今回の横峰寺、石鎚山めぐりのベースキャンプに選んだのは、伊予西条駅から東へ2分ほど歩いたエクストールイン西条。当初は駅正面の西条アーバンホテルを希望したが、大型連休中は早々と満室になっていた。エクストールインにしたのは朝食が6時45分からと早いのと、西条名物のうちぬき水を使った大浴場があることから。割り当てられた部屋は市内、海方向。予讃線の線路や石鎚山は見えないが、最上階の7階なので西条の町並みと遠くかすかに燧灘を望むことができる。
さて、時刻はまだ16時すぎということで、駅に隣接する四国鉄道文化館に向かう。前回伊予西条を乗り継ぎで通訪ねた時は、鉄道イベントが行われて大勢の子どもたちが訪れていた。
この日は特にイベントもなく、夕方のためか何組かの家族連れがいる程度でゆっくり見学できた。以前にも訪ねたことがあるが、新幹線の0系が「ハーフサイズ」で飾られているのが特徴的だった。新幹線が走っていない四国に新幹線が保存されているということで。
久しぶりに対面した0系新幹線と、ディーゼル機関車のDF50。展示館のいいところは、こうした車両を間近で見るだけではなく実際に触れたり、車輪の部分から天井までの高さを近くで実感できるところにもある。
0系は客室の一部がちょん切られた形だが、当時の座席も残っている。子どもの頃に乗ったのを思い出す。また、運転室に入ることもできる。ボタンを押せば1分間前照灯がつくサービスもある。子どもの頃の一時、「新幹線の運転手になりたい」と書いていたのを思い出す。現実は40歳を過ぎた「飲み鉄」のおっさんで、その当時の純粋な気持ちはどこかに行ってしまったのだが・・・。
館内には四国の列車の行先標やきっぷ、鉄道用品が数々並ぶ。旅情をくすぐる行き先がいろいろとある。こうした行先標、今のJRの車両では見かけなくなった。
隣接して、十河信二記念館がある。四国鉄道文化館に0系が展示されているのも、「新幹線の父」と称されるこの方の功績を讃えてのことである。
十河信二は新居浜の生まれで、当時の鉄道院に入る。戦後、西条市長も務めたが、1955年に71歳の高齢で国鉄の総裁となる。その後、財政面での紆余曲折があったが、東海道新幹線の建設、開業にこぎ着けた。「有法子」という十河信二の情熱と信念がなければ、新幹線は誕生しなかったのではとも言われている。またそれに関する一冊を読みたいものである。
ちなみに・・東予の十河信二に連なる流れには、近鉄中興の祖・佐伯勇がいる。伊勢湾台風で流された近鉄名古屋線を標準軌で復活させて名阪ノンストップ特急を走らせたり、「ドラ息子」と言いながらも近鉄バファローズを自身の最期まで大切にした人物。こちらにも敬意を表す。
さて四国鉄道文化館には、最近線路を挟んだ南館ができた。フリーゲージトレインが屋外に展示されているが、建物に入ると、「貴婦人」と称されたC57がお出迎え。子どもたちにはやはり蒸気機関車は人気であるが、そういえば四国では蒸気機関車の復活運転はやっていないなと気づく。設備やコストの面で難しいのかもしれないが、どこかでそうした運転が行われれば新たな人気になると思う。
その奥には急行型のキハ65がいる。先に、蒸気機関車の復活を・・・と書いておきながら、私にとっては蒸気機関車よりは国鉄塗装の気動車のほうが懐かしさを感じる。シートに座ってみると落ち着きを感じる。
この手の車両、なぜか窓の下のステンレスの部分にこすった落書きが多い。当時通学で利用した高校生たちだろうか。落書きと言ってもなぜか「LOVE」とか、「◯◯くん好き」とかの言葉の他に、ハートのマークや相合傘が書かれているのが多い。私よりも年上の世代だろうが、ローカル列車の中が友だちとの交流、あるいは淡い恋の場、そしてそれを冷やかす場だったのがうかがえる。
他にはディーゼル機関車のDF10もある。構内での貨車の入れ換えや、短い編成の客車列車でも活躍した車両である。これらの車両、鉄道好きにはうなるものが多かった。
展示車両を一通り見た後で、もうすぐ館内のジオラマのイベントがあるという。17時までの毎時0分からジオラマでの鉄道模型走行がある。ジオラマの手前部分には伊予西条の駅と鉄道文化館、そして西条まつりの神輿もある。
四国各地の風景をモデルにした模型が並ぶ中、列車は走る。ジオラマ全体で四国の車窓の魅力をアピールしようというショータイムである。最後には、「瀬戸大橋は新幹線が走ることができる設計です」というナレーションもあった。究極の目標はあくまで「四国新幹線」のようだ。四国に新幹線が走るのはいつのことになるやらわからないが、仮に実現するとして、新幹線が目指すのは松山か高松のどちらだろうか・・・で揉めないかが心配なのだが。
一通り見た見た後で、そのまま夕食として西条の駅前で「夜の八十八所」めぐりとする。松山などと違ってそんなに店があるようには見えないのだが・・・。
さて、時刻はまだ16時すぎということで、駅に隣接する四国鉄道文化館に向かう。前回伊予西条を乗り継ぎで通訪ねた時は、鉄道イベントが行われて大勢の子どもたちが訪れていた。
この日は特にイベントもなく、夕方のためか何組かの家族連れがいる程度でゆっくり見学できた。以前にも訪ねたことがあるが、新幹線の0系が「ハーフサイズ」で飾られているのが特徴的だった。新幹線が走っていない四国に新幹線が保存されているということで。
久しぶりに対面した0系新幹線と、ディーゼル機関車のDF50。展示館のいいところは、こうした車両を間近で見るだけではなく実際に触れたり、車輪の部分から天井までの高さを近くで実感できるところにもある。
0系は客室の一部がちょん切られた形だが、当時の座席も残っている。子どもの頃に乗ったのを思い出す。また、運転室に入ることもできる。ボタンを押せば1分間前照灯がつくサービスもある。子どもの頃の一時、「新幹線の運転手になりたい」と書いていたのを思い出す。現実は40歳を過ぎた「飲み鉄」のおっさんで、その当時の純粋な気持ちはどこかに行ってしまったのだが・・・。
館内には四国の列車の行先標やきっぷ、鉄道用品が数々並ぶ。旅情をくすぐる行き先がいろいろとある。こうした行先標、今のJRの車両では見かけなくなった。
隣接して、十河信二記念館がある。四国鉄道文化館に0系が展示されているのも、「新幹線の父」と称されるこの方の功績を讃えてのことである。
十河信二は新居浜の生まれで、当時の鉄道院に入る。戦後、西条市長も務めたが、1955年に71歳の高齢で国鉄の総裁となる。その後、財政面での紆余曲折があったが、東海道新幹線の建設、開業にこぎ着けた。「有法子」という十河信二の情熱と信念がなければ、新幹線は誕生しなかったのではとも言われている。またそれに関する一冊を読みたいものである。
ちなみに・・東予の十河信二に連なる流れには、近鉄中興の祖・佐伯勇がいる。伊勢湾台風で流された近鉄名古屋線を標準軌で復活させて名阪ノンストップ特急を走らせたり、「ドラ息子」と言いながらも近鉄バファローズを自身の最期まで大切にした人物。こちらにも敬意を表す。
さて四国鉄道文化館には、最近線路を挟んだ南館ができた。フリーゲージトレインが屋外に展示されているが、建物に入ると、「貴婦人」と称されたC57がお出迎え。子どもたちにはやはり蒸気機関車は人気であるが、そういえば四国では蒸気機関車の復活運転はやっていないなと気づく。設備やコストの面で難しいのかもしれないが、どこかでそうした運転が行われれば新たな人気になると思う。
その奥には急行型のキハ65がいる。先に、蒸気機関車の復活を・・・と書いておきながら、私にとっては蒸気機関車よりは国鉄塗装の気動車のほうが懐かしさを感じる。シートに座ってみると落ち着きを感じる。
この手の車両、なぜか窓の下のステンレスの部分にこすった落書きが多い。当時通学で利用した高校生たちだろうか。落書きと言ってもなぜか「LOVE」とか、「◯◯くん好き」とかの言葉の他に、ハートのマークや相合傘が書かれているのが多い。私よりも年上の世代だろうが、ローカル列車の中が友だちとの交流、あるいは淡い恋の場、そしてそれを冷やかす場だったのがうかがえる。
他にはディーゼル機関車のDF10もある。構内での貨車の入れ換えや、短い編成の客車列車でも活躍した車両である。これらの車両、鉄道好きにはうなるものが多かった。
展示車両を一通り見た後で、もうすぐ館内のジオラマのイベントがあるという。17時までの毎時0分からジオラマでの鉄道模型走行がある。ジオラマの手前部分には伊予西条の駅と鉄道文化館、そして西条まつりの神輿もある。
四国各地の風景をモデルにした模型が並ぶ中、列車は走る。ジオラマ全体で四国の車窓の魅力をアピールしようというショータイムである。最後には、「瀬戸大橋は新幹線が走ることができる設計です」というナレーションもあった。究極の目標はあくまで「四国新幹線」のようだ。四国に新幹線が走るのはいつのことになるやらわからないが、仮に実現するとして、新幹線が目指すのは松山か高松のどちらだろうか・・・で揉めないかが心配なのだが。
一通り見た見た後で、そのまま夕食として西条の駅前で「夜の八十八所」めぐりとする。松山などと違ってそんなに店があるようには見えないのだが・・・。