まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回四国八十八所めぐり~第62番「宝寿寺」と「霊場会62番礼拝所」

2018年02月22日 | 四国八十八ヶ所
61番の香園寺にて朱印をいただいた時、納経所の人から「続けて62番に行かれるなら、駐車場にある礼拝所をおすすめします」と言われた。淡々とした事務口調である。1日に何回、いや何百回と口にしているのだろう。

納経所の中や外にいくつもの貼り紙や看板がある。そこにあるのは、「四国八十八所霊場会に入会していない(62番の)宝寿寺への対応処置として、霊場会62番礼拝所・納経所を香園寺の駐車場に設置した」という断り書きである。これだけ読むと、宝寿寺はもう62番礼所でも何でもない寺であるようにも読め、四国八十八所が四国「八十七所」になってしまったのかと思う人が出るのではないかと思う。何やら不穏なものを感じる。

62番問題、宝寿寺問題とも言われるこの事態、どういうことだろうか。それこそネットで検索すれば山のような量の記事が出てくる。要は10年以上にわたる四国八十八所内での内輪もめなのだが・・・。

四国八十八所の納経所の受付時間は7時~17時として、途中休みなく納経を受け付けている。これは霊場会が統一ルールとしていることなのだが、62番の宝寿寺だけは8時~17時の受付で、このうち12時~13時は昼休憩としている。霊場会としては、それでは巡拝する人たちが混同して不便だとして、霊場会ルールに従うよう求めたが応じない。運悪く朝や昼休憩の時間に訪れた人が納経所が閉まっていて朱印がいただけなかったとの苦情が霊場会に寄せられたとしている。

他にも、「宝寿寺の納経所で暴言を吐かれた」、「本尊の御影をいただけなかった」、「団体の納経を断られた」、挙げ句の果てには「苦情を言ったら胸ぐらをつかまれた」などの苦情が霊場会に寄せられたという。また霊場会自身も「霊場会に納める会費を反故にされた」とある。これらのことから、2015年、霊場会は宝寿寺を相手どり、霊場会規則の順守や会費納入を求める訴訟を起こした。

これに対して宝寿寺は、2008年には霊場会を脱退しているとして全面的に争い、2017年、霊場会の訴えを退ける判決が出た。判決理由としては、「霊場会はあくまで任意団体であり、八十八所の寺院だからといって強制されるものではない。そもそも、霊場会も戦後に何となくできた団体である」、「納経受付時間は霊場会ではなく札所自身が決めること」など。「寺といえども労働基準法順守・・・」は別の話として。

裁判では宝寿寺の反論が認められた形になったが、収まらないのは霊場会。判決後、巡拝者が「宝寿寺ルール」で困るだろうとして、対応措置として駐車場に礼拝所を建てた。その一方で、「62番札所としての宝寿寺は否定しない」としている。だから、先ほどの納経所でも「おすすめします」にとどまっている。むしろこの対応が問題をややこしくしていると思う。62番札所が2ヶ所あるような状況になってしまい、団体ツアーを主催する旅行社の多くは宝寿寺には行かずに礼拝所に行くとする一方、個人で回る人の中にはあくまで62番は宝寿寺であり礼拝所には行かないとする向きも多い。「どっちに行ったらええねん」と迷う人もいる。

過去には、廃仏毀釈や財政難のために、他の寺院が札所を名乗ることもあった。札所は絶対ではないのである。ただ、霊場会に入っていないからと言って、霊場会そのものが任意団体である以上、宝寿寺から62番を剥奪することはできない。

これまで書かれた記事を読むに連れ、宝寿寺も人を置くなど改善できないのかと思うが、全体としては霊場会のほうが大人げない対応なのかなと思う。歩いて巡拝する人がほとんどいない西国三十三所とは単純に比べられないが、西国の場合納経所の時間は寺ごとでばらばらである。8時~17時というのが多かったと思うが、中には青岸渡寺のように朝5時~16時30分というのもあれば、9時からというところもある。それで何か苦情が出たという話は伝わってこない。一方、新西国のある札所で、駅から1時間近く歩いてようやくたどり着いたのに、納経所が留守で後日また出直したということもあった。

宝寿寺が8時~17時で、昼休憩があるということが動かないのであれば、それを事前に広めておけば済むことではないか。また、前後の札所で「宝寿寺には昼休憩がある」と注意を促せば済む話だと思う。裁判をしたり礼拝所を置くというのはちょっと違う方向を向いているのではないかと思う。宝寿寺の納経所での暴言や暴行というのは本当であれば良くないが、こういうのはいくらでも脚色できるし、他の札所でもたまたまそういう扱いを受けたという話はいくらでもあるだろう。

・・・とまあ、長々と書いてきたが、礼拝所そのものはどのようなものか、これはこれで訪ねてみよう。大型バスが何台も余裕で停められる駐車場の一角にプレハブの建物がある。「当礼拝所は、霊場会62番として霊場会が設置した。宝寿寺とは一切関係ない」との看板が立てられている。外には簡易的な燭台などが設けられており、プレハブの中には宝寿寺の本尊である十一面観音と弘法大師像が並ぶ。どこかから持ってきたのか、新たに彫ったものだろうか。

一応ここで般若心経を唱えて、プレハブの扉を開けて納経スペースに向かう。62番のページはあくまで宝寿寺のものだろうと、納経帳の後ろの白紙のページを差し出す。納経所の人は別に何か言うわけではなくさらさらと筆を走らせる。左下には「礼拝所」の文字が入る。まあ、これはこれで一つのお参りの記録である。

本当は次に訪ねた宝寿寺のことまで書こうと思っていたが、長くなったのでここでいったん区切りとする・・・。
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