まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

特別霊場「豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)」~神仏霊場巡拝の道・1(歴史と伝統を新たな時代へ)

2022年05月02日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道・・・合計154ヶ所の寺社を訪ねる神仏霊場めぐりは特別霊場の伊勢神宮から始まる。

伊勢神宮といえば全国の寺社の中でもやはり別格の存在で、明治から戦前にかけては国家神道の頂点とされていた。こうした霊場めぐり、札所めぐりとは無縁だと思っていたが、江戸時代から多くの人が「お伊勢参り」として親しんで来た歴史があるのも事実である。関西で神仏霊場巡拝の道が発足するにあたり、特別参加の形ながらよく受けたものだと思う。

札所順では皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)と格式通りに並ぶが、実際に参拝するならば伊勢神宮のならわしに従って外宮から内宮の順となる。まずは伊勢市駅からまっすぐ伸びる参道を歩く。

伊勢神宮に来るのは数年ぶり。大阪勤務だったが、当時のトップの方針で、職場の行事として3年ほど、正月明けの成人の日の連休に合わせて伊勢神宮参拝を行ったことがあった。その時は大阪難波を7時すぎの特急で出発して、外宮から(赤福を食った後に)内宮を回り、おはらい町で早めの昼食として(アルコールは入らなかったが)宇治山田に戻って解散という慌ただしい行程。到着した宇治山田駅前のホールが伊勢市の成人式の会場とあって、例年晴れ着姿の新成人で賑わっていたのも覚えている。総勢10名あまりの御一行だが、往復の特急券の手配や祈祷の申し込みなどは私の役目だった。ただ、その伊勢参拝もトップの交代で取りやめとなった。私はこの伊勢行きは仕事としても楽しんでいたが、一部の参列者からは連休の早朝から参拝に付き合わされることに不満があったのも確かで、後任のトップはこうしたことに興味を示さないタイプだったので・・。

そうした昔話を思い出しながら外宮に到着。

外宮である豊受大神宮は、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る。伊勢神宮によれば、今から1500年あまり前、時の雄略天皇の夢に天照大御神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波にいる等由気大神(とようけのおおかみ)を呼び寄せるように」と告げた。雄略天皇はそれを受けて、天照大御神を祀る内宮に近いこの地に豊受大御神を迎えたという。内宮の鎮座から500年ほど後のことだ。以来、御饌都神として天照大御神を支える存在となった。

天照大御神のお告げにより豊受大御神が鎮座したとされることについて、伊勢神宮の公式サイト内の紹介では、「皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます」としている。名と実、演者と裏方、ハレとケ・・・いい意味で対照となる存在だったことだろう。

手前に古殿地、そして奥に正宮がある。20年に一度の式年遷宮ごとに場所が入れ替わる。他の別宮も同様の造りとなっている。ゴルフ場のグリーンが2つあるホールみたいだな・・と、神宮とは全く関係のないことを連想する。

正宮にて手を合わせる。これまでの札所めぐりでは仏教の各宗派ということで、西国三十三所、四国八十八ヶ所での一連のお勤めとして般若心経や本尊の真言などを唱えていたが、神社のほうではどうだろうか。昔の神仏習合の下では神社でも普通に読経が行われていたそうだが(読むのは神官ではなく僧侶)、現代ではやはり違和感がある。神道なら祝詞奏上が該当するが、祝詞は般若心経のように決まった経典とは異なり、地鎮祭や各種祈願など、祭祀の内容を踏まえて一定の形式に従って作文されるものである。結局、神仏霊場会が勧める作法としては、二礼二拍手一礼に合わせて「祓い給え、清め給え」という祓詞を唱えればOKのようである。この後もこれで行こう。

正宮の後は土宮、多賀宮、風宮という別宮にそれぞれ手を合わせて、外宮を一回りする。その間、雨は結構激しく降り続いていた。

授与所にて朱印をいただく。取り出すのは神仏霊場めぐり専用の朱印帳だが、さすがに154ヶ所となると蛇腹式でも厚さも4cmあまりと分厚い。これは昨年、西国三十三所の中先達の申請で葛井寺を訪ねた時にあらかじめ購入していたもの。まあ、かねてから神仏霊場めぐりはいずれやるだろうなと思っていたが・・。

寺院と神社の朱印帳を一緒にすることをタブー視する方もいらっしゃるそうだが、霊場そのものが神仏和合なのだから、少なくとも加盟している寺社ではとやかく言われる筋合いはなさそうだ。

伊勢神宮の朱印をいただくのは初めてだが、シンプルに日付と、「外宮之印」という朱印である。寺のように本尊の梵字が書かれていて、さらに本尊やお堂の墨書きがあって・・というのに比べればあっさりしたものだが、これはこれで伊勢神宮らしい。墨書きなんかなくても「神宮」だとわかるでしょ・・と言われているようだ。

最後に、雨宿りを兼ねて「せんぐう館」に立ち寄る。2013年の式年遷宮を記念して建てられたものだが、訪ねるのは今回初めて。

式年遷宮は持統天皇の時から1300年以上にわたり続けられていて、20年に一度行われている。20年という期間にはいろいろな理由があるようだが、職人の世界にあっては、次世代、次々世代の技術者に技能を継承していくのに合理的な長さだと言われている。

「せんぐう館」ではその儀式の様子や、遷宮とともに一新される社殿や装飾品、儀式に使われる装束を調整する技術について紹介されている。

館内一番奥には外宮正殿の20分の1の模型のほかに、側面の原寸大の模型も展示されている。普段近づくことのできない正殿のスケールも実感できるが、これだけのものを昔からの技術で新たに建造するとなると相当な労力がかかることだろう。

2013年の式年遷宮にあたっては足掛け9年の歳月を要したという。次の式年遷宮は2033年に予定されているが、使用される木材はすでに伐採済みだという。こうした式年遷宮のおかげで、伊勢神宮は常に新しい姿を保ち続けているとされる。木材伐採といえば一瞬環境破壊かな?と思わせるが、伊勢神宮に関しては現代の無計画な自然破壊ではなく、「常若(とこわか)」という考えに基づく御用材の伐採、育成である。この「常若」の考え方について、昨今はやりの「SDGs」の価値観では「和のサステナビリティ」として1300年以上前から実践していたと評価されているそうだ。

これで外宮を終えて内宮に移動する。外宮前のバス乗り場からは内宮行きの直通バスが随時運転されている。この日から大型連休、3年ぶりに緊急事態宣言やまん延防止等重点措置による行動制限がないとあって、各地も大勢の人出が見込まれている。これを受けて伊勢神宮周辺でも3年ぶりに交通規制が敷かれ、その代わりに臨時駐車場と伊勢神宮を結ぶシャトルバスを運転するそうだ。

外宮から内宮まで特に渋滞もなく、ノンストップで到着。これからお参りだが、また雨も強くなってきた・・・。

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