まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回四国八十八所めぐり~宿毛の偉人たち

2017年08月21日 | 四国八十八ヶ所
39番の延光寺から宿毛の市街地に入る手前で、赤い看板の建物に出会う。「サッポロ一番館」。昔ながらのラーメン店という感じだが、外見からするとちょっと入るのがためらわれるようにも思う。ただこの日の私はここで昼食にしようと、珍しく迷うことなくドアを開ける。時刻は13時前、現場仕事の人たちが何人か昼食後のテレビを見ていた。やっていたのは高校野球で、ちょうど高知代表の明徳義塾が前橋育英と対戦していたが、最後残念ながら敗れてしまった。それがちょうど昼休憩の終わりのタイミングと重なったので、「ごちそうさん」と出て行き、客は私だけになった。

この「サッポロ一番館」に入ろうということになったのは、朝方やって来た窪川駅の壁に貼ってあったこのメモ(画像がピンボケして見づらいのはご容赦を)。誰が貼ったのかはわからないが、この時の私には「歩き遍路向けの情報かな」と思われたのだ。確かに、店内の壁には何枚かの納札が貼られていた。

メニューの先頭にあったみそラーメンを注文したが、いろいろな味が出せるみそラーメンにあって、昔食べていたそれこそ「サッポロ一番」のみそラーメンのスープの味にそっくりだった(麺はもちろんインスタントのそれではないが)。ある意味懐かしい味というのか、暑い中歩いて来た後で熱いものを食べると余計に汗が出てきたが、これもまたよいだろう。

ここで羽織っていた笈摺を脱いで再び歩く。店から数百メートルほどのところで松田川に出る。堤防には桜の木が植えられている。

川にかかる橋を渡ったところに遍路用の休憩スペースがあった。「遍路小屋」と呼ばれるものの一つで、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」という団体の手で40番の観自在寺への看板があるが、その下に「住民力」という小さな石碑がある。説明によると、この土地はかつて暴力団の組事務所の設置の動きがあったのだが、地元住民たちが運動を行って資金を集めて土地を買い取り、公共的な施設ということで遍路小屋を建てたという。その記念が「住民力」という言葉になっている。宿毛の札所は町の中心部から東に外れた延光寺しかないが、観自在寺に向けて多くの人が宿毛の町を通るということもあってのことだろう。すれ違う小学生の子どもたちも、私のような者にでも「こんにちは」「がんばってください」と自然と声をかけてくれる。

この遍路小屋から右に曲がり300メートルほど行くと、宿毛文教センターという建物に出る。図書館や学習用のホールがあり、3階に、今回立ち寄り予定に入れていた宿毛歴史館がある。再来年の3月末まで高知県内で広く開かれている「志国高知幕末維新博」の「宿毛会場」にもなっている。エレベーターで上がると受付があり、ガイドの男性が「ささ、どうぞ」という感じで隅々まで案内してくれる。本音をいうと、暑かったので少し休んで自分のペースで見学しようと思っていたのだが、せっかくのご厚意を無にするのも悪いかなということでお任せとした(撮影禁止だったかどうかはわからなかったが、ガイドが横にびったりついているので、カメラを取り出すことができなかった)。

宿毛は中世は一条家、そして戦国時代の長宗我部元親の支配を経て、江戸期には土佐に封じられた山内一豊の甥・可氏(よしうじ)が土佐藩家老として6000石にて支配していた。

現在の宿毛では、明治以降、政治・産業・文化の各方面に活躍した地元ゆかりの「21人」を偉人として顕彰しており、歴史館の中でも一人ずつ遺品や文献など展示している。ガイドの説明も含めてその中で目立った人を何人か挙げると・・・

・小野義真・・・岩崎弥太郎と組んで三菱を興す。日本鉄道(現在の東北本線)創立。岩手の小岩井農場創立。

・竹内綱・・・政治家。吉田茂の父。

・吉田茂・・・戦後の首相。「この人は選挙の時に国に帰らなくてもほぼ無投票状態で当選してましたな」(ガイド談)

・竹内明太郎・・・竹内綱の長男、吉田茂の兄。小松鉄工所(現在のコマツ)創立。

・中村重遠・・・明治新政府の軍人。政府が姫路城取り壊しの方針を出すと、保存の意見書を提出。これで取り壊しを免れた姫路城は現在は世界遺産。

・小野梓・・・東京専門学校(現在の早稲田大学)創立。「早稲田といえば大隈重信ですが、あの方はシンボルとして、そして小野は実務面を担当したそうです。大隈重信が早稲田創設の父とすると、小野梓は早稲田創設の母といえるでしょう」(ガイド談)

・本山白雲・・・彫刻家。桂浜に立つ坂本龍馬の像はこの人の作品。他にも室戸岬の中岡慎太郎や、高知城の板垣退助の像も手がけた。

この中で名前を知っていたのは吉田茂くらいのもので、その吉田茂にしても高知県出身とは知っていても宿毛がルーツ(本人は東京生まれ)とまでは知らなかった。こうして並べてみるとまさに現在の政治、産業、文化にも息づいているところにシブく関わっているのが面白い。土佐の端ではあるが郷中の教育水準が高かったとか、海に面していて「外向き」の指向があったとか、あるいは隣国の宇和島藩との文化交流があったとか、背景はいろいろあるようだ。なかなか面白く学べた一時であった。

市街地にはこれら偉人たちの生誕地跡の碑や顕彰の碑もある。市街地マップにもなっており、それらを探すのが宿毛の町歩きということになる。

さて、当初の予定では宿毛駅まで移動して、宿毛駅15時07分発の宇和島行きのバスに乗ることにしていたが、歴史館から宿毛駅までは2キロほど離れている。そして、このバスは宿毛駅が始発だと思っていたのだが、実はこの文教センターの真ん前に停留所がある。また、バスの始発は文京センターから200メートルくらい歩いた宿毛営業所である。ここが15時ちょうど発。ならば、わざわざ駅まで行かなくても、宿毛営業所から乗ればよいことである。四万十・宇和海フリーきっぷは「宿毛~宇和島間のバスは乗り放題」とあり、この「宿毛」に宿毛営業所が含まれるかどうかはわからないが、少し時間があるので、営業所の待合室で待つ。

時間となり乗り込んだのは私一人。先ほどの文教センターの前を通り、市街地を回り込む形で、市役所前などを経由して宿毛駅方面に向かう。今回の札所めぐりの初日、宿毛に泊まるということも考え、あるホテルも予約していた。その後時刻表を見ての計画の練り直しで結局ボツということになったので、バスの中から町の様子を見ることにする。宿毛まで土佐くろしお鉄道が延びたのは平成になってからのことで、先ほどの文教センターや市役所を含めた昔ながらの市街地とは対照的に、東宿毛駅から宿毛駅までの間は新たに町並みが整備されたようで、郊外型の大型店舗などが並ぶ。まあ、今の地方の町らしいといえばそれらしい。

宿毛駅で5人ほどの乗客があり、国道56号線を走る。途中の集落に寄るために旧道に入るところもあったが、その辺りを回る中でいつしか県境を越えたようである。これで、甲浦から始まった高知、土佐の国シリーズは終わりとなり、次は愛媛、伊予の国という新たなシリーズということになった。

この日の宿泊地に選んだのは、愛媛県の最南端に位置する愛南町。愛媛でもとっかかりのところである。城辺営業所で運転手が交替して、御荘という地区に入る。ここの平城札所前で下車。「札所前」というくらいだから、次に目指す40番の観自在寺の門前である。時刻は15時46分、納経所は17時までなので巡拝しようと思えば十分時間はある。

ただ、この日の私は観自在寺とは逆の方向に歩いた。この日の宿泊はバス停から5分ほど歩いたところにある。お参りは明日の朝に行うこととして、もう泊まりということに・・・・。
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