羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

あわや!

2007年02月23日 19時34分15秒 | Weblog
 今週、水曜日の夜、母が「足が痛くて歩けない」と言い出した。
 昼間、散歩に出かけた。その帰り道でのこと。家の近くで、前を歩いていた男の人の荷物にぶつかって転んだらしい。
 ほほに小さな赤いあざがあり唇もわずかだが切ったらしい。鼻の下も小さく切れている。しかし、自分で歩いて帰ってきたし、数時間も違和感がありながらも、片付け物などもいつも通りしていた。

「シンジラレナ~イ」とはこのことだ。
 
 その夜はトイレに起きる母を介助した。片足では立ち上がることは出来ない。右手を突いたらしく、親指の付け根が痛くて、重さを受けられないという。

 しかし、眠れない。
 明日の朝の様子を見て、医者に連れて行こうと考えた。そのほかにも考えることが次から次に浮かんでくる。
 母はそれほど痛くないうちに階段を上がって二階にいる。まず、どうやって下ろそうかと考えると、目の前が暗くなる。救急車を呼ぶほどではなさそうだし。
 その晩は、もの音がするたびに、声をかけた。

 さて、翌朝。
 なんとトイレに行くのに立ち上がって歩いている母を見た。よく見ると適当に重さを逃がしながら、悪い方の足に重さをかけずにゆっくり歩いている。
 戻ってきた母の足や手を見ることにする。
 内出血もしていないし、腫れも目だっていない。
 医者には行かず、そのまま、一日、おとなしく休んでいることにした。
 食事も一人ではなく、二階に運んで一緒に食べることにした。病人は孤独がいけない。一人にしない方が、回復力に格段の差がでることを、これまでの体験で知っていたから。
 
 その甲斐があってか、夜になってから、元気に起きだした。
「何日、寝てたかしら?」
 その言葉に一瞬ぎょっとなった。
「まだ、一日よ」
 母の実感では4・5日寝ていたようだという。
「よく寝たのね。今夜だって寝られるわよ」
 言葉どおりだった。

 今朝は、朝食だけは二階に運んでとることにした。
 その後は、階下に下りてそのまま一日を過ごしていたらしい。
 今も、二階に上がってくる足取りが、ゆっくりだが心配がいらない音がしている。 
「転び方がうまかったのよね。これで終わってたまるか、って感じ……」
 82歳の誕生日も間近い。なんとも気丈な言葉に、ほっとため息をついた。

 いつでも骨折・寝たきりになる可能性はあるわけで、日ごろから考えておかなければならないのだが、実際に考えたくない。
 
 今日は、夕方、仕事から帰ると、大きな声がした。
「おかえり」
「あわや!」
 この言葉がぴったりの出来事だった。
「神様、ありがとう」
コメント
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