みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ウクライナ侵攻と人類学的思考

2022-04-08 11:19:24 | 学問
かっての大本営発表のように一色に塗りつぶされた如き情報の渦に巻き込まれて、悪酔いされられているような昨今、東京新聞紙上に、心に響く記事を見つけた。



以下、一部引用する。

軍事力で他国を征服し、支配する。それは、ロシアを非難する欧米諸国も、歴史的に何度も繰り返してきたことだ。「危機」の中で、常に普通の人々の命や生活が犠牲になっている。

西洋の人類学者が非西洋の人々を一方的に研究し、表象する。たとえ銃や大砲を使わなくても、その非対称な関係は暴力的なのではないか。1970年代以降、人類学は反省を迫られてきた。

「人類学とは、世界に入っていき、人々とともにする哲学である」。それは客観的な「知識」を増やすのではなく、「知恵」を手にするためのものだ。

知識に劣らず知恵が必要なのに、そのバランスは圧倒的に知識に偏っていて、知恵から遠ざかっている。人類学もずっと「知識生産」に関わってきた。調査したことを科学的な「データ」にする。それは「人々についての研究」だ。

他者を真剣に受け取ること。インゴルド(人類学者 1948~)はそれが人類学の第1の原則だと主張する。それは他者との違いが私たちを「ぐらつかせ、不安にする」ことに向き合う姿勢でもある。

信じがたいことが起き続けている。そんな映像や情報は私たちを不安にする。そこで不安から逃れるために、分かり易い構図に現実を押し込めようとしていないか。私たち自身も問われている。


問われていることに気付くのは難しい。
人は易々と自分を騙す。その方が楽なときは。

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