今回の神仏霊場めぐりは北野、紫野と回ってきたが、次の行き先を決めるあみだくじの結果、同じ京都の東山となった。まさか同じ日に金閣と銀閣を一緒に回ることになるとは思わなかった。あみだくじで出たのは京都31番の真正極楽寺だが、その前に道順として京都29番の慈照寺を訪ねることにする。
建勲神社前から市バスで銀閣寺道まで向かう。途中、地下鉄に接続する北大路バスターミナルでは地下に潜る。地下にバス車庫まである光景というのはなかなか見ることがないだろう。
市街地の北側をぐるりと回り、白川通に出て銀閣寺道に到着。時間的にちょうど昼ということで、お参りの前に昼食をと周りを見渡すと、ちょうど道路の向かいに「しらかわ」というラーメン店がある。京都のこの辺りもラーメン店が多いことで知られているが、私としては「あの店でなければならない」ということはないのでこちらに入る。ちょうど席も空いていた。
背脂、醤油ベースの一杯をいただき満足。しつこくなく食べやすい味で、これなら大盛でも行けそうだな。
参道の一部は哲学の道になっており、水路が設けられている。またここも観光客、修学旅行生の姿が目立つ。両側には土産物店、飲食店も並びそれらをのぞく客も目立つ。
こちらも一般には銀閣寺として広く知られているが、正式名称は慈照寺である。鹿苑寺と同じく、臨済宗大本山相国寺の塔頭寺院である。本尊は釈迦如来で、銀閣は観音殿の別名とある。足利8代将軍義政が子の義尚に将軍職を譲り、東山に別荘を建造した。当時は応仁の乱の後で幕府の財政も苦しい中、人々に増税や労役を課して建てられたという。後に義政が亡くなると、菩提を弔うために禅寺に改められ、義政の院号から慈照寺と名付けられた。
慈照寺の拝観料は500円。こちらも鹿苑寺と同じように半券がお札となっており、「銀閣観音殿」と記されている。なお朱印帳は先に納経所に預け、帰りに受け取る仕組みである。
先ほどの金閣には文字通り金箔が貼られていたが、ご承知のとおり銀閣には銀箔が貼られているわけではない。小学校だか中学校だかの遠足で銀閣にも来たのだが、その当時金箔がはがれていた金閣と合わせて、銀閣に対してはおんぼろのあばら家のようだという感想を持ったと思う。金閣はその美しさ?から炎上の憂き目に遭い、文学者の材料にもなったが、銀閣にはそうした事件は起こっていない。あばら家(失礼)に敵意など持ちようがないだろう。
銀閣の外壁には銀箔ではなく黒漆が施されているのだが、その理由としては、義満に対抗して銀箔を貼るだけの財政がなかったからとか、銀箔を貼る前に義政が亡くなったからとか、いろいろ言われている。一方肯定的には、漆に日光が反射する加減が銀色に見えるという説もあるようだ。
ただ、もっとシンプルに考えて、義政が元々派手なものを好まず、こうした落ち着いた色合いが好みだったからということはないだろうか。権力者とて人間、何でもかんでも金ぴかを好む人ばかりではなかったはず。銀は銀でも「いぶし銀」の人だったかもしれない。
慈照寺も順路に沿っての拝観だが、まず本堂にあたる方丈に出る。賽銭箱もあり、ここなら普通の寺と同様にお勤めができそうだ。ちょっと脇にずれて一連のお勤めとする。
銀閣も2008年から2010年にかけて、屋根の葺き替えや傷んだ部材の交換、漆の塗り替えが行われ、決しておんぼろでもあばら家でもない、渋い雰囲気を出している。世の中には、金閣よりも銀閣を好むのが大人だとか「京都通」だとまことしやかに語る人もそれなりにいることだろう。「巨人・大鵬・卵焼き」に対抗する「大洋・柏戸・水割り」のような(例えが古いな・・)。
この後は庭園めぐり。現在の形に整備されたのは江戸時代のこと。東山の自然を活かしており、結構急な階段もある。
慈照寺全体を見下ろす展望スポットもある。遠足の時、果たしてここまで上がっただろうか。おそらく初めて見る景色である。
境内の中で青もみじや苔など、この時季ならではの緑の雰囲気を楽しむ。これで順路も一通り回り、銀閣を反対側からもう一度眺めて入口に戻る。
預けていた朱印帳を受け取る。中央には「観音殿」、左には「銀閣 慈照寺」との墨書がある。これで金閣、銀閣の両方が揃った。
慈照寺を後にして、あみだくじで出た真正極楽寺に向かう。白川通まで戻らずとも、哲学の道でショートカットできそうだ。ぶらぶらと向かうことに・・・。