爆音をもう一度

2006-07-21 09:10:09 | Weblog
形あるものは消えうせる

刹那的な夜もいつか明ける

全ては虚構だし、人生は一瞬の夢にすぎない


大事なものは失われ

小さな光さえとうに消えてしまった

不正がまかり通り

誰もが口を揃えて「金で買えないものはない」と言う

・・・そんな世界。



だけど、俺達が作り上げた幻想は

魔法・・・・いや、それ以上だった気がするよ。

純化された痛みのブルースと、

透明な祈りのようなロックンロール。

もたらしたまえ・・・・・・・・

爆音をもう一度!


2006年8月25日十三FANDANGOにて

ランブルフィッシュ復活。

まだあと一月あるな・・・・・・・・・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライダー・オン・ザ・ストーム

2006-07-20 14:24:48 | Weblog
こないだの「SHU`S BAR」はバイクで行ったのだが

例によって酔っ払っちまったから
帰りはベースの肥後のクルマで送ってもらった。

バイクはハードレインの前の歩道に置きっぱなし。

まあ、盗まれるタイプのバイクじゃないからいいんだけど、
ココロ痛むところはあったのだ。

いつも停めてるとこに俺のバイクがない、というのは
悲しい。喪失感、である(大げさか?)

だから今日、雨が降っていたのだが・・取りに行った。

たいした雨ではなかったのだがそれでも、雨の中をバイクで
走る、というのは・・なかなか趣深いことなのだ。

パセティック、というのが近い。
「憐れな」、といった意味(笑)。

でも楽しい。
スリップしやすいから、ちょっとしたブレーキ操作のミスで
ぶっ飛んでしまう、というのがよくわかるし。

ココロを閉ざさないと雨に付け込まれてしまうし。

どこにも寄らずに帰ってきた。
どこかに寄る元気などなかったが。

まだ半分、風邪引いたままだからさ・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで・・・・・・

2006-07-18 23:29:03 | Weblog
目には見えなくて

絵にも描けなくて

写真にも写らない

だけど確実に存在する

そんな「もの」や「こと」を

僕は言葉で書き留めて

「一瞬」を永遠にピンで留める

昆虫サイシュウみたいに。

まるで生きてるみたいな死んだ輝き!

まるで生きてるみたいな死んだ輝き!



・・・・昨日は正真正銘の土砂降り雨で、
びしょ濡れになって辿り着いたRYOTAROの部屋は
まるで冷凍冷蔵庫のような低温だった。
ガマンして寒くない振りをしていたら、
風邪を引いてしまった・・・・・。
             だから もう寝るよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このまま時が過ぎればと、ただそれだけを望むけど

2006-07-17 11:47:42 | Weblog
梅雨はたぶん、まだ明けてはいないのだろう
外では静かに雨が降っている。
何かの悪い冗談のような人生。
今は7月の半ばで、
俺は特にどう、ということもなく暮らしている。
今日みたいに心穏やかになれた日は
この雨のように
密やかに過ごしたい。
何処にも出掛けず、
誰にも会わず
電話にさえ出ず。

・・・・・・とか言っても無理なのよねあたし。

今日は久しぶりの「京都行き」なのである。
ピカレスク・・・・・
あのドタバタ酒盛り転覆撃沈トリオ(笑)の
メンバーなのだ、俺は。
馬っ鹿じゃなかろか。
大騒ぎしてバカ笑いして酔っ払って悪酔いして
二日酔いして自己嫌悪して自己嫌悪して自己嫌悪して
酒止める決心して・・・・。
でもまた大騒ぎしてバカ笑いして酔っ払って
(以下永遠にリピート)・・・・・・・。

タメ息・・・・・。
今日はアンニュイに雨を見ながら
倦怠と退廃の乙女を気取って
日記を書き始めたのだが
途中でピカレスクのこと思い出してしまった(笑)。
しかしイイ年こいてなにが乙女じゃ。
しかも俺オトコやし。
アホらし。
京都行く準備でもしよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年の「SHU`S BAR」

2006-07-16 12:42:42 | Weblog
・・・昨日は良かった。
 何と言うか、穏やかな、優しい気持ちになれたような
気がする。
昨日、あの場にいた人たちがみんな優しかったからだろうと
思う。
ひとりひとりに感謝したい。

悲しいことばかりではないのだ。
いろんなことを抱え込んで抱え込んで抱え込んで抱え込んで
・・・何とか生きて行くのだ。
    みんなそうなのだ。

そして雪崩のように、人生は続く。

これからしばらくは、次のPICARESQUEの事と、
ランブルフィッシュの事!

本当に・・・巨大な川を流れていく枯葉のような気分だ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極私的十年史・その前の10年

2006-07-14 11:15:37 | Weblog
ちょっと内省的になるために、
静かな気持ちになるために!
やってみよう、その前の10年史。

1986年。これは、転機の年だった。
まだデザイン専門学校にかよっていた俺は、夏休みを利用して
クルマの免許を取りに長野の清里へ、合宿免許というものに
「ランブルフィッシュ」のヴォーカル佐治と出掛けた。
そこで「横浜サーベルタイガー」の二人と出会う。
この長野の山奥での3週間が、俺達を変えたと思う。
大阪に帰ってきてすぐ、俺はアメリカ村の古着屋で
フルタイムのバイトを決めた。学校にはもう行かなかった。

1987年 はバンドとバイトに明け暮れた。
「ランブルフィッシュ」はこの頃から、大阪EGG PLANT等に出演し始めた。客はまだぜんぜんいなかった。日本橋のブルースバー、「FOUR ROSES」に通いだしたのもこの頃。俺は、髪の毛を伸ばし始めた。前歯を折ったのも・・・この頃だ。以後十年以上、俺は歯っ欠けをトレードマークにすることになるのだ。

1988年
6月、「ランブルフィッシュ」のオリジナルメンバーで、高校のときからの大事な友達であるベーシスト、岩佐とおる が交通事故でこの世を去る。俺達は・・この事からは、未だに立ち直っていない。そんな風にしか言えない。

11月、十三FANDANGOに「ランブルフィッシュ」初出演。

1989年
「ランブルフィッシュ」で自主制作レコード「青の時代」製作。
これは岩佐に捧げられている。
世間のバンド評価の波に乗り、「ランブルフィッシュ」のFANDANGOでのライヴは常に人で溢れるようになる。

1990年 ライヴ、ライヴ、ライヴ!
京都へ、東京へ、名古屋へ!、碇健太郎と出会ったのは、
この年の磔磔だったかな。
浅川マキと関学の学祭で、セッションライヴしたのも確かこの年だ。
他には・・・懐かしいキャプテンレコードの、オムニバスCD参に参加して、その発売ライヴを何箇所かでやった。そのとき「怒髪天」と友達になって、その後VO・増子のウチに泊めてもらったりした。
横浜の、7THアヴェニューで「ガンスリンガーズ」と対バンしたのもきっとこの年だ。楽屋でいきなり喧嘩になりそうだった・・・。「あの時お前がおらんかったら絶対殴りかかってた」と後年、村上くんが言っていた。その時、俺が何を言ったのか?・・・わりに俺らしくも微笑ましいので、俺に会ったとき直接聞いてね。

1991年
山口冨士夫、SOUTH SIDE SHUFFLEと共に、東・名・阪・ライヴツアー。その他・・とにかくライヴ!ライヴ!ライヴ!
現「プロペラ」のVO・ゆうたろうとD・ようへいが在籍していた「ホーボーズ・ジャングル」に出会ったのは確か、この年の秋、大阪のどこかの女子大の文化祭だ。奴等とは一瞬で友達になった。

宣伝さえほとんどしてないのに、FANDANGOはいつもいっぱいだった。・・俺は、これが永遠に続くと無邪気に思い込んでいた・・・・。

1992年
FANDANGOレーベルよりライヴアルバム発売。これは
30cm、LPサイズの特別仕様ジャケットのCDだった。
しかしこの年、2月に川崎クラブチッタで行われた
「ファンダンゴナイト」でのライヴを最後に、
「ランブルフィッシュ」解散。
俺は悩んだ末・・・自分で歌うことにして・・・・。
「風の歌」結成。7月にはFANDANGOで初ライヴ。
このときから俺は、自分の歌、というものに向き合っていくことになるのだ。

1993年・・この年も大転機。7月、
「風の歌」FANDANGOライヴの帰り道、
覚えてないのだが俺は、バイクでトラックに突っ込み、昏睡状態に。
生死の境をさまようも、なんとか帰還・・・・・。
しかし腰まで伸ばしていた長髪は、手術準備のため丸坊主に。
1ヶ月くらい療養しただけで社会復帰。
しかし俺の中では何かが大きな変化を遂げていた・・・・・
のだと思う。今になって、そう思う。
この年の秋ごろ、ミナミのバーで当時はまだ「車輪」をやっていた石原ボケロウと再会、意気投合し、二人で新バンドの構想を練る。12月、「風の歌」解散。俺と、ボケロウと、当時「風の歌」のベースだったキヨシ、と、「ランブルフィッシュ」から、「ニューエストモデル」に行ったマーボー、 の四人でスタジオ入り。
新バンド結成、名前はまだ無かった。
まだ「ゼロ」と呼んでいた。

1994年   新バンドのリハーサルに明け暮れる。
俺は新しいギターを買った・・・今もメインで使っている
G&L の、スカイホーク。レオ・フェンダーシグネイチャーモデルである。
バンド名「ばるぼら」に決定。
4月、FANDANGOで初ライヴ。ワンマンだったのに動員は200人を超えた。評判は、でも・・良くなかったな、始めは。
「ばるぼら」が、
アホアホ爆発!になっていくのはもうちょっと後からである。

1995年とにかくライヴに明け暮れる。川崎クラブチッタから、
ライヴアルバム製作のオファーが来る。・・結局断ったのだが、これがMIDIとCDを作るきっかけになる。
この年の暮れには、レコーディングの話が本格化する。

・・・・・・書き漏らしたこともたくさんあるが・・・・・・
こんなもんだろう。長いのに、読んでくれてありがとう。

自分のことを振り返ってみるのも、何と言うか・・・
必要なのかもしれない、時には。
しかしなんだか・・・・途方に暮れてしまうよ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界観

2006-07-12 22:47:33 | Weblog
今日の朝、目を覚ますと
まるで変わり映えのしない現実だった。
・・・ふうん。
まあ、そりゃそうだろうけどさ。
それにしても何とか・・・・
もうちょっとやりようがないもんかね?

   まあいい。

昨日もちょっと言った、
”不特定多数のまえで思ったこと(歌詞)を大声で叫ぶ”
というのは、よーするに
「世界観の表明」
ということであるのだな・・曲とかを含めてね。

俺の目から見ると、世界はこんなんなんですよ、という。

それでどないやねん、と言われると、
いや、別に・・・となるけど。

快感なのはきっとそこだ、と思ったんだよ。
歌詞を書く面白さのひとつは確実に
そんなところにあると思う。

こんな日記とかもそうなんだけど、
歌詞の方が好き勝手に、ダイレクトに、
嘘なんかも平気な顔で織り交ぜて、かっこつけたりとかして
もうホント野放しに、あーっはっは、
やりたい放題な感じで、表現できるのだ・・・・・・・
・・少なくとも俺は。

もうすぐ、しあさってかな?7月15日は、
梅田ハードレインにて、
「SHU`S BAR」開催。
MITT`s THE SLAPSTICK RECTANGLEが出演するよ。
俺の、そんな野放しの(笑)世界観を、
覗きに来てね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕は大声で嘘をつく

2006-07-12 00:00:47 | Weblog
昨夜も、MITT`s THE SLAPSTICK RECTANGLE
のスタジオだった。
バンドが少しづつ熟成していく。
それにしても、大声で、
不特定多数の人の前で、
思ったこと(歌詞)を大声で発声するのは楽しい。
快感、である。
それでふと思い出したのだが
ピーナッツ、というアメリカの漫画。
あの、スヌーピーで有名なやつね。
あれは哲学的だったり、徹底的にシニカルだったりして、
俺は中学生の時からファンなのだが、
ある一編。
ひとコマ目で、主人公のチャーリー・ブラウンが、
意地悪で気の強いルーシーにけちょんけちょんに言われてる。
ふたコマ目、悠然と去っていくルーシー。
さんコマめ、去っていくルーシーの背中に向けて、
チャーリーが叫ぶ、「君が僕を傷つけようとしたって
無駄だからね!僕は君に何を言われたって平気だよ!」
よんコマ目、ひとりぽつんと立つチャーリーが、
こちら(読者の方)を向いて呟く
「僕は大声で嘘をつく!」

ははは。
大声で嘘をつくのは楽しいなあ。
・・いや、嘘ばっかりじゃないんだけれども。
あれっ?・・・って言うか、今・・言ってることが
矛盾してるなあ、俺。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅田から高槻へ

2006-07-10 19:03:41 | Weblog
やっぱり行って良かった、
小山卓治ライヴ@梅田ハードレイン。
PAを使わない、アコースティック生音ライヴだったのだ。
「1st west72streey NY NY10023」のときにはナミダが出た。
ゲストで歌っていたのは鎌田ひろゆきで、この人は
割礼のベーシストでもあって俺は知り合いなのだ。
鎌田さんの歌もよかった。
終演後、鎌田さんが俺を、小山さんに紹介してくれた。
ganjaで会ったことを覚えてくれていた。

ハードレインで2~3杯飲んだ後、
「がらんどう」のヴォーカリスト、きりひと に会いに
高槻へ行った。
久しぶりに腰をすえてじっくり酒を飲んだ気がするな。
2~3件、高槻のバーを回って、きりひとの部屋でまだ飲んで
4時ごろ寝た。・・・・・よく飲んだぜしかし・・・!

そして今夜はMITT`S THE SLAPSTICK RECTANGLEの練習。
もうすぐ「SHU`S BAR」である。
MITT`sでライヴやりまくりたい気分だ。

写真は、昨日の夕方の空。あまりにも綺麗だったので。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小山卓治がハードレインでライヴ????

2006-07-08 23:31:50 | Weblog
小山卓治という人の歌をはじめて聞いたのは
俺がまだ高校生の時。彼のライヴが、NHK-FMで30分くらい流れたのだ。
小山卓治はその時、1stシングル「フィルム・ガール」で
デヴューしたばかりだったはず。
・・衝撃的にカッコ良かったのだ。
一発でファンになって、その後、3rdアルバムまで
とても熱心に聴いていた。影響も受けまくりである。
彼の歌は何と言うか・・やさぐれていて、都会的で、繊細で、
ワイルドで、かっこいい負け犬と言うか・・
ものすごい言葉のセンスと、
ストーリーテリングの巧みな歌詞。
見た目も痩せっぽちの精悍なノライヌのようで、声もすごく・・好きな声。もう、俺にとっては理想、というか
アコガレのR&Rシンガーなのだ。
3rdアルバムの後、聴いてないのは俺自身が
アーティストになる、という自覚のもと
聴く音楽を自ら制限したせいである。
(邦楽は聴いちゃいけない、と思ってた時期がある。)
小山卓治がその後もコンスタントに活動をつづけているのは
知っていた。
それで・・一昨年だったかな?俺のお気に入りのバー、
ganjaから突然電話があって、鉄人の言うことには
「みっちゃん、小山卓治のファンやったやろ。
今日、小山卓治、ganjaに来るで。」!!!!!
行ったね、俺は。そしたらホンマに本人来て。
ちょっとの間、同席させてもらったのだ。
それで、話の成り行きで彼らの帰り際、
俺の歌を聴いてもらうことになった。
ギターはといえばganjaの情けない(笑)ZO-3しかない、
カポタストもない、という状況で。
腹くくってやったのだ。「SISTER」を歌った。
たまに思い出して恥ずかしくなる時がある。
・・でもいいのだ。
昨日、珍しくテレビのコマーシャルを横目で見ていたら
すげーいいことを言っていた。
何のコマーシャルだか知らないが、
「人間は、”やらなかった後悔”のほうが深く残る」
(言い回しは違うかも。)と言うのだ!
確かにそうだ。一種、それは真理だ。
だからいいのだ。

明日、ハードレインで小山卓治のライヴがある。
仕事のスケジュール上無理だったのだが、
かなり無理して、なりふりかまわないぐらい頑張って、
明日行くことにした。
「大事なことは 大事にしたままで
大人になることはきっと出来るでしょう?」
という歌詞を書いたのは俺だ。
そんな風に、出来ないときもある。
出来るときは、やるのだ。

明日、ハードレイン。小山卓治を聴きに、行く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする