羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

昭和10年代

2007年02月15日 20時20分01秒 | Weblog
 250ページのうち、158ページまで読んで、このブログを書いている。
 ものすごくいい本だと思う。
 本の名は、『昭和史の教訓』。
 著者の名は、保阪正康。
 朝日新書である。
 
 帯には次のような文字が記されている。
「昭和史には無数の教訓が詰まっている。問題はそれを受け継ぐ覚悟があるかだ。昭和10年代を蘇らすな」
 もっと早くこのような本に出会っていたかった。
 この本で、日本の近代・現代史の基礎を学ぶことができるのだから。

 ひとこと。
 野口三千三先生の生きた時代を読むことによって、野口体操の基盤となっている「身体=自然」という発想が、歴史的にどのような経過をとったのかが、第二章によって教えられる。そして野口体操の革新性の根っこは、昭和10年代を蘇らせるなという著者の思いに通低していることに気づく。

 一方で、我が家だ。
 明治・大正・昭和を、東京という都市で暮らしてきた祖父母や父母が語っていた話に、バックボーンがしっかりと形作られた感がある。
 父方は、江戸期から15代続いた農家の家督相続人が、明治期に東京に出て根を下ろした。明治29年に戸籍を東京に移したのは、16代目の家督を継いた父方の祖父だった。このことを知ったのは、父が亡くなって戸籍謄本をとったときだった。その謄本に、曽祖父は「隠居」と記されていた。それを見たときには、タイムマシーンに乗ってしまった感があった。
 父は6歳のときに父親を失った。同時に6歳で家督を継いだ。昭和一桁だ。

 いずれにしても、野口三千三先生も、我が両親も、戦争抜きに理解することは出来ないとずっと思っていた。この本は、求めていた教科書だといえる。

「新宿駅が閉まってるって、大人が言っていたのよ」
 母は、昭和11年「2・26事件」が起きた翌日、11歳の誕生日を迎えた。
 その母の口癖は「戦争は絶対に嫌」なのである。
 
 そして野口三千三先生は、昭和11年には群馬県高崎中央尋常高等小学校に教師として着任しておられた。

 今日はこれまで。
 本の続きを読みます。
コメント
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