まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第19番「昆陽寺」~西国四十九薬師めぐり・45(日本シリーズの第2戦は??)

2021年11月24日 | 西国四十九薬師

11月20日、日本シリーズの第1戦を観た後に弁天町で宿泊。明けて21日は久しぶりに藤井寺の実家に戻る予定である。ただ、朝一番に行く必要はなく、姉夫婦も集まって実家で昼食でも取ろうということになった。

その前にどうするか。せっかくなのでホテルでチェックアウト時間ぎりぎりまでゆったりしてもいいし、その間に第1戦の観戦記をパソコンで書いてもいいかなと思ったが、早めにチェックアウトする。

この20日~21日で予定していたわけではないが、西国四十九薬師めぐりの残り札所のうち、ここから近い第19番の昆陽寺に行くことにする。阪神エリアには昆陽寺と第18番の久安寺が残っているが、この時間を利用して片方だけでもお参りしておくのがよさそうだ。久安寺にしても、次の週末には参詣していることだろうし・・(そのココロは?)。

昆陽寺は伊丹市にある。ルートとしては、梅田から阪急神戸線で塚口、あるいは伊丹線乗り換えで伊丹まで行き、伊丹市営バスで昆陽里まで行くのかなと思っていた。ただ、弁天町起点でスマホで検索すると表示されるのは阪神の尼崎を通るルート。尼崎と宝塚を結ぶ「尼宝線」を通る阪神バスにも昆陽里のバス停があり、寺にも近い。

ホテルにはパンとスープの軽朝食が無料でついているが、前夜、ホテル1階に入っているセブンイレブンでいろいろ買っていたのでそちらで朝食とした後、出発する。まず弁天町から1駅、西九条まで移動して阪神に乗り換える。かつての通勤ルートの再現である。

阪神なんば線で尼崎に到着。ここも懐かしいスポットである。前夜は弁天町に泊まったが、ここ尼崎に泊まってもよかったかなと思う。時間的に一献はなかったとしても、ドームからは阪神1本で来ることができるし、「尼」ならではの雑然とした雰囲気を楽しんでもよかったかな。

さて、昆陽里に向かうバスは東にある杭瀬発ということで、国道2号線まで出た阪神尼崎北バス停から出発する。まずは国道2号線を走る。先月尼崎にて、女性が別れた夫にメッタ刺しにされて殺された事件が起こったが、その現場となったマンションの前も通る。テレビでニュースを見た時、周囲の景色から「あの辺やな」と驚いたものだ。

国道2号線から尼宝線を北上する。この道も何度も通っていて周囲に見覚えがあるが、バスで走るのは初めてである。阪神尼崎から20分あまり走り、昆陽里バス停に到着。ちょうど国道171号線と立体交差している。

国道171号線の歩道を歩き、伊丹市営バスの昆陽里バス停を過ぎる。そのまま行くと地元の人たちが整備している憩いの場がある。その奥に山門が建つ。国道171号線はかつての西国街道沿いで、そのことを記す灯籠も残されている。

寺の北西に昆陽池公園というのがあるが、それも含めてこの地一帯を開拓したのが奈良時代の行基である。伽藍を建て、薬師如来をはじめとした仏像を祀ったのが昆陽寺の始まりとされている。ただ、西国街道沿いにあったからかどうかは別として、その後は戦乱に巻き込まれて焼失と復興を繰り返したという。

その中で近年最大の災禍というのが、1995年の阪神淡路大震災である。確かあの地震では地形のため伊丹でも大きな被害に遭ったはずだ。実際、山門、本堂をはじめとした諸堂も損壊したが、その後見事に復興を果たした。大震災の時も本尊の薬師如来は無事だったそうで、寺ではそれまで秘仏としていたが震災を機に法要の時には開帳するよう変更したという。

まずはその薬師如来が祀られている本堂の前でお勤め。

その後、奥に建つ観音堂や行基堂、鎮守堂などにも手を合わせる。これらの建物も阪神淡路大震災で被災し、3年ほどかけて解体修理が行われた。その寄進に協力した人たちを顕彰した石碑もある。地元の人たちとすればそれだけ親しまれてきた寺院といえるだろう。

境内全体には緑が広がっていて、それをめぐるように四国八十八ヶ所めぐりのお砂踏みがある。境内の前は交通量の多い国道だが、一歩中に入ると静けさが感じられる。その代わり何やらパチパチと落ちるような音がするが、どんぐりか何かかな。

納経所に向かう。本坊の庭の外に木の扉が閉ざされているが、インターフォンを鳴らすと中に入るよう案内があった。薬師めぐりはバインダー式の朱印用紙をいただくスタイルで、バインダーがなくても四十九薬師のバインダー式といえばその用紙をいただける。急に思い立ってやって来たが、これでよかったと思う。

この結果、2019年6月、改元直後に始めた西国四十九薬師めぐりもようやく残すところ4ヶ所となった。第18番・久安寺、第38番・法界寺、第39番・醍醐寺、そして第49番の延暦寺である。久安寺は近く機会を設けるのでその時参詣するとして、洛南の2ヶ所、そして延暦寺は一気に行っていいかなとも思う。まあそこは追々考えることにしよう。

ここを訪ねることがメインならば、少し足を延ばして昆陽池公園に行くとか、池田まで行って久安寺も一気に参詣するところだが、この日は昼食に合わせて実家に戻ることにする。同じ阪神バスで尼崎まで戻り、阪神~JR~近鉄と乗り継いで藤井寺に向かう。

・・・さて、実家で少しばかりの時間を過ごした後、広島に帰宅すべく大阪駅に出る。今回選んだのは高速バス「グラン昼特急5号」。大阪を16時に出発して、広島へは5時間余りかかる。その移動中と日本シリーズ第2戦の時間は被るのだが、それも致し方ないと割り切る。

阪神高速の工事の影響で福島入口に入るのに時間を要したが、その後は順調に走る。進むうちに日本シリーズの試合開始となり、スマホのサイトで逐一情報を入れる。

この後は途中の休憩を挟みつつ、ただ試合のほうは途中で終わった。

第2戦はバファローズ宮城、スワローズ高橋といういずれも若手投手の先発で、終盤まで投げ合いとなった。8回に青木が放ったヒットが先制、そして決勝のタイムリーとなり、2対0でスワローズが勝利した。スワローズの高橋がプロ初完封を日本シリーズの場で達成し、対戦成績は1勝1敗となった・・・。

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観戦記・日本シリーズ第1戦バファローズ対スワローズ!

2021年11月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

前の記事では野球観戦と西国三十三所めぐりを無理やりくっつけた内容となったが、いよいよ試合開始である。第1戦の先発はバファローズ山本、スワローズ奥川。

実際に現地で観戦するとテレビの実況を耳にするわけではなく案外静かなものだが(鳴り物応援がないせいもある)、それでも1回表を迎えると緊張と興奮が伝わって来る。

スワローズ打線も初回から塩見、青木、山田と好打者が続くが、まずは山本が三者凡退に抑える。

そして1回裏、先頭の福田がセンターへのヒット。宗の内野ゴロで進塁し、吉田正、杉本とチャンスを迎えるがあと1本が出ない。

2回表、山本対村上という、両リーグのMVP最有力どうしの対戦。ここはセンターへのヒットで村上に軍配。その後、宗のエラーもあり二死一・二塁とされるが、この回のアウトはすべて三振でピンチを逃れる。

2回裏はバファローズがラベロの四球、紅林のヒットで同じく二死一・二塁として、若月の打球はライトへの大きな当たり。よっしゃ先制点!と思ったが、ライトの宮本がナイスキャッチ。宮本はその後フェンスにぶつかりうつ伏せに倒れこみ、場内も心配な空気となるがしばらくして立ち上がり、全体から大きな拍手が起こる。さすが日本シリーズだ。

この日の山本は本調子でなかったか、3回も塩見、青木のヒットで一死一・二塁とされる。しかしここで立ちはだかるのも山本で、山田、村上と連続三振に打ち取る。ただここまででも結構球数を要しており、公式戦最終戦やクライマックスシリーズでの圧倒的な投球と比べてしまうと・・。

一方の奥川も山本に一歩も引けを取らない投球を見せる。5回裏には二死一・二塁で吉田正を迎え、センターへの大きな飛球を放つも、もう一伸び足りなかった。前半を終えて0対0。

均衡が破れたのは6回表。山田、サンタナが四球で出塁し、続く中村がセンター前にタイムリーを放つ。1対0でスワローズ先制で、私の周りでも一斉にビニール傘が開く。普段スワローズの試合を観ることがないのでアレだが、最近のビニール傘は持ち運びに便利なサイズも広まっているのだな・・と変なところで感心する。

それにしても、シリーズ前は「山本で2勝は間違いない」という声すら挙がっていたのだが、スワローズ先制、バファローズ打線が沈黙という、これまで何度も目にしたような展開となる。結局山本はこの回までで、被安打5、9奪三振と好投だったが、球数がかかりすぎた。そこはスワローズが粘りを見せたといえる。

先制点をもらった奥川は6回まで無失点のまま、7回裏を迎える。若月のところで代打・モヤ。どうかな・・と見ていると右中間へ打った瞬間それとわかる本塁打。これで1対1、周囲では先ほどのスワローズ先制時以上の拍手が起こる。これで少なくとも山本の負けはなくなった。

ただ喜んだのもつかの間で、8回に登板した3人目のヒギンスがつかまってしまう。先頭の山田がヒットで出塁し、続く村上がバックスクリーンへ2ランを放つ。またもビニール傘の花が咲く。8回表で3対1というのは正直厳しく、これで第1戦は決まったかなと思う。奥川が投げて、村上が決勝2ラン・・・スワローズとしてはこれ以上ない滑り出しだろう。

続くサンタナの打球もライト前へ・・と思ったが安達が回り込み一塁へ送球、アウトの判定。ここで高津監督から物言いがつき、ビデオ判定。スクリーンでも微妙なプレーだったが、結果は軍配通りアウト。ヒギンスがこの後もピンチを迎え、何とかしのいだだけにこのプレーは大きかった。

奥川は7回1失点の好投で、8回から勝ちパターンの清水が登板。バファローズは二死一・二塁と同点のランナーを出すが、ラベロが見逃し三振。さすがにこのチャンスを逃したのは痛く、時間が押していたこともありここで席を立つ人も出た。

リードを許したまま9回表ということで出たのは比嘉。塩見、青木、山田をきっちり抑え、いよいよ9回裏である。何とか1人、2人とランナーを貯めて中軸に回したい。スワローズのマウンドには抑えのマクガフ。

先頭の紅林が執念でライト前にヒットを放つ。続く代打はジョーンズだが、あっさりと追い込まれる。ただここから粘り、最後はマクガフが名前負けしたか?四球を選ぶ。無死一・二塁。

続く福田だが、送りバントか。いやいや、クライマックスシリーズの再現で強打、バスターか。もし送ったとして、スワローズは次の宗と勝負するか、それとも当たっている宗との勝負を避けて吉田正と勝負か。福田はバント。マクガフが処理して三塁へ送球。タイミングはアウトだったが、村上が上手く捕れずにセーフ(記録は野選)。無死満塁という願ってもいない形となった。

ここで宗、センター前へ2点タイムリー。一気に3対3の同点となった。スタンドの空気もガラッと変わった。公式戦と異なり、日本シリーズでは同点の場合延長12回まで行われるが、何だかこの回で決まりそうな気がした。

そして最後は吉田正がセンターの頭上を越す当たりを放ち、4対3でサヨナラ勝ち。まさかまさか、こういう結末になるとは。三塁側スタンドでは歓喜と落胆が入り混じり、スワローズのユニフォームをあっさりと脱いでそこそこに席を立つ人の姿も目立った。

9回裏の攻撃はまさに「全員で勝つ」が現れた。8回に村上の一発が出た後も、選手たちは誰一人としてあきらめていなかったそうで、ファンの私のほうが恥ずかしい限りである。

ちなみに日本シリーズの初戦でサヨナラ勝ちというのは8度目という。その中で印象的なのは1992年のスワローズ対ライオンズ戦で、スワローズの代打・杉浦が放った満塁本塁打だが、この日の9回の攻撃は私の中ではそれ以上のものになった。また、過去の日本シリーズを通して40度目のサヨナラ勝ちだが、2点差を逆転してというのは71年ぶりとのことだ。71年前・・第1回の日本シリーズ、松竹ロビンス対毎日オリオンズ以来という。大変な試合を観戦したものだ。

興奮冷めやらぬまま大正駅に出て、弁天町の「ポルタイン弁天町」に戻る。どこかの居酒屋で祝杯を挙げてもいいが、さすがに時間も遅いし、部屋で一人かみしめながら乾杯とした・・・・。

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