まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第14回中国観音霊場めぐり~第22番「多陀寺」

2020年08月28日 | 中国観音霊場

下府駅前の集落を抜けて、少し上り坂を歩く。途中に、この辺りの地勢について書かれた、地元の研究家による解説板を見る。

山門に続く石段に出る。一瞬ひるんで立ち止まるが、車道の上り坂はこの先も長く続くようだし、どうせ汗をかくのだからと、思いきって石段を上る。ちょうど山門の横に大きな楠や他の樹木が繁っていて、参詣の前に少し休む。

門の横に寺の行事や法要の予定が張り出されているが、今年はコロナ禍のために規模を縮小したり、本堂に入れる人数を制限するとある。

門をくぐる。ゆったりした造りの境内でまず目に留まったのが、屋根瓦。赤茶色の石州瓦である。石見の国の札所に入ったのだと実感する。普段見慣れた黒い瓦と比べて「焼き物」の感がある。

本堂に向かう。寺の方は朝の掃除でもしている様子だが、扉も開放されているので中に入る。もっとも、中に入ると風通しがよくなく余計にムシムシするのだが・・。ともかくお勤めだけしておこう。

多陀寺が開かれたのは平安初期のことされる。縁起によると、開山の流世上人は弘法大師空海の相弟子で、ともに唐に渡り、恵果阿闍梨から密教の教えを受けたという。流世は空海より2年早く帰国して、その時に持ち帰った観音像をこの地に祀り、加持祈祷を施して人々の信仰を集めたそうだ。「多陀」は古代サンスクリットで「如来」を意味する「タターガタ」から来ているそうで、多陀寺という名前の寺は全国唯一という。

由緒ある寺なのは確かなようだが、この流世上人というのはどういう人物なのだろうか。空海と相弟子(誰の?)で唐に渡り、空海より早く帰国したとあるが、空海ですら所定の期間より早く帰国したことで問題になったのに、流世は何もなかったのだろうか。優秀な僧ならば何らかの歴史関係の記述に出てきてもおかしくないが、「流世」で検索しても、そうした上人という記述はヒットせず、現在のいわゆる「キラキラネーム」の事例として出るばかりだ。いったい、どういう人物だったのだろうか。

寺のほうといえば、やはり空海を出している。境内で少し高い位置に大師堂があり、大師像の周りを回る形で四国八十八所のお砂踏みがある。いっそ、流世という正体のわからない上人より、弘法大師が石見に来た時にご縁があって寺が開かれたことにしたほうが通りがよいのではないかとも思う。何なら、流世とは世を忍ぶ仮の名前、実は空海その人だった・・というのでも。

また本堂の中には60体ほどの流木仏が祀られているそうだが、蒸し暑さもあって早くに本堂を出たので気づかなかった。

納経所で朱印をいただく。これで今回の札所めぐりで予定していた3ヶ所は終了。

次の第23番の神門寺は出雲市にある。このまま山陰線で東に向かい、神門寺に参詣した後で伯備線経由でその日のうちに大阪に戻ることもできただろうが、さすがにそれは次の機会である。そこまで行ったならば出雲大社にも行くことになるだろうし、他の札所も固まっている。中国地方一周を意図するなら、浜田から出雲市までつなぐ必要があるが、次の中国観音霊場めぐりは大阪から浜田まで高速バスで来て、後は山陰線でつなぐのがよさそうだ。浜田に行くのなら広島まで新幹線で行って、広島から高速バスに乗るのが最速ルートだが、乗り換えなし、また中国山地を延々とたどるバスというのも面白そうだ。

下府駅に戻る。参詣の時間が思ったより早かったので、山陰線で浜田経由益田まで行く列車には長い待ち時間である。浜田までバスで戻っても結局同じ列車に乗るのだが、その時間を浜田でつぶすのも中途半端だ(駅近くに、興味を引くようなスポットもなさそう)。

改めてバスの時刻表を見ると、下府駅口10時39分発の江津駅行きがある。江津駅に11時09分着で、江津発11時19分発の益田行きに間に合う。益田に戻る列車としていて予定していたものだ。これで、今回コマを江津まで進めておくことにする。バス、列車で涼むこともできる。

国道9号線を走る。エアコンに加えて、換気のために窓が開いていて風も入ってくる。この後に乗る山陰線の線路と並走するが、列車の姿を見ることはない。

この辺りは石見畳ヶ浦、石見海浜公園などの名勝もある。また海の反対側には県立しまね海洋館アクアスもある。こうしてバスで江津に向かってはいるが、後で振り返るに、こういうところを散策する選択肢はなかったかとも思う。もっともこの時間では後の予定からして無理だが、例えば益田を早い時間に出発して、先にこうしたところを見てから多陀寺に行くこともできたかもしれない。

浜田市から江津市に入り、国道沿いの店舗も増えてきた。秋に予定している次回の中国観音霊場めぐりでは石見から出雲に抜けるルートとなるが、宿泊を浜田にするか江津にするか迷っていて、いずれも泊まるのは初めてなので駅前の様子を見比べてみようという思いもある。江津といえば江の川、旧三江線、日本製紙の工場というのが私のイメージだが・・。

駅の手前で、新しく開発されたらしい公園の中を通る。シビックセンターというゾーンで、かつての工場跡地を再開発したところ。公園のほかに医療施設、行政施設、公営住宅が並ぶ。

バスは遅れなく、11時09分に江津駅に到着。益田行きには間に合いそうだ。駅舎の中はがらんとしているが、一角に石州瓦がぶら下げられていて、江津を訪ねた人へのメッセージが書かれている。先ほどから車窓を彩る石州瓦だが、江津はその生産の中心地ということでPRしているようだ。

ホームに向かう。ちょうど益田行きが到着して、対向列車との待ち合わせに入る。今度はキハ126の2両編成である。ワンマン運転のため、2両目の扉は途中の浜田のみ開閉するということで、2両目に陣取る。2両合わせて10人いるかどうかという客数だった。

隣の3番線はかつて三江線が発着していたホームだが、廃止されてもう2年半近くになる。先般、コロナ禍で外出の自粛が求められていた時に時刻表での机上旅行を行っていたが、その時に三江線廃止後の代替バスの時間を追いかけたことがある(その時の記事がこちら)。江津を朝出発したのはいいが、途中複数のバス会社を乗り継ぐ中でどうしても途中で数時間空いてしまうところが出るなどあり、三次に着いたのは夕方になってからのこと。さすがにそれをリアルで実行するかと言われれば考えてしまうが、何か石見の国をたどることはコースに組み入れてみたいとは思う。

先ほど走った国道9号線を見ながら、浜田に向かう。途中の波子で、アクアスに向かうらしい下車客がいる。

先ほど下車した下府駅にも停まるが、乗客はなかった。やはりこの区間内の移動は石見交通のバスが主流なのだろう。

浜田で客が入れ替わり、朝たどった区間を再度通る。海の景色は相変わらずで、同じように車窓を楽しむ。

12時30分、益田に到着。コインロッカーから荷物を取り出し、駅前のコンビニで昼食を仕入れる。これから山口線に入り、津和野を経て新山口に向かう・・・。

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