まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第1日(広尾~北見)

2018年06月13日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。その初日ということで広尾から始める。『最長片道』では、夜行列車で着いた帯広から広尾線に乗り、その折り返しとなる8時02分発の列車に乗っている。旅の最初の1978年10月13日は「13日の金曜日」という記述がある。

さて、机上旅行では少しでも早くということで広尾7時12分発の十勝バスに乗る。広尾のバスターミナルはかつての国鉄広尾駅の建物を活用したものである。帯広までは2時間20分ほどかかる。『最長片道』では、沿線に生える木がエゾマツかトドマツのどちらなのか悩む記述もある。確かに植物の区別はわかりにくいところがある。

机上旅行は9時35分に帯広駅に到着。9時56分発の「おおぞら4号」で新得に向かう。30分ほどで根室本線と石勝線の分岐駅である新得に着く。『最長片道』当時は石勝線そのものが開通していなかったので、富良野までは根室本線を行く特急に乗っている。宮脇は自由席の座席がふさがっていたために食堂車を利用している。

こちらの机上旅行では、特急は全て石勝線を経由しており、根室本線の滝川から新得までは鈍行列車が細々と走る状況である。そのうえ、2016年8月の台風被害で新得から先、東鹿越までは不通となっており、代行バスが走っている。こちらについてもいつ復旧するのやらというところ。紙の時刻表にはバスのダイヤは掲載されていないが、JR北海道のホームページ等で、次に乗れるのは新得10時49分発とある。かつて「日本三大車窓」の一つと呼ばれた狩勝峠を代行バスでたどるのも珍しいことだろう。

東鹿越では通常運行と同じダイヤの12時09分発の滝川行きに乗り継ぎ、富良野に到着。50分ほどの待ち時間で富良野線に乗る。観光路線としても名高い路線である。

旭川に到着。こちら旭川は、私がJR全線の乗りつぶしを達成した駅として思い出深い(その後新たに開通した区間で乗れていないところがいくつかあり、現在は「乗りつぶし達成」は取り下げているが)。現在の駅舎への新築の際、コンコースに自分の名前を残すというプロジェクトに参加した。それは今も残っている(はずだ)。ここはまた机上旅行ではなくリアルに行ってみたい駅である。

『最長片道』では15時03分発の急行「大雪5号」興部行きに乗っているが、机上旅行では15時37分発の快速「きたみ」に乗る。石北本線の特急の空白の時間帯を埋める役割がある。快速ということで、青春18きっぷのシーズンなどは混雑するのではないだろうか。こちらも北見峠を越える険しいルートが待っている。名前こそ「本線」だが、石北本線もJRが自社単独で維持することが困難な路線の一つとされている。

『最長片道』では17時37分着の遠軽で第1日の行程を終えているが、机上旅行では快速「きたみ」の終着である北見まで乗る。遠軽の先は難所の常紋トンネルを越える。旭川から3時間21分、夏であってもさすがに日が暮れているであろう18時58分、北見に到着。この地方の中心駅ということで、ビジネスホテルもちゃんとある。『最長片道』の行程から60キロほどリードする形で、第1日は終了となる・・・。

※『最長片道』のルート(第1日)
広尾8:02-(広尾線)-10:01帯広10:52-(根室本線)-11:53新得11:56-(特急「おおぞら4号」)-13:08富良野13:36-(富良野線)-14:56旭川15:03-(急行「大雪5号」)-17:37遠軽

※もし行くならのルート(第1日)
広尾7:12-(十勝バス)-9:35帯広9:56-(おおぞら4号)-10:25新得10:49-(根室本線代行バス)-11:57東鹿越12:09-(根室本線)-12:49富良野13:38-(富良野線)-14:55旭川15:37-(快速「きたみ」)-18:58北見

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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第0日(広尾まで)

2018年06月12日 | 机上旅行
札所めぐりと野球観戦以外のネタで書く形になる机上旅行シリーズ。もしも宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後にたどってみれば・・・というテーマで、紙の時刻表とネット検索で日本全国を縦断する。これから暇人のような退屈な文を書くことになるが、お付き合いのほどを・・。

北海道の広尾から鹿児島の枕崎まで。『最長片道』(以下、長いのでこのように略す)では13319.4キロかけたとある。その出発地となる広尾にはどうやって行くか。

宮脇俊三は苫小牧から日高本線を回り、襟裳岬から広尾に着くことを考えていたが、実際には札幌から夜行列車に乗り、帯広から広尾線に乗った。いきなり切符のルートを逆送する形になったが、沿線の朝日の景色を見て新鮮な気持ちで広尾駅に降り立っている。

さて、大阪にいる私が広尾に向かうにはどうするか。札幌(新千歳)まで飛行機で飛んで、苫小牧から日高本線に乗るのがベストだが、同線も2015年1月に低気圧による高潮での線路被害で一部区間が運休となっている。JRは工事が困難として復旧を断念するだけでなく、日高本線じたいの単独での路線維持が難しいとして、地元と対応を検討しているところだ。現状では、日高本線~襟裳岬~広尾へのルートをたどるのは難しそうだ。

大阪から帯広への直行便はないので、新千歳まで飛んで、帯広まで特急に乗ることにする。『最長片道』の当時にはなかった石勝線を行くのもいいだろう。帯広から広尾へはバス。途中、観光地にもなっている旧幸福駅に立ち寄ってもいい。昔一度訪ねたことがあり(もちろん、広尾線は廃止になった後だが)、当時の勤務先の名刺を貼った覚えがある。ただ、駅舎も老朽化で建て替えられたそうで、今は残ってないだろうな・・。

広尾に到着。ネットによればビジネスホテル、ビジネス旅館が何軒かあるようで、そちらに泊まって翌朝早くに出発とする・・・。

・・・とまあ、こういう感じで書いていくことになるのかな・・。最後には、宮脇俊三の『最長片道』のルートと、私の机上旅行ダイヤを並べてみる。『最長片道』の発着時刻は、著書と「取材ノート」でわかる範囲を記す。その筋の方なら、当時の時刻表をひもといてより詳しい時間を示されるのだろうが、私の場合はそこまでのものはないので、途中記載していないところも多い。いずれにしても、時刻表と地図がないとどこを連れ回されているか分かりにくいのだが・・・。

※『最長片道』のルート(第0日)
羽田15:05-(JAL)-千歳・・・札幌22:00-(夜行「からまつ」)-5:39帯広5:43-(広尾線)-広尾

※もし行くならのルート(第0日)
伊丹8:10-(JAL)-10:00新千歳10:45-(快速エアポート)-10:48南千歳10:57-(スーパーとかち3号)-13:10帯広14:30-(十勝バス)-15:21幸福16:21-(十勝バス)-17:52広尾
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『最長片道切符の旅』の40年後は・・

2018年06月11日 | 机上旅行
このところ、上司の出張ルートを考えたり、私の次回以降の四国八十八所めぐりの公共交通機関ルートを調べたりするのに、ネット以外にも紙の時刻表を見ることが多い。かつて「時刻表検定試験」なるトリビア資格で2級をとったこともあるから、紙の時刻表を見たほうが全体の計画が立てやすかったり、変わったルートを見つけたりすることもある。

そんな中、ふと本棚にあるこの一冊を手にした。宮脇俊三『最長片道切符の旅』である。もう30年以上前に購入したもので、もう紙も焼けた状態なのだが、旅の本としてこれまでに何度か読んでいる。行程1日が1章なので、エリアをつまんで読むこともある。

この旅が1978年の10~12月にかけて行われたのを見て、ちょうど40年前のことだと気づく。文中には、その年行われたヤクルト対阪急の日本シリーズをちらりとテレビ観戦したことにも触れられている(第7戦の大杉のホームラン、上田監督の抗議については出てこないが、取材ノートには上田監督を批判するメモが残されている)。ふとテレビを見ると、スワローズ対バファローズの交流戦の最中。これは偶然。

宮脇氏の「最長片道切符」は北海道の広尾から鹿児島の枕崎を旅したもの。その後新線開通やローカル線の廃止、さらには新幹線開業と引き換えの在来線移管があり、現在では途中経路が時おり変わるが、稚内から佐賀の肥前山口までが最長となっている。NHKの番組で関口友宏さんが旅をしたことで一般の方にもその存在が広まったこともある。今では、「最長片道切符」を作ってもらい、実際に旅をする様子がブログやツィッターでも流れる時代だ。

今の私はとてもそうした旅はできないが、時刻表を使った「机上旅行」ならできる。久しぶりに、時刻表を使ったそうした遊びも面白いだろう。

ならば現在の「稚内~肥前山口」をたどってみればよいのだが、ここは、宮脇氏が回った「広尾~枕崎」を現在同じようにたどるとすればどうなるかを試すことにする。もちろん、「最長片道切符」にはならない。ただ、一つのルートをたどる中で、昭和はおろか平成という一つの時代が幕を閉じようとする中での日本の交通事情の一端が見えるかもしれない。

さてシミュレーションにあたっては、「現実に行くことはないにしても、もし何かと引き換えに行けと言われれば行く」というつもりで組み立てるとして、いくつかルールを作ってみる。

・ルートは、宮脇俊三氏がたどったところを行く。その後の新線開通などで区間がかぶるところがあっても気にしない。新幹線の区間も、乗ることができるのは当時も営業していた東海道・山陽新幹線のみとする。一方、鉄道廃止区間は転換バスなどでたどる。紙の時刻表でわからないところはネットで検索する。

・移動時間は基本的に夜明けから日暮れまでの間とするが、ダイヤの状況によっては未明、あるいは夜も移動する(理想は17~18時には着いて、ビジネスホテルにチェックインした後、土地の居酒屋に入ること)。時刻表に全ての列車が書かれているわけではない東京や大阪の近郊区間は、ネットの乗り換え検索も活用して「このくらいなら」という時間で乗り換えとする。また、何曜日にその地を旅するのかは決められないことから、ダイヤは基本的にどの日も平日ダイヤとする(土日祝日運休だと、地方のコミュニティバスはほぼ全滅で前に進めないところもあるだろうが)。

・実際に「最長片道切符」の旅をした方は、ほとんどが途中で旅程を中断している。現実に旅するならそうなるだろうが、このシミュレーションでは四国八十八所でいうところの「通し打ち」とする。このシミュレーションで何日かけて旅するかはわからないが、少なくとも遍路姿で40~50日四国をひたすら歩き続けて通し打ちするよりは楽だろう。歩き続けるわけでなく、列車やバスに揺られているのだから。

・基本的に寄り道や観光目的での途中下車や、寄り道のためのはみ出し乗車はしない。よほど乗り換えの時間が空くか、宿泊施設への移動のためなら仕方がないが・・・。

というわけで、40年前の旅を今同じようにするならどうなるか。別に誰かのためになるわけでもなく、単に時刻表を使った遊びなのだが・・・。
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大谷翔平が故障者リスト入り、二刀流はやはり厳しいのか

2018年06月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
9日は当番の出勤だったために交流戦はネット速報で見るだけだったが、バファローズはスワローズに完敗。先発したディクソンが1回6失点と、スワローズ打線にのされてしまった。雨天の関係でローテーションがずれて、山岡を一度飛ばす形で先発となったが・・。もうこの調子では厳しい、今季限りになってしまうのかなとも心配である。一方で急遽リリーフ登板となった山崎が先発候補になったとあり、次週のカープ、ベイスターズ戦に期待である。

さて、ようやく記事のタイトルだが、このニュースは交流戦の結果よりも大きく扱われることだろう。しばらくはノースローで様子を見るそうだが、症状によっては肘の手術も必要で、アメリカの消息筋の中には、今季だけでなく来季も絶望では?と予測する向きもあるようだ。

普段それほど意識して見ているわけではないが、やはりメジャーの環境というのはハードなのかな。もちろん本人もケアは怠っていないだろうし、チームも登板間隔や起用方法について配慮していたところ。またあるいは、故障というのがそもそもメジャーに付き物というのかもしれない。

ここは割り切って休養、じっくり治療してもらうしかないかな。

・・・日曜朝の番組おなじみ「喝!!」のあの方が、明日は「それ見たことか」と、メジャーでの起用方法、さらには二刀流そのものにダメ出しをするのが目に浮かぶ・・・。
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しんどい試合が続くけど、接戦をある程度モノにできているから今後に生きるのでは?

2018年06月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦も折り返しで後半3カード、バファローズはスワローズ、カープ、ベイスターズとの対戦となる。

交流戦に入ってからというもの、最初のドラゴンズ戦はスコアこそ大差がついたように見えるが勝った試合も前半は打線が沈黙していたし、その後のジャイアンツ、タイガース戦も1点を争う試合が続いた。我慢の続く中で勝ったり負けたりというところだが、何とか投手陣が踏ん張り、打線も少しラッキーなところがあれば点を拾って・・というところが多い。

ただ、そうした試合をいくらかでも拾えているのは昨年、一昨年はなかったことだし、選手たちにもいい緊張になっているのではないかと思う。ラッキーボーイというか、若い選手も代わる代わる名前が出てきているし。

今季も交流戦はパ・リーグが優位(これはパのファンとしては大いに喜ぶべきことで)、ただ上位との差もなかなか縮まらないが、ここでの勝ち癖、我慢して勝つということが身に着けば、その後のリーグ戦にも生きるのではないかと思う。

とりあえず、交流戦好調のスワローズの連勝を止めたということで・・・。
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第9番「大龍寺」~近畿三十六不動めぐり・17(修法ヶ原から大師道へ)

2018年06月07日 | 近畿三十六不動
再度山の頂上から下山する。先ほど上ったのは大龍寺の奥の院から崖をよじ上ったもので、一応道はつながっていたが本来の登山道ではないのかもしれない。これから下りるルートはこちらも急な下り坂だが、まだ登山道の形にはなっていた。

坂道を下ると遊歩道に出る。ここを歩くと出たのが再度公園。車道も通っており、前には池が広がる。修法ヶ原池という。先の記事で、大龍寺は弘法大師が修行したところと触れたが、修法ヶ原というスポットもそこから来ている。

池の周りにはベンチもあるし、食事もできるログハウスもある。ハイキングの人、あるいはクルマで来た人が思い思いに過ごしている。ここに来るのは初めてなのだが、当初はここで昼食にしようと思っていた。ただ、先ほど訪ねた再度山の頂上からの景色が良かったので、そこで弁当をいただいた次第である。こちらの池を眺めながらというのも、アウトドアの景色としてよいものである。なお、この再度公園や修法ヶ原池というのは、明治から昭和のかけての植林再生事業によって整備されたものだという。

さてここで折り返して帰り道、バスに乗るという手もあるが、せっかくなので歩いて戻ることにする。再び大龍寺に戻る。途中から、四国八十八所のお砂踏みを逆に歩く形になる。稲荷神社も同居しているようで赤い鳥居も並ぶ。

大龍寺の仁王門を出て、今度は山門に戻らず大師道を行くことにする。弘法大師が上った道ということだろうか。その入口に善助茶屋跡というのがある。「毎日登山発祥の地」の石碑がある。明治時代、神戸に住んでいた外国人たちが北野から坂を上り、この地にあった善助茶屋にノートを置いてサインをすることを行った。それにならって神戸市民が山を上りだしたのが毎日登山の始まりだという。茶屋そのものは寂れてなくなってしまったが、登山の習慣は今にも受け継がれている。

大師道に入る。時折道幅の狭いところもある。木の伐採によるものか、台風などの被害か、倒れている木も結構目立つ。行きよりもハードな道のりになるのかなと不安に思う。

そうすると車道に出て、またも池に出る。猩々池という、江戸時代に掘られたため池である。先ほどの修法ヶ原池よりも小ぶりで、池の水も何だか濁って見える。また、「ヴォー、ヴォー」という鳴き声がする。ウシガエルだろうか。池のほとりには釣竿を持った男性がいて、鳴き声がするる方向に向けて釣り糸を落としている。ウシガエルを「釣る」のだろう。カエルなんて釣ってどうするのかと思うが、ネット記事によると、ウシガエルそのものが元々食用として養殖されたものだから、美味しくいただこうということか(私は嫌だが)。

池からは再び山道となる。沿道にこのような「丁石」が見られるようになる。大龍寺までの距離だろう。この先一丁ずつに立っており、いずれもお地蔵さんの赤い前垂れがつけられている。中には祠に収められた丁石もある。

猩々池からの下りはそれほど急なものではなく、道幅も広い。途中、マウンテンバイクが追い越して行ったのには驚いたが、マウンテンバイクでも下ることができる山道ということだろう。青もみじや緑を楽しみつつ、丁石を数えながら歩く。途中、いくつかの廃屋にも出会う。毎日登山発祥の道といってもいい大師道だが、善助茶屋も「跡」であるように、この道では一時商売も成り立ったのだろうが今では立ち寄る人も少なくなったということか。ただ廃屋がそのまま放置されているのは残念である。一方では、大師道の環境保全ということで、歩いて行き交う人たちに向けて清掃活動を呼びかける立札もある。

再度公園から40分あまり歩いたところで、稲荷茶屋というのに出会う。ここを過ぎると道もアスファルトになり、住宅も見えるようになった。山登りとしては終了というところだ。この先も下り坂が続くが、丁石も残っている。

神戸山手女子高校の前を通り、諏訪神社の鳥居の前に出る。1時間ほどで市街地に戻ってきた。この後もう少し下り、相楽園の前を過ぎると兵庫県庁である。この先にJR、阪神の元町駅があるが、私はここでウォーキングを終了し、三宮まで1駅地下鉄に乗る。

三宮で立ち寄ったのは、久しぶりの訪問となる「居酒屋ごん太」。最近は行けていなかったが、以前は神戸での野球観戦の帰りに立ち寄ったりもしていた店である。三宮駅横、JRのガード下に居酒屋がひしめき合っている一角にあるが、こちらは昼12時からの営業で、15時すぎの時間帯だが店内はほぼ満席。18時までは生ビールが1杯280円(通常380円)で楽しめるのもありがたい。こちらで大龍寺までの道のりの後の疲れを癒す。しいたけ茶もよかったが生ビールのほうが美味い。オリジナルの「ごん太巻」もいただく。ひき肉といんげんを海苔で包んで揚げた一品である。

さて近畿三十六不動もこれで17ヶ所訪問となり、そろそろ半分近くになってきた。今回の大龍寺もそうだったが、行くこと自体が初めての寺、スポットというのもまだまだあり、これからもそうしたところが続く。身近なところの楽しみとしてこの先も続けたいものだ・・・。
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第9番「大龍寺」~近畿三十六不動めぐり・17(山中の名刹と再度山頂)

2018年06月05日 | 近畿三十六不動
新神戸駅から布引の滝などをめぐって1時間半後、大龍寺の山門に出る。「別格本山」の石碑に加えて、近畿三十六不動、摂津八十八札所、西国愛染明王といった札所の立て札が見える。神戸市内にあって山中の名刹らしい風情がただよう。

山門をくぐると100mはある急な上り坂が続く。そこを何とか上りきると開けたところがあり、さらに石段を上る。

「毎日登山一万回」を記念する石碑がある。「毎日登山」とは神戸の文化の一つとされている。明治の開港以降に居留した外国人が始めたのが市民にも広まったもので、市街地のすぐ背後に山があることから、毎朝山に上り、山上で記帳するのを日課にするのだという。今ではそうした登山の会も結構あるようで、一万回というと、1年が365日だからざっと30年かかる。中には二万回を記録した方もいるというからすごい。布引の滝や再度山、大龍寺はお手頃なコースとしてその筋では有名らしい。私は初めて来たが、一回来ただけでゼイゼイ言っているようでは足元にも及ばない。

仁王門をくぐるとまた石段だが、今度は四国八十八所、西国三十三所のお砂踏みとして祠が並ぶ。大龍寺の敷地の広さがうかがえる。

大龍寺は奈良時代の政治家・和気清麻呂の手で開かれたとある。天皇の命で寺院建立のために摂津の国を訪ねていた清麻呂だが、このあたりで政敵・弓削道鏡が放った刺客に襲われる。この危機に、龍と見まがうほどの大蛇が現れて刺客を追い払い、清麻呂は助かる。これに霊験を感じて、この地に如意輪観音を祀ったのが大龍寺の起こりという。

石段を上がると本堂が建つ。ちょうどハイキング姿の人たちも手を合わせているところだ。本堂の前、こちらから左手にはぼけ封じ観音、そして右手には弘法大師の像が立つ。大龍寺は弘法大師とも縁が深く、遣唐使として唐に渡る前、この地でも修行をしていた。航海中に暴風雨に遭った時に龍が現れて守ったという伝説があるが、この龍は大龍寺から来たと言われている。また、遣唐使からの帰国後にもこの地を訪ねて修行した。弘法大師が二度来たから「再度山(ふたたびさん)」という名前になったという。こうして見ると、観光寺院とは異なるが結構メジャーな札所だと言える。

ハイキングの人たちと入れ替わるように本堂でお勤め。ここでは如意輪観音の真言を唱える。そして、近畿三十六不動めぐりは隣接する不動堂でもう一つお勤め。

境内には毘沙門天や大黒天を祀るお堂もあれば、数々の石仏もある。境内の多くは江戸時代以降に再興されたものだが、歴史の風格を感じさせる。

さて納経帳だが、本堂や不動堂から少し石段を下りた霊命殿で受け付けている。こちらは法要なども行われる現代風の立派な建物。納経帳も、玄関で靴を脱いで法要が行われる広間で受け付ける。観音、そして不動の祭壇も設けられており、ここで手を合わせるだけでもありがたい気持ちになりそうだ。

納経帳のバインダーを差し出すと、「お持ちしますのでしばらくおかけになって」と、広間のパイプ椅子を勧められる。腰掛けると、「しいたけ茶です。塩分補給でお菓子もつまんでください」と、湯呑みが出てくる。納経に来た人たち皆に勧めていたから、大龍寺ならではのお接待なのだろう。しいたけ茶はお茶というより(永谷園の)お吸い物に近い味だが、ここまで歩いてきた身にはちょうどよい塩加減だった。

しばらく休んで、さらに上を目指す。奥の院として大師堂があり、四国八十八所の祠をたどって行くと着くことができる。

さらには、再度山の頂上の下に、弘法大師が彫ったという亀の石がある。そこに向かうがこれが難所。木の間を虎ロープで結んでいたり、両手を前に出して石を掴まないと上れないところもあり、プチ修行気分である。

さらに上は木が切り倒されていて、何となく道が続いているようだ。再度山の頂上かと這うように上る。

果たしてそこは標高470mの再度山の頂上だった。木が切り倒したのも最近のようで、長らくは山頂も木々に覆われていたのだろう。

目の前にはこの景色。眼下の神戸市街はもとより、大阪市街、あべのハルカス、さらには生駒山系まで見える。うーん、自然破壊と言われればそれまでだが、木を切り倒したのも何となくわかるような気がする。夜になったらこれまで広く知られたのとは一味違う景色が広がるのだろう。

時刻は13時近く、ここで昼食とする。当初はこの先の再度山公園でと思っていたが、山頂がこのような景色で、おまけに他に人はいない。ちょうどいい感じの切り株があったので腰を下ろす。

持参したのは、神戸の駅弁で知られる淡路屋の「六甲山縦走弁当」。少々小ぶりだが、おにぎりの他にはタコの煮付け、すき焼き風(神戸牛を意識?)、イカナゴのくぎ煮などがおかずとして入っており、神戸らしさをさりげなく取り込んだ一品である。感想としては「ビールが欲しい!」だが、ビールは山を下りるまでお預けだ。

そして、ここで次の札所へのくじ引きとサイコロをやってしまう。当初は同じ神戸エリアとして、大龍寺と箕谷の無動寺を合わせてまわるつもりだったが、大龍寺までのアクセスもあり、結局別エリアとした。まあ、私だけのルールなので・・。

改めてくじ引きで出たのは、

1.大原(三千院)

2.豊中宝塚(不動寺、中山寺)

3.神戸(無動寺)

4.和歌山(根来寺)

5.生駒(宝山寺)

6.東山(聖護院、青蓮院、智積院)

・・・しっかりと無動寺が出ている。この後のサイコロで無動寺の目が出れば、「ちゃんとエリアごとに行け」との思し召しなんだろうなと勝手にイメージする。

そんな中で出たのは、「2」。豊中から中山寺という、街中型の組み合わせ。初めてとなる豊中の不動寺はともかく、中山寺はどの札所めぐりにも顔を出すいわば常連である。駅からのアクセスもよいので、これからの時季でもあまり天候を意識しなくてもいいかなと思う。

再度山まで行ったことで折り返しとする。時刻は13時、下山ということで歩き始める・・・。
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第9番「大龍寺」~近畿三十六不動めぐり・17(布引ハイキング)

2018年06月04日 | 近畿三十六不動
6月に入り、そろそろ梅雨入りとなる近畿地方。その中で「貴重な晴れの週末」ということで、6月3日の日曜日に出かけることにする。

この日はどこに行こうか迷っていた。ドームでの交流戦(バファローズ対ジャイアンツ)もあるし、間隔が空いているBCリーグ観戦で滋賀まで行こうかとも思っていた。ただその中で選んだのが近畿三十六不動めぐりである。交流戦はチケットを持っていないのと、BCリーグの滋賀はあまりの体たらくに行く気が失せそうなこと(これについては、別に記事にすることもあるだろう)、梅雨と本格的な暑さの前に、行くのにハードな場所が結構ある不動めぐりを少し進めておこうというのが理由。

前回のサイコロでの選択により、行くのは神戸市内の2つの札所である大龍寺と無動寺。大龍寺へは三宮から市バス(ただし、4月~11月の土日祝日のみ運行)、無動寺へは神戸電鉄の箕谷駅から市バスでアクセスすることになる。2つの寺を直接結ぶバスはないので、大龍寺に行った後はバスで三宮に戻り、北神急行または市バスで谷上駅に出て、神戸電鉄で1駅、箕谷まで乗車することになる。

ただ、大龍寺へのアクセスを見ると、六甲縦走や布引の滝などと絡めたハイキングコースの一部として紹介されているものが結構多い。その中の一つに、再度山(ふたたびさん)コースとして、布引の滝から市が原を経て大龍寺に行き、再度山の山頂を目指すというのがある。大龍寺で標高360m、再度山頂で標高470mあるという。布引の滝とセットということになれば、歩いて行くのも面白そうだ。

10時半、新神戸駅に到着する。新神戸が目的地なら新大阪から1駅新幹線に乗るというのも意表を突いたアクセスであるが、そこは現実的に三宮から地下鉄に乗車する。駅には新幹線に乗車する人とハイキングの格好をした人が入り混じっている。

駅のポスターには布引のハイキングについて紹介したものがある。また一方で、無動寺について、市営交通100周年イベントの一つとして、「市バス111系統で巡る北区山田町の重要文化財の旅」というコースが紹介されている。こうなれば、大龍寺と無動寺を1日で行ってしまうのではなく、別のエリアとして楽しんだ方がよさそうである。

駅のガード下をくぐり山側に出る。布引の滝への入口は新神戸駅からすぐ近く、2分ほどで砂子(いそご)橋に出る。まず出迎えるのは雌滝。

ここから上りとなる。コンクリートの道や階段が通じていて、ハイキングでなくても散策モードで歩くことができる。道端には古来の歌人の石碑も並ぶ。途中には少し見にくいが鼓ヶ滝というのがある。

そして来たのが 落差43mの雄滝。布引の滝といえばこの滝が紹介されることが多い。滝の水が一度滝壺に落ち、さらに下流へと流れ落ちる。水量も豊かだし、滝前のベンチに腰かけて長い時間見る様子の人も多い。滝の横には不動明王の祠もある。近畿三十六不動とは直接関係ないだろうが、ここで一つ手を合わせる。

雄滝から階段を少し上がると見晴らし展望台に出る。神戸市街を見下ろすことができる。夜景はさぞかし綺麗なんだろうなと想像する。ある意味、六甲山よりも手軽に夜景を楽しめるところなのかもしれない。

散策で来た人はここで折り返すようで、この先はハイキングらしい(プラス、札所めぐり)人の姿が多くなる。徳島の祖谷のかづら橋に似せた橋の横も通るが、この辺りは道幅も広いし、コンクリート舗装の箇所も多い。

前方に巨大な石垣がそびえる。布引ダムである。石垣ではなくコンクリートなのだが、要塞の城壁のように見える。

この上が布引貯水池。周りを緑に囲まれて、自然の池のように見える。自然を楽しめるスポットである。散策ならここを折り返しにしてもいい感じだ。

この後は、「ご利益あります」との看板もある水天宮社や、青もみじが鮮やかなエリアを歩く。ここからはハイキングの人が中心で、行き交う人も少なくなったように思う。まあ、そのほうが気楽に歩けてよい。この先は上りが続くが、四国の「遍路ころがし」のような難所ということもなく、足に来るというのはない。暑いのと、小さな虫が飛び交うのは少々鬱陶しく感じるが・・。

新神戸駅から1時間ほどで市が原に着く。浅瀬では子どもたちが小魚か何かを獲っているところ。早くも夏の光景である。

ただ大龍寺はまだ先。しばらく自然の山道を抜けた後で、舗装の車道に出る。照り返しもあって暑さが増すように感じる。おまけにしばらく容赦のない上り。ここは踏ん張って歩くしかない。

市が原から30分近くかかると、クルマが行き交う音が聞こえてきた。最後にエイヤッと車道に上がると、大龍寺の山門の前だった。車道は三宮から森林植物園までのドライブウェイで、土日祝日限定の路線バスの停留所も山門の真ん前にある。ちょうど、三宮からのバスが下車客なく通過していった。あのバスに乗れば、自宅を1時間遅く出発するのと同じである。そこはまあ、途中で布引の滝や緑を楽しめたのでよかったのだが。

山門をくぐるとすぐに本堂・・・ではなく、大龍寺はクルマやバスで来た人たちにも山の中の名刹らしい舞台を用意しているようで・・・。
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総力戦で何とか勝利!

2018年06月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦の2カード目、バファローズ対ジャイアンツの2戦目は4時間半の総力戦。テレビ桟敷での観戦だったが、ともかく勝ってよかった。

序盤は山岡と田口という、ともに広島県で甲子園への出場をかけて投げ合った両先発の投げ合い。ジャイアンツで4番に初めて入った岡本の一発で先制、バファローズ打線は田口の前に沈黙。何だかこのままジャイアンツが勝ってしまうのかなという思いだった。

終盤に入って試合がもつれ、延長戦、総力戦になったわけだが、両チームのブルペン陣のよさが見られた一方、攻撃、守備がチグハグだったところもあり、何だかもどかしかった。中軸も当たっていなかったし・・(まあこれは見方によってということで、両チームの選手は誰一人手を抜かず一生懸命プレーしていたことに違いはない)。

最後は、野手でラスト出場となった伏見のタイムリーでサヨナラ勝ち。本拠地でのジャイアンツ戦の連敗を9で止め、勝率も5割復帰、交流戦も白星先行となった。翌3日がデーゲームだが、勝ちで入れるのは大きい。

3日の第3戦はバファローズが田嶋、ジャイアンツが内海という「新旧左腕対決」となる。勝ち越しなるか・・・。
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第24番「岩屋寺」~近畿三十六不動めぐり・16(不動めぐりは3巡すべし)

2018年06月01日 | 近畿三十六不動
山科の大石神社を参詣し、境内の奥に伸びる細道を歩く。すると木に覆われた一角に出る。何か塚があり、散歩らしい地元の人が、前を通り過ぎる時に軽く手を合わせていた。

これは大石内蔵助の遺髪が納められた塚だという。このようなものがあるのは、ちょうどここが内蔵助が山科に隠居していた時の屋敷があるからとされている。旧居跡を示す石碑も建てられている。浪人が国を替えて住むのは当時なかなか難しかったようだが、近隣に大石家の縁者が土地を持っていたこともあって住むことができたそうである。

その旧居跡から石段が伸びている。これが岩屋寺である。札所めぐりでは珍しく曹洞宗の文字が見られる。この岩屋寺、この上に鎮座する山科神社の別当寺として建てられたというが、詳しい創建は不明だという。今ある曹洞宗の寺の中には、住職もおらず荒れ放題となっていたところに、永平寺で修行した雲水の僧が住むようになった(村の人たちが葬式をしてもらったり、文字を教えてもらう代わりに寺のお堂を住居として提供した・・との説も)ことが直接の由来になっている寺もあるようだ。この岩屋寺もそうした歴史があるのかもしれない。

山門をくぐる。山門といっても仁王像がおわすわけでもなく、また境内も小ぢんまりとしている。寺というより、田舎の屋敷に来たかのような風情である。

他にお参りする人もおらず、まずは本堂の前でお勤め。先ほど今熊野観音寺で開いた西国三十三所用とは別の経本である。

お参りする方から左手に納経所がある。ブザーを鳴らすと、少し間があって寺の女性が格子を開けた。「足が悪うて時間かかってすんまへんなあ」と。いえいえ。

納経帳のバインダーを提示すると、「せっかくなんで、お不動さんにロウソクあげてやってください」と、本堂正面の障子を開けてくれる。「お不動さんで来はったん?そういう方は少のうてねえ・・・。大石さんの家は見はったん?ああそうですか・・・ 」と。大石さんの家って、300年前がついこの間までそこに住んでいたかのように思えるような口調である。

寺の方の仰せのとおり、本堂に上がってロウソクを供える。正面の厨子には秘仏の本尊不動明王が祀られているとのことだが、大石内蔵助の念持仏だったという。内蔵助の念持仏といえば、赤穂の花岳寺にある観音像もそうだったのではないか。花岳寺が新西国三十三所の札所に選抜されているのも、こちら岩屋寺が近畿三十六不動の一つになっているのも、大石内蔵助、忠臣蔵が絡んでいるということである。これも歴史の面白さの一つだと思う。

お参りする間に朱印をいただいた納経帳を返していただく。そこで、「お不動さんめぐりは初めて?」と訊かれる。そうだと答えると、「お不動さんはぜひ3べん回ってください」と言われる。その3べんというのは、「過去・現在・未来」それぞれの供養をすることを意味しており、三十六不動を3回というのは36かける3で108、煩悩の数・・・ということのようだ。1巡目はまだ「過去」の段階だそうだ。「一生かかってええくらいゆっくり回りはったらよろしいわ。ご朱印も重ね印をしてもろうたらええ・・・」と送り出される。近畿三十六不動の3巡か・・・。西国三十三所の2巡目もやっているくらいだから、それこそぼちぼちという感じで行くことができればいいのかなと思う。

さて、近畿三十六不動めぐりの札所としてはこれで一つ回ったことになり、次どこに行くかのくじ引きとサイコロである。出走順は・・・

1.左京(曼殊院)

2.大原(三千院)

3.生駒(宝山寺)

4.和歌山(根来寺)

5.神戸(大竜寺、無動寺)

6.湖西(葛川明王院)

・・・この中で出たのは「5」。神戸市内である。神戸市といっても三宮の市街地からは山の中に入るところで、これも神戸市の自然の豊かさを伝えるところなのかなと期待する。

この後は、隣接する山科神社に参拝。岩屋寺の横から急な坂道と石段を上がり、境内へ。こちらは平安中期、宇多天皇の勅願により創建されたとされている。大石内蔵助もこの地に隠棲していた時は、大願成就ということでお詣りしていたともされている(大石神社ができたのは後の話で・・)

これで岩屋寺の参詣を終えて、前からの記事でも書いているが、わかさスタジアム京都(西京極球場)でのプロ野球観戦である。こちら岩屋寺から5分ほど歩いて大石神社のバス停がある。山科駅や四条河原町と醍醐方面を結ぶ系統がある。次に来るのは四条河原町行きで、この後阪急に乗るぶんには都合がよい。

途中で国道1号線に出て東山トンネルを抜ける。東大路通に入ると少し渋滞する。ちょうど清水寺から祇園にかけての観光エリアで、歩道も賑わっている。目立つのは着物のレンタル店。外国人にも好評のようだ。最後は八坂神社前から四条通に入り、河原町に到着。大石神社からは40分ほどかかった。

阪急の地下ホームに行く。車内にはバファローズ、マリーンズ双方のファンも乗り合わせている。京都の人か、あるいは京都見物+野球か。

さて試合のほうは前の記事のとおりバファローズが接戦を制し、交流戦に入った。昨年はパッとしなかった交流戦、今年こそは好成績を収めてほしいものである・・・。
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