まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第1回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第2番「般若院」(住宅地の高台に建つ寺院でさっそくセルフ押印)

2022年05月17日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

思い立って始めた九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。5月5日、まずは福岡大仏がある第1番の東長寺に参詣し、地下鉄と西鉄を乗り継いで福岡市南区にある高宮に着く。高架の駅舎で、周りには住宅地が広がる近郊駅だ。駅から続く上り坂を歩くと、ゆったりとした住宅が並ぶ一角に入る。福岡の地価の相場は知らないのだが、結構人気があるエリアではなかろうか。

進むうち、高宮八幡宮に出る。この一角の氏神であり、先ほど下車した高宮駅の名前にもなっている。三韓征伐で知られる神功皇后がこの地に立ち寄ったとして、天智天皇の時に神を祀ったのが由来とされる。周囲の見晴らしのよいところで、後から建てられた高級住宅地にあっても周りに溶け込んでいるようだ。

境内に「巡り大黒 迎え恵比須」というのがある。巡り大黒とは、毎晩信心のある家を訪れて福をもたらすとあり、迎え恵比須とは、お迎えしておもてなしをすると福を授けるとある。二つの像は回転式の台座に安置されていて、お参りの作法として、自宅のある方向に大黒と恵比須が乗る台座を向け、来てくれるようにお願いするとある。この高宮八幡宮から自宅の方向はどっちやったかいな・・・と、おそらくこの辺りという位置に回して手を合わせる。台座を回転させるといってもぐるぐる回せばいいというわけではなく、最小限にせよとの注意書きがあったが、その結果やいかに・・・。

もう少し坂道を上り、途中から下りに入ったところで寺の本堂らしき瓦屋根が見える。ここが般若院である。ちょうど境内の裏手から入った形になる。

今から300年あまり前、福岡黒田藩の重臣だった立花実山が主君の死後に出家し、現在の博多駅近くの住吉に松月庵を開いたのが由緒とされる。その場所は住吉神社の近くとされるが、1964年に現在地に移転した。戦前から構想があった博多駅の移転拡張、さらには山陽新幹線の博多延伸が決まったことによるものだ。九州八十八ヶ所百八霊場の紹介ページでは、当時「ただの草丘」だったのが、時代とともに宅地開発され、かえってその中に埋もれるようになったのだとか。

境内の一角に、色落ちているが「九州八十八ヶ所霊場案内」と書かれた看板がある。般若院が第2番であることは変わらないが、看板は第88番の鎮国寺で結ばれている。看板がいつ頃からあるのかわからないが、これで「百八霊場」が後に20の寺院が追加されて発足した、その年が1984年であることがはっきりした。

本堂の扉が開いているので中に入る。こちらも最近建てられたようだ。中でのお勤めとする。本尊は十一面観音で、脇には弘法大師が祀られている。

断り書きがあり、住職は法事のために外出中とある。そのため、朱印については自身で押してくださいとのこと。さっそく、ローカル札所の対応である。第2番にしてセルフでの押印。かえって緊張するのだが、まあまあちゃんと陰影が映ったのではないかと思う。納経料は賽銭箱に納める。これからこの先、こうした札所が何度となく出てくるのだろう。

般若院を後にしてそのまま住宅地の中を下り、大池通りに出る。この南にある福岡市最大の治水池・野間大池にちなんでいる。

高宮駅に戻り、この次は第3番の如意輪寺に向かう。筑紫野の南、小郡市にある三沢(みつさわ)が最寄りということでそのまま西鉄で南下する。高宮から普通の大善寺行きに乗るが、高宮、三沢いずれも普通しか停まらず、途中駅で急行や特急が先発する。ただスマホでの時刻検索によると、三沢で下車するのなら同じ大善寺行きにそのまま乗るのが最速と出た。歩き回ってちょっと暑さすら感じていたので、コロナ対策の換気で開け放たれた窓から入る風が心地よい。

のんびり進み、こちらも私にとって初めての下車となる三沢に到着する・・・。

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