まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第74番「海蔵寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(草津の町並みと八幡宮)

2023年11月27日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりは第74番。次は私が住んでいるのと同じ広島市西区である。広島新四国めぐりも徐々に西に進んでおり、2023年内での結願はさすがに無理にしても視野に入ってきた。

前回の11月19日に続いて、23日に訪ねる。途中立ち寄るところもあり、どうせならと自宅から歩いて向かう。到着したのは広電宮島線の草津電停。江戸時代頃まではこの南の宮島街道辺りに海岸線があったそうで、ちょうど山と海とが近づくところである。

線路の向こうにはかつての西国街道があり、山陽線の線路を跨ぐ形で第74番・海蔵寺の参道の石段が続く。ここだけ見れば、尾道辺りにありそうな風景に見えなくもない。

そのまま石段を上がると海蔵寺の山門に出る。振り返ると草津の町並みが広がる。草津は神武天皇の頃から水運や水軍の拠点となったところで、特に戦国時代には武田氏、大内氏、陶氏などにより争われた港だが、後に毛利氏が支配下に収め、水軍の重要拠点として児玉氏を城主とした。

ここ海蔵寺は室町時代前期に中国の僧により禅宗寺院としれ開かれ、後に曹洞宗となった。毛利氏が草津を治めた時には児玉氏の菩提寺となり、厳島合戦の時には毛利の陣も置かれた。関ヶ原の戦いの後、福島正則の時に草津城は取り壊しとなったが、その後浅野氏の代になると、浅野氏の家老で備後の東城を治めていた堀田氏の菩提寺となった。この堀田氏の始祖である堀田高勝は元々明智光秀に仕えていたが、本能寺の変の後に浅野長政に取り立てられ、後に浅野の姓をもらって東城に入ったという。

山門をくぐると本堂が出迎える。こちらは江戸後期の天保年間に再建されたものだが、原爆の時には爆風の影響で本堂が傾いたという。海を隔てているとはいえ、爆心地からは直線距離で5キロほどのところ。その時に多くの避難者を受け入れたこともあり、後に広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により保存工事も行われた。

朱印の箱は本堂の前にあったが、扉が開いており中に入ってお勤めとする。本尊は十一面観音。創建が室町時代の禅宗寺院ということで八十八ヶ所の弘法大師とはご縁があるようには見受けられないが、本堂が爆風の影響を受けたこともあり、広島新四国のもう一つの大きな役割である平和を祈念するということで札所に加わったのかもしれない。

本堂の裏手には江戸元禄年間に築かれた石庭がある。

境内の横には東城浅野氏の墓石が並ぶが、浅野氏の墓所のため立ち入らないようとの札もある。この奥には小田原北条氏の最後の当主であった北条氏直や、山中鹿之介の娘などの墓所もあるそうだ。これらもまたどういうご縁でここに墓所があったのかな。

さて草津といえば、草津八幡宮である。神武天皇の東征の時、後の神功皇后の三韓征伐の時にも登場しており、宇佐八幡宮からの分祀により現在につながる八幡宮となった。私もこちらには2021年の初詣の一環として、近所の庚午神社、そして宮島の厳島神社とともに参拝したことがある。当時はコロナ禍の影響で都道府県を跨ぐ移動がはばかられた頃で、2回目の広島勤務となった直後、初めて広島での年末年始だった。

海蔵寺と同じくらいの標高にあるが、八幡宮に通じる道がわからなかったので、いったん石段を下りて山陽線の踏切を渡り、改めて正面から石段を上がる。境内三の鳥居まで189段続くが、「ひやく」と読ませ、「飛躍」、「避厄」に通じるとされる。こういう石段なら一段飛ばしなどはしないほうがよさそうだ。

石段を上っている最中、沿道に並ぶ奉納者の名前の中に「広島東洋カープ 佐々岡真司」というのが目に入った。カープの名投手にして後のコーチ、監督である。情報によると佐々岡氏は毎年参拝しているそうで、こちらはコーチ時代に奉納したもののようだ。お住まいもこの近くなのかな。

石段を上りきり、拝殿の前に出る。ちょうど七五三のお参りの家族連れの姿も見える。八幡宮からのほうが草津界隈の景色もよりはっきり見える。かつての水運、水軍の拠点もすっかり埋め立てられたが、草津港、商工センター一帯は広島における流通、物流の一大拠点であるし、冬となると牡蠣も多く水揚げされる。これからの牡蠣シーズンが楽しみだ。

佐々岡氏のご縁なのか、あるいはその前からそうだったのか、境内にはカープ必勝祈願の絵馬のコーナーがある。絵馬にデザインされているのは、バットを笏に持ち替えたカープ坊や・・(顔は自由に描くことができる)。現在奉納されているのは2023年の必勝祈願で、新井監督への期待も込められたものも多かった。残念ながら優勝は逃し、タイガースとのクライマックスシリーズにも敗れて、私の祈願であるバファローズ対カープの日本シリーズまであと一歩残念だったのだが、久しぶりに広島の街は明るい雰囲気だったように思う。いや、こうなると「前監督」は複雑な気持ちになるのかもしれないが・・。

草津の電停に戻る途中の西国街道のたもとに、「置鳳輦止處」という石碑に出る。「鳳輦を置きしところ」と読み、この前にある造り酒屋の小泉本店は厳島神社や草津八幡宮の御神酒を奉納している。明治天皇の山陽行幸の時にここで休息したこと、また日清戦争時に広島の大本営に滞在していた明治天皇の陣中見舞いに訪ねた昭憲皇太后も宮島参拝の時に休息したことを記念して建立したという。

この後は広電に乗って自宅とは反対の宮島口方面に向かう。下車したのは佐伯区に入った楽々園。電停からも近い「塩屋天然温泉ほの湯楽々園」に入る。広島市内でも数少ない天然温泉で、加温のみの源泉かけ流しの湯や、各種の浴槽が楽しめるのでちょくちょく訪ねている。昼間の一時を楽しむ。

そして広電で帰宅したのだが、車内では「本日広島市内でイベントが開催されていますので、お帰りの際はあらかじめICカードへのチャージをお願いします」という呼びかけがあった。市内でイベント・・?ということでスマホで検索すると、この日(11月23日)はマツダスタジアムでカープファン感謝デー、そして広電の千田町車庫では創業記念日イベント「ひろでんの日」が行われるとあった。そりゃ、帰りはそれなりに混雑しそうだな・・。

カープのファン感謝デーについては、この日夕方の広島各局のローカルニュースでもトップの扱いだった(そこが広島らしいのだが)。中でも大きく取り上げられていたのが、カープからFAでバファローズへの移籍が発表された西川。カープファンへの最後の挨拶ということで登場し、ファンの方からも温かい声援が送られたという。

カープといえばこれまで多くの選手がFAで他球団に移籍し、その行き先がジャイアンツやタイガースだとブーイングも激しかったというが、西川本人も「セ・リーグなら意味がない、パ・リーグでどれだけできるかやってみたい」といっていたし、故郷の大阪の球団を選ぶのなら・・ということのようだ。バファローズといえば以前は「お断りックス」とすら言われていたところ、前季の森といい、(大阪出身の選手が続いたとはいえ)FAで選んでもらえる球団になるとは時代を感じる。

これは後の話だが、金銭面の条件はもっとも低かったものの、自身も子どもの頃ファンの球団で、さまざまな縁もあって大方の予想を覆してファイターズへのFA移籍を決めた山﨑福のような投手もいる。一般の企業でもそうだが、就職・転職において何を重要視するか・・というのがより多様化していることも反映しているように思う。給与を上げることは大切なことだが、単にそれだけではないということで・・・。

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