まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回四国八十八所めぐり~今治の「色」

2018年02月19日 | 四国八十八ヶ所
今治駅に戻ったのが15時前、少し早いがホテルにチェックインすることにする。私の普通のパターンであれば駅前のビジネスホテルに泊まるところである。翌日は今治駅から午後に大阪に向けて移動するということもある。ただこの日は、駅から20分ほど歩いた今治桟橋の近くにある「ホテル菊水今治」に泊まる。桟橋へは路線バスに乗れば5分で着くところだが、せっかくなので歩いていく。

今治には以前に四国アイランドリーグ観戦の後で宿泊したことがある。ただ、当時のブログの記事を見ると、野球観戦の記事は細かく書いているし、前後の移動についても綴っているのだが、なぜか今治での夜の記事がない。かすかに覚えているのは、名物の焼き鳥を食べに行こうとある店に行ったが、店の前が行列しているのを見てあっさりと退散し、ホテルでコンビニ食か何かだったのではないかということだ。そして、その時はクルマで来ていたこともあり、桟橋に近いところに泊まったのではないかと思う。その時もホテル菊水だったかもしれない。

駅からまっすぐ歩くと国道に面して今治市公会堂がある。グレーがかった、無機質というか機能的な外観。今治出身の有名な建築家であった丹下健三の設計だという。なお今治には「丹下作品」とでもいうべき建造物が点在しており、それらを回るのも今治観光のコースの一つになっているという。また公会堂の前には巨大な船のプロペラが設置されている。2013年に今治造船が寄贈したもので、造船の町としてのシンボルとも言える。

今治銀座というアーケード街に入る。日曜日だからかシャッターを下ろす店も目立つ、地方駅前の商店街という感じである。やはり、地元や近郊の人は先ほど見たような郊外のロードサイドの大型店に行ってしまうのだろうか。その商店街も飲食店よりは衣類の店が多いように見える。タオルを中心とした繊維産業がさかんな町ということもあるのだろう。

アーケード内には「今治名物えびすぎれ」という幟が目立つ。えびすと聞いて連想するのは大阪の今宮戎神社のえべっさんであるが、明治の初めにこの十日えびすにあやかって呉服の端切れを安く売ったのが「えびすぎれ」の起こりだという。毎年、2月のこの時期に「えびす市」というイベントが行われているとあり、この日も一角では路上ライブやら衣類、日用品の安売りなどが行われていた。

商店街を抜けたところがホテル菊水。先にチェックインを済ませて荷物を置き、まだ外は明るいのでもう少し回ることにする。

ホテルのすぐ近くにあるのが、今治市みなと交流センターの「はーばりー」。かつての桟橋のビルを船の形に昨年新たに建て替えたもので、中にはフェリーのきっぷ売り場やカフェ、展示ルーム、展望フロアがある。まずは桟橋まで行き、次に展望フロアに上がる。午前中に作礼山から今治の市街、そして来島海峡大橋を見たが、もちろん海の景色はこちらから間近に見られる。島の姿も思ったより大きく、離島という感じがしない。なかなかのものである。島へのフェリーやバスの時刻表を見ると、ふと翌日は島へ渡ってみようかなとも考える。翌日の午前中をどう過ごすかはまだ決めていない。

展示ルームに向かうと何やら展示会をやっているようだ。入場無料で、係の人が「よろしければ」とパンフレットを渡してくれたので入ってみる。結構多くの人がカメラやスマホを手にしている。

フロア一面には数字やらアルファベットの形に切り取られた紙がカーテン状にぶら下がっている。よく見ると1枚1枚が少しずつ色合いが異なっている。ある方向では青がベース、またある方向では赤や緑がベースになるが、よく見るとだんだんと色合いが濃くなったり薄くなったりする。パソコンのWordやExcelなどで、文字や塗りつぶしの色を設定する時に表示されるサンプルを見ているようだ。また、中央部の床にはクッションがあり、寝転がってそれらのカラーを見上げることもできる。

これは、「IMABARI Color Show」というアート展示で、「1000色(染色)が織りなす技術を体感」とある。先ほど紙に見えたのは帆布で、今治の染色工業組合の職人たちが帆布の生地に1000の色を染め、それをアルファベットや数字、記号に切り取ったものだ。作品を手掛けたのは、「色切/shikiri」というコンセプトで、色と空間を組み合わせた建築やデザインアートをプロデュースしているフランス人のエマニュエル・ムホー氏である。この作品は、昨年12月に東京・青山で展示を行った後、2月2日~12日までの期間での今治展となった。ちょうど訪ねたのがその期間中ということで、運よく作品を見ることができたわけだ。

ムホー氏はこれまで「100 colors 」というシリーズで、100の色を散りばめた作品をいくつも手掛けているが、「1000色」というのは初めてだそうである。この微妙な色使いを1000通り表現できたのは、今治の染色職人たちの技術である。「染色は生き物」という言葉があるそうで、同じ水や材料を使い、同じ手順で染めたとしても、全く同じ色になるとは限らないそうだ。気温や天候によって微妙な調整が必要で、それができるのは長年受け継がれてきた職人の技なのだという。今治のタオルが支持されるのは、もちろん糸の質や織物の技術によるところも大きいのだが、微妙な色の使い分けによるところも結構大きい。

また、展示ルームには「今治の色」として、今治の風景やイメージを色で表現してみたら・・・というパネルもある。「青い急流」(しまなみ海道)、「海からの贈り物」(桜鯛)、「菊間グレー」(菊間瓦)、「丹下グレーと劇場レッド」(今治市公会堂の外と中)、「夜のお話」(瀬戸内に夕日が沈む瞬間)、「はれの門出」(新造船の進水式)の6つ。これはなかなか面白いし、わかりやすい切り口だと思う。

今治の新しい魅力発信の一端を見ることができた気持ちで、続いては歴史をさかのぼって今治城に向かう。1604年、藤堂高虎の設計によって完成した城で、堀に海水を引き入れる特殊な造りである。少し前だったか、堀にエイが現れたというのをニュースでやっていたっけ。

天守閣の前にも藤堂高虎が馬に乗って城造りの陣頭指揮をしている像が見られる。

先ほどアート展示を見たために開門時間が残り少しだったため、大急ぎで天守閣の中を見る。そして最上階へ。こちらからも今治の市街を見渡すことができる。この日八十八所めぐりで歩いたコースもだいたいあの辺りかなと視線でたどってみる。

なお、今の天守閣が模擬天守として建造されたのが1980年である。まあ、天守閣が昭和や平成に再建されることは別に珍しくないことだが、そもそも今治城に天守閣があったのか?ということが取り上げられている。藤堂高虎が今治城を建ててわずか数年で伊勢の津に国替えとなり、天守閣は丹波の亀山に移築されたという説が有力視されているが、そもそも天守閣自体が建てられたのか?とする説もあるという。なお、丹波の亀山城は明治に取り壊される前の写真が残っており(この亀山城といえば、現在大本教の道場の一つになっている)、今治城の模擬天守を建造するに当たっては亀山城の外観を参考にしたという。

藤堂家の後は徳川家の親戚である久松松平家が入り、泰平の世になったことから天守閣は造らず、そのまま今治藩を治めた。明治以後は廃城となり、公園として開放される一方で、本丸跡には神明宮、八幡宮、厳島神社、戎神社を合わせた吹揚神社が設けられ、そこに藤堂高虎と久松のお殿様も合わせて祀ることになった。今治城内、今治の中心部の神社ということで、訪れた2月11日は午前中に建国記念の祭礼が行われたそうである。

そろそろ日が傾いてきたところで市内散歩を終え、ホテルに戻ることにする。まあ、今治桟橋や今治城を見物するには、駅よりも近くてよかったわけで・・・。
コメント