鏑射寺最寄り駅の道場から各停で1駅、武田尾に到着。駅ホームの半分以上がトンネルの中で、ホームの先のほうが武庫川にかかる橋の上である。「秘境駅」の名を世に広めた牛山隆信さんのサイト「秘境駅へ行こう!」によると、武田尾は全国の秘境駅ランキング第196位という位置付け。まあ、日中でも列車は15分に一本あるし、駅から路線バスの便もあるから、秘境駅ランキングとしては微妙な位置付けなのかもしれないが、普通に町の通勤電車に乗る者からすれば周りには何もないところ。何でこんなところに駅があるねん、という感じである。
この駅に降りたのは、帰りに福知山線の廃線跡を歩いてみようということからだ。現在は福知山、さらにはその先の城崎温泉まで電化され、途中の篠山口まで複線化、さらにはJR東西線の開通により関西のJRの近郊区間の一端を担う福知山線だが(塚口~尼崎間での列車脱線事故は今でも痛ましい記憶として残っているが)、元々は大阪と山陰線を結ぶといいつつも武庫川沿いに細々と走る線だった。1986年に複線電化されたのにともない元の線は廃止となったが、その時私はまだ中学1年生で、JR乗りつぶしに目覚めたばかりの頃だった。福知山線に初めて乗ったのは新線のほうで、旧線は乗ることがなかった。
その廃線は立入禁止であるが、武庫川の渓谷の景色がよく、またトンネルや鉄橋の跡を通るスリルがあるということで、ハイキングコースとして多くの人が訪ねることになった。JRや自治体としても建前上は立入禁止としつつも、実態は黙認状態、何かあれば自己責任というスタンスだった。
それが、2016年に廃線跡の整備や安全対策を行い、公認の?ハイキングコースとして、生瀬~武田尾ルートの出入りが自由になった。あくまで自己責任というスタンスだが、西宮、宝塚の新たな観光スポットにしようということだろう。私もこの機会に初めて足を踏み入れてみる。ハイキングなら桜や紅葉の時季がいいのだろうが、真冬というのも面白いだろう。
大阪、宝塚方面から来る人が多いことから、ハイキングコースは生瀬、または西宮名塩がスタート地点となっているが、今回は道場から来たこともあり、武田尾から行くことにする。時刻は12時過ぎ、鉄橋の下の駅前でおにぎりの昼食としてまずしばらく歩く。駅の周りは、武田尾温泉と廃線跡をセットとした観光、レジャーのポイントにしようということか、広場の整理など工事が行われている。駐車場も結構な台数分あるがこれは月極め契約用だ。周りに住宅地が広がるわけでもないが結構埋まっていて、どういう人が利用するのかと思う。
廃線跡ハイキングの入口に差し掛かる。ここからの4.7キロがハイキングコースとして旧線の上を歩く。線路はとっくの昔に剥がされたが、枕木は朽ちたものはあるがその形を止めているのも多い。歩幅を取るのが案外難しい中、昔の姿を想像しながら歩く。旧線の頃は城崎から鳥取方面へのディーゼル特急が走っていたそうだし、ディーゼル機関車が客車を引っ張っていたそうだ。私ももう10年早く生まれていれば、そうした汽車旅を楽しむことができただろう。
右手に広がる武庫川の渓谷も、対岸に道路がないためか自然が残されている印象である。線路は川ぎりぎりに敷かれていたようで、低いフェンスから下を覗き込むと結構スリルがある。
トンネルに差し掛かる。コース上には6つのトンネルがある。トンネル内は照明がない旨の看板があり、ここからは懐中電灯が必須となる。リュックの中から取り出して足元を照らす。ここにも枕木が残っている箇所があり、よく見ないとつまずいてしまう。
今は何も咲いていないが、道沿いにはさまざまな木も植えられているし、親水公園や「桜の園」というのも整備されている。こうしたところがちょっとした休憩ポイントになっている。また、川の眺めのよいところには枕木を再利用したベンチもある。ちょっと座るのは寒そうだが、昼食を取るグループもいる。
3つ目のトンネルに入る。この長尾山第1トンネルは300メートルと、ここまでの2つより長い。真ん中の辺りは前後からの光も届かず、懐中電灯だけが頼りだ。ここで電池が切れたらえらいことだが、予備の電池はリュックに入れてきたよな・・よし、ちゃんとある。
トンネルの向こうに錆び付いた鉄橋が見える。第2武庫川橋梁で、ここで武庫川が左手に移る。この橋梁も以前は立入禁止で、こっそり来ていた人たちは横の作業用通路を渡っていたという。コース整備で新たに真ん中に木の橋を渡していて、安心して渡ることができる。廃線跡で鉄橋をこのように整備したところはなかなかないのでは。鉄橋を渡り終えるとすぐにトンネルに入るのは実際の乗り鉄旅ではよくある車窓だが、それを生身で体験するとは面白い。
鉄道は元々極端な急勾配に敷かれないので、先ほど鏑射寺までの坂道を上り下りしたことを思えば平坦なコースである。途中、子どもたちの団体や親子連れとも結構すれ違ったが、距離はそこそこあるがそれほどしんどくないのではと思う。トンネルの暗闇もスリルある探検気分ではないだろうか。
この辺りは急流で滝ができていたり、対岸に巨大な岩がそびえる。当然、人家などはない。最初にここに鉄道を敷こうと工事に携わった人たちはかなりの苦労があったのではないかと思う。
そして、この区間最長の413メートルの北山第2トンネルに入る。この距離だと、途中で完全な闇となる。ちょっと止まり、わざと懐中電灯を消してみる。当然周りは何も見えない。また、ここまで暗闇だと目が慣れる気配もない。何だか「修行」の気分である。普段の生活だと夜といっても町中は何かしらの灯りが煌々と照らしているし、田舎の山の中でも月明かり、星明かりはある。本当の暗闇というのには滅多に出会わない中で、こんなところがあったのかとうなるばかりだ。
まあ、そんな「修行」も長く持たず、すぐに懐中電灯をつける。そして再び歩くうちに少しずつ前方が明るくなってきた。トンネルを抜けると粉雪である。まあ、雪だからまだよかった。雨だと傘を差さなければならないが、雨の中で廃線跡を歩こうとまでは思わない。この日の歩きも、道場や武田尾で雨が降っていれば取り止めにしたと思う。
最後に319メートルの北山トンネルを抜けて、廃線跡歩きも終盤である。前方に中国自動車道の高架が見えてきて、武庫川の対岸にも住宅地が見えてきた。武田尾駅からほぼ休憩なしで歩いたからか、1時間半ほどで生瀬側のスタート地点に到着した。
この後は国道176号線を歩く。車道はひっきりなしにクルマが行き交うし、一応歩道はあるが狭い。粉雪が舞う中、1キロあまりで生瀬駅に着いた。
廃線跡、そして前後の武田尾、生瀬の両駅への道を合わせると7キロほどのコースだったが、武庫川の流れを中心に歩きを楽しめるコースというのを実感した。なるほどこれなら以前から闇で歩いてみようという人が多かったのもわかるし、JRや自治体も後追いながら一般に開放したハイキングコースとしたのもうなずける。同じような年代に複線電化で新線付け替えとなったのが山陰線(JR嵯峨野線)で、こちらは旧線にトロッコ列車を走らせて人気だが、生瀬~武田尾の旧線を公開のハイキングコースにしたのも楽しみ方の提供である。
大阪、宝塚側の玄関口である生瀬駅には「廃線敷」コースのパンフレットもあれば、窓口では無人駅の武田尾から帰る人のために武田尾発の乗車券も発売するとある。桜や紅葉の時季は両駅ともごった返すのだろう。
この後は生瀬から宝塚に出て、快速に乗り継いで大阪に戻る。鏑射寺に廃線跡、大阪から比較的近いところでこうしたスポットを楽しめたのは新たな発見で、実のある一時であった・・・。
この駅に降りたのは、帰りに福知山線の廃線跡を歩いてみようということからだ。現在は福知山、さらにはその先の城崎温泉まで電化され、途中の篠山口まで複線化、さらにはJR東西線の開通により関西のJRの近郊区間の一端を担う福知山線だが(塚口~尼崎間での列車脱線事故は今でも痛ましい記憶として残っているが)、元々は大阪と山陰線を結ぶといいつつも武庫川沿いに細々と走る線だった。1986年に複線電化されたのにともない元の線は廃止となったが、その時私はまだ中学1年生で、JR乗りつぶしに目覚めたばかりの頃だった。福知山線に初めて乗ったのは新線のほうで、旧線は乗ることがなかった。
その廃線は立入禁止であるが、武庫川の渓谷の景色がよく、またトンネルや鉄橋の跡を通るスリルがあるということで、ハイキングコースとして多くの人が訪ねることになった。JRや自治体としても建前上は立入禁止としつつも、実態は黙認状態、何かあれば自己責任というスタンスだった。
それが、2016年に廃線跡の整備や安全対策を行い、公認の?ハイキングコースとして、生瀬~武田尾ルートの出入りが自由になった。あくまで自己責任というスタンスだが、西宮、宝塚の新たな観光スポットにしようということだろう。私もこの機会に初めて足を踏み入れてみる。ハイキングなら桜や紅葉の時季がいいのだろうが、真冬というのも面白いだろう。
大阪、宝塚方面から来る人が多いことから、ハイキングコースは生瀬、または西宮名塩がスタート地点となっているが、今回は道場から来たこともあり、武田尾から行くことにする。時刻は12時過ぎ、鉄橋の下の駅前でおにぎりの昼食としてまずしばらく歩く。駅の周りは、武田尾温泉と廃線跡をセットとした観光、レジャーのポイントにしようということか、広場の整理など工事が行われている。駐車場も結構な台数分あるがこれは月極め契約用だ。周りに住宅地が広がるわけでもないが結構埋まっていて、どういう人が利用するのかと思う。
廃線跡ハイキングの入口に差し掛かる。ここからの4.7キロがハイキングコースとして旧線の上を歩く。線路はとっくの昔に剥がされたが、枕木は朽ちたものはあるがその形を止めているのも多い。歩幅を取るのが案外難しい中、昔の姿を想像しながら歩く。旧線の頃は城崎から鳥取方面へのディーゼル特急が走っていたそうだし、ディーゼル機関車が客車を引っ張っていたそうだ。私ももう10年早く生まれていれば、そうした汽車旅を楽しむことができただろう。
右手に広がる武庫川の渓谷も、対岸に道路がないためか自然が残されている印象である。線路は川ぎりぎりに敷かれていたようで、低いフェンスから下を覗き込むと結構スリルがある。
トンネルに差し掛かる。コース上には6つのトンネルがある。トンネル内は照明がない旨の看板があり、ここからは懐中電灯が必須となる。リュックの中から取り出して足元を照らす。ここにも枕木が残っている箇所があり、よく見ないとつまずいてしまう。
今は何も咲いていないが、道沿いにはさまざまな木も植えられているし、親水公園や「桜の園」というのも整備されている。こうしたところがちょっとした休憩ポイントになっている。また、川の眺めのよいところには枕木を再利用したベンチもある。ちょっと座るのは寒そうだが、昼食を取るグループもいる。
3つ目のトンネルに入る。この長尾山第1トンネルは300メートルと、ここまでの2つより長い。真ん中の辺りは前後からの光も届かず、懐中電灯だけが頼りだ。ここで電池が切れたらえらいことだが、予備の電池はリュックに入れてきたよな・・よし、ちゃんとある。
トンネルの向こうに錆び付いた鉄橋が見える。第2武庫川橋梁で、ここで武庫川が左手に移る。この橋梁も以前は立入禁止で、こっそり来ていた人たちは横の作業用通路を渡っていたという。コース整備で新たに真ん中に木の橋を渡していて、安心して渡ることができる。廃線跡で鉄橋をこのように整備したところはなかなかないのでは。鉄橋を渡り終えるとすぐにトンネルに入るのは実際の乗り鉄旅ではよくある車窓だが、それを生身で体験するとは面白い。
鉄道は元々極端な急勾配に敷かれないので、先ほど鏑射寺までの坂道を上り下りしたことを思えば平坦なコースである。途中、子どもたちの団体や親子連れとも結構すれ違ったが、距離はそこそこあるがそれほどしんどくないのではと思う。トンネルの暗闇もスリルある探検気分ではないだろうか。
この辺りは急流で滝ができていたり、対岸に巨大な岩がそびえる。当然、人家などはない。最初にここに鉄道を敷こうと工事に携わった人たちはかなりの苦労があったのではないかと思う。
そして、この区間最長の413メートルの北山第2トンネルに入る。この距離だと、途中で完全な闇となる。ちょっと止まり、わざと懐中電灯を消してみる。当然周りは何も見えない。また、ここまで暗闇だと目が慣れる気配もない。何だか「修行」の気分である。普段の生活だと夜といっても町中は何かしらの灯りが煌々と照らしているし、田舎の山の中でも月明かり、星明かりはある。本当の暗闇というのには滅多に出会わない中で、こんなところがあったのかとうなるばかりだ。
まあ、そんな「修行」も長く持たず、すぐに懐中電灯をつける。そして再び歩くうちに少しずつ前方が明るくなってきた。トンネルを抜けると粉雪である。まあ、雪だからまだよかった。雨だと傘を差さなければならないが、雨の中で廃線跡を歩こうとまでは思わない。この日の歩きも、道場や武田尾で雨が降っていれば取り止めにしたと思う。
最後に319メートルの北山トンネルを抜けて、廃線跡歩きも終盤である。前方に中国自動車道の高架が見えてきて、武庫川の対岸にも住宅地が見えてきた。武田尾駅からほぼ休憩なしで歩いたからか、1時間半ほどで生瀬側のスタート地点に到着した。
この後は国道176号線を歩く。車道はひっきりなしにクルマが行き交うし、一応歩道はあるが狭い。粉雪が舞う中、1キロあまりで生瀬駅に着いた。
廃線跡、そして前後の武田尾、生瀬の両駅への道を合わせると7キロほどのコースだったが、武庫川の流れを中心に歩きを楽しめるコースというのを実感した。なるほどこれなら以前から闇で歩いてみようという人が多かったのもわかるし、JRや自治体も後追いながら一般に開放したハイキングコースとしたのもうなずける。同じような年代に複線電化で新線付け替えとなったのが山陰線(JR嵯峨野線)で、こちらは旧線にトロッコ列車を走らせて人気だが、生瀬~武田尾の旧線を公開のハイキングコースにしたのも楽しみ方の提供である。
大阪、宝塚側の玄関口である生瀬駅には「廃線敷」コースのパンフレットもあれば、窓口では無人駅の武田尾から帰る人のために武田尾発の乗車券も発売するとある。桜や紅葉の時季は両駅ともごった返すのだろう。
この後は生瀬から宝塚に出て、快速に乗り継いで大阪に戻る。鏑射寺に廃線跡、大阪から比較的近いところでこうしたスポットを楽しめたのは新たな発見で、実のある一時であった・・・。