諦念、そしてダイナミズム。

2021-07-22 20:13:52 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

日々はまるで

囂々と流れる川を行く巨大な いかだ の上に乗っかっているかのように

僕には思える。

 

 

 

それは船でさえないのだ・・・・・ただ木を組んだだけの、 いかだ。

それでしかない。

 

 

 

 

すべての風景は後ろへ後ろへ、ただ流れてゆくばかりである。

 

 

 

 

そしてあらゆるものがその いかだ の上に乗っている。

 

 

 

 

 

 

それは例えば

赤いギター、青いギター、

古いバイク、

擦り切れかけた革ジャン、

10トンダンプ、4トントラック、シルバー色の軽自動車、

ぴかぴかなお墓、

傷のついたレコードたち、

鎖、鎖、鎖、鎖、鎖、

古びたトランジスタ・ラジオ、

帽子、

骨董品みたいな扇風機、

古い古い文庫本、

革がもう・・・しわしわになってしまった旅行鞄、

時計、時計、時計、時計、時計、時計、時計、時計、

出番のないアンプリファイア、

ショートブーツ、ウエスタンブーツ、ラバーソウル、

エフェクターの山、

同じようなアングルで撮られた写真たち、

着なくなった服、服、服、服、

etc  etc  etc

 

 

 

 

 

 

 

その いかだ も、いつかは沈むのだ。

別にそのことは構わないのだけれど

うーん、どんな風に動けばいいのか?なんて今更

考えちまうよね。

 

 

 

 

 

 

「夏」という巨大な季節も、その船みたいな いかだ の上に乗っかっているもののひとつだ。

 

 

 

 

 

 

 

僕は季節には・・・・・っていうかどんなものにも

抗えない気がしている、今は。

 

 

 

 

 

ただ流れていくだけで精一杯だ。

 

 

 

 

 

時々水面に顔出して息できれば

 

 

 

 

 

それで何とか、生き延びていける。

 

 

 

 

 

 

 

僕がこの期に及んで望むのは、ほんのそれだけだ。

 

 

 

 

 

 

灼熱の季節よ 僕を、またうっかり 見逃してはくれまいか?

 

 

 

 

 

 

 

写真は、今年の向日葵。開花直前のダイナミズム。

コメント
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