もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

孝徳天皇陵 大阪磯長陵

2024年07月06日 | 御陵印

上ノ太子周辺に位置する天皇陵墓四基目は、第36代孝徳天皇陵です。

 

推古天皇陵脇にこの看板があったので、当初は来た道を戻りつつ孝徳天皇陵を目指す予定だったのですが、此の付近で初めてお眼にかかる立派な案内板に惹かれて、このルートをたどろうと決めました。
少し歩いた所で、立ち話中だった方に確認すると話が違っています。
案内板の意味は、この場所から1.4キロの間に4っつの遺跡が存在するわけではなく、この場所からそれぞれの遺跡間距離が示されているとのこと、危うく早とちりするところでした。

 

当初計画した道に戻り歩き始めました。
この緑色の表示とグレーチングの溝蓋、そしてなぜ立ててあるのかわからないカラーポール、全く歩行者にとって障害物でしかありません。
大阪府なのか太子町なのか分かりませんが、歩行者の立場で考え直してほしいものです。

 

更に歩を進めていると、個人宅の塀に埋め込まれた古い道路標識が見つかりました。
四国遍路をした時のことを思い出しました。
お四国ではこのような古い標識が、個人宅の敷地内に残されているのを何度も見ています。
きとくなお方に感謝!感謝!です。

 

やがて孝徳天皇陵や、難波と飛鳥を結ぶ竹内街道の案内など、標識が乱立する賑やかな場所に差し掛かります。

 

綺麗に石畳で整備された竹内街道、民家の先のこんもり茂った丘が孝徳天皇陵でしょう。

 

駐車場の脇から参道に繋がる石段が伸びています。

 

川原石を敷き詰めた参道に出ました。
雨が降ると滑りやすく大変な場所ですが、幸い曇りで足元の心配はなさそうです。

 

陵墓前が狭いためか、案内板は横向きに建てられています。
これまで参拝した天皇陵では、この配置は初めてでした。

 

孝徳天皇陵は直前まで茂みが迫っており、一般の参拝者は正面に廻ってお参りすることが出来ません。
直径30メートルの円墳とされており、天皇陵としては異例に小さいものです。

 

円墳内も一部見られますが、荒れた山林のイメージしか湧きませんでした。

 

今日の日程はすべて終わりました。
飛鳥時代の官道である竹内街道は見事に整備されています。
「近つ飛鳥」に残された天皇陵墓を巡る旅は無事に終わりました。
ほっと一息! ゆっくりと帰路につきました。

 

第36代孝徳天皇の御陵印です。
35代皇極天皇、37代斉明天皇と女性天皇の重祚に挟まれて即位した、孝徳天皇の実像はどのようなものだったのでしょうか? 俄然興味が湧いてきました。

コメント
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