まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

兵庫14番「清荒神清澄寺」~神仏霊場巡拝の道・74(こちらも神仏習合)

2023年11月11日 | 神仏霊場巡拝の道

日本シリーズ観戦を前にバファローズの勝利を願っての神仏霊場めぐり。阪神沿線を避けて阪急に載っているわけだが・・。

中山寺の次に訪ねるのは清荒神清澄寺。清荒神駅で下車する。改札を出ると何やら行列ができている。精肉店なのだが、コロッケが人気なのだとか。

駅から清荒神清澄寺へは1キロほど。その門前町は商店街になっており、食事処や日用品、骨とう品、仏具・神具などさまざまだ。緩やかな上りが続くのだが、歩いてもさほろ苦にならない。また、参道の形は龍が天に昇る様子を表しているという。

途中、中国道の高架をくぐる。この辺りから境内の雰囲気が漂ってくる。駐車場から先は本当の門前町といった感じである。

山門に到着。

清荒神清澄寺は平安前期、宇多天皇の勅願により静観僧正により開かれた。本尊は大日如来だが、合わせて鎮守神として三宝荒神社も建立された。宇多天皇からは「日本第一清荒神王」の称号が与えられた。その後、源平の戦いや戦国時代の有岡城の戦いなどの兵火に遭ったが、三宝荒神社現在の形になったのは江戸時代後期のこと。

昭和の戦後になり、「三宝三福」の教えにもとづく「真言三宝宗」という新たな宗派が開かれ、その総本山となった。「三宝」とは、仏・法・僧、「三福」とは、世福、戒福、行福という三つの善い行いという。「三宝宗」という名前でもよさそうなものだが、そこに「真言」がつくとはより強力なものを感じる。

さて清荒神清澄寺だが、参詣は順路が決められている。順路に従って、まずは鳥居をくぐって三宝荒神社に参拝する。拝殿にあたる天堂には三宝荒神、歓喜天、十一面観音が祀られている。早速神仏習合である。般若心経を唱えている方もいて、その横で私もまずお勤めとする。ただこういうパターンの場合、拝殿では柏手を打つものなのか、そうでないものなのか、どちらが正しいのだろうか。

天堂の背後には神殿造りの護法堂がある。

一角に、何やら金属らしきものが奉納されているのを見かける。火箸である。三宝荒神王は「かまどの神様」として信仰されており、かまどが賑わえば家庭や会社が栄えるとして、家内安全、商売繁盛、厄除開運のご利益があるとされている。そこで「火箸で厄をつまみ出す」ということで、厄年の人が火箸をいただき、厄が明けるとお礼として奉納するのだという。

順路に沿って石段を上り下りするが、その途中には稲荷社がある。

そして本堂に着く。こちらには本尊大日如来、不動明王、弘法大師が祀られている。こちらでも改めてお勤めとする。まさに神仏霊場めぐりにふさわしいところだ。先ほどの天堂、そしてこちらの本堂が同格に存在しているかのようである。

奥の不動滝に向かう。その手前の聖光殿は富岡鉄斎美術館である。富岡鉄斎とは明治、大正の文人画家である。清荒神清澄寺が収集した作品を広く公開展示することを目的として開設された。

聖光殿は資料整理のため現在長期休館中で、別館である史料館で一部が展示されている。「鉄斎-山水に遊ぶー」という企画展で、中国の仙境を描いた山水画が並ぶ。鉄斎の作品を収集したのは清荒神清澄寺の第37代法主・坂本光浄で、宝塚の地に宗教と文化の花を咲かせたいと願っていた折、信徒総代だった西宮の酒造家から、常に無欲で人格者であった鉄斎の作品に触れることを勧められたのがきっかけという。

さて朱印だが、もう一度天堂に戻り、その横の授与所でいただく。墨書には「清荒神王」とあり、右上の朱印も「日本第一清荒神王」とある。清荒神清澄寺は摂津国八十八ヶ所の札所でもあるが、そちらだと本堂の本尊である大日如来の朱印だという。それが「清荒神王」の朱印なのは、神仏霊場ならではである。

これで中山寺、清荒神清澄寺と参詣して、今回の神仏霊場めぐりはいったん中断とする。今回はあくまで西宮神社が目的地なのだが、くどいようだが日本シリーズを前にタイガースの必勝を祈願する神社に行くわけにいかない。バファローズがタイガースを破っての日本一を願い、西宮神社には次回に参拝することに。

再び参道を通って清荒神駅に到着。ちょうど昼近い時間帯。ここまで来たらいったん次の終点・宝塚まで行き、なかなか訪ねる機会のない阪急今津線に乗ってみようか・・・。

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