北野天満宮からすぐのところにある平野神社に向かう。ここは初めての参拝である。
平野神社の創建は平安京遷都までさかのぼると言われる。元々は桓武天皇のh外戚神として平城京に祀られていたのが遷都とともに移ったという。平安時代には皇太子守護の神として、皇太子による奉幣が行われ、また源氏や平氏といった臣籍降下した氏族からも氏神として崇められたとある。中世以降は衰えたが、江戸時代に再興が図られ、現在の社殿もその当時のものだという。
平野神社は京都の桜のスポットとして有名だそうだ。花山天皇が桜を植えて以来ということで、今は花の季節ではないが、境内には桜苑が広がっている。
2018年に京都市内のあちこちに被害をもたらした台風21号では、平野神社でも拝殿の倒壊、本殿の檜皮葺屋根の損壊、桜の倒木などの被害が出た。当時の記事を見ると痛々しく、特に、徳川秀忠の娘・東福門院が寄進した拝殿は4本の柱すべてが折れるほどだった。
その後、修復に向けての義援金が呼びかけられ、昨年ようやく拝殿の修復が完了した。ニュース記事を検索すると、修復に要した費用は1億3000万円で、このうち8000万円を義援金でまかなったという。また本殿の屋根の葺き替えは現在も続けられており、御神体は仮の本殿に移されている。拝殿の前に柵が並べられ、現在はその前からの参詣となる。
京都の1200年を超える長い歴史の中には、兵火もあればこうした天災も数多くあった。その中で失われたものも多いだろうが、こうして再建されるものもある。人々の思いというのかな、義援金が多く集まったのも、桜の名所として多くの人々を和ませてきた歴史があってのことだと思う。
授与所にて朱印をいただく。こちらは一般的な300円であった。
平野神社を後にして、次の目的地である鹿苑寺に向かう。平野神社の西が西大路通で、再びこの道を北に歩く。
途中、敷地神社の鳥居の前に出る。せっかくなので立ち寄ろう。敷地神社というよりは「わら天神」の名前で知られている。交差点の名前も「わら天神前」である。安産のご利益があり、祠には多くのよだれ掛けが奉納されている。
古くから、わらで編んだ籠にお供え物を入れて神様に奉納していたが、ある時から抜け落ちたわらを妊産婦が持ち帰るようになり、安産を願うようになったという。現在はお守りとして授与され、節があれば男の子、節がなければ女の子が産まれるという。つまり節ってのは、お〇〇〇〇ってこと?