まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

兵庫15番「中山寺」~神仏霊場巡拝の道・73(日本シリーズ観戦を前に必勝祈願のつもりが・・)

2023年11月09日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道めぐり。今回、10月28日の日本シリーズ第1戦観戦、そして29日の西国三十三所先達研修会との組み合わせでの関西行きである。

今回の神仏霊場めぐりの目的地は兵庫2番・西宮神社。ただ日本シリーズの観戦記でも触れたが、西宮神社、そして近くにある兵庫3番・廣田神社といえばタイガースの一同が毎年必勝祈願に訪れるところだ。よりによって日本シリーズ第1戦当日に、そうした神社に参詣するのはいかがなものかと思う。

そこで、同じ阪神間にある中で、阪急・JR沿線である兵庫15番・中山寺、兵庫14番・清荒神清澄寺に参詣した後、京セラドーム大阪に向かうことにした。この記事は日本シリーズ終了後に書いているが、今思えば、西宮神社とは別のところに行くのなら、バファローズが必勝祈願に訪れる兵庫1番・生田神社に参拝すればよかったかなと思う。

中山寺じたいは西国三十三所のほかに、近畿三十六不動尊の札所として訪ねたことがあり、今回は神仏霊場である。

10月28日、朝の新幹線で新大阪に移動。宿泊は新大阪駅近くの東横インを予約しており、荷物をコインロッカーに預ける。第1戦の先発はバファローズ・山本由伸、タイガース・村上で、両エースの投げ合いが予想される。何とか初戦の勝利を見届けて、気持ちよく新大阪に戻ってきたいものだ。

新大阪から新三田行きの列車に乗る。中山寺は阪急宝塚線の中山観音が最寄り駅で、駅から数十メートルで山門に着くが、JRも中山寺駅がある。今回、新大阪から乗り換えなしということもあったが、JR西日本の西国三十三所キャンペーンのデジタルスタンプがまだだったので、JR中山寺に向かい、そこから歩くことにする。

川西池田で後続の宝塚行き快速が先発するので乗り換え、次の中山寺に到着。改札口のQRコードをスマホに取り込んで、デジタルスタンプを獲得。ただ、まだ多くの駅が残っており、札所に行かず駅だけ訪問するという荒技を使っても2024年3月末の期限までに全部揃う可能性は低い・・。

ロータリーには、馬に乗った聖徳太子の像が経つ。中山寺は聖徳太子が創建したとされる寺で、「紫雲たなびく山」を探し求める中で出会ったこの地に創建した日本最古の観音霊場とされている。ここから阪急中山観音までは徒歩で10分くらい。阪急の線路下をくぐり、中山寺の山門前に出る。

中山寺といえば安産祈願、そして初参り、七五三参りの寺として多くの参詣者が訪れる。関西だとこの中山寺、そして奈良の帯解寺が安産のご利益の寺として名高いところだ。豊臣秀吉がここで祈願して秀頼を授かったことや、孝明天皇の典侍の中山一位局が明治天皇を産む時に安産祈願をして無事出産したために明治天皇の勅願所となったこともあり、多くの信仰を集めている。

山門をくぐると、七福神や十二支の守り仏を祀る塔頭寺院があり、それぞれ願い事の受け持ちがあるかのようである。

妊娠中や、赤ちゃんを連れた参詣者が多いことに配慮して、本堂までエスカレーターを乗り継いで行くことができる。

中山寺は西国三十三所の開創にも関連する寺で、長谷寺の徳道上人が冥土をさまよう中、閻魔大王から「観音信仰を広めるように」と御宝印を託された。徳道上人はその使命をはたせないまま亡くなるのだが、御宝印をここ中山寺の奥の院に預けた。時代が下り、花山法皇がその御宝印を見つけ出し、自ら巡礼することで西国三十三所を再興した。このことから、西国三十三所の第1番は中山寺とされていた時期もあったそうだが、現在は東国からの道順のためか、那智の青岸渡寺が第1番となっている。

・・・という話は、翌29日の西国三十三所先達研修会において中山寺の長老であり、種智院大学の教授でもある今井浄圓猊下による講話で改めて聴くことになった。今井猊下はその講話のまくらで、「昨日(28日)は阪神タイガースが勝ってよかったですし・・」ということも言って会場の笑いを誘っていたが、私はその時顔面が引きつっていたと思う。

本堂に上がる。この時のお勤めでの祈願の一つに、「バファローズの日本シリーズ勝利」というのがあった。ただ今思えば、結果的に、西宮神社、廣田神社を連続敬遠して中山寺に願掛けしたわけだが、見事にタイムリーを打たれたという、その後甲子園での試合で見られたような展開にしてしまったようだ・・。もちろん、いちファンが寺社参りしたところで日本シリーズの勝敗に影響するものではないのだが、こういう思いを持ちながらの札所めぐりというのも楽しいものだ。

五重塔に向かう。青龍塔の名があり、戦国の兵火から400年以上の歳月を経て創建当時の姿に木造で再建された建物である。壁面が青というのが珍しい。

手前のお堂には弘法大師、そして西国三十三所のお砂踏みがあり、お堂に上がって一つ一つに手を合わせる。

本堂の背後から回り込む形で、青竜とは対照的な朱色の多宝塔をめぐる。境内のあちらこちらでは初参りや七五三参りでの記念撮影が行われている。

納経所にて、西国三十三所先達納経軸、そして神仏霊場の朱印帳に朱印をいただく。中山寺に来たことで、西国三十三所先達研修会にもつながるお出かけとすることができた。

以前中山寺を訪ねた時、奥の院まで歩いて上り、そこから下る形で清荒神清澄寺に行ったことがある。ただ今回はそのまま中山観音から阪急で清荒神に移動する。

その車内に、日本シリーズ「関西ダービー」を告知する中吊り広告があった。いや~、これは自宅で飾ってみたいものだ。日本シリーズが終わった後は車内からはがされるとして、その後はそのまま廃棄されてしまうのかな。それはもったいない・・・。

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第69番「普門寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(マツダスタジアムでのクライマックスシリーズを前に・・)

2023年11月08日 | 広島新四国八十八ヶ所

全部で154の札所がある神仏霊場巡拝の道めぐりのうち、およそ半分に近い72ヶ所まで回ることができたが、一方で札所数を追い越された形になったのが広島新四国八十八ヶ所。

地元だからいつでも行けるということもあるのだが、前回広島新四国めぐりを行ったのは、広島原爆の日である8月6日よりも前の7月30日とある。そのまま、夏が過ぎてしまった。

次に目指すには第69番の普門寺。場所は元安川、平和大橋の近くである。

出かけたのは10月15日・・・前回から2ヶ月半開いた。さらに、記事にするのはそれよりさらに半月以上後となった。

10月15日は、ちょうどクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦の当日である。この数日前、気まぐれでチケット取引サイトをのぞいてみると、内野席に手頃なチケットが出ていたので購入した次第である。マツダスタジアムに行くにあたり、市内中心部に札所が残っているので行っておくことにしよう。カープの必勝も祈願しようか。

バスにて放送会館(NHK)まで出る。

マンションや病院が並ぶ中、コンクリート造りの建物に出る。正面の門は閉まっているが、横の駐車場から入ることができる。本堂、座禅堂とも階段を上がったところに扉があるが、いずれも閉まっている。ということで階段の下でのお勤めとする。なお境内には枝垂桜が植えられており、桜の時季には見物に来る人も多いそうだ。

普門寺は毛利元就ゆかりの寺として紹介されている。奈良時代、行基が安芸吉田に滞在していた時、村人から時折川底から一筋の光が発し、山頂の樹上にかかるとい話を聞き、吉田山の山頂で座禅を組んだ。すると老人が現れ、光を発していたところを指したので、川底に網を下ろすと観音像が引き上げられた。この観音像を山上に祀ったのが寺の起こりとされる。

後に、毛利元就が観音堂で夜通し願掛けことがあった再、夢に大士の妙相が現れ、軍配団扇を授けられたという。また孫の輝元は、なかなか子どもに恵まれなかったが、観音堂に籠ってお参りしたところ、長男の秀就に恵まれたという。

毛利時代に吉田から広島近隣を転々とした後、関ヶ原の福島正則の時に現在地に移ったという。

またこの時は閉まっていたが、普門寺じたいは定期的に座禅会や「広島精進料理塾」などが開かれているという。当寺の吉村昇洋住職は精進料理についての著作も出しており、メディアにもしばしば出演しているそうだ。

庫裏のインターフォンで声をかけ、朱印をいただく。

この後、広電の線路をまたぐ。その交差点で、名古屋手羽先の「世界の山ちゃん」を見つける。広島にも店舗があったとは!・・・と驚いたのはウソで、店があることは以前から見かけて知っていた。八丁堀や本通りから少し離れた市役所近くにある店だが、この辺りもホテルが多いので夜の需要があるのだろう。これは一度は行ってみようか。

向かったのは、第66番・禅林寺。前回訪ねた時、ちょうど法事の前で取り込んでいる様子だったので朱印をいただくのを見合わせた寺だが、次の第70番・金龍禅寺のすぐ裏にあるのでこの機会に朱印をいただくことにする。本堂の前でお勤めとした後、無事に朱印をいただく。

そして金龍禅寺に向かったのだが・・・ちょうどクルマが境内の駐車場に続いて入り、本堂や庫裏の前では喪服姿の人たちが何人かいて、挨拶などしているところ。どうやらこの後から法事でも行われるようだ。前回の禅林寺と同じような形になったが、広島新四国なら次に出直しでいいだろう・・。

この後、広電には乗らずにそのまま歩いてマツダスタジアムに到着。カープ対ベイスターズのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦を観戦。カープが終盤に勝ち越し、タイガースとのファイナルステージに進んだ。結果はタイガースのストレート勝ちでバファローズとの日本シリーズとなり、連日の熱戦の末日本一となった。

個人的には現在の地元、第2の故郷である広島のカープが下克上して、バファローズとの日本シリーズを実現してほしかった。ただ、2位のカープが出場したとして、はたしてあのような連日の死闘の日本シリーズになったかどうかは、また別の話である・・・。

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神仏霊場巡拝の道~帰りは迂回の中国道にて・・

2023年11月07日 | 神仏霊場巡拝の道

10月8日~9日の滋賀県神仏霊場巡拝の道めぐりも最後の石山寺を終えてようやく帰りである。当初予定外の観音正寺まで足を延ばしたり、御上神社で「ずいき祭り」に偶然出会ったことで思ったよりも時間が延び、瀬田西インターから名神高速に乗ったのは14時前。だんだん日が短くなる時季、少しでも明るい時間帯で長く走ろうと思っていたが、このぶんだと岡山県の途中で日没となる(もっとも、この日はずっと曇りか雨で太陽は出ていないのだが)。

瀬田西インターからすぐ、昼食ということで大津サービスエリアに立ち寄る。先ほど訪ねた石山寺のレストランなどで食事すればよいことだが、琵琶湖の幸は土産物として、昼食はさっさと済ませようということで。

雨が降ったりやんだりで琵琶湖の眺めはよくなかったが、フードコートにて「大津ちゃんぽん」をいただく。街中にあるのは「近江ちゃんぽん亭」ではなかったかと思うが、フードコートでの人気No.1ということでいただく。醤油ベースのスープに野菜もどっさりのっている。ボリュームが多く見えるのは単に麺を大盛にしただけのこと。

それはそうと、滋賀でちゃんぽんという由来は何なのだろうか。ちゃんぽんといえば長崎を連想するが、あちらは中国との歴史的なつながりがあるというのでわかるのだが。近江のちゃんぽんは、昭和の中頃、彦根で開業した食堂のメニューが発祥で、醤油ベースの和風出汁にしたのは京料理の文化から来ていると言われているそうで・・。

この後物販コーナーで滋賀の幸を買い求める。クルマで来ているのをいいことにあれこれと後部座席に並ぶ。しばらくはこれらの中から夜の一献のおともがまかなえそうだ(現に、それから1ヶ月経った現在も、追加で購入した鮒ずしも含め、まだいくらかネタが残っている)。

滋賀県から京都府に入る。岡山、広島方面へは中国道への迂回を呼びかける表示がひっきりなしに出ている。山陽道の播磨ジャンクション~赤穂インターの通行止めの影響が現在も続いている。広島まで行くとなると、1時間程度余分にかかったとしてもそのまま中国道をひた走ったほうがよさそうだ。私の場合だと広島ジャンクションまで出て山陽道に合流し、すぐの五日市インターで降りるのが最適なようだ。往路が山陽~新名神だったから、往復でルートが変わるのもよいだろう。

吹田ジャンクションから中国道に入り、万博記念公園や千里ニュータウンを通り抜ける。万博か・・・そういえば2025年には舞洲じゃなかった夢洲で大阪・関西万博が開かれることになっているが、どうもよいニュースを聞かない。まあそれでも、2021年の東京五輪もそうだったが、いざ始まるとマスゴミは手のひらを返して連日万博の話題ではしゃぎ回るのだろう。好きにしてください。

その中国道だが、この先広島までいたるところで工事が行われており、車線規制、対面通行となるところも結構ある。また、中国道といえば以前走った時、それほど交通量もなく、のんびり走ることができるという印象だったが、やはり山陽道の通行止めの影響で大型トラック含め交通量が増えており、走っていて結構ヒヤヒヤさせられる。

兵庫県を抜ける。その奥の山崎インター近辺で突然の渋滞となる。どうやら事故のようだ。

岡山県に入り、勝央サービスエリアで休憩。外も少しずつ暗くなるが、山間部に入るとまだ18時前というのに真っ暗である。そこに数キロにも及ぶ車線規制、対面通行である。速度規制があるのに皆さんお急ぎで飛ばして来るので、ほとんどあおられ状態だ。

新見で多少明るくなったのもほんの一瞬で、また広島県境に差し掛かると、高速道路じたいの街灯もない区間。またカーブの多いところでの工事車線規制である。新見~東城~庄原の区間は、並走する芸備線が存廃議論の対象となるくらいのローカル線なのだが、並走する中国道の交通量が多いのかといわれれば必ずしもそうではない。この日は山陽道トンネル火災の影響で中国道に迂回したトラックも相当するいたから特殊事情なのだが、こうした中を軽自動車を走らせて実に緊張した。これだったらまだ、兵庫県内で渋滞覚悟の国道2号線をのろのろ走り、途中から山陽道に入ったほうが安心だったかもしれない。

ようやく人心地ついたのは、広島ジャンクションから山陽道に戻ってから。結局帰宅したのは20時すぎで、昼食後に大津サービスエリアを出発してから6時間あまりかかった。時間だけではなく、ヒヤヒヤした瞬間が多かったことも挙げておく。

もう当分、関西方面に軽自動車で出かける予定はないが、さまざま回ることができたのは収穫となった・・・。

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滋賀14番「石山寺」~神仏霊場巡拝の道・72(紫式部にクラウドファンディング)

2023年11月06日 | 神仏霊場巡拝の道

日本シリーズは4勝3敗でタイガースの日本一で終わった。あと一歩、バファローズがタイガースを破っての日本一とならなかったのは残念だったが、私お現地やテレビ桟敷でいろいろと楽しませてもらい、印象に残るシーズンとなった。これからはポスティングシステムやFAでの人の動きも注目されるところで、バファローズもまた新たな姿になることだろう。来季もまた観戦に出かけるとして、久しぶりに関東方面、あるいは北にできた新しいスタジアムも計画してみたい。

さて、話は再び10月9日の神仏霊場巡拝の道に戻る。野球の記事で断続的となっていたが、ようやく今回の神仏霊場めぐりで最後の札所である。

石山駅でJR西日本の西国三十三所キャンペーンのデジタルスタンプを入手し、石山寺に到着。これまで西国三十三所めぐりも何度か訪ねているが、クルマで訪ねるのは初めてである。駐車場が有料なのは仕方ない。

山門をくぐり、境内の参道を進む。受付で入山料を納め、石段を上がる。両脇に奉納した方たちの石柱が並ぶ中、「天皇陛下御即位記念」と刻まれたものもある。これは今の天皇陛下御即位のことだろう。

諸堂の向こうに、石山寺硅灰石と、その上に建つ多宝塔を見る。この硅灰石は石灰岩が変成してできたものだが、世界的にも珍しい地質のものとされる。石山寺のシンボルといえるスポットだ。

石山寺が開かれたのは奈良時代、聖武天皇の勅願で、東大寺を開いた良弁僧正が聖徳太子の持念仏だった如意輪観音を祀ったのが始まりとされる。聖武天皇は東大寺の大仏を造るに当たり、良弁に命じて黄金を得られるよう祈らせた。良弁は夢のお告げで石山の地で如意輪観音を祀り祈ったところ、ほどなくして陸奥の国から黄金が見つかったという。その後、如意輪観音がこの地から離れなくなってしまったので、そのままお堂を建てて祀ることにした。

本堂に向かう。その入口にあるのが源氏の間。石山寺は平安時代の文学とも関わりが深く、紫式部が「源氏物語」を執筆したところとされる。2024年の大河ドラマは紫式部、藤原道長が主人公ということもあり、石山寺も注目されているようだ。西国三十三所の中興の祖である花山天皇も登場するのかな。政争に敗れ、巡礼に出るシーンなんかがあっても面白そうだ(さすがにないか)。

中には紫式部の人形が安置されているのだが、お賽銭を入れて手を合わせる人もいる。実は石山寺では、この紫式部の人形の修復と、着ている十二単の衣替えのためのクラウドファンディングを募っているとのこと。もっとも、紫式部の衣替えだけでクラウドファンディングするのではなく、境内の未指定文化財である祠や宝物などを含めた修復事業に充てるものだという。

石山寺には本堂や多宝塔をはじめとして多くの国宝、重要文化財、滋賀県や大津市指定の文化財などが多数あるが、どうしても維持・修理費用はそちらに優先されるため、未指定文化財まではなかなか手が付けられないとのこと。いつも多くの参詣者で賑わっており、入山料も徴収しているのに・・とも思うが、歴史を後世に伝えるのには思った以上のお金がかかるということか。

本堂でお勤めとする。本尊の如意輪観音は秘仏とされているが、2巡目、3巡目で石山寺に参詣した時にいずれも御開帳の機会に恵まれた。2巡目で訪ねたのは2016年、ちょうど33年に一度の御開帳の時だった。硅灰石の上に設けられた木製の台座に安置された如意輪観音を間近で拝むことができた。本尊の後ろに松荒れている諸仏も拝観することができた。

また3巡目は2020年のことで、新天皇即位の翌年に「御吉例」として御開帳というタイミングだった。2020年か・・・ちょうど新型コロナウイルスの初めての感染拡大で世間も大変なことになっていた時期だ。その新型コロナも今や5類となり、ニュースになることもほぼなくなったが(そういえば、コロナワクチンの接種というのもどっか行ってしまったなあ)、こうした札所関連の方に言わせれば神仏の祈祷によるご加護のおかげということになるのだろう。まあ、そこは全否定しない。

そんなことも思い出しつつ、神仏霊場と西国先達納経軸への朱印をいただく。

この後多宝塔に向かう。瀬田川から琵琶湖方面は雲のため見通せなかった。

ちょうど秋の「石山寺と紫式部」展のため開いているとのことで、初めてとなる豊浄殿に入る。コンパクトながら密度の濃い展示室だ。2023年は、石山寺を開いた良弁僧正の1250年御遠忌と、弘法大師空海の誕生1250年が重なる年ということで、それを記念して石山寺の歴史や真言密教に関する展示が行われている。合わせて「源氏物語」関連の屏風、絵巻物やそれらをモチーフとした嫁入り道具などが紹介されている。「源氏物語」が嫁入り道具になるという感覚が私にはよくわらかないのだが、そこは教養を身につけているとかあったのだろう。ところで現在の嫁入り道具といえば・・・と頭をひねるが、そもそも男女平等、ジェンダーフリーの考えが浸透しつつある世の中、結納とか持参金とか嫁入り道具というのも前近代的な風習となっているのかな。いやそもそも「嫁入り」という言葉じたいが差別表現として狩られてしまうのかな。

・・・嫁入りだろうが婿入りだろうが、そもそも結婚できなかったおっさんが何を言っているのかというところ。はいはい、ここで次の行き先を決めるあみだくじとしよう。

予選のくじ引きで出たのは、

・勝尾寺(大阪24番)

・大原野神社(京都6番)

・道成寺(和歌山6番)

・永源寺(滋賀8番)

・西宮神社(兵庫2番)

・竈山神社(和歌山8番)

そしてあみだくじで当たったのは、2枠の西宮神社。

このくじを引いた10月9日の時点では、「次は西宮か。それなら、バファローズがこの後クライマックスシリーズを突破するとして、さらに10月28日の日本シリーズ第1戦のチケットをどうにか確保できたものとして、広島から大阪に移動して現地に行く前に、西宮神社に加えて近隣の廣田神社、さらに時間があれば清荒神清澄寺、中山寺といった阪神間の神仏霊場をクリアしようか」というくらいの気持ちだった。

その後、バファローズはクライマックスシリーズを突破した。そしてセ・リーグ、個人的にはカープが勝ち抜いて念願の「バファローズ対カープ」の日本シリーズかと期待したが、そこはタイガースがストレート勝ちして日本シリーズに進出した。

ファンクラブ先行抽選受付のおかげで、28日の第1戦のチケットが何とか手に入った。この日本シリーズは例年以上に「チケットが取れない」「転売ヤーによる高額転売」のニュースが目立っただけに、正価で入手できただけで感謝である。これも各霊場のご利益かとありがたく手を合わせた。

ただ、第1戦当日の28日にいざ大阪に向かうにあたり、ちょっと待てとなった。あみだくじで当たった西宮神社といえば、年明けの福男選びの競走で有名だが、廣田神社ともともタイガースの監督・コーチ・選手一同が毎年必勝祈願に参拝する神社であることに気づく。

普段ならともかく、いや公式戦中でもいいでしょう、それがよりによって日本シリーズ第1戦前にして、バファローズファンとしては絶対行くところではないだろう。

その一方で、第1戦の翌29日は西国三十三所の先達研修会が梅田で行われる。ならばそれに合わせて、西宮神社、廣田神社に先行する形で、中山寺くらいなら参詣してもいいかなと思う。結果的にそれも裏目に出たのだが、そのことは追々書くことにして・・・。

さて時刻は13時半すぎ。門前の土産物店で鮒寿司やしじみ、ウロリ(ゴリの稚魚)の佃煮などを買い求め、これから帰途につくことにする。瀬田西インターから名神高速に乗る。これから広島に向けて長躯することに・・・。

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終戦

2023年11月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
タイガースに敗れたことで、せっかくのリーグ3連覇も「で? それが何か」となった。この日本シリーズもぶち壊しや。

非常に悔しいが、バファローズ、そしてパ・リーグはマイナーな存在として今後も肩身の狭い存在となる。タイガースを破ってこその日本一で少しは立場もよくなると思ったのだが・・・。

まあ、関西にいなくてよかった。馬鹿騒ぎを見ずに済むので。

お疲れ様でした。
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山本由伸、お見事!! さすが!!

2023年11月04日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

日本シリーズ第6戦。

山本由伸。最後の最後で鬼神のような投球。お見事! 漢。

第1戦でKOされた姿を現地で観て腹が立って、試合途中で席を立ってしまったのだが・・・やはり山本はさすがのプロだった。ブチ切れてすみませんでした・・・。

タイガース有利の中、崖っぷちの1戦でどうなるかというところ。前の記事では「あてにならん」と書き、この試合も先制されて大丈夫かというところだったが、早くに味方が追いつき、そして逆転した。紅林の3番起用や杉本のスタメンなど、中嶋監督の作戦も当たり、エースの力投にチームの「全員で勝つ!!」が応えることができた。

そして、山本の日本シリーズ初白星が完投勝ち、そして14奪三振は日本シリーズでの記録更新という。

さてこれでいよいよ第7戦。ここまで来ればまさに中嶋監督の言うように「決戦・日本シリーズ」である。広島の地からささやかながら日本一を願い、ひたすらに応援します・・・。

全員で勝ちましょう、日本一をつかみましょう!!!!

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滋賀13番「建部大社」~神仏霊場巡拝の道・71(日本武尊と源頼朝)

2023年11月04日 | 神仏霊場巡拝の道

11月4日は日本シリーズ第6戦。タイガースが3勝2敗で日本一に王手とした後での京セラドーム大阪での1戦である。バファローズ・山本由伸、タイガース・村上という第1戦と同じ先発。私も現地観戦した第1戦では山本が7失点KOという悔しい展開だっただけに、日本最後の登板になるであろう一世一代の投球を見せてほしいものだ。仕事のため当初から第6戦・第7戦のチケットの先行抽選にも応募しておらず、第6戦のテレビ桟敷も中盤以降からとなる見込みだが、何としてでもバファローズの勝利を願う。

そのうえで、第7戦。それでこそ「決戦・日本シリーズ」、タイガースを倒してこその逆転日本一を・・・!

・・・さて、その第6戦を前にこちらのローカルブログを進めておこう。まだクライマックスシリーズも始まっていない10月8日~9日の滋賀編である。

広島から滋賀まで走った軽自動車は大津市に入り、滋賀13番・建部大社に到着する。道路に面して鳥居が建つが、駐車場はその奥にあるとのことでいったん鳥居をくぐり、クルマを停めた後で歩いて鳥居まで戻り、改めて参道に入る。鳥居のたもとには日本武尊を描いた案内板がある。「日本神話にのこる英雄!」というキャッチコピーが添えられている。

建部大社は日本武尊を祭神としている。日本武尊を祭神とする神社は全国各地にあるが、こちらはその中でも格式が高い神社とされている。日本武尊の妃の布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、子の御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住んでいた近江の神崎郡建部郷に「建部大神」として祀ったのが始まりとされている。この一帯が、布多遅比売命の父が治めていたからということのようだ。時代が下り、天武天皇の時に近江の国府が置かれた瀬田川近くの現在地に、近江の守護神として移されたという。そのことから、近江国の一の宮として崇敬されるようになった。

日本武尊の生涯がイラストパネルで紹介されている。熊襲征伐、草薙剣、オトタチバナの入水、伊吹山での苦難、そして白鳥伝説・・・と、記紀の主役の一人である。活躍する場面も多いが、一方で数々の試練に見舞われる悲劇も描かれている。この日本武尊の一連の物語、現在でも日本人が好む「悲運の英雄」の元祖といえるのだが、彼をそうした形で描くに至った背景に何があったのか気になるところだ。

日本武尊のパネルと合わせて、日本武尊と建部大社が紙幣の図案になったことがあると紹介されている。額面は千円。今でこそ千円札がごくありきたりだが、発行された第二次世界大戦当時、千円は初めての額面だった。戦時下ということでインフレをにらんでの高額紙幣だが、その図案に日本武尊が選ばれたのは、戦争に勝つために神話の英雄を持ち出して盛り上げようという意図があったのかな。もっともこの千円札、終戦直後の1945年8月17日に流通が開始されたが、新円切り替えによりわずか7ヶ月ほどで失効したという。そのため、「幻の千円札」と呼ばれることもあるそうだ。

それはそうと、先ほどから日本武尊、日本武尊と書いているが、現代の若い人はそもそもこの名前を学校の歴史の時間で習ったことがあるのだろうか。現在では聖徳太子ですら教科書から消されているという。今や、天照大神とか日本武尊とか、聖徳太子とか言っている時点でネトウヨ認定らしい。これも戦後のナントカ史観にもとづく教育方針が広く世の中に広まったということで、実に「おめでたい」話である・・・。

楼門をくぐる。祝日(スポーツの日)ということで日の丸も出ているが、ちょうど七五三まいりの時季ということで、何組かの家族連れの姿も見える。フォトスタジオによる撮影コーナーも設けられている。

拝殿にて手を合わせる。さらに奥に進んで本殿でのお参りとする。境内に入るとそれほど広大な敷地が広がるわけではなく、コンパクトにお参りできる。

境内の奥に進むと、水神社というのがある。ここから「頼朝公の出世水」というのが湧いているそうで、境内でも汲むことができるという。出世水というはどういう由緒だろうか。

伊勢神宮の遥拝所がある。日本武尊の叔母である倭姫命は天照大神を伊勢の地に祀った人物とされている。

その遥拝所には細かく張った松の根が祀られている。パネルには「天に向かって伸び行く 松根(商魂)たくましく栄えますことをお祈りします」とある。「しょうこん」で掛けているわけだが、「商魂」という文字を見た時、「商魂込めて~」というフレーズが浮かんだ。読売ジャイアンツの球団歌「闘魂込めて」に、かつてFA選手や他球団の外国人選手など、カネにモノを言わせて各チームの主力をごっそり獲得していたのを揶揄する意味で、あの黄色い連中を含めた一部球団のファンが歌っていたものだが・・。

その他、境内の祠をいくつか回る。

朱印をいただくべく、楼門脇の社務所を訪ねる。待つ間に、「あそこで出世水をどうぞ」と紙コップを渡される。蛇口があり、ここで「頼朝公の出世水」をいただく(ついでにペットボトルにも汲む)。この水が「出世水」と伝わっているのは、平治の乱で捕えられた源頼朝が伊豆に流される途中、近江の建部大社に立ち寄り、源氏の再興を祈願し、それが叶ったことによるという。

頼朝は源氏の再興を祈願し、それが叶ったことで建部大社にさまざまな寄進を行った。そのことで建部大社は武家からの崇敬も集めたが、幾多の戦乱により何度も焼失したという。瀬田の唐橋に近い要衝の位置づけもあったのだろう。

朱印をいただき、建部大社を後にする。

さて最後の石山寺だが、その前にJR西日本の西国三十三所キャンペーンのデジタルスタンプをいただくため、石山駅に向かう。建部大社からの道は瀬田の唐橋に通じており、私もここを渡るのは実は初めてである。

石山駅近くのコインパーキングに駐車した後、コンコースに上がる。松尾芭蕉と紫式部の出迎えを受け、改札口横に掲示されているQRコードをスマホで読み取り、岩間寺、石山寺の2ヶ所を獲得する。それでもまだまだいくつものスタンプが残っているのは前の記事の通りで、大阪から離れたところのスタンプも多いことからコンプリートは厳しい状況に変わりはない。

さっさと駐車場に引き返し、この後は瀬田川を左に見ながら京阪石山坂本線に沿い、石山寺に向かう・・・。

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滋賀12番「御上神社」~神仏霊場巡拝の道・70(ずいき祭りに出会う)

2023年11月03日 | 神仏霊場巡拝の道

観音正寺の参詣を終え、国道8号線を南下する。北陸と関西を結ぶ国道だが、意外にも滋賀県のこの辺りは片側1車線の区間が続き、車の列が絶え間なく続く。バイパスの計画もあるようだが、現在のところは渋滞回避なら名神高速に乗ることになるようだ。もっとも、インターまでの距離もそれなりにあるので、そのまま国道を走る。

野洲市に入り、国道沿いの御上神社前の駐車場に停める。神社の前であり、近江富士として知られる三上山への登山口でもある。御上神社は三上山をご神体として祀る神社で、社殿が設けられたのは奈良時代とされるが、近隣からは銅鐸などが出土しており、それより古くから山岳信仰の地であったとされている。

さて境内に入ると人だかりができており、法被姿の人や、裃姿の子どもたちも目につく。法被姿の人から「パンフレットをどうぞ」と渡される。そこにあったのは「ずいき祭り」というもの。以前は10月14日に行われていたそうだが、今は祝日(スポーツの日)が10月第2月曜日に定められたことで、この日を祭りの当日とされている。古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれていたそうで、秋の収穫への感謝と、子孫繁栄を祈願する祭りとして、鎌倉、室町時代から行われているという。こうした祭りがあることは知らず、まったく偶然の出会いである。

そこに神輿が次々にやって来る。芋の一種であるずいきの茎で作られる「ずいき神輿」である。こんなにも太くて丈夫なものとは知らなかった。神輿じたいは数日前に準備され、今日は朝から町内を回り、祭りの場である御上神社に到着した。

この後どうなるかちょっと見てみようと、神仏霊場としての参拝をさっさと済ませ、朱印をいただく。その間にも、お供えを手にした方々が次々に受付にやって来る。

神輿は全部で5基あり、町内を練り歩いた後で楼門の前に出揃う。

そこで記念撮影となる。祭りに参加する子どもの親御さんやご親戚、三脚や脚立持参のカメラマン、そして全くの予備知識なしでたまたま祭りに出くわした私のような者を含め、一斉にカメラやスマホが向けられる。そしてお祓いを受ける。

この後、神輿が楼門をくぐり、1基ずつ本殿前の拝殿に納められる。それぞれの自治会ごとに場所が決まっているようだが、東西が逆だといったり、いややっぱりその場所で合っていたといったり、なかなか賑やかである。

ようやく神輿が落ち着く。金具を一切使っていないとのことだが、それでも先ほど大人4~5人がかりで拝殿に納めていたから、重さはそれなりのものだろう。

本殿前には雅楽の一団が控えており、昼の部では雅楽の奉納と神事が行われるそうだ。一方でハイライトは夜の「芝原式」という神事だという。昔は子どもたちによる奉納相撲も行われていたとか。さすがにそこまではいいかなと、神輿の姿だけ見て御上神社を後にする。

再び国道8号線に出て、草津近辺にて国道1号線と合流する。東海道と中山道が合わさる形で、ここからはクルマの流れもスムーズになる。大津市に入り、この先は建部大社、石山寺の順に回り、石山駅でのJR西日本デジタルスタンプもいただくことに・・・。

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負けたら意味がない・・・何やっとんや。

2023年11月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

監督の言い訳はいりません。

11月2日、この日も遅くまで仕事にかかりきりだったので、日本シリーズ第5戦はスマホで結果を見ただけだったが・・・。

・・・何やねん、この展開。8回裏に一挙6失点で逆転負けって・・・。何しとるんや。

この日本シリーズ、負けたら何の意味もない。バファローズがタイガースを破って日本一になったとしても関西におけるタイガースの絶対的優位はマスゴミの扱いも含めて揺らぐものではないのだが、少なくとも勝たなきゃ。

このままバファローズが敗れたら、タイガースが日本一ということで関西マスゴミや虎キチどもが我が物顔に振舞い、道頓堀周辺を荒らしまわり、朝から公共の電波をジャックして六甲おろしをがなり立て、鼻高々に御堂筋を占拠する。所詮、パ・リーグなんかマイナーな存在だとほざきまわり、周辺の略奪・破壊行為もやりたい放題。ただ、そうした蛮行も「タイガースが日本一になったから」として正当化されるのが関西である。

12球団で唯一ホームタウンを持たず、マスゴミや周辺住民から鼻つまみされている(と、あえて言う)バファローズ。タイガースに勝ってこそ初めて関西の球団としての存在感を出すことができるにも関わらず、しょーむない試合ばっかりしやがって。タイガース日本一の前に、リーグ3連覇なんぞ何の価値も持たなくなるわ。

ともかく残り2戦、球団存亡をかけてでも勝て!!!!

・・・とはいうものの、山本由伸には期待できません。

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滋賀7番「観音正寺」~神仏霊場巡拝の道・69(サンティアゴ巡礼との友好提携)

2023年11月01日 | 神仏霊場巡拝の道

・・・日本シリーズ第4戦、仕事だったのでネットでの途中経過確認だけだったが、タイガースがサヨナラ勝ちで2勝2敗となった。まあ、テレビ中継を観てガッカリするよりはマシだったと思いたい。ただ、経過を見るとバファローズが追いついて、さらに勝ち越しのチャンスが幾度もあったのにあと一本が出なかったこと、また9回裏のワゲスパックは、敬遠で満塁策を敷いたのはベンチの采配とはいえ、前夜の平野のようにはいかなかったのが残念というところである。もっとも、監督、選手の皆さんのほうが歯がゆい思いをしていることだろうし、次への思いは強いだろうから、見守るしかない。

これで少なくとも週末の第6戦までもつれることは決まった。さすがに第6戦以降のチケットは持っていないので、テレビ桟敷にてさらなる熱戦を期待したい。

・・・さてブログは10月9日、滋賀での神仏霊場巡拝の道・2日目に戻る。今回の神仏霊場めぐりは広島から軽自動車でアクセスし、神仏霊場ではないが西国三十三所の岩間寺、そして神仏霊場滋賀2番の田村神社を訪ね、8日の夜は国道1号線に近い水口に宿泊。そこから話がほったらかしになっていた。

当初の予定では、このまま国道1号線で草津まで出て、いったん野洲まで戻って滋賀12番・御上神社に行き、そして大津に出て同13番・建部大社、そしてあみだくじの目的地である同14番・石山寺を訪ねようと考えていた。順調に行けば昼頃に大津を出発できると踏む。また後で触れるが、山陽道のトンネル事故による火災の影響で播磨ジャンクション~赤穂インターが通行止めとなっており、関西から広島に行く場合、中国道経由で迂回するか、渋滞覚悟で国道2号線に突っ込むかの二者択一となる。ただいずれにしても時間が余分にかかることで、あまり夜道も走りたくない。

これで一応今回で湖南エリアの札所はクリアできるが、その一方で、近江八幡や東近江などの湖東エリアにはそれなりの数の札所が固まっている。この一帯も広島から遠いエリアということもあり、今回、一つでも回っておこうか。

そこで行き先としたのは、西国三十三所の札所でもある滋賀7番・観音正寺。繖山の頂上近くにあるこの寺、公共交通機関だと必ずしもアクセス便利とはいえない。JR安土駅から徒歩、もしくはレンタサイクルで繖山の麓まで行き石段を上がるか、JR能登川駅からバスで近くまで行き、登山道を歩くか。初めて訪ねた時は安土駅から歩き、最後は1300段にも及ぶ石段を上がった。当時は、そうすることでご利益があるという思いもあったのだが、2巡目の時は能登川から観音寺口バス停に向かい、40分~50分かかったがまだなだらかな登山道を上った。

一方クルマだと有料の参詣道を通って途中までアクセスできる。西国3巡目の時は近江八幡の長命寺と合わせてレンタカーで上った。これらを踏まえて今回はアクセスが難しく、かつ西国三十三所の4巡目もかねて観音正寺を目指すことにした。西国三十三所のJRスタンプラリーもまだまだ残っており、観音正寺のデジタルスタンプがある安土駅との組み合わせで訪ねることにする。

さえ、水口から観音正寺へは県道を使って直進して約1時間といったところで、部屋で朝食とした後、7時過ぎに出発する。前日8日に引き続き、ところにより雨の予報で、時折小雨がぱらつく中でクルマを走らせる。

水口を出るとしばらくして近江鉄道の線路が近づく。近江鉄道の本線である。近江鉄道は一時廃線の危機を表明したが、沿線自治体との協議もあって上下分離方式で何とか廃線は免れた。ローカル線の存続にこうした議論はできないかと、芸備線や木次線という超ローカル線を抱える広島、岡山、島根のマスコミでも事例として近江鉄道が取り上げられることがあるが、同じようなことを中国地方の山の中に当てはめるのはさすがに無理があるだろう。廃線を免れたからといって近江鉄道の経営が苦しい状況には変わりない。

そんなことに触れている私自身が、こういう機会にクルマではなく近江鉄道で移動しましたというのならいいのだが・・・ハンドル握って線路を眺めるという、鉄道にとって何のプラスにもならない移動である。

カーナビの道順で進むうち、日野駅に出る。かつては蒲生氏郷が開いた城下町で、近江商人の町として、さらには伊勢商人のルーツとして知られているところだ。駅舎や駅前もかつての商人町をイメージさせる建物である。

どんよりした空の下、そのまま淡々と走り、八日市駅間を過ぎ、五箇荘に入る。まだ十分余裕はあるが、帰りのことを考えて交差点にあったガソリンスタンドで給油する。さすがは軽自動車で、ここで給油しておけば帰りの道中も心配ないだろう。

観音正寺への参道にさしかかる。坂を上り、途中の料金所で通行料600円を納める。広島ナンバーの私の軽自動車を見て「えらい遠くから来たんやな~」と声を掛けられる。観音正寺へのクルマでの参道は以前にも上ったことがあるが、この先、道も狭くなりカーブ、勾配もきつかったと思う。「先ほど1台上がっただけやから空いてますよ」と声をかけられる。時刻は8時半前、観音正寺は観光寺院ではないので混雑とは無縁だろう。

料金所からさらに上ること数分、カーブと勾配はきつかったが駐車場に到着。こうして個人のクルマで来る分にはよいが、西国三十三所めぐりの団体の場合はどうするのだろうか。さすがにバスでは上がることはできないように思うので、タクシーなどに分乗するのだろうか。

私の軽自動車の奥に確かに1台だけ駐車していたが、方向は全く逆だが広島よりも遠いところのナンバーである、ひょっとしたらこの後、西国三十三番の華厳寺に行って「満願」ということになるのかな。

境内までの参道には、三十三所にちなんで33のありがたい言葉が書かれた札が立てられている。中にはだいぶ字がかすれているのもあるが、これを目に留めながら進むと参道の距離もそれほど感じない。

また、聖徳太子の幟も数多く並ぶ。聖徳太子がこの地を訪ね、千手観音を祀ったのが寺の由来とされている。

参道から境内が開け、仁王像が立つ入口に着く。こちらでは改めて入山料を納める。

境内に入る。まず出迎えるのは聖徳太子像である。観音正寺には聖徳太子と人魚伝説というのがある。太子が葦原を歩いていると人魚が姿を現し、自分は前世では漁師だったが、無益な殺生を繰り返したために人魚にさせられたとして、成仏できるよう懇願した。そこで太子は千手観音像を彫り、人魚を成仏させたという。その人魚のミイラとされるものが寺に伝わっていたが、1993年に起きた火災のため焼失してしまった。

天候がよければ、繖山の麓を走る新幹線が見えるところだ。逆に、新幹線に乗っていると2人掛けの車窓に見えるところで、境内はあの辺りだなとチェックするポイントの一つである。繖山には鎌倉時代以降は六角氏の居城が築かれ、観音正寺もその中に組み込まれる形で観音寺城となった。六角氏が織田信長との戦いで敗れた際、寺も焼失したがその後再興した。

正面の本堂に向かう。その両脇には「南無日本教主聖徳法王」と書かれた幟が並ぶ。聖徳太子信仰が続いていることの現れで、2021~2023年にかけて、聖徳太子遠忌1400年の記念事業があちこちで行われていた。

本堂に上がり、松本明慶師の手による千手観音との結縁をしてのお勤めである。いずれも、1993年の火災の後、2004年に再建されたものである。

朱印をいただこうと西国先達用の納経軸と神仏霊場の朱印帳を出す。すると、神仏霊場の朱印帳には普通に墨書したうえで、西国先達用の納経軸のほうに「よかったら新しく限定スタンプを作ったので押しましょうか?」と声をかけられる。聞けば2023年、西国三十三所とスペインのサンティアゴ巡礼との間で友好提携が取り交わされたとのことで、その記念に作ったのだという。西国三十三所のどこの札所にあるものではなく、観音正寺限定という。

それがこちら。この友好提携にあたっては観音正寺も尽力されたそうで、話は前後するが、観音正寺を訪ねた20日後、10月29日に行われた西国三十三所の先達研修会において、研究者の方および観音正寺の岡村遍導住職からもその話があった。

西国三十三所は日本最古の巡礼道であるが、四国八十八ヶ所や熊野古道と比べて国際的な知名度はそれほど高いとは言えず、歴史ある巡礼道と宗教の垣根を超えて提携することで、国際的な知名度向上や、地域の歴史・文化の理解を促進し、地域の活性化を図るという。

西国三十三所とスペイン・・・結構スケールの大きな話になってきたと思う。もっとも、サンティアゴ巡礼には西国三十三所のような「先達」の制度があるのかな、どうかな。

境内を後にして駐車場に戻る。何台か他のクルマも駐車場に停まっていたが、幸い、狭い山道で行き違うことなく、そのまま下山する。

この後、安土駅に立ち寄ってJR西日本の西国三十三所スタンプラリーのデジタルスタンプをスマホにて読み込む。この後帰り際に石山駅でもデジタルスタンプを入手する予定だが、まだまだ訪問必須の駅が残っている。紀伊勝浦、紀三井寺(和歌山)、宇治(黄檗)、山科(六地蔵)、亀岡、中山寺、相野、天橋立、東舞鶴、長浜(彦根、近江今津)、近江八幡。キャンペーンは2024年3月末までだが、神仏霊場めぐりと重ねながらのこのペースでは達成は厳しい見通しだ(紀伊勝浦と天橋立・東舞鶴という両端が残っているし・・)。

その中で近江八幡市街やパスして、国道8号線をひた走ることに。ちょうど東海道新幹線とも並走する。次に目指す御上神社はちょうど8号線沿いにあるようだ・・・。

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