まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

宿場町平福と復旧の姫新線

2018年09月01日 | 旅行記F・中国
智頭急行の平福で下車する。ここも佐用町で兵庫県だが、ブログのカテゴリとしては津山を目指す途中下車ということで「中国地方」に入れておく。佐用川沿いの土蔵群の景色というのを一度じっくり見てみたかったので訪ねてみた。駅は無人駅だが武家屋敷風の建物である。

現在の町の中心は姫新線の佐用駅周辺だったり、中国道の佐用インターということになるのだが、元々はこの平福が佐用の中心だったそうだ。因幡街道に面しており、室町時代は赤松氏の拠点が置かれ、利神城という山城の城下町でもあった(国の史跡に指定されたことを祝う看板が駅舎に掲げられている)。江戸時代初期には平福藩というのもあったが、一国一城令で廃城となった。その後は本陣もある宿場町として、あるいは佐用川の水運で賑わったという。ただ、昭和のはじめに開業した姫新線は平福を通らなかったため、町の中心の地位を失った。智頭急行が開通したのは1994年のことである。まあ、鉄道が通らなかったから古い町並みが残ったと言えなくもない。

その町並みは駅からもすぐのところにあり、徒歩で十分回れる範囲内にある。早速駅舎を出て、佐用川に向かう。日差しが照りつけると暑いが、日陰に入ったり、水の音を聞くといくらかは涼しく感じられる。まずはその佐用川の対岸にある土蔵群を見る。宿場町というと玄関のある表側が取り上げられることが多いが、こうした裏側が絵になる景色というのはそう多いものではないだろう。かつては川べりから荷の積卸をしていたのだろう。

右手に川べりの土蔵群を見た後にかかる橋を渡り、宿場町の中に入って行く。その手前、宿場の外れに「宮本武蔵最初の決闘の地」というのがある。智頭急行に「宮本武蔵」という名前の駅があるが、武蔵はこの辺りの生まれである。13歳の時、当時の武芸者だった有馬喜兵衛が掲げた「なんびとなりとも手合わせいたすべし。我こそ日下無双兵法者なり」という高札を見て、平福の金倉橋のたもとで決闘、一刀のもとにて喜兵衛を斬り捨てた。生涯で60度以上の決闘に負けなかったと伝えられる武蔵の最初の決闘とされている。またこの場所は平福藩の刑場だったとされ、処刑された人たちを供養するための六地蔵が残されている。

旧因幡街道を歩く。古い建物と、新しいながらも周りの雰囲気にマッチした住宅がまじりあっている。その中で目立つのが、江戸時代後期の建物である瓜生家。現在はそばや喫茶の店として使われている。

その脇から川べりに下りる。水面に太陽の光が反射してまぶしい。その中で川面をよく見ると水面近くに小魚が泳ぐのが見え、少し深いところでは少し大きな魚がいる。アユとかヤマメとか、そんなところだろう(動植物の種類の違いには疎い)。川底に多少ゴミが沈んでいるのも見えるが、水としてはきれいなほうの川である。

再び通りに上がる。今は門だけが残る本陣跡や、かつての屋敷を再利用したコミュニティ広場などが続く。300年の伝統を持つという醤油蔵・たつ乃屋本店の建物も風情がある。

郷土館も少しのぞいてみる。全国的にそれほど知名度が高いわけではないが、こうしたさりげない感じの町並みの景色というのは私が好きなスポットの一種である。

現在の因幡街道は国道373号線で、ちょうど駅と向き合う形で道の駅ひらふくがある。やはり交通としてはこちらが人気のようで、国道を行き交うクルマや観光バスが立ち寄ってくる。土産物や地元の野菜なども売られていて、それを買い求める人がレジで行列を作っている。先ほどのたつ乃屋本店の醤油やら、鹿肉の缶詰などを自分土産で買い求める。鹿肉は道の駅のレストランの名物料理だそうで、残念ながらまだランチの営業前でいただくことができなかったが、その代わりにスタンドで売られていた鹿肉のコロッケを買って食べる。コロコロした歯ごたえは感じられるが、鹿肉だと言われなければ気付かないかな。

町を一回りして、道の駅の休憩所で涼むうちにそろそろ列車の時刻が近づいてきた。10時42分発の上郡行きはガラガラ。この列車は「風鈴列車」と銘打って、車内に東日本の陶器やガラスで造られた風鈴が20本ほどぶら下げられており、列車が動くと振動に合わせてチリンチリンと音を鳴らす。佐用まで1駅、しばし夏の風情を楽しむ。

佐用からは11時04分発の津山行きに乗り継ぐ。キハ120の単行で津山からの折り返し列車だが、智頭急行の上郡行きが姫新線の姫路方面からの列車よりも先に着いたので、ボックス席に陣取ることができた。すぐ後に着いた姫路方面からの列車からも多くの乗り継ぎがあり、座席がほぼ埋まる感じで出発する。

姫新線は7月の西日本豪雨で上月~津山~新見が不通となり、このうち上月~津山は8月10日に運転再開したばかりだ(乗車当日は津山~新見はまだ不通だったが、その後、8月27日には津山~中国勝山、8月31日に中国勝山~新見が運転再開)。また佐用町は9年前の2009年台風9号でも大きな被害を受けている。中国山地の東にあって豪雨が来やすいところという印象である。また、再開したばかりというだけでなく、普段からローカル線の悲しい事情で保線や沿線の草刈りが思うようにいかないためか、時折極端に減速する。線路際の標識を見ると「25」という数字もチラッと見えたので、そのくらいの時速で運転しているようだ。

ただそうした運転も地元の人には貴重な足で、短区間の利用も含めて乗り降りは結構ある。

東津山で下車が多く、佐用から1時間ほどで津山に到着。いよいよ、お目当ての扇形機関庫である・・・。
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