まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

被災地復興を見る~三陸鉄道・往路(盛~宮古)

2019年09月07日 | 旅行記B・東北

8月15日、ニュースは前夜から台風10号関連一色だった。15日朝の時点では太平洋上にいて、西日本への上陸が予想されていた。結果を先に書くと、台風はこの後で豊後水道から愛媛の佐田岬を通過し、午後に呉市に上陸、中国地方から日本海に抜けるコースを取った。

台風による死者は2名、怪我人が57名という発表で、近年の災害を思えばまだマシだったといえるが(被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます)、前日からの動きとして交通機関への広い影響のほうがニュースになったように思う。中でも大きかったのが、山陽新幹線を15日朝から終日全線で計画運休するというものだ。ちょうどお盆の時季、早めに移動しようと前日の新幹線も大混雑したという。他にも四国、岡山、広島、山口の在来線も終日計画運休となり、青春18きっぷでこのエリアを旅しようという人たちも大変だったのではと思う。

さて旅先の大船渡、この日の天気はまずまずの予報。1日で三陸鉄道全線を往復するわけだが、車窓は楽しめそうだ。ただ、外を見るとどんよりと曇っている。

レンタカーをプラザホテルの駐車場に残して、ホテルに隣接する大船渡駅に向かう。6時25分発の盛行きBRTで、これに1駅だけ乗る。かつての鉄道の路盤を道路に造り変えたもので、この上をバスが走っていく。道路と交差するところは信号になっていて、一部には専用道路への誤進入を防ぐための遮断機がある。バスが近づくとこれらが感知して、バスがスムーズに走行できる仕組みである。

5分ほどの乗車で盛駅に到着。かつて気動車が発着していたホームに横付けされ、普通のバスのように運転席横の運賃箱に小銭を入れる。

盛から久しぶりの三陸鉄道の乗車である。全線フリーきっぷは6000円。結構な値段に見えるが、盛~久慈の片道通しで3710円するし、フリーきっぷは2日間有効である。本来は途中下車を楽しみながら乗り通すべきなのだろうが・・。また、南リアス線版、北リアス線版など区間限定の1日フリーきっぷもある。

6時42分発の釜石行きは、鉄道旅行らしい姿が何人かいる程度。普段なら通学利用があるのだろうがガラガラで出発する。ボックス席の真ん中にテーブルが据え付けられている。観光利用ならこの上に食べ物を並べてというのもいいだろう。

それにしても、窓が曇っている。相当湿度が高いのだろう。車内から窓を拭こうとするが曇りは取れず、これは外からのもののようだ。三陸鉄道はトンネルが多く、トンネルを抜けるとしばらくは冷気を残すためか窓はくっきりするのだが、またしばらくすると曇ってくる。車窓の写真が厳しいが、これはなるようにしかならないなと思う。

綾里、恋し浜という旅心をくすぐられる名前の駅を過ぎて、三陸で列車行き違いのためしばらく停車する。三陸駅とはスケールの大きい名前である。ホームには七夕の吹き流しが飾られている。

この後は海岸に近い区間も走るが、外の湿気で窓が曇るのでぼやけたまま見る。まあ、翌日同じようなところをレンタカーで走るので、その時に改めて見ることにするか。

7時31分、釜石に到着。次に乗るのは7時50分発の久慈行きである。待ち時間が20分あるが、ここはせっかくなので海側の席を確保したい。久慈行きは宮古方面からの折り返し列車のようなので、改札口は出ずにそのまま乗り換えホームで待つ。向かいには釜石線の快速盛岡行きが待機している。

三陸鉄道を乗り通すと書いているが、釜石~宮古はJR山田線だった区間である。この線も津波に遭ったところで、どのように復旧させるのかが焦点だった。当初、JRは気仙沼線や大船渡線と同じくBRTで仮復旧させたが、鉄道の再建コストを考えてそのままBRTでの復旧を地元に打診した。しかし地元の反対もあり、その後さまざまな経緯があった結果、JRが鉄道復旧までの整備を行い、復旧後は施設を地元自治体が所有、列車の運行は三陸鉄道に移行することになった。これにより、それまでは山田線を挟んで三陸鉄道の南リアス線(盛~釜石)と北リアス線(宮古~久慈)とだったのが、盛~久慈まで一本の「リアス線」となる。そして今年の3月に「リアス線全線開通」となり、地元の明るい出来事となった。地元の財政負担の現実は厳しいのだろうし、JRが山田線を復旧させたのは見方によっては「手切れ金の代わり」なのかもしれないが、三陸が一本のレールで結ばれることの効果を選んだ形である。地元も新・三陸鉄道を全面的に支援するだろうし。

久慈行きは1両でやって来た。車体にはラグビーワールドカップのPRが書かれている。釜石はかつての新日鐵釜石に表されるようにラグビーが盛んなところで、今年開催のワールドカップでも復興支援を兼ねて試合が組まれている。早くに並んだおかげで海側のボックス席に陣取ることができた。

入り江とトンネルが交互に広がるところで、その合間に三陸自動車道の高架橋が姿を見せる。三陸鉄道が新たに生まれ変わったといっても、こうしてみるとやはり道路優先なのではという気がする。

復興住宅が並ぶ両石の次が鵜住居である。釜石市の中でも特に津波被害が大きかったところだが、駅前を中心に新たな町造りが進められている。また遠くには工事が進む鵜住居スタジアムが見える。あそこがラグビーの試合会場である。翌日レンタカーで北上する時には鵜住居には改めて立ち寄ろうと思う。

防潮堤が築かれている大槌湾を見て、釜石市から大槌町に入る。列車行き違いのためにちょっとだけホームに出る。大槌町は震災の津波で町長をはじめとして多くの職員が犠牲になっている。地方自治体の首長が津波で帰らぬ人となったのは大槌町だけだという。

この先は吉里吉里、波板海岸と風光明媚なところを走る。吉里吉里では木彫りの人形たちがホームで出迎えてくれる。波板海岸の辺りでは高台を走り、松並木の向こうに海を見る。相変わらずどんよりした曇り空が続く。

また標高が低くなり、陸中山田に着く。この一帯も津波で大きな被害に遭った中で、駅舎も新しくなり、周囲も少しずつ建物が並ぶようになっている。この辺りから駅ごとの乗客が増え、1両ということもあって宮古に近づくにつれて立ち客も出るようになる。

陸中山田からは一度内陸部に入る。この辺りで、朝からどんよりしていた雲も晴れ、青空も見えるようになった。

津軽石という駅に着く。この先に津軽石川という川に沿うが、ここも高い堤防が築かれている。結構奥まったように見えるが宮古湾に注ぐ河口の辺りで、津波の時には津軽石川の水が逆流し、堤防を超えて列車や駅にも押し寄せたという。

閉伊川を渡って9時15分、宮古に到着。ここで8分停車し、乗客のほとんどが入れ替わる。しかし立ち客が多いうえに、主要駅なのにワンマン運転のため出口が前方1ヶ所で、そこで精算を行うから時間がかかる。さらに、ホームには1両の乗車を待つ長い列ができている。そしてまた満席、立ち客も出るほどになった。これまですれ違った列車はすべて2両だったのに、なぜこの列車だけ1両運転なのだろうか。

宮古から先は北リアス線区間となる。同じ列車の中だがこの先は次の記事にて・・・。

コメント