八丁坂を下り、石鎚山の三十六王子の石の祠を見る。山頂まで残り2.5キロというところで、ここから本格的な上りになる。自然の山道のところもあるが、木で造られた階段も多い。階段を上がって高さを稼ぐことができるが、その分負担も大きい。また金剛杖を突くのだが、木の階段もところどころ板が割れており、杖を下ろす場所に迷うこともある。
上り、下りともそれぞれ行き交う人が多くなる。若者、子どもも含めた家族連れ、中高年のグループ、山ガール、外国人など多様である。石鎚山の場合は上る人を「お上りさん」、下る人を「お下りさん」と呼ぶそうで、下る人は上る人に「お上りさん」と声をかける習慣があるそうだ(「お上りさん」と聞くと、地方から都会に来た人を見下すような言い方に聞こえるのだが)。もっとも、それは石鎚信仰の中だけのようで、私を含めて、行き交う人はお互いに「こんにちは」である。また、階段が続くとしんどいので時には道を譲ることもある。その時も「お先にどうぞ」である。
ただ、行き交う人、上る人を見ても、ほとんどの人が両手がフリーである。たまに登山用・トレッキング用のポールを手にしている人はいるが、金剛杖という人はいない。さすがに遍路といえども、石鎚山にまでやって来る人は少ないのだろうか。逆に私はしんどいが「プチ修行」で上っているという感覚である。
渋滞ができている。どうやら石鎚山名物?の鎖場である。
石鎚山には4本の鎖場がある。最初が試しの鎖(74m)、続いて一の鎖(33m)、二の鎖(65m)、そして最後に三の鎖(67m)とある。石鎚山が修行の場であることの名残で、18世紀には「鎖が切れたので架け替えた」という記録があるので少なくともその時代には存在していたが、最初にいつ架けられたのかはわからないそうだ。かつて使われていた鎖の一部は、麓の石鎚神社の石段の手すりとしても使われている。
石鎚登山のブログなど見ると、一連の鎖場にチャレンジしたという記事が結構載っている。鎖場を上らなければ修行したことにならないというものまである。私も、せっかくの機会なので全部とは言わないまでも1本くらいは上ってもいいのかな、いや、上らなければならないのかな・・と考えていた。ただこういう「高所」はどちらかと言えば苦手だし、また手には金剛杖がある。先達さんや連れがいるわけでもないので、この杖を持ってもらうわけにもいかない。
一方で、「迂回路があるので、初心者や自信のない方は無理をせず迂回路を通るように」との案内がある。結局私は迂回路を選んだ。実際見ていても、鎖場に挑む人もいるが、多くの登山者は迂回路を選んでいた。「ようあんなところ上るわ」というのが鎖場を前にした「普通」の反応のようだった。実際、鎖場に挑戦して途中で足を踏み外し、転落する事故も毎年数件発生しているそうだ。改めてネットで見ると、1年半前には鎖場から転落した男性が死亡する事故もあったようだ。
試しの鎖場を迂回するように急な階段をぐるりと回る。この試しの鎖場、実は上るだけでなく、反対側に下りることになっている。上り下りセットとは、お試しにしてはハードだ。鎖場を下りたところが前者ヶ森の休憩所で、売店小屋もある。ここで鎖場を下りてくる様子を見るが、下るのも結構勇気がいるように見えた。
再び上りが続いたところで、道が平らになり、周囲が開けるポイントに来た。夜明かし峠という。今は山頂に宿泊ができる山小屋があるが、その昔、山頂でご来光を拝むにはここで夜を明かして、夜明け前に山頂にたどり着いたという。ここから山頂を見上げる。ずいぶん近くまで来たと思うが、正面にそそり立つ壁のようにも見える。距離にすれば残り1キロあまりだが、ここからがいよいよ本格的になってくるなと感じる。
鎖場は全てパスして迂回路を行くが、この迂回路も結構急な階段が続く。木の階段に加えて鉄製の階段もある。この階段のおかげで鎖場を通らずとも山頂に行くことができるとは言え、崖下のほうには手すりもなく、結構スリルがある。
二の鎖の下には最近建て替えられたというトイレ、休憩所がある。ここで一息ついた後、いよいよラストスパートである。まだ残雪も見らられる中、階段を伝って少しずつ上って行く。
ようやく、山頂小屋の建物が見えてきた。時刻は11時40分を回ったところ。山頂成就駅から3時間を切る形で、ようやくたどり着いた。そこには、何時から上がって来たのか、山頂のスペースをぐるりと囲む形で大勢の登山者が昼食やおしゃべりの最中だった。それはともかく、八十八所最大の寄り道の上りをまず終えたことにホッとした。
山頂は風が強く、ここで初めて防寒用の上着をリュックから取り出して着込む。ただ、その風のおかげか、ガスも何もかかっておらず、周囲の景色をはっきりと見ることができた。石鎚山の権現様もこの日は機嫌がよかったのだろう。
こちらには石鎚神社の頂上社がある。まずは上って来ることができたお礼ということで、手を合わせてここでも般若心経を唱える。横には小屋があり、ここで頂上社の御守を授かる。頂上社の朱印もいただけるようで、納経帳を持って来ればよかったなと、これだけは残念だった。
ご存知の方も多いと思うが、石鎚山の頂上は、頂上社のある弥山ではなく、500mほど先にある天狗岳である。頂上社は標高1974mで、先ほどから1982mと書いて来たのは、天狗岳の高さである。その天狗岳へは普通の登山道ではなく、これも岩にへばりつくようにして行くところである。鎖場と同様、修行ということになる。ただこの時間、天狗岳へ行こうとする人も並んでいる状況だ。私は、石鎚山の観光パンフレットで紹介される天狗岳のナマの姿を見られたことでよしとして、ここから手を合わせるに止める。
せっかくなので昼食にしようと、適当な岩場にスペースを確保してから山頂小屋に向かう。小屋は食堂になっており、カレーライスやおでんなどのメニューもある。私は昼食を持って来ていたのでこれをいただくとして、買ったのは缶ビール。缶ビールが売られているとは意外だった。350mlが1本580円。まあ、それくらいするだろう。「缶は必ず下まで持って帰ってね」と言われる。標高2000m近くでビールとは酔いそうだが、一段落した後の一杯である。
強い風に吹かれての一杯だったが、これが実に美味く感じられた・・・。
上り、下りともそれぞれ行き交う人が多くなる。若者、子どもも含めた家族連れ、中高年のグループ、山ガール、外国人など多様である。石鎚山の場合は上る人を「お上りさん」、下る人を「お下りさん」と呼ぶそうで、下る人は上る人に「お上りさん」と声をかける習慣があるそうだ(「お上りさん」と聞くと、地方から都会に来た人を見下すような言い方に聞こえるのだが)。もっとも、それは石鎚信仰の中だけのようで、私を含めて、行き交う人はお互いに「こんにちは」である。また、階段が続くとしんどいので時には道を譲ることもある。その時も「お先にどうぞ」である。
ただ、行き交う人、上る人を見ても、ほとんどの人が両手がフリーである。たまに登山用・トレッキング用のポールを手にしている人はいるが、金剛杖という人はいない。さすがに遍路といえども、石鎚山にまでやって来る人は少ないのだろうか。逆に私はしんどいが「プチ修行」で上っているという感覚である。
渋滞ができている。どうやら石鎚山名物?の鎖場である。
石鎚山には4本の鎖場がある。最初が試しの鎖(74m)、続いて一の鎖(33m)、二の鎖(65m)、そして最後に三の鎖(67m)とある。石鎚山が修行の場であることの名残で、18世紀には「鎖が切れたので架け替えた」という記録があるので少なくともその時代には存在していたが、最初にいつ架けられたのかはわからないそうだ。かつて使われていた鎖の一部は、麓の石鎚神社の石段の手すりとしても使われている。
石鎚登山のブログなど見ると、一連の鎖場にチャレンジしたという記事が結構載っている。鎖場を上らなければ修行したことにならないというものまである。私も、せっかくの機会なので全部とは言わないまでも1本くらいは上ってもいいのかな、いや、上らなければならないのかな・・と考えていた。ただこういう「高所」はどちらかと言えば苦手だし、また手には金剛杖がある。先達さんや連れがいるわけでもないので、この杖を持ってもらうわけにもいかない。
一方で、「迂回路があるので、初心者や自信のない方は無理をせず迂回路を通るように」との案内がある。結局私は迂回路を選んだ。実際見ていても、鎖場に挑む人もいるが、多くの登山者は迂回路を選んでいた。「ようあんなところ上るわ」というのが鎖場を前にした「普通」の反応のようだった。実際、鎖場に挑戦して途中で足を踏み外し、転落する事故も毎年数件発生しているそうだ。改めてネットで見ると、1年半前には鎖場から転落した男性が死亡する事故もあったようだ。
試しの鎖場を迂回するように急な階段をぐるりと回る。この試しの鎖場、実は上るだけでなく、反対側に下りることになっている。上り下りセットとは、お試しにしてはハードだ。鎖場を下りたところが前者ヶ森の休憩所で、売店小屋もある。ここで鎖場を下りてくる様子を見るが、下るのも結構勇気がいるように見えた。
再び上りが続いたところで、道が平らになり、周囲が開けるポイントに来た。夜明かし峠という。今は山頂に宿泊ができる山小屋があるが、その昔、山頂でご来光を拝むにはここで夜を明かして、夜明け前に山頂にたどり着いたという。ここから山頂を見上げる。ずいぶん近くまで来たと思うが、正面にそそり立つ壁のようにも見える。距離にすれば残り1キロあまりだが、ここからがいよいよ本格的になってくるなと感じる。
鎖場は全てパスして迂回路を行くが、この迂回路も結構急な階段が続く。木の階段に加えて鉄製の階段もある。この階段のおかげで鎖場を通らずとも山頂に行くことができるとは言え、崖下のほうには手すりもなく、結構スリルがある。
二の鎖の下には最近建て替えられたというトイレ、休憩所がある。ここで一息ついた後、いよいよラストスパートである。まだ残雪も見らられる中、階段を伝って少しずつ上って行く。
ようやく、山頂小屋の建物が見えてきた。時刻は11時40分を回ったところ。山頂成就駅から3時間を切る形で、ようやくたどり着いた。そこには、何時から上がって来たのか、山頂のスペースをぐるりと囲む形で大勢の登山者が昼食やおしゃべりの最中だった。それはともかく、八十八所最大の寄り道の上りをまず終えたことにホッとした。
山頂は風が強く、ここで初めて防寒用の上着をリュックから取り出して着込む。ただ、その風のおかげか、ガスも何もかかっておらず、周囲の景色をはっきりと見ることができた。石鎚山の権現様もこの日は機嫌がよかったのだろう。
こちらには石鎚神社の頂上社がある。まずは上って来ることができたお礼ということで、手を合わせてここでも般若心経を唱える。横には小屋があり、ここで頂上社の御守を授かる。頂上社の朱印もいただけるようで、納経帳を持って来ればよかったなと、これだけは残念だった。
ご存知の方も多いと思うが、石鎚山の頂上は、頂上社のある弥山ではなく、500mほど先にある天狗岳である。頂上社は標高1974mで、先ほどから1982mと書いて来たのは、天狗岳の高さである。その天狗岳へは普通の登山道ではなく、これも岩にへばりつくようにして行くところである。鎖場と同様、修行ということになる。ただこの時間、天狗岳へ行こうとする人も並んでいる状況だ。私は、石鎚山の観光パンフレットで紹介される天狗岳のナマの姿を見られたことでよしとして、ここから手を合わせるに止める。
せっかくなので昼食にしようと、適当な岩場にスペースを確保してから山頂小屋に向かう。小屋は食堂になっており、カレーライスやおでんなどのメニューもある。私は昼食を持って来ていたのでこれをいただくとして、買ったのは缶ビール。缶ビールが売られているとは意外だった。350mlが1本580円。まあ、それくらいするだろう。「缶は必ず下まで持って帰ってね」と言われる。標高2000m近くでビールとは酔いそうだが、一段落した後の一杯である。
強い風に吹かれての一杯だったが、これが実に美味く感じられた・・・。