57番の栄福寺から58番の仙遊寺までは距離にして3キロほど。栄福寺を出た時点でまだ10時前で、思ったよりもいいペースで来ている。ゴールの国分寺までもそこまで遅い時間にはならないだろう。少し先に一人歩き遍路の姿を見る。
右手に養鶏場の玉川ファームを見る。ここから作礼山(されいざん)に向けて未舗装の道に入って行く。仙遊寺までは歩きで50分との手作りの札も出る。
「犬塚」という小さな石碑と石仏があり、坂道を上がると池のほとりに出る。ここは犬塚池という。その昔、栄福寺と仙遊寺は一人の住職が兼務していて、愛犬に二つの寺の使いをさせていた。この犬は利口で、山の麓の栄福寺で鐘が鳴れば山を駆け下り、山の上の仙遊寺で鐘が鳴れば山を駆け上り、用事を伝えに行った。ある日、偶然かどうか、山の麓と山の上で同時に鐘が鳴った。犬はどちらに行けば迷い、右往左往した。その中で途中の池で溺れ死んでしまった。そこで村人たちが池のほとりに塚を建てて供養したことから「犬塚」と呼ぶようになったという。
こういう時って、犬でなく人だったら、あるいは私だったらどうするかな。いろいろ背景を設定する必要はあると思うが、麓なり上なり、とりあえずどちらか近い方に行くのかな。あるいは、普段お世話になっている、可愛がってくれる方に先に行くとか。ただ、世の中には本当に真面目で義理堅く、どちらとも決めてしまうことができず(もう一方に義理が立たない)、それがために自爆して池に飛び込んでしまう人もいるかもしれない。どれが「正解」ということで括れるものではないだろう。
しばらくは犬塚池の周り、そして自然の山道を歩く。ここに昔からの遍路道があるとは思わなかったが、昔の人の気分に近づくことができる。一度車道を渡り、再び山道を歩く。結構坂道も急になってきた。
再び車道に出る。斜面を利用したみかん畑が広がる中、坂の途中で後ろを振り返る。ちょうど雲も晴れてきた。
遠方に広がる景色に思わずうなる。今治の町が広がり、さらに向こうには来島海峡大橋、さらに大島などのしまなみ海道が広がる。この位置からしまなみ海道を見るのはもちろん初めてで、四国の名所、一つの区切りに来たことを改めて感じる。
ここからは車道の坂道を上る。先ほど栄福寺で見かけたクルマが上から下りてくる。札所間での移動の速さ、機動力という点ではやはりクルマに分がある。ただ、全部ではなく一部だけでも、公共交通機関の力を借りながらも歩くことについても、その面白さや、歩く中で見えるもの、感じられるものというのが、ここまで来ると少しずつわかるような気がしている。
不動明王のいる休憩所があり、その少し上に新たに再建されたらしい山門がある。ようやく仙遊寺に到着した・・・というところで、本堂はさらにこの上にあることに気づく。駐車場もこの上で、クルマで来た場合は山門の前を素通りすることになる。この先は石段が続くので、再び気合いを入れて上る。まあ、これまでの西国三十三所や新西国でも似たような場面はあった。
仙遊寺の本尊は千手観音である。そのためか、先ほどの休憩所のあたりから、この石段も含めて道端に西国三十三所の観音の石像を見る。こういうのは札所順に並ぶのだと思うが、順番がばらばらで、抜けているものもある。道を補修、整備する時にとりあえずあてがった感じがする。また、こういうのを見るとどうしても私のご近所の5番・葛井寺を探すのだが、この石段や寺の境内を見渡しても見つけることができなかった。一方では新しく造られたオリジナル?の観音像が立っていたりする。
ともかく最後の石段を上る。途中には弘法大師の御加持水というのがある。金属の蓋を取ってみるとちょっと淀んだ感じの水面が出てきた。夏場なら一汲みしてもよいかなと思ったが、今この場でいただこうという気にはならなかった。まあ、こうしたスポットもあるということで先に進む。
最後の石段を上がると、弘法大師像の背中が見えた。八十八所のお砂踏みがある。標高300メートルの高台にあり、今治でこの高さまで上ってくることになるとは思わなかった。境内の片隅に雪の塊が残っている。少し息が上がったので整えてからのお勤めとする。
仙遊寺の創建は今回訪ねた泰山寺、栄福寺よりも古く、天智天皇の勅願で、伊予国主の越智守興が堂宇を建てたとされる。本尊の千手観音は海から上がった竜女が彫ったとされている。また、阿坊仙人という僧が40年にわたってこの寺で仙人のような生活をしながら伽藍を整えたが、ある日、雲のように姿を消したという伝説がある。「仙遊」という言葉にはそのイメージが含まれているそうだ。確かにこれだけ景色が良く、しまなみ海道も望めるところであれば、どこか遠くに行きたくなるという気持ちにもなるのかなと思う。後に弘法大師が再興、江戸時代には荒廃したそうだが、明治の初めに宥連上人の手で再興された。
内陣には本尊の千手観音像が祀られている。おそらく後世に彫られたものだと思われる。本堂の中に入ってお勤めもできるのだが、この時間ともなるとクルマでやって来る他の参詣者もいることだし、改めて本堂の外でのお勤めとする。本堂も風情ある造りだが、火災のため戦後に再建されたものだという。
仙遊寺には温泉つきの宿坊が設けられている。山の上の立派な建物で、団体の受入も可能だという。周りには何もないが、今治市街、しまなみ海道の眺望はよさそうだ。
さて時刻は11時を回ったところ。この先の国分寺まで6.6キロという表示が出ている。今度は下り坂と平坦な道なので、12時半頃には着くことができるだろう。当初は、今治市街で夕方近くまでかかるかなと思っていたが、結構早い時間で目的の4ヶ所を回ることができそうだ。まあ、早ければいいというものではないが、その後の時間をどうするかも含めてこの先進むことにする・・・。
右手に養鶏場の玉川ファームを見る。ここから作礼山(されいざん)に向けて未舗装の道に入って行く。仙遊寺までは歩きで50分との手作りの札も出る。
「犬塚」という小さな石碑と石仏があり、坂道を上がると池のほとりに出る。ここは犬塚池という。その昔、栄福寺と仙遊寺は一人の住職が兼務していて、愛犬に二つの寺の使いをさせていた。この犬は利口で、山の麓の栄福寺で鐘が鳴れば山を駆け下り、山の上の仙遊寺で鐘が鳴れば山を駆け上り、用事を伝えに行った。ある日、偶然かどうか、山の麓と山の上で同時に鐘が鳴った。犬はどちらに行けば迷い、右往左往した。その中で途中の池で溺れ死んでしまった。そこで村人たちが池のほとりに塚を建てて供養したことから「犬塚」と呼ぶようになったという。
こういう時って、犬でなく人だったら、あるいは私だったらどうするかな。いろいろ背景を設定する必要はあると思うが、麓なり上なり、とりあえずどちらか近い方に行くのかな。あるいは、普段お世話になっている、可愛がってくれる方に先に行くとか。ただ、世の中には本当に真面目で義理堅く、どちらとも決めてしまうことができず(もう一方に義理が立たない)、それがために自爆して池に飛び込んでしまう人もいるかもしれない。どれが「正解」ということで括れるものではないだろう。
しばらくは犬塚池の周り、そして自然の山道を歩く。ここに昔からの遍路道があるとは思わなかったが、昔の人の気分に近づくことができる。一度車道を渡り、再び山道を歩く。結構坂道も急になってきた。
再び車道に出る。斜面を利用したみかん畑が広がる中、坂の途中で後ろを振り返る。ちょうど雲も晴れてきた。
遠方に広がる景色に思わずうなる。今治の町が広がり、さらに向こうには来島海峡大橋、さらに大島などのしまなみ海道が広がる。この位置からしまなみ海道を見るのはもちろん初めてで、四国の名所、一つの区切りに来たことを改めて感じる。
ここからは車道の坂道を上る。先ほど栄福寺で見かけたクルマが上から下りてくる。札所間での移動の速さ、機動力という点ではやはりクルマに分がある。ただ、全部ではなく一部だけでも、公共交通機関の力を借りながらも歩くことについても、その面白さや、歩く中で見えるもの、感じられるものというのが、ここまで来ると少しずつわかるような気がしている。
不動明王のいる休憩所があり、その少し上に新たに再建されたらしい山門がある。ようやく仙遊寺に到着した・・・というところで、本堂はさらにこの上にあることに気づく。駐車場もこの上で、クルマで来た場合は山門の前を素通りすることになる。この先は石段が続くので、再び気合いを入れて上る。まあ、これまでの西国三十三所や新西国でも似たような場面はあった。
仙遊寺の本尊は千手観音である。そのためか、先ほどの休憩所のあたりから、この石段も含めて道端に西国三十三所の観音の石像を見る。こういうのは札所順に並ぶのだと思うが、順番がばらばらで、抜けているものもある。道を補修、整備する時にとりあえずあてがった感じがする。また、こういうのを見るとどうしても私のご近所の5番・葛井寺を探すのだが、この石段や寺の境内を見渡しても見つけることができなかった。一方では新しく造られたオリジナル?の観音像が立っていたりする。
ともかく最後の石段を上る。途中には弘法大師の御加持水というのがある。金属の蓋を取ってみるとちょっと淀んだ感じの水面が出てきた。夏場なら一汲みしてもよいかなと思ったが、今この場でいただこうという気にはならなかった。まあ、こうしたスポットもあるということで先に進む。
最後の石段を上がると、弘法大師像の背中が見えた。八十八所のお砂踏みがある。標高300メートルの高台にあり、今治でこの高さまで上ってくることになるとは思わなかった。境内の片隅に雪の塊が残っている。少し息が上がったので整えてからのお勤めとする。
仙遊寺の創建は今回訪ねた泰山寺、栄福寺よりも古く、天智天皇の勅願で、伊予国主の越智守興が堂宇を建てたとされる。本尊の千手観音は海から上がった竜女が彫ったとされている。また、阿坊仙人という僧が40年にわたってこの寺で仙人のような生活をしながら伽藍を整えたが、ある日、雲のように姿を消したという伝説がある。「仙遊」という言葉にはそのイメージが含まれているそうだ。確かにこれだけ景色が良く、しまなみ海道も望めるところであれば、どこか遠くに行きたくなるという気持ちにもなるのかなと思う。後に弘法大師が再興、江戸時代には荒廃したそうだが、明治の初めに宥連上人の手で再興された。
内陣には本尊の千手観音像が祀られている。おそらく後世に彫られたものだと思われる。本堂の中に入ってお勤めもできるのだが、この時間ともなるとクルマでやって来る他の参詣者もいることだし、改めて本堂の外でのお勤めとする。本堂も風情ある造りだが、火災のため戦後に再建されたものだという。
仙遊寺には温泉つきの宿坊が設けられている。山の上の立派な建物で、団体の受入も可能だという。周りには何もないが、今治市街、しまなみ海道の眺望はよさそうだ。
さて時刻は11時を回ったところ。この先の国分寺まで6.6キロという表示が出ている。今度は下り坂と平坦な道なので、12時半頃には着くことができるだろう。当初は、今治市街で夕方近くまでかかるかなと思っていたが、結構早い時間で目的の4ヶ所を回ることができそうだ。まあ、早ければいいというものではないが、その後の時間をどうするかも含めてこの先進むことにする・・・。