物欲が薄れてきた件

2021-07-23 17:03:41 | Weblog

物欲が衰退してきているような気がするのだ最近。

欲しいものがあまり、ない。

身を焦がすような物欲の炎が昔は確かに、あった。

例えばギター。

ギターならどんなものでも魅力的で、欲しかった。手に入れば何本でも所有したかった。

それとか、革ジャン。

あと、バイクもいろいろと、欲しくてたまらなかった。

でも、気付いてしまったのだある時。

ギターを何本も何本も所有していても、それらを弾いたり、弾きまくったり、眺めたり、

レコーディングで使ったり、それを持ってステージに立ったりできなければ意味がないのだ。

そんな何本も何本も、同時に愛せるわけがない。

コレクターみたいな人たちの存在を否定する気はないのだけれど、

少なくとも僕にとっては、そうなのだ。

革ジャンもバイクも同じ。手に余るほど持っても、意味はない。

バイクなんか特に、駐車場も要る。セコいこと言えば税金(自動車税)だって毎年払わなきゃだし、

でかいバイクなら特に、何処に行ったって停めるところに苦労する。

クルマよりバイクの駐車場って圧倒的に少ないのだ。駐禁はとられるのに。

僕が、もう二十数年も乗っている今のバイクは大き過ぎることもなく、小さくもなく、ちょうどいい。

スタイルもオールド風で、最高。

ギターも「これだ!」と確信的に出会ったものがある。

革ジャンにしても、そうだ。「身の丈に合ったもの」がある。

 

それでも時々はヤフオクなんか見て おおーこれいいよな、とか思う。

バイクも革ジャンも見るけど、やっぱ一番見るのはギターだ。

でも買おう、というところまではいかない。見てるだけで充分楽しい。

 

 

そういえば

何年か前に静岡の手前当たりの山裾の高速道路のコンビニ駐車場で

立派なカブトムシと遭遇したことがあった。

念のために言っておくが、フォルクス・ワーゲン・ビートルが停まっていたのではない、

本物の、有機物の、生き物の、昆虫の、カブトムシがいたのだ。ツノ付きの、オス。

すぐ手の届く目の前にいる。嬉しい。

捕まえて、箱か何かに入れて持って帰ろうかな、と一瞬だけ思ったのだが、やめた。

持って帰って、例えば手厚く環境を整えて飼ったって・・・・箱の中でいずれ、

死なせてしまうだけ。それはお互いに不幸なことだ。

それだったらここで、彼(カブトムシ)に、他の誰にも捕まらず

自然に帰ってもらってお互い別々の人生を歩むのが一番自然で幸福だよな・・・・

と思った瞬間 目の前で彼は羽を「バシッ」という感じで広げて、

一瞬の静止の後、勢いよく羽ばたいて高く高く飛んで、深い森の方へ消えていった。

すごくホッとした。

 

つまるところ、カブトムシもギターもそう変わらないのだ、僕にとっては。

魚も、蝶も同じかもしれない。バイクも、革ジャンも。

そのひと(人ではないが)にとって自然な環境で、自然に幸福に存在してくれれば

僕と関わらなくたって全然いいのだ。

僕が所有するなんて、はっきり言っておこがましい。

 

そもそも「所有」という概念とは何なのか?とも思う。

 

 

山も丘も空も、誰のものでもないはずなのだが

 

土地には全部、値段がついているし

 

都市上空には日本の場合、制空権すらない。

 

 

近い未来、地球上のどこかの国が「月」の所有権を主張し出しそうで怖い。

 

 

 

 

結論。

物欲など、薄れて薄れて、いずれはなくなっていけば、それでいいのだ。

 

 

 

 

 写真は、僕の所有・・・・ではない、一時的に管理している花壇の

今年の向日葵。

 

 

ちらほらと散文的に、小さいヤツから咲きつつある。

 

 

僕はただ、種をまいて水をあげただけなのだけれど。

コメント (2)
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