もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

近衛天皇陵 安楽寿院南陵

2024年08月28日 | 御陵印

連日油照りのうだるような暑さが続き、年寄りは安全の為外出を控えていましたが、生来の出歩き癖が収まらず我慢の限界、炎天下の京へ旅立ちました。

 

昨今、広島のローカルニュースで度々取り上げられるのが、赤字路線である芸備線の一部区間廃止の問題です。
オイラの自宅は芸備線沿線なので、いつも旅立ちにはこの路線を利用しています。
1時間に2~3本の運行状況ですが、結構頼りにしています。

 

炎熱下の京都のこと、覚悟はしてきましたが京都駅に降りた途端、半端ではない熱気が体を包みます。
苦闘が予測される陵墓巡りを前に、夏の京名物鱧のてんぷらをトッピングした冷やしうどんで腹ごしらえです。

 

荷物をホテルに預けてから、近鉄京都線で東寺から竹田まで移動します。

 

竹田駅周辺は少し田圃や畑の残った、何の変哲もない平坦な住宅地です。
周囲を見渡しても天皇陵らしき茂みも、丘陵も見当たりません。
何時もなら事前に見当を付けた方角へ歩き出すのですが、猛暑に足が竦み体が動きません。
駅近くのお菓子屋さんで道を尋ねましたら、近衛天皇陵は直近にありました。

 

これまで訪ねた天皇陵墓でおなじみの制札版です。

 

前回訪ねた百舌鳥・古市でお馴染みの前方後円墳ではなく、平坦な場所に多宝塔が建てられており、この場所が第76代近衛天皇陵でした。
寺院形式の為か見慣れた目印の神明鳥居も見当たりません。
近衛天皇は火葬されたため、多宝塔の基部に棺が納められているようです。

 

鳥羽天皇を父とする異母兄の養子となり、3歳で即位し、病弱の為17歳で崩御したと伝えられています。
武士が台頭し始めた時代の動乱期に、生涯を翻弄された天皇と言えるのでしょう。
石の玉垣ではなく、透かし板塀で寺院建築そのものです。

 

お寺の境内の一画に、ひっそりと納まっている天皇陵墓でした。

 

第76代近衛天皇の御陵印です。

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