 大事なことなので、あえてやり方は記さないでおきたい。
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片付けの先に夢見ることは?

2007年02月10日 20時07分33秒 | Weblog
 年単位で悩み、迷い、とうとう残した蔵は、今年で82歳になる。
 三間に二間半、蔵としては一般的な大きさだ。畳にすると14畳くらだろうか。
 半地下プラス二階建てだが、天井は高い。外から見ると10メーターくらい屋根の高さがある。

 昨年は本を中心に片付けた。これからは3メーターくらいのところにある棚とその上の梁にあるガラクタを整理する。でも来年になるかもしれない。
 ということで、少しずつ片付けているので、これから何年かかるのか見当がつかない。

 50年近くものを捨てていない。ろくなものはないというと叱られそうだが、使えなくなった寝具類や穴の開いたお釜や今では不必要な蚊帳といった日常のものが大半だ。驚くことには、古い建具があった。予備のガラスなども仕舞われている。どれも使わないことは明白なものばかりだ。びっくりしたのは、黒いダイヤル式の電話機まで取ってある。でも、それらが捨てられないのだ。
 あぁ~あ!
 ため息が出る。

 蔵を小スタジオとしてあるいはミニ個展など開く会場として使えることを想定して、蔵前の空間を少し広く取ってみた。しかし、そのときは何時やってくるのだろう。
 江戸独楽作家の福島保さんが、最初の個展を開きたいと申し出を受けて、すでに数年が過ぎてしまっている。

 野口三千三先生に因んで「貞虎庵」と立派な名前をつけてみた。
 先生が寅年であること。「貞」は「鼎」で、野口体操の象徴であること。母の名前が「貞子」。この三つの理由で命名したのだが。

 そうだ、野口体操・羽鳥門下の方々の研究発表会から、「貞虎庵」披露をはじめるのもいいかも知れない。
 ちょっと狭いかしらねぇ~。
 夢のまた夢。
 
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昔の料理を復活させようと……

2007年02月09日 19時15分32秒 | Weblog
 最近、食事事情を振り返ってみた。
 なんだか同じものばかりを食していると反省気味。
 若いころ作っていたものは、ほとんどしなくなった。
 当時は、メタボリック・シンドロームなどという言葉は一切聞かれず、カロリーの高いものを料理していたように思う。

 このごろは和食中心に切り替わってしまったが、それがいつごろだったのかよく覚えていない。
 先日、「粗食のすすめ」という料理本を見せてもらった。何のことはない。我が家が日常的に食べているものがほとんどだった。
「うちの食事は、粗食なの?!」

 実は、今年の片づけの中心は、衣類と食器だった。
 雑然としまわれていたものを分類し、捨てるものは捨て、出来た空間に取り出しやすいように並べ替えた。
 
 8日間、黙々と続けて、とりあえず今日で一段落をつけた。
 捨てましたね。ごみの収集日には、不燃ごみ・可燃ごみ・資源ごみ、すべてを通して、捨てさせてもらった。近所の人に見られるのも憚れるくらいだった。

 その結果、どこに何があるのかが、はっきりするようになった。
「そうだ、忘れないように、昔作っていた料理をしよう」

 誰かを呼んで、一緒に食事をすることにしたい、と思い立った。
 シチュー皿も出てきたことだし、ビーフシチューでも料理してみようか。
 そうそう、野口先生は我が家ではじめてビーフシチューを口にされた。
 すっかり味を覚えられて、それから時々、ご自宅にお持ちした記憶がよみがえった。

「食後のコーヒーがおいしいね」
 先生は、食後のコーヒー用の小さなカップをお土産に持参されたことがあった。
 そのデミタス・カップ(っていいましたっけ?)も、今回の片づけで救い出した。
 26・7年前の懐かしい思い出である。
 実は、野口先生はレッスンが終わったあと、ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーがお好きだった。ご自宅では日本茶一辺倒だったが、なぜかレッスンの後はコーヒー党だった。
 
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およそ40年前の写真から思うこと

2007年02月08日 19時33分51秒 | Weblog
 昨日の片づけで見つけた写真のなかに、父が40年ほど前の盆栽を写したものがあった。
 
 欅・松・もみじ等々、どれもみな幹も細く弱弱しい感じの姿だ。
 4年前に父が亡くなってから、ほとんど枝をおろすこともなく伸ばし放題なのだが、幹も太くなり根もしっかり張って、歳月が植物を育てる力を感じた。

 子供がすくすくと成長する様子はもちろんのこと、大人になって老化がありありと写しだされるとしても、写真の記録性は他のものに換え難い。

 片付け作業の途中で写真を眺めながら、せっかくここまで育って植物を枯らしたくないという思いが募った。
 たとえ姿かたちが崩れたとしても、春になれば新芽が顔をのぞかせ、初夏から夏にかけて緑を濃くし、秋には紅葉するものや葉の色が薄くなるもの、冬には身を縮ませながら寒さを避ける姿がみられると、植え替えをしなければと思う。

 今年は暖冬で植え替え時期に近いほど芽を成長させている木がある。
 松などは最後の植え替えから5・6年は過ぎているので、今年こそやらなければなるまいと、水遣りをしながら様子を見ている。

 そこで盆栽の育て方を記した本を見ながら、父が残したメモや植え替え記録などを参考に、作業の段取りや手順や方法をイメージした。つくづく思った。克明に記されたメモというのは、本よりも頭に入ってくる。キレイに整理されているだけに、一目で様子が入力されていく。

 そして春に父が植え替えをしている様を思い出し、メモの内容を具体化するのだ。最後は鉢から植物を引き抜くと、土の様子や砂の混ぜ方や小石の敷き方などが見えてくる。根の張り方でどのくらいその木が元気なのか、あるいは弱っているのかを見極める。
 あとはエイヤッと思い切りよく、やってしまうこと。

 本があり、メモがあり、そのものがあって、やっている様子を見ているということ、どれが欠けても難しいのだろう。盆栽学校に通えばいいと思うが、行く気がしないのは、そこまで時間をかけることが今は難しいと感じているからだ。
 せいぜい出来る範囲でやってみようと思っている。
 植物が枯れてしまったら、「ごめんなさい!」の一言。

 ただここで思うことは、クラシック音楽が「楽譜」を生み出したことの意味だ。
 こうした記録が残っているということは、次世代につなげるときに大きな力となっている。すべてが書き込めるわけはない。しかし、記録がもたらす力は大きい。

 野口体操に振り返れば、本があり、ビデオがあり、写真があり、今ではブログ上で公開し、教室があるということ。どれが欠けても立ち行かない。

 昔の盆栽の写真を見ながら、今、まだ生きている植物の姿を実際に見て、植え替え作業をし、水遣りを繰り返えす行動から、野口体操の現在のあり方はなかなかにいい線をいっているのだと思えた。

 何事にも共通する「道の伝え方」があることに今さらながら気づかされた。
 片付けは、時に、本気でするものだなぁ~、と。
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片付けの季節

2007年02月07日 19時03分28秒 | Weblog
 二月は片付けの季節である。
 寒い冬はどんなに動いても汗が出ない。汗が出ない分、疲れ方が違う。
 それで、ここ数年は、片付けは2月に行うことにしている。

 今年も2日からはじめた。
 だいたい一日の仕事量は、1時間以内で切り上げている。
 しかし、今日はオフの日ということもあって、午前中から夕方までやり続けてしまった。

 やり始めたら途中で止められる状態ではなくなってしまったから。
 明日は不燃ごみの日なので、それに向けて出来る限り捨てることにした。
 出るわ出るわ!

 30年ぶりの棚を一気に片付けた。
 こういう仕事は一人に限る。
 他の人がかかわると、説明するのが面倒だし、捨てられるものも捨てられなくなる。いいことばかりはない。とにかく細かいものを整理したので、時間ばかりがかかってしまった。

 しかし、収穫もある。
 両親の結婚前や新婚当初、私が幼ったころの写真がたくさん出てきた。
 他にも何が撮れているのかはわからないネガが多数。
 そこで、とりあえず一箱にまとめて、後日整理することにした。
 写真からは時代が見えてくる。するとどれも捨てられないのだ。
 昔のアルバムは皮製で、そのうえ彫り物がしてある。写真はどれも小ぶりだが、懐かしい人の若き日が息づいている。

 そして、なにより片付けというのは、こころの整理でもある。
 ものを捨てることで、自分のなかでくすぶっていたことも一緒に捨てられる。
 捨てることは新しい空気が、全身にめぐってくれることに通じる。
 
 というわけで寒い時期は(といっても今年は暖冬で楽だけれど)、私にとって片付けにもってこいの季節なのだ。

 片付けもほんの序の口というところだ。
 
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』 裏話ー5-見取稽古

2007年02月06日 19時35分18秒 | Weblog
 ある方からメールをいただいた。
 動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」に、コメントが入ってこないのは、ある意味で成功なのではなか、というご意見だった。
 メールの文面はかなり長いものだった。
 で、ブログを改めて見直されて感じられたことは「見取り稽古」だとおっしゃる。
 ひたすら感覚をひらいて、そこに映し出される動きを見てしまうというわけだ。
 この場を借りて、メールを下さった方にお礼を一言。

 そこでおもうこと。それは動画であることの意味だ。
 どんなに映像が荒れていても、どんなに映像が小さくても、その映像がある角度から撮影されたものであっても、そこには、野口体操がもつ本質的な「何か」つまり、言葉にはし辛い「ある感じ」が、しっかりと伝わっている、ということだ。

 完全に「これでいい」といえる表現は一つもない。
 そこで、ある行動やある表現を神経質にならずに細やかな感性を大切にいつつ、検証を繰り返すことが、次の行動を可能にする新たな感覚がひらかれることを担保してくれるのかもしれない。
 今回もやってみなければわからないことがたくさんあった。
 それらは全て次にいかすことが可能だ。

 とにかく動画をご覧になりながら、「フムフム、こうした動きなのか」と楽しんでいただければいいとおもっている。

 ところで今日聞いた話だが、狭山ではようやく「光」になったとか。
 そうした事情から、今までもそして今でも、携帯で動画をみることが多いそうだ。
「とっても小さいんですよ」
 ちょっと残念そうだった。

 いろいろ話を聞いてみると、さまざまな条件で、この動画は見られているようだ。
 今のところ、「本+ブログ上動画」という新しい試みは、概ね好意的に受け入れられている。
 非常に特化したブログ版という感じなのかな。
 
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』 裏話ー4- 腕立てバウンド

2007年02月05日 12時15分55秒 | Weblog
 今朝は、動画ブログのアップと準備をしていた。
 土曜日クラスに通っていらっしゃる男性の「腕立てバウンド・ヴァリエーション」を、シリーズとしてアップしたくなった。
 携帯動画には、しっかり彼の動きが撮りだめられている。
 それをブログに送って、編集をしたのだ。

 今日は、「腕立てバウンド片手前進」の動きだった。
 実はこの動きを撮るのに、難しいことがあった。それはバウンドした瞬間につま先が床から浮き上がるのだが、角度によって写らなかった。手前の足は写るが、後ろ側の足が写りにくい。画素が荒いことで、床とつま先の境が、明確にならなかった。
  
 しかし、何度か取り直しを行って、目にも鮮やかに「浮き上がり」っているのが写っている。

 明日から続けてこのシリーズをアップしようと準備が完了した。
 予告をしておきたい。

 6日:「腕立てバウンド・両手前進」
 7日:「鰐腕立て」
 8日:「鰐腕立てバウンド」
 9日:「床から一気に吹き上げバウンド」

 さらにおまけ二日分をスタンバイした。
 こうして外側に動きを取り出して見ると、実際には見えない微妙なところがクローズアップされる。
 現場で観る・写真で観る・動画で観る・動画を一時停止して観る。
 さまざまな方法を駆使して「みる(観・見・診・看・視)」ことの意味を実感する。動画ブログを開設したことは、発信する側にとって非常に有意義なことだと思っている。

 モデルになってくださった方は、どのような印象をおもちなのだろう。
 今度、お目にかかかったら伺ってみようっと!

 追伸:昨日のブログにいただいたコメントで元気になりました。
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』 裏話ー3- 迷い

2007年02月04日 19時01分31秒 | Weblog
 ブログ「野口体操身体感覚をひらく」を開設するのにあたって、危惧していたことがあった。
 それはコメントがたくさん入ってきて、その返事にエネルギーを相当費やすことになるのではないか、ということだった。
 ところが実際に本が店頭に並び、順調に伸びているという報告を受けても、コメントはまったくナシという状況が続いている。
 
 なぜだろうかと、何人かの人に聞いてみた。
「スゴイと思ってみるんですけど、そのあとコメント入れようという気にはならないですね。言葉だと言葉で返します。でも、映像を見るとなんだか納得してしまって」

 一つには若い人は携帯で見ることになるだろうから、なかなか見られないのではないかと言う。
 ある人が言った。
「今のところ見ている人は、時間的にも経済的もある程度ゆとりがある大人じゃないのかな」
 なるほど、そうかもしれない。

 昨日、土曜日のクラスが終わってから立ち話。
 なんでも杉並区内の青梅街道沿いにある書店では、ジュニア新書が平積みになっていて、『身体感覚をひらく』だけが、ものすごく減っていたそうだ。
「一番上の本は、皆さんが開くらしくて、めくれているんですよ」
 その方の嬉しそうな表情に、元気をいただいた。
 本が出る前と出たあとは、心身ともに疲労感がある。その上、今回は動画サイト用の撮影に毎日のアップといういままでにない作業があって、なんとなくエネルギー切れを感じていた。
 こうやって応援してくださっている方がおられることを知っただけでも、勇気づけられる。

 話を戻そう。
 動画を見ただけで、それで納得するのだとしたら、ブログを閉じようかとも考えている。でも、本の「あとがき」に、アドレスを入れてあるし、閉じるからにはそれなりの理由を書いて、今までのものを消すしかあるまい。

 ここが思案橋の袂というところだろうか。
 でも、本を読み動画を見て、福島から飛んでいらっしゃった方もあるわけで、今の時点で早急に結論を出さない方が賢明かとも思う。

 でも、野口体操の本質を考えると、視覚の世界だけで納得させてしまうとしたら、それは違う。

 でも、世の中に一度としてみたこともない「質」の動きは、動画で補完することはすごく意味があると思う。
 
 などとぐるぐるとぐろを巻いている。
 今日のところは、こんな風に思っている。

「迷ううちは閉鎖はしない」
 
 で、よろしいでしょうか?
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』 裏話ー2-

2007年02月03日 11時58分29秒 | Weblog
 ジュニア新書にリンクしている「野口体操・身体感覚をひらく」は、動画サイト専門のブログである。順調にアップしていて、これまでに相当な数の動画を載せた。
 このブログには、動画に添えて本のページ数をあげ、特別な注意がある場合以外、ほとんど文章は入れていない。
 
 で、この動画撮影のことだが、土曜日のレッスンが終わった後に、朝日カルチャーセンターのご好意で、そのまま教室で撮影させていただいている。

 時間は25分くらいの間に、少しずつ撮りだめている。
 三脚を据え、そこに携帯電話を固定して撮影を行う。
 壁をバックにその場に立つと、ほとんどの方が緊張されるという。
「いつもの自分の動きではないんですよね」
 どなたもおっしゃる。

 ところが2度・3度と、日をあけて繰り返すうちに次第に慣れてくる。
 ここでも体験すること、経験を重ねることの大切さを身をもって知ることになる。
 条件がある。15秒を目やすに動くこと。
 この時間設定があるがために、動きの質が変わってしまう。
 しかしそれも回を重ねると、体内時計が設定されるようだ。

 これから先に載せる動きの中には、一人ではなく何人かで同じ動きをするものがある。この時などは、カメラの後ろ側に立って、同じ動きをしながら誘導する人がいる。その動きを見ながら動くというわけだ。

 「上体のぶら下げ対話」や「腕立てバウンド」等々、同じ理由ではないが、何度撮ってみても納得がいかなくて、撮りなおしを行っている動きがある。

「こうしたリハーサルをやっておけば、DVDなどを制作するときには、ずいぶんと楽ですよね」
 そう言ったとたん
「それはそれで問題がおこりますよ。きっと…」
 誰かがすかさず言葉を発した。
 そこにいた人全員が「そうだ!」とばかりにうなづいたことがあった。

 「野口体操・身体感覚をひらくー動画見る野口体操」も皆さんのお蔭で成り立っている。ここでも佐治嘉隆さんの協力がなければはじまらない。
 
 この場を借りてお礼をいいます。
「ありがとうございます」

 もうしばらく続きますので、よろしく!
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岩波ジュニア新書『身体感覚をひらく』 裏話ー1-

2007年02月02日 10時23分11秒 | Weblog
 おかげさまで新刊本『身体感覚をひらく』は、好調なスタートをきったらしい。
 関西大学の知人の先生は「参考書としてシラバスにのせてもいいでしょうか」と問い合わせをいただいた。
 
 ジュニアというと中学生・高校生を連想されるらしい。私もお話をいただいたときにそう思った。しかし、中学生も入るがむしろ高校生から、大学のむかしの教養課程くらいの学生までを視野に入れているとか。
 
 ジュニア新書は、新しい分野を勉強しようと思うとき、よく読ませてもらっていた。野口先生も愛読者だった。つまり、大人にとってもいい新書なのだ。

 さて、これまでいただいた本への感想は、野口体操の新しい風を感じるというものが多かった。学生リポートのイラストや文体、実質3ヶ月間の授業を履修した学生の写真等々から、今までにはなかった野口体操の受け手の若返りが印象付けられたのだろう。野口先生の時代は、学生といえば東京藝大生だった。もちろん若い。しかし、藝大という特殊な芸術専攻大学ではなく、六大学の学生だというところが、意外性を含みつつも親しみを感じていただけたようだ。

 企んだわけではない。
 いつものことだが、いただいた話の趣旨を中心に、そのとき自分が書きたいこと・伝えたいことを、書きたいように書かせていただいてきた。今回はそれに加えて写真やイラストや動画に関しても、浮かんだイメージに素直にしたがった。

 実は、一昨年からDVDを作る話をいくつかいただいた。ムック本もあればドキュメンタリー風もあった。いいお話ではあったのだが、正直言って私のなかで躊躇う気持ちが先行していた。
「どれもありがたいお申し出だけれど……」
 
 そうこうするうちに、「ブログ」などというものにはまっていった。はじめたのは一昨年の8月8日だった。因みに五木寛之さんのブログ開設を同じ日だった。
 で、昨年の春に、はじめて携帯電話を手にした。これはミネラルフェアで必要になるかもしれないと考えてのことだった。
 しかし、それも終わったあとは、ほとんど電源は切ったままで使用することが少なかった。
 
 机の脇で静かに出番を待っていても、それほど大きなものではないから、邪魔にはならない。しかし、もったいない。
 ある日、携帯電話が誘ってきた。
「写真を撮ってみてよ」
 ウゥッ、ナニナニ?
 行動は早い。すぐに携帯とパソコンのブログ画面を開いた。
 あっちこっちを指定された通りに入力してみると、何のことはない。あっという間にブログ「羽鳥操の日々あれこれ」に、送ることに成功した。至極簡単なことだった。
 それからしばらくして「動画もあるのよ!」と携帯電話がささやいた。
 これも至極簡単なことだった。
 こんなときって嬉しいもの。急に元気が出る。

 そこで、昨年10月から一ヶ月ほど、動画による野口体操をブログ上に載せた。
 これが好評だった。それほど喜ばれるとは想像だにしないではじめたことだったのに。
 新刊本のゲラ校正をしているうちに本の全体像がみえてきた。
「やるしかないでしょ。準備はできているのだから」
 意気揚々、嬉々として準備をはじめたのが12月になってから。

 ところが、思いもかけない種々の問題に遭遇することになってしまった。
 何事もやってみなければわからない。

 この続きは、また明日。
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クリスマスが終わっても……

2007年02月01日 08時40分06秒 | Weblog
 珍しく夜に外出。
 行った先は新宿・サザンテラスにあるイタリアンレストランだ。
 朝日カルチャーセンターがある住友ビルの一つ手前のビルにも、まだイルミネーションが輝いているし、ご近所のイルミネーションも日が暮れるとスイッチが入れられる。 
 ほとんどのところがバレンタインデーのころまでは、点灯させていた記憶はある。

 それなのに昨晩は驚いた。煌々と輝くイルミネーションの海って感じなのだから。写真に写っているビルは新宿駅のルミネ1。会社がひけた人は新宿駅に方面に向かう。サザンテラスにやって来た人は、ほとんどが連れ立っている。共通に携帯を手にもって通話したりメールしたりツーショット写真を撮ったりしているのだ。

 その中に紛れ込んで、会食がはじまる前、こうやって写真を撮る自分の姿を外側から眺めている私が立っていた。

 新知事は宮崎にお帰りになったというのに、「みやざき館」の前ではテレビ局のクルーが撮影をしている。
 ぞろぞろ人が向かう先になんとなくついていくと、行列がとぐろの様に店の前を占拠している。よく見ると警察官が二人、警備にあたっている。コーヒーシップで買い物をする人らしい。大きな袋を手にぶら下げて、次から次と客が店から出てくる。

 その向こうには、代々木方面の名物建物の塔にある時計の針が大きく見える。
 以前、東京女子医大に入院したとき、初めてこの建物に時計があることに気づいた。ものすごく小さく見えて、それが時計だと気づくまでに、何度も見直したことがある。

 その時計から目を左に向けると月が出ていた。朧月夜のような風情というと趣があるが、周りのイルミネーションに月も影が薄くなってしまっているのだ。
 いやはや都会の電気消費は、ものすごい。
 このあたり私にとっては故郷なのだが、ここまで明るくはなかった。当たり前だが、驚く。そして昭和20年代後半から30年代の風景の記憶をたどる。

 あれから半世紀が過ぎた。
 その新宿に佇んで、思わず携帯のシャッターを、何回も押してしまった。
 その中の一枚というわけ。
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