神仏霊場巡拝の道、まずは京都1番の石清水八幡宮に参拝し、京阪の淀駅に隣接する京都競馬場からシャトルバスに乗って阪急の西山天王山駅に向かう。通常の路線バスを運行するのは阪急バスだが、競馬場の臨時輸送は京阪バスが担当している。
サントリービールの京都工場の横を通る。天然水のビール工場である。水無瀬神宮と石清水八幡宮をセットで回ろうと決めた時、サントリーの工場見学ができるかなと予約サイトを検索したが、特に渡日は満員御礼が続いているようだ。
西山天王山駅に到着。京都縦貫道の高架下に2013年に新設された駅である。駅の開業と合わせて高速バスの停留所も設けられたこともあるが、京都、大阪方面への通学や通勤の利便性もあって利用客は当初の予想を上回るペースだという。
天下茶屋行きの準急に乗る。しばらくするとJR京都線の線路が並走し、それと分かれると今度は大山崎駅近くで新幹線の線路と並走する。東海道新幹線を建設する工程の中で阪急京都線の線路のかさ上げも必要となり、一時的に阪急電車が建設中の新幹線の線路上を走った歴史もある。到着した水無瀬駅は対向式ホームで新幹線側には塀が並ぶ。ちなみに1駅高槻市寄りの上牧駅だと島式ホームで阪急電車と新幹線の両方を見物することができる。
水無瀬駅に降り立つのは初めて。高架下を利用した商店街も伸びる。
水無瀬神宮へは徒歩10分あまり。じめじめした暑さの中、阪急、新幹線に沿って歩く。歩くのは阪急の線路側だが、2~3分おきに新幹線の通過音が聞こえる。この区間はいずれも16両編成のため、通過音も長い。1日中この音に接する沿線住民の心持ちはいかがなものだろうか。新幹線と合わせて阪急電車も並走するので、鉄道好きな方なら1日いても飽きることがないだろうが・・。
案内板に従って、いったん境内を回り込み、西向きに鎮座する水無瀬神宮に到着。神門の前には風鈴が飾られており、涼しげな音色を奏でている。風鈴とともにスマホでインスタ映えを狙った撮影をする光景も見える。
そして境内に入ると、社殿前をはじめあちこちで風鈴である。これを目当てに参拝する人の姿も多い。子どもも喜んでいるし、自ら小道具を仕込んで撮影に勤しむ姿も見える。
水無瀬神宮が建てられたのは鎌倉時代。元々は後鳥羽上皇の離宮があった場所だが、上皇は承久の乱に敗れて隠岐に流され、そこで崩御した。その後は荒れ果てていたが、水無瀬信成という公卿が離宮の跡地に後鳥羽上皇の御影堂を建立し、後土御門天皇が隠岐から後鳥羽上皇の神霊を迎えて水無瀬宮とした。
江戸時代までは仏式で祀られていたが、明治の神仏分離で水無瀬宮となり、承久の乱で後鳥羽上皇とともに配流された土御門天皇、順徳天皇の神霊も迎えた。今は北摂の地にあって地元の人たちも気軽にお参りする神社である。
そして、風鈴である。後鳥羽上皇の霊を慰めたのが始まりというが、いつから行われているのだろうか。現在は「招福の風」として、願い事を書いた短冊を風鈴につける。9月上旬まで行われていて、8月の土日の夜にはライトアップもされるそうだ。
この風鈴、日本人には涼やかな音として昔から夏の風物詩として親しまれており、全国各地で風鈴を吊るす神社仏閣も多いが、これがバックボーンとして刷り込まれていない人にとっては単なる騒音にしか聴こえないそうだ。どちらが良い、悪いということではないが・・。
朱印をいただき、もうしばらく風鈴の音を楽しむ。それともう一つ、手水舎の水が「離宮の水」として、多くの人が水をいただこうとボトルを手に行列しているのを見る。後鳥羽上皇がこの地に離宮を構えたのも、ひょっとしたらこの水に惹かれたからかもしれない。現在もサントリービールの京都工場、そしてウイスキーの山﨑蒸留所があるのも、後鳥羽上皇の頃から変わらぬ水が湧き出る地ということからだろう。また、手水舎では水みくじも行える。
さて、前回からの目的地であった水無瀬神宮に無事参拝したということで、こちらは水みくじではないが、次の行き先を決めるあみだくじである。その出走表となる前段のくじ引きでは・・
・永源寺(滋賀8番)
・熊野速玉大社(和歌山1番)
・智積院(京都40番)
・御上神社(滋賀12番)
・日吉大社(滋賀17番)
・長田神社(兵庫6番)
やけに滋賀方面、そしてまたも熊野三山の一つが出たなというところで、くじ引きの最後に出た長田神社にびっくりした。この後、午後からはほっともっとフィールド神戸でのバファローズ対ライオンズの薄暮試合に出かけることにしており、長田神社といえばまさにその道中、しかも神戸市内ということで、途中下車して必勝祈願でもできそうである。
そしてアプリにランダムに並んだ6つの行き先。そしてくじの結果は・・何と長田神社! これはイカサマなどなく、本当に1貝での結果である。よし、これはお参りだ。
往復で変化をつける意味で、水無瀬駅とほぼ距離が変わらないJRの島本駅に向かう。JRの山﨑駅方面から続く西国街道を通るルートである。
その島本駅のすぐ横に、桜井駅跡がある。ここは「太平記」にも登場する、楠木正成・正行親子の「桜井の別れ」で知られている。九州で勢力をつけて逆襲した足利軍を迎え撃つよう後醍醐天皇から命ぜられた楠木正成だが、とても勝ち目はないと悟り、ここ桜井で子・正行と別れる。自分(正成)はおそらくこの戦いで討ち死にするだろうが、子(正行)はこれからも天皇に忠義を尽くし、朝敵を破るように・・ということで、正行を河内に帰らせる。正成はこの後の湊川の戦いに敗れて自刃したが、正行はその後成長して南朝方の武将として活躍した。
戦前には称賛されたことで、この桜井駅跡にも明治天皇の御製の歌碑や、乃木希典、東郷平八郎の碑文も残る。先の後鳥羽上皇から南北朝の戦いを経て一気に明治まで飛んできたが、この一帯、天皇家を慕う、忠義を尽くす空気が漂っているのかな・・。
その桜井駅横にある島本駅(ややこしいな)だが、開業は2008年と新しい。前後の山﨑~高槻間の距離が長いのと、島本町にも駅を作ってはどうかということでJR西日本が働きかけたもので造られた。先に紹介した阪急の西山天王山ほどではないが、こちらもそれなりの数の利用客がある。
ホームに降りる。幹線区間ということで、次の列車を待つ間にも新快速のほかに特急「サンダーバード」、「はるか」、さらには貨物列車にDD51の単行の通過にも出会う。この時は見かけなかったが、ホームの端に撮り鉄が陣取っていても不思議ではない駅で、この駅のホームなら待ち時間も気にならないだろう。
そして次に乗る加古川行き(高槻から快速)が入線する。この時のメロディが、かつてサントリーオールドのCMで流れていた「人間みな兄弟~夜がくる~」である。小林亜星作曲、開高健のキャッチコピーである。私も子どもの頃、こういうウイスキーが似合う大人になりたかったとか、その一方で「親父みたいな酒飲みにはなりません」と作文の宿題で書いたことがあったとか、いろいろ揺れ動いていたようだが、50歳手前にして、また亡くなった父と比べてみると、ウイスキーが似合わない単なる酒好きのおっさんという・・・何とも中途半端な姿に成長したものであると思う今日この頃である・・・。
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