まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第22番「鶴林寺」~西国四十九薬師めぐり・6(四天王寺、3つ目)

2019年09月28日 | 西国四十九薬師

8月12日~17日までの栃木~宮城~岩手の旅行記を書くうちに9月も末となった。季節も少し進んだところである。

話は9月の初めに戻る。前回から少し間隔が開いたが、西国四十九薬師めぐりの続きを行うことにする。この記事を書くにあたり四十九薬師霊場会のホームページを久しぶりに開けてみると、すっかりリニューアルしていて(スマホ対応版もあり)驚いた。この9月1日から新しくなったそうだが、開創30周年ということもあるのかな。

6ヶ所目となるのは第22番の鶴林寺。加古川駅の南にある寺で、新西国三十三所の札所めぐりで以前一度訪ねたことがある。聖徳太子が建立したとされており、聖徳太子信仰にゆかりがあるということで新西国に含まれている。この鶴林寺だが、国宝にも指定されている本堂に祀られている本尊は薬師如来である。その薬師如来が西国四十九薬師めぐりの一つとなっている。まあ、一度訪ねているからいつでも行ける時に行こうというところだが、8月の猛暑も少しは落ち着いた9月1日に、青春18きっぷの残りぶんの使用も兼ねて行くことにした。偶然にも霊場会のホームページがリニューアルされたのと同じ日である。

合わせて、西国三十三所めぐりの3巡目も少しずつではあるが進めているところである。その中で加古川に比較的近いところで、第26番の一乗寺がある。一乗寺は姫路もしくは北条鉄道の法華口からバスで行くのが最寄りだが(にもかかわらず過去2回はいずれも法華口から1時間歩いたが)、JR西日本が引き続き行っている西国三十三所の駅スタンプラリーでは、一乗寺のスタンプの対象駅として加古川も含まれている。加古川から加古川線に乗り、粟生で北条鉄道に乗り換えとなる。ということで、今回は鶴林寺と一乗寺をセットで回ることとして、どちらから先に行くか、一乗寺へのバスは姫路から乗るか法華口から乗るか、また復路のバスはどちらに乗るか、いくつかの組み合わせが考えられる。結果、自宅をゆっくり出て先に鶴林寺に参詣し、その後で加古川から加古川線~北条鉄道~バスで一乗寺に向かい、一乗寺から姫路へ抜けることにした。

9月1日、雨の予報もあったが何とかなるだろうと、曇り空の中で新快速に乗車。11時すぎに加古川に到着した。前回は国鉄高砂線の跡を見ようと鶴林寺まで歩いて移動したが、今回はコミュニティバスの「かこバス」に乗ることにする。30分に1本のペースで出ており、次の出発は11時28分。

駅前には「棋士のまち加古川」という文字が目につく。地元ゆかりのプロ棋士(元プロも含む)を5人輩出していることから市のPRに使っているそうである。「加古川清流戦」という将棋大会が開かれたり、駅前の百貨店「ヤマトヤシキ」では将棋教室や自由対局のコーナーもあるようだ。

やってきた「かこバス」は座席が10席ほどのミニタイプである。「かこバス」には加古川駅から東加古川駅、または山陽電車の浜の宮、高砂駅を結ぶ系統がある。かつての国鉄高砂線や別府鉄道のルートに近いものがある。今回は鶴林寺にそのまま向かうが、バスの車窓には高砂線の野口駅跡を示す駅名標や車輪が残されている。

鶴林寺前でバスを降りる。寺に隣接した公園で保存されているC11を見た後で、改めて山門に向かう。

「聖徳皇太子御霊蹟」「聖徳太子新西国第廿七番霊場」の石柱が門の両側に立つ。これを見ても聖徳太子をアピールしていることがうかがえる。さらに、関西花の寺二十五ヵ所を示す新しい札が山門の正面に掲げられているが、西国四十九薬師はというと・・反対側の柱に目立たないように結構くすんだ札がある。

境内と宝物館のセット800円を納めて境内に入り、まずは正面の本堂に向かう。外陣には長椅子が並んでいて、ちょうどクラブツーリズムの20人ほどの団体が住職の法話を聴いているところだった。新西国めぐりか、聖徳太子の歴史ツアーか。

しばらく後ろに立っていると話も終わりの、団体は続いて宝物館に向かった。外陣が空いたので長椅子に腰かけてお勤めをする。

鶴林寺は聖徳太子にゆかりがあるということで改めて歴史を見てみると、恵便という高麗からの渡来僧が、物部氏ら排仏派の迫害を逃れてこの地にいる時に、聖徳太子が教えを乞いに訪れ、お堂を建てたのが始まりという。本格的に寺となったのは、後に聖徳太子が推古天皇に法華経の講義をしたご褒美に播磨の土地を与えられてからともいう。いずれにしても聖徳太子が開創したとされる。

創建時には四天王寺聖霊院という名前で、後の平安時代に鳥羽天皇の勅願寺となった時に鶴林寺に改められたという。この「鶴林」とは、四国八十八所の札所にもある名前だが、沙羅双樹の林という意味だそうだ。釈迦入滅の場所に生えていた沙羅双樹が、それを悲しんで鶴の羽のように白く変わって枯れたという言い伝えがある。

「鶴林」はそういう意味だったかと納得する一方で、「四天王寺」という言葉に反応する。四天王寺といえば大阪の、今の天王寺の地名にもなっている四天王寺があるが、この西国四十九薬師めぐりで津にある同じ四天王寺という名前の寺を訪ねた時、案内に「聖徳太子は全国に4つの四天王寺を建てた」とあったのに驚いた。4つの四天王寺と言っても残り2つがどこなのか書かれておらず、検索しても出てこなかったのだが、ここ鶴林寺の縁起にさらっと「四天王寺聖霊院」と書かれているのを見て(前回そこは気に留めていなかった)、ここが3つ目の四天王寺ということでよいのかなと思った。となると浪速、伊勢、播磨と出てきたが、あと1つはどこだろうか。

バインダー式の朱印をいただく。なお、今年2019年の7月から2021年の大晦日までの期間、西国四十九薬師霊場の開創30年記念印を押すという。各寺院でオリジナルの印があるが、これはまさしく西国三十三所の開創1300年にあやかったものだろう。1300年と30年では桁がすごく離れているが。この7月からこれが始まったとなると、これまで訪ねた札所をもう少しずつ後にずらして訪ねていればいただけたことになる。でもまあ、これもタイミング、ご縁だろう。先の記念印にしても、用紙を渡された時に「押してますんで」と一言添えられて初めて気づいたことである。

この後は太子堂、観音堂に手を合わせて、宝物館に入る。先の団体も若い僧侶のガイドを受けながら見学していて、そろそろ出ようかというタイミングである。入口に「鶴林」と書かれた額があり、署名に「公望」とある。これは西園寺公望のことかな?

宝物館のメインは、太子堂の中の壁画の再現図である。釈迦涅槃図、九品来迎図を描いたのを現代の技術で再現させている。

また、新西国の本尊である聖観音像もケースにて保存展示されている。白鳳時代の作とされていて、「あいたた観音」の別名がある。昔、盗人が鶴林寺に入り、この像を運び出した。溶かして売り飛ばすために壊そうとすると「あ痛たた・・」と声がする。見ると観音像が痛いと言っている。盗人はこれに驚き、観音像を寺に返して改心したという。

宝物館には他に聖徳太子絵伝もあり、現物の他にはタッチパネルで解説を読むことができる。

いつしか団体も出発したようで、境内も閑散とした雰囲気になった。

本堂を挟んで宝物館の反対側にある新薬師堂に向かう。こちらでは薬師如来の大仏と、その周りに控える日光・月光菩薩、さらに一部武器が失われているが十二神将が控えるという「チーム薬師」を目にすることができる。本堂の薬師如来は60年ごとに開帳する。ただ江戸時代に「それはいかがなものか、毎日手を合わせることはできないのか」と思った大坂の医師が建てたのが新薬師堂である。

薬師如来の両側に十二神将が祀られている。その1体が「ウインクする仏像」として知られている。元々は弓を持ち、片目をつぶって狙いを定める様子を表した形だったが、弓が失われて体だけが残ったため、ウインクしているように見えるものだ。

一通り回ったところで、次の行き先を決めるサイコロである。

1.河南町(弘川寺)

2.多気(神宮寺)

3.三田(花山院)

4.たつの(斑鳩寺)

5.長浜(総持寺)

6.湖南(善水寺)

この中で出たのは「5」。初めての滋賀県である。長浜・・先日竹生島に行く時にも通ったが、今度は長浜が目的地である。総持寺といえば茨木の西国22番の他に、横浜にある曹洞宗の大本山や、能登の輪島にある寺を連想するが、長浜にもあるとは。

帰りも同じく「かこバス」で加古川駅に戻る。次の加古川線まで少し時間があるので、高架下にある姫路の「えきそば」で昼食とする。姫路駅ホームのスタンドが有名だが、加古川駅では椅子席があり、セットメニューもいろいろある。

加古川からは13時42分発の西脇市行きに乗り、粟生では14時09分発の北条鉄道に乗り継ぐ。気動車にしばらく揺られて14時18分、法華口に着く。ここからはバスに乗り換えとなる・・・。

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