まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

京都16番「今宮神社」~神仏霊場巡拝の道・8(御霊会の神社には江戸の名残も)

2022年05月24日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐり・京都編の続き。

鹿苑寺を出て、次の目的地である京都16番の今宮神社に向かう。西大路通から北大路通に入り、今宮門前通を北に折れる。

道の両側には石灯籠が残され、その奥に鳥居の根元らしきものが残る。元々は昭和の初めの奉納された大鳥居があったのだが、2017年に突風のために傾き、その後安全のために解体されたという。現在再建に向けて奉賛金の受付が行われている。令和4年の再建を目指すとあったが、その今年も5月下旬。工事が行われる様子もないが、どうなのだろうか。

参道の右手には大徳寺の広大な敷地が広がる。大徳寺も歴史的に知られた臨済宗の寺院であるが、神仏霊場には含まれていない。大徳寺も多くの塔頭寺院を有しているが、拝観を受け付けているのはその一部だけで、大徳寺そのものは特別な場合を除いては拝観できないそうだ。神仏霊場となるとそれなりの参詣客も出るところで、そういう寺院とは一線を画しているのだろう。

今宮神社がある紫野には平安遷都以前から疫神を祀る社があったとされ、平安遷都後には疫病や災厄を鎮めるため、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などとともに御霊会が行われた。当初はこの地の疫神を南の船岡山に安置していたが、平安中期に疫病が流行した時に船岡山から移し、新たに元の地に設けた神殿に祀り、今宮社と名付けた。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)である。

その後、朝廷や民衆から崇敬を受けていたが、応仁の乱により焼失、後に再興されている。

参道にレリーフがあり、「桂昌院」と記されている。江戸幕府3代将軍徳川家光の側室となり、5代将軍綱吉の母である。京都の八百屋に生まれた「お玉」が将軍の生母となったことで「玉の輿」という言葉が生まれたとされる。桂昌院は信仰が篤く、西国三十三所第20番の善峯寺などの再建、再興にも貢献したが、ここ今宮神社でも社殿の造営や寄進を行ったという。

明治に社殿を焼失し、現在の建物は1902年の再建とある。こちらで手を合わせる。

その境内の一角に絵馬堂があるが、現在の拝殿、本殿よりも古い江戸後期の元号が書かれたものもそのままの形で残されていて、歴史の深さを感じさせる。年代的に、機織業で財を成した西陣の商人たちが奉納したもののようだ。

朱印をいただく。シンプルに、今宮神社との墨書である。

さて時刻はちょうど昼時。今回の神仏霊場めぐりは西大路通から紫野を押さえたということで一段落として、ここで次の行き先を決めることにする。近ければ午後から引き続きそちらに向かうし、遠ければ次回に回して京都か大阪で一献とする。まずは行き先候補を決めるくじ引きで出たのは・・・

・太融寺(大阪10番)

・慈照寺(京都29番)

・法隆寺(奈良13番)

・安倍文珠院(奈良21番)

・須磨寺(兵庫7番)

・真正極楽寺(京都31番)

大阪の太融寺といえば梅田近く、このまま移動して帰りの新幹線にも十分間に合う。また、慈照寺はすなわち銀閣寺である。もしここならこのまま続けて訪ねることになり、1日で金閣・銀閣の両方を拝観ということに。それも面白いだろう。奈良の2つはそこだけ訪ねるならこの後も可能だが、斑鳩地区、桜井地区には他の寺社もあり、ちょっともったいないかな・・。須磨ならこの後で行くのはいいが、帰りの新幹線は日本旅行プランのため新神戸や西明石から乗ることはできず、新大阪まで戻らなければならない。まあ、どこでも次が楽しみなのだが。

そしてあみだくじでは、4枠に振られた真正極楽寺。申し訳ないが初めて目にする名前。京都のどこかいなと地図を開くと・・慈照寺銀閣に近いところ。ならば、この2つを一緒に回ることにしよう。結果的に、1日で金閣と銀閣の両方を回ることになった。

ちょうどやって来たバスは慈照寺最寄りの銀閣寺口を経由する。ならば先に慈照寺に行き、真正極楽寺と回ろうか・・・。

コメント