横峰寺に参拝後、いったん奥の院の星ヶ森まで行き、そこで昼食とした後で横峰寺の境内に戻る。境内を横切る形で駐車場側の出口に向かう。これから、61番の香園寺の奥の院を経由して香園寺までの下りである。
稲荷大明神の赤い鳥居を見て、駐車場へ続く道の分岐から坂道を下る。まずは道路標識が頼りとなる。少し前には、笈摺を羽織り、金剛杖とビニールの傘を持つ男性が歩いている。この人も香園寺まで下って行くのだろう。ペースが速いのかしばらくして姿が見えなくなる。香園寺まで10キロ、その手前の奥の院まで6.8キロという長い道のりである。
午前中の上りでは空も青く穏やかな天気の中で歩いたが、ここに来て急に風が出てきた。標高のあるところだし、斜面の向きによって風を受けることがあるのだろうが、背の高い木の上の枝がざわざわするのがわかる。急な天候の変化が起きないよう祈るばかりだ。
しばらくはクルマも通れる幅の未舗装の緩やかな下り坂で、1キロで車道に出た。クルマや登山バスは分岐点から1.5キロ上り、駐車場から500mの歩き、徒歩なら今通った道が近道となる。ここからは車道を歩く。急なヘアピンカーブが続くところで、クルマでも結構キツそうである。
数百m車道を下ると、遍路道に下りるポイントに出る。後はここを下ればいいのだな。下りのほうが膝に来るし、足元への注意が必要なのだが、まずは普通の下り坂。ところどころに丁石があり、杖を突きながら淡々と下って行く。
眺望が開けるところがある。伊予小松から松山へ抜ける方向だろうか。
25分ほどで、横峰寺から1.7キロ、香園寺奥の院まで5.2キロの標札に出る。まずここまではいいペースで来たと思う。ただここからが大変だった。道幅も狭くなり、かつての大雨や台風で折れたと思われる倒木が目立つ。中には道の両側を渡しているものもあり、その下をかがみながら行く場面もある。行きの湯浪ルートもそうだが、こちら奥の院ルートもしばしば不通になることがあるのだとか。それぞれのルートを歩く人が年にどのくらいいるのか知らないが、地元の方、あるいはボランティアの方による道の維持や復旧への尽力のおかげを感じる。
荒れた道があるかと思えば穏やかな道もある。途中では鉄塔の横も通るし、山つつじが咲いているのも見る。この辺りは他の鉄塔に通じるとおぼしき道もあるが、遍路道の札などもあるので迷うことはないと思う。ウグイスの鳴き声もする。ウグイスが鳴くのは春先ではないかと思うが、山の中だとまだ違うのだろうか。
ただ、湯浪ルートとは違い階段が整備されているところは少なく、自然の石がゴツゴツしたところもあるので、どこに足を踏み出せばよいか慎重になる。この辺りから歩くペースも遅くなったように感じる。丁石はあったりなかったりだし、奥の院への標札の数字もなかなか減らない。
その奥の院まで4キロを切ったところで、なぜか上りにさしかかる。これは思ってもみなかった。一瞬、帰りも湯浪から大頭に戻ったほうがよかったかなという思いが頭によぎる。ただここまで来れば引き返すわけにもいかず、奥の院まで一歩ずつ歩くしかない。幸い、数分で坂を上りきることができた。
寺から1時間を過ぎたところで分岐点に出る。香園寺まで奥の院を経由するか、伊予小松のハイウェイオアシスを経由するかの分かれ道である。遍路道としてはどちらもありで、奥の院経由だと香園寺まで一里十六丁(約5.5キロ)とある。ハイウェイオアシス経由でも距離は似たようなもので、それなら当初の計画通り、奥の院を目指すことにする。
展望が開ける。ススキの穂が斜面に植わっている。この辺りになると周りは山また山で、自分がどこにいるのかがわからなくなる。
1時間半で「下城」「上城」「展望所」と標札のある四つ辻に出る。東屋と簡易トイレがあるところ。少しずつ奥の院が近づいてきたなと思うところだが、ここからがまた急な下りとなる。幸い膝などへのダメージはないようだが、引き続き慎重に下る。
前方に平野、そして遠くには燧灘が見えてきた。ようやく先が見えてきたようだが、ここからがまだ長く感じる。
横峰寺を出て2時間、遍路道の山道がようやく終了して再び車道に出た。この道も湯浪と同じく行き止まりのようで、ちょっとした駐車スペースと、善意の杖置き場がある。横峰寺へはここにクルマを停めて往復することもあるようだ。まあ、林道に駐車場ができたのも1984年のことだという。それまでは湯浪かこちらにクルマを停めて歩かなければならなかったのだから、よほどの難所だったと思う。
横峰寺からの下りの遍路道では人の姿をほとんど見なかった。先に歩いていた笈摺とビニール傘の男性、途中の上り坂で追い越した女性二人連れ。すれ違ったのも女性一人とカップル一組だけ。やはりこのルートを行く人は少ないのかな。確かに、上りと下りを比較すると、今回の奥の院への下り道のほうが大変だったように思った。
ここからは新緑の中、車道の下り坂を歩く。15分ほどで奥の院らしき建物が見える。ちょうど、横峰寺から下りる時に前方を歩いていた笈摺とビニール傘の男性にここで追いついた。私よりも年輩の方で、「この下に何かお堂があるようですよ。私はもうええんで先に(香園寺に)行きますが」と、そのまま行ってしまう。
こちらが香園寺奥の院だが、まず滝と像のようなものが見えたのでそちらに向かう。白瀧という小さな滝がある。目の前には不動明王と脇侍の二王子の像がある。更衣室もあるのでここで滝行もできるのだろう。
この奥の院は1933年に香園寺の当時の住職が開いたという。五来重の『四国遍路の寺』によれば、香園寺の成り立ちとは元々この白瀧で修行した人の納経所であったとしている。それが昭和の初めに新たに奥の院としてお堂を建てたものだという。同書では「奥の院に行かなければ札所の成立や歴史はわからない」というスタンスがしばしば出ているのだが、ここ香園寺と奥の院の関係もその典型としている。
ここでお勤め、しばしの休憩として、香園寺までは残り2キロあまり。続きは次の記事にて・・・。
稲荷大明神の赤い鳥居を見て、駐車場へ続く道の分岐から坂道を下る。まずは道路標識が頼りとなる。少し前には、笈摺を羽織り、金剛杖とビニールの傘を持つ男性が歩いている。この人も香園寺まで下って行くのだろう。ペースが速いのかしばらくして姿が見えなくなる。香園寺まで10キロ、その手前の奥の院まで6.8キロという長い道のりである。
午前中の上りでは空も青く穏やかな天気の中で歩いたが、ここに来て急に風が出てきた。標高のあるところだし、斜面の向きによって風を受けることがあるのだろうが、背の高い木の上の枝がざわざわするのがわかる。急な天候の変化が起きないよう祈るばかりだ。
しばらくはクルマも通れる幅の未舗装の緩やかな下り坂で、1キロで車道に出た。クルマや登山バスは分岐点から1.5キロ上り、駐車場から500mの歩き、徒歩なら今通った道が近道となる。ここからは車道を歩く。急なヘアピンカーブが続くところで、クルマでも結構キツそうである。
数百m車道を下ると、遍路道に下りるポイントに出る。後はここを下ればいいのだな。下りのほうが膝に来るし、足元への注意が必要なのだが、まずは普通の下り坂。ところどころに丁石があり、杖を突きながら淡々と下って行く。
眺望が開けるところがある。伊予小松から松山へ抜ける方向だろうか。
25分ほどで、横峰寺から1.7キロ、香園寺奥の院まで5.2キロの標札に出る。まずここまではいいペースで来たと思う。ただここからが大変だった。道幅も狭くなり、かつての大雨や台風で折れたと思われる倒木が目立つ。中には道の両側を渡しているものもあり、その下をかがみながら行く場面もある。行きの湯浪ルートもそうだが、こちら奥の院ルートもしばしば不通になることがあるのだとか。それぞれのルートを歩く人が年にどのくらいいるのか知らないが、地元の方、あるいはボランティアの方による道の維持や復旧への尽力のおかげを感じる。
荒れた道があるかと思えば穏やかな道もある。途中では鉄塔の横も通るし、山つつじが咲いているのも見る。この辺りは他の鉄塔に通じるとおぼしき道もあるが、遍路道の札などもあるので迷うことはないと思う。ウグイスの鳴き声もする。ウグイスが鳴くのは春先ではないかと思うが、山の中だとまだ違うのだろうか。
ただ、湯浪ルートとは違い階段が整備されているところは少なく、自然の石がゴツゴツしたところもあるので、どこに足を踏み出せばよいか慎重になる。この辺りから歩くペースも遅くなったように感じる。丁石はあったりなかったりだし、奥の院への標札の数字もなかなか減らない。
その奥の院まで4キロを切ったところで、なぜか上りにさしかかる。これは思ってもみなかった。一瞬、帰りも湯浪から大頭に戻ったほうがよかったかなという思いが頭によぎる。ただここまで来れば引き返すわけにもいかず、奥の院まで一歩ずつ歩くしかない。幸い、数分で坂を上りきることができた。
寺から1時間を過ぎたところで分岐点に出る。香園寺まで奥の院を経由するか、伊予小松のハイウェイオアシスを経由するかの分かれ道である。遍路道としてはどちらもありで、奥の院経由だと香園寺まで一里十六丁(約5.5キロ)とある。ハイウェイオアシス経由でも距離は似たようなもので、それなら当初の計画通り、奥の院を目指すことにする。
展望が開ける。ススキの穂が斜面に植わっている。この辺りになると周りは山また山で、自分がどこにいるのかがわからなくなる。
1時間半で「下城」「上城」「展望所」と標札のある四つ辻に出る。東屋と簡易トイレがあるところ。少しずつ奥の院が近づいてきたなと思うところだが、ここからがまた急な下りとなる。幸い膝などへのダメージはないようだが、引き続き慎重に下る。
前方に平野、そして遠くには燧灘が見えてきた。ようやく先が見えてきたようだが、ここからがまだ長く感じる。
横峰寺を出て2時間、遍路道の山道がようやく終了して再び車道に出た。この道も湯浪と同じく行き止まりのようで、ちょっとした駐車スペースと、善意の杖置き場がある。横峰寺へはここにクルマを停めて往復することもあるようだ。まあ、林道に駐車場ができたのも1984年のことだという。それまでは湯浪かこちらにクルマを停めて歩かなければならなかったのだから、よほどの難所だったと思う。
横峰寺からの下りの遍路道では人の姿をほとんど見なかった。先に歩いていた笈摺とビニール傘の男性、途中の上り坂で追い越した女性二人連れ。すれ違ったのも女性一人とカップル一組だけ。やはりこのルートを行く人は少ないのかな。確かに、上りと下りを比較すると、今回の奥の院への下り道のほうが大変だったように思った。
ここからは新緑の中、車道の下り坂を歩く。15分ほどで奥の院らしき建物が見える。ちょうど、横峰寺から下りる時に前方を歩いていた笈摺とビニール傘の男性にここで追いついた。私よりも年輩の方で、「この下に何かお堂があるようですよ。私はもうええんで先に(香園寺に)行きますが」と、そのまま行ってしまう。
こちらが香園寺奥の院だが、まず滝と像のようなものが見えたのでそちらに向かう。白瀧という小さな滝がある。目の前には不動明王と脇侍の二王子の像がある。更衣室もあるのでここで滝行もできるのだろう。
この奥の院は1933年に香園寺の当時の住職が開いたという。五来重の『四国遍路の寺』によれば、香園寺の成り立ちとは元々この白瀧で修行した人の納経所であったとしている。それが昭和の初めに新たに奥の院としてお堂を建てたものだという。同書では「奥の院に行かなければ札所の成立や歴史はわからない」というスタンスがしばしば出ているのだが、ここ香園寺と奥の院の関係もその典型としている。
ここでお勤め、しばしの休憩として、香園寺までは残り2キロあまり。続きは次の記事にて・・・。