まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

被災地復興を見る~田老

2019年09月17日 | 旅行記B・東北

三陸鉄道の線路と久しぶりに合流するのが田老。前日に三陸鉄道に乗った時も触れたが、田老は「万里の長城」と呼ばれる大規模な防潮堤がある町である。高さが10メートル、総延長が2433メートルで、海側と山側でX字形で二重に築かれている。

道の駅にクルマを停めて、その防潮堤に上がってみる。田老は「津波太郎(田老)」と呼ばれるほど過去から津波の多いところで、1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸津波では大きな被害を受けた。そのために巨大な防潮堤を築くことになり、1957年に陸側、1978年に海側が完成した。その後の津波では防潮堤を超えることもなく、地元の人には安心感を与えたが、東日本大震災に限ってはそれが死角になったといえる。高さ16メートルの津波は防潮堤を乗り越え、また一部を破壊して町に押し寄せたが、「まさか」「大丈夫だろう」と思っていた人たちは逃げ遅れ、犠牲となってしまった。

また建物も並ぶようになり、海べりではまたさらに新しい防潮堤の建設が進んでいる。従来X字形で造られていた防潮堤の海側を改修し、さらにかさ上げするというもののようだ。ハード面の整備ということでは一つの安心ではあるが、それが「油断」につながらなければとも思う。

道の駅のすぐ横、防潮堤の内側に野球場がある。宮古市田老野球場で「キット、サクラサク野球場」とう看板が掲げられている。球場じだいはどこの町にもあるような建物だが、復旧にあたっては野球を通した地域密着や三陸鉄道の活性化ということで、三陸鉄道と、東北復興キャンペーンにも取り組んでいるネスレ日本がスポンサーに名乗りをあげた。そして誕生したのが草野球チーム「三陸鉄道キットDreams」である。

それにしても、イラストのキャラクターにはどこか見覚えがある。あれは『キン肉マン』のバッファローマンではないか。最初はそれに似せたオリジナルのキャラクターかなと思ったが、正面のプレートを見ると本物である。これは作者のゆでたまごさんが地元支援にとキャラクターを提供したもので、キャラクターがバッファローマンなのは岩手特産の短角牛になぞらえてのことだそうである。

スタンドに入れるようなので上がってみる。シート一面に「キットカット」のロゴが入っている。このくらいの収容人数があると独立リーグの試合もできそうな感じである。

さて、防潮堤からも見えているところにあるのがたろう観光ホテル跡である。こちらも震災遺構ということで向かってみる。

たろう観光ホテルは6階建てだったが、16メートルの津波で4階まで浸水し、1階、2階は津波の衝撃で骨組みだけ残った。この建物はこの震災で初めて国費による震災遺構整備の支援を受けたところで、津波の脅威と防災について伝える役割を持つことになった。かつて、テレビの情報番組で「震災◯年」を特集して、このたろう観光ホテルの上の階の中継で放送していたのを見た覚えがある。

内部の見学は事前に宮古市への予約が必要とのことで外観のみぐるりと見るだけだったが、やはり現地に来てみると津波の高さや威力というものを写真で見るよりも実感が沸く。なお現在たろう観光ホテルは場所を海岸寄りに変えて「渚亭 たろう庵」として新たに営業している。多少値段は張るが三陸の海の幸が満喫できるそうだ。

朝に大船渡を出てからここまで結構北上したように思うが、道のりはまだまだ続く。その中であちらこちらの見学をしているために時間は結構かかっている。ようやく宮古市を抜けて、北リアスの田野畑村に入る・・・。

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