まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第8回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第24番「蓮華寺」(日は暘谷より出でて・・)

2023年04月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

日出(ひじ)は杵築と別府の間にある町だが、江戸時代には木下氏が治める日出藩というのがあり、また現在は別府や大分のベッドタウンとして賑わっている。サンリオのハーモニーランドもある。平成の大合併では杵築市などとの合併が検討されたが、新しい市の名称や市役所本庁舎の場所などで折り合わず、日出町だけ離脱。別府、大分近郊のコンパクトシティの道を選び、存在感を示している。

バスを降りて2~3分歩くと、若宮八幡神社に出る。目の前の道路は狭いながらクルマの通行が多いのだが、境内からは日出の港を見下ろすことができる。

若宮八幡神社は平安時代、八津島宮から勧請して開かれ、鎌倉時代以降は豊後の大友氏により保護された。しかし、豊後が豊臣秀吉の直轄地となり、日出の代官となった人物が熱心なキリシタンで、社殿を破壊し、ご神体を海に投げ捨てたという。

江戸時代になり、日出藩に木下氏が入ると神社を再建し、投げ捨てられたご神体も戻り、手厚く保護することとなった。寺の楼門も江戸時代の建立という。地元の人たちに古くから親しまれているところだ。

また末社として愛宕社、天満社、高良社があり、それぞれ火難除け・無病息災、学問成就、延命長寿のご利益があるとされる。

そして目指す第24番・蓮華寺は若宮八幡神社に隣接している。いったん道路に出て改めて山門をくぐるが、ひょっとしたら以前は若宮八幡神社の別当寺として一体だった歴史があったりして・・ということも想像してみた。

山門をくぐった正面の立派な建物はあくまで庫裡で、本堂は左手にある。中に入って自由にお参りをということで靴を脱いで上がり、お勤めとする。

蓮華寺が開かれたのは平安時代で、豊後に土着した大神氏の菩提寺として開かれたと言われている。そして江戸時代、やはり日出藩の木下氏が日出の鬼門を守るためとして現在地に移されたとある。そして武運長久や鎮護を祈っていたから、やはり八幡神社とセットだったのかなと思わせる。

現在の本堂は平成に改修されたようで、境内にはかつて屋根あった宝珠が安置されている。

朱印はセルフにていただく。

これで参詣を終え、地図で見ると日出駅、暘谷駅のいずれも徒歩で行けるところだが、別府寄りの暘谷駅に向かうことにする。その前に、先ほど近くに見えた海をもう少し見ようと港に出てみる。別府湾越しに薄くではあるが高崎山の姿も見ることができる。小さな漁港であるが、日出は「城下かれい」の本場で、江戸時代には徳川将軍家にも献上されていた高級魚である。近くの飲食店にも「城下かれい」の文字が見える。ちなみに旬は初夏だとか。

暘谷駅に到着。民営化直前の1987年にできた駅で、手前の踏切横に「暘谷駅設置の経緯」と記された石碑がある。日出町の中心部に駅がないということで(ということは、今の日出駅は町外れということか・・)、地元の人たちの運動により国鉄末期になってようやく駅の設置に至ったという。その期成会に名を連ねる中に「二階堂」という名があるが、大分麦焼酎「二階堂」のことである。そう、九州の景色を舞台にした独特のCMで有名なあれ。日出のブランドやったんやね。

この「暘谷」は日出城の別名にして中国の古書の一節「日出於暘谷 浴于咸池」から取られた名前。現地に来て初めて知ったことで、別府や杵築の陰に隠れたように見えて歴史、教養にあふれたところなのだなと印象を新たにした。

現在の駅舎は再開発計画にともない2016年に移転したもので、駅前には商業施設も並んでいる。九州の札所めぐりでお世話になるホテルAZも駅前にある。別府、大分方面からハーモニーランドへは暘谷駅が玄関駅ということで、駅内にもキャラクターのデザインやポスターが並ぶ。別府で宿が取れなければ日出で泊まるのも面白そうだ。

13時10分発の臼杵行きに乗り、そのまま別府湾沿いに出る。大分県の中心に入って来たなという楽しみが出てくる、

別府到着。次に目指す第25番の金剛頂寺は別府駅から近いところにある。ここまで来れば後の行程もゆったりしたもので、寺参りの後、帰る前に温泉にも入ってみようか・・・。

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