まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

岸田首相が自民党総裁選不出馬を表明

2024年08月15日 | ブログ
盆時期は法事のため大阪に帰省、また後半は野球観戦、また神仏霊場巡拝の道めぐりを予定しているが、ニュースでは南海トラフ地震への警戒、そして台風7号の関東東北への接近の呼びかけ。16日は東海道新幹線も東京〜名古屋間が終日計画運休となる。

そんな中、14日に急に飛び込んだのが岸田首相の次の自民党総裁選への不出馬表明。盆時期で政治家の皆さんや記者の方もお休みの方が多いだろうに、どういう意図でこのタイミングでの発表になったのやら。お盆明けと同時に政局が始まるようにということかな。

広島選出ということで期待をしていた面もあり、G7広島サミットを無事仕切ったことは評価したい。ただ、政治不信、経済政策、外交・・・これは難しい課題だが、目立った成果が出なかったのは残念。ただ、他の方が首相だったとして、果たして成果は出せたかどうか。それだけ、日本の構造自体がもう回らなくなっているのかもしれない。

難局だらけの中、首相を務めてご自身の目標を達成されたことについては、お疲れ様でしたと言っておこう。

さてこれからの焦点は自民党総裁選となるが、立候補が取り沙汰されている方々の顔ぶれを見ても、どうだかなあ・・・。
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南海トラフ地震臨時情報・・いよいよやって来るのか?

2024年08月09日 | ブログ

8月8日の夕方、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震が発生。

この日は朝から外出しており、新幹線で広島に戻り、改札内のビジネススペースでパソコンを開けてWEB会議に参加していた。その後メールチェックなどして、さて在来線に乗り換えようとパソコンを閉じた瞬間に緊急地震速報のアラーム音が鳴り響いた。周りの人も「何だ何だ」という様子でスマホを取り出す。駅構内でも緊急放送が流れ、上からの落下物に注意するよう繰り返される。

地震発生直後、新幹線、在来線とも安全確認のためにいったん運転を見合わせた。広島駅構内では少しばかりざわつきがあったが、10分ほどで順次運転再開の放送が流れ、落ち着きを取り戻した様子である。

広島市内は震度2~3だったが、宮崎県南部で震度5以上、日南市では震度6弱を記録した。幸い津波もなく、亡くなった方もいなかったが、それでも負傷や家屋の損壊、店舗の陳列商品が散乱する被害はあった。やはり豪雨や地震・・・当番が回って来るかのごとく絶えずどこかで起こっているように思う。8月の当番は宮崎県です・・・とでもいうか。

そしてこの後発表されたのが「南海トラフ地震臨時情報」である(画像はウェザーニュースのホームページから)。これまでにも「いつか発生する」と言われていた南海トラフ地震。その名前が冠せられた情報ということで、1週間程度は地震に対する備えを行うようにと呼びかけられている。その対象は広く、瀬戸内の広島、岡山、香川、愛媛も含まれている。これを受けて1週間程度、東海道新幹線が一部区間で徐行運転を行うほか、在来線の特急も徐行運転、運休を行うという。寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も運休が決まり、お盆期間中に楽しみにしていた人たちも残念のようだ。

まあ、必要以上に恐れることはないにしても、改めて危険予知だな・・・。

・・・と思っていたら、9日の夜、今度は神奈川県で震度5弱の地震が発生。こちらは人の多いところでちょうど通勤帰りの時間帯。交通機関も運転見合わせとなり混乱が広がっているようだ。前日の日向灘に続き今度は関東ということで・・。9日の地震は南海トラフ地震との直接の関係はないとの発表だが、昨日の今日、はたしてどうなんだろうか・・。

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第84番「浄心院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(己斐の修練道場)

2024年08月07日 | 広島新四国八十八ヶ所

いよいよ終盤の広島新四国八十八ヶ所めぐり、第84番は廿日市から一気に宮島に向かうと思いきや、また西区に戻り、己斐上にある浄心院である。広島新四国の札所番号は諸事情で必ずしも地図順に並んでいないので、その都度改めて出かけることになる。7月28日のこと。

浄心院へのアクセスは西広島駅から己斐団地を経てジ・アウトレット広島、免許センター行きのバスだが、バスの本数は1時間に1本、また連日の猛暑である。近場だがクルマで行くことにしよう。

その己斐上への道だが、西広島駅の北の己斐橋から住宅地を抜ける上り坂が続く。道幅が狭いのだが住宅も多く、また己斐峠の向こうのジ・アウトレット広島をはじめとしたエリアへの近道ということでクルマがひっきりなしに行き交う。

ゴルフ練習場に向かう道と分かれ、浄心院の看板も見える。最後は住宅地の最も奥、突き当りに立派な本堂が現れる。

浄土院が開かれたのは1973年というから私と同い年である。不動明王の霊験を体し、弘法大師が唐から帰国する際に勧請した清瀧権現のご託宣により、醍醐寺から清瀧権現を勧請して衆生済度、修練道場として建立したとある。ちょうど己斐団地が開かれた時期とも重なる。いくら修練道場とはいっても、アクセスの手段がなければ修行に訪れる人もいないだろう。

外に人の姿は見えないが駐車場には何台かのクルマが停まっている。

扉の外に朱印の箱が出ている。これは扉が閉まっており、外からお参りするスタイルかなと思ったが、朱印の箱をごそごそやっているのに気づいたか、扉の中から寺の人が顔を出して、「本堂は中にあるのでどうぞお上がりください」と通される。

靴を脱ぐと2階に上がるよう言われる。そして向かうとちょうど広間では座卓を囲んで10人以上の方が座っている。ちょうどこの時は住職による法話というのか、訪ねた方の悩みを聞くというのか、そうした行事の最中だったようだ。そのままそこに居座って話に加わってもよいのかもしれないが、ここはあくまで一般の飛び込みのお参りということで、小声でお勤めだけして広間を後にする。

さてこの後だが、そのままクルマの定期点検のためにディーラーに向かい、点検終了後に帰宅。ちょうど大相撲名古屋場所の千秋楽だった。ドルフィンズアリーナでは最後の名古屋場所、横綱照ノ富士が隆の勝との決定戦を制して10回目の優勝を飾った。来年、名城公園内に新たに開業する「IGアリーナ」での最初のイベントが大相撲名古屋場所ということで、こちらにもまた訪ねてみたいものである・・・。

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観戦記・バファローズ対マリーンズ@大阪(連敗ストップ後にまた敗戦・・)

2024年08月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

8月3日、オールスター戦をはさんでの連敗がようやく10で止まったバファローズ。首位はおろかAクラスも遠くなってしまったが、ここからどこまで巻き返せるか。

その翌4日、京セラドーム大阪でのマリーンズ戦に出かける。この日は広島から新幹線での日帰りだが、高松から出陣のマリーンズファンのⅠ氏と現地で合流する。この方とバファローズ対マリーンズ戦を現地観戦するのは10年ぶりのこと。

8月のバファローズ主催試合は恒例「Bs夏の陣」である。限定ユニフォームの試合が続くが、それにしてもこの暑い中、いくらドーム球場での試合とはいえ真っ黒な色彩というのはいかがなものか。まあこのシリーズ、かつては「大坂夏の陣」の真田幸村の赤備えをイメージしたものあれば、涼し気なライトブルー、果ては迷彩柄までいろいろあったが、このところは濃いめの色合いが続いている。

 

この日は、マリーンズファンのⅠ氏を招待する意味もあり、三塁ベンチ上の座席を確保した。元々はエクストラプレミアムメンバーの引換券がリセールに出ていたものだが、このエリアならマリーンズファン、バファローズファンそれぞれが混在しているのでお互い気兼ねない(ちなみに、私たちのすぐ後ろに同じくリセール利用で陣取ったカップルはどちらかといえばマリーンズ寄りだったのだが、マリーンズ以外にもマニアックな話があり、また男性のほうは高校時代に今グラウンドにいる○○選手と対戦したことがあるというような発言もあり、結構楽しませてもらった)。

スタメン発表でレフトスタンドが沸く。この試合にはマリーンズのチア・パフォーマー「M☆Splash!!」とマスコットのマーくんが応援にかけつける。マリーンズの先発は種市、そして6番には今季初出場の山本大斗が入り、これにはⅠ氏を含むマリーンズファンからも驚きの声が挙がる。Ⅰ氏によると、中堅でくすぶっている選手を引っ込め、とにかく今調子のいい選手を起用する吉井監督のスタイルがここまでの健闘につながっているとのこと。

そしてバファローズのスタメン発表。大型連敗中も故障や不調で選手起用に苦慮しているが、大里、そして前日のヒーロー・来田、さらにこの日は杉澤といったところが入る。先発は2年目の曽谷。

ベンチ前にマリーンズ選手も登場する。そうそう、現役ドラフトでバファローズからマリーンズに移った大下も、Ⅰ氏いわく「何やかんやでチームのムードメーカー」と評される。

試合前には「BsGravity」と「M☆Splash!!」による共演。

いよいよ、試合開始。そして始球式には、バファローズOBの坂口智隆氏が登場。さすが元プロという見事な投球を披露してくれた。

1回表、まずは曽谷が登板。

その先頭打者・岡が2球目を振り抜き、左中間の最も深いところに飛び込む先頭打者本塁打が出る。あらあら。しかしその後曽谷は藤岡、ポランコ、ソトと危なげなく打ち取り、まずは1点だけでしのぐ。

1回裏、種市が登板。まずは先頭の大里を三振、続く西野には内野安打を許すが、森、西川と退けて上々の立ち上がり。

2回表、先頭の佐藤がヒットで出塁し、今季初打席の山口大斗に回るがここは凡退。

3回表、一死から岡のヒット、ポランコの四球で二死一・二塁となり打席にはソト。するとレフトスタンドからはあの「ネフタリ教」のコール、応援歌が流れる。そうそう、この怪しげな宗教儀式風の曲を現地で聞きたかったのよ。しかしここは曽谷が踏ん張って空振り三振に打ち取る。

その後は曽谷、種市とも好投を見せる。そのイニング途中、ビジョンに映ったのはあの福本豊氏。たまたまプライベートで来ていたのかな。先ほどの坂口氏ともども、OBとしてチームに喝を入れてほしい。

5回裏、バファローズは先頭の来田が二塁打で出塁。Ⅰ氏からは「明石商業の同級生・中森と対戦する日はあるのかな」と。明石商業といえば、熱血漢・狭間監督である。また明石といえば前の市長だった泉房穂氏も熱血漢だなあ・・。

同点のチャンスだが、続く頓宮は内野ゴロで進塁できず、杉澤の代打・中川も凡フライ。代打・中川は作戦として、後ろの席に陣取ったマニアックカップルの女性が「1打席で引っ込めるなら最初から出すなよ!」と口にする。これには思わずウンウンとうなずいてしまう。もっとも杉澤は5回表に藤原がセンターに放ったヒットを後逸して二塁まで進まれたこともあり(得点にはならなかったが)、その懲罰だったのかもしれない。

続く若月のところでマウンドに集まるが、これは何を警戒してのことだろう。最後は若月が見逃し三振で得点ならず。

5回裏終了後のハリセンタイムも両チームのチア・パフォーマー、マスコットの共演。

6回表、一死からソトに二塁打が出るが、曽谷が佐藤、山本を抑えて無失点。失点は岡の先頭打者本塁打のみで辛抱強い投球である。それだけに打線が・・。

その裏、先頭の大里が三振の振り逃げで一塁に出る。続く西野は強打からのフライで倒れたが、森がヒットで一・二塁として打席は西川。ここもチャンスだったが二塁ゴロ。ゲッツーと思われたが一塁はかろうじてセーブ。吉井監督から物言いがついたが軍配通り。二死一・三塁となった。

今度こそ同点というところで「紅球必打」の紅林だったが・・・フライに倒れて無得点。続いて、マリーンズのラッキー7となる。

その7回表、一死から友杉の打球はセンター前へのポテンヒット・・と思いきや、二塁の大里が落下点に追いつき、何と後ろ向きでキャッチ。これにはマリーンズファンからも拍手が起こる。先ほどの振り逃げ、そしてこの好守備・・何とか食らいつこうという気持ちが見えてよい。

バファローズのラッキー7、頓宮の四球はあったものの後が続かず無得点・・。

曽谷は7回まで投げて103球、被安打5(うち本塁打1)、四球1、奪三振6という好投だが、結局先頭打者本塁打のために勝ち投手の権利なく降板。続いて8回に登板したのは古田島。おお、私、Ⅰ氏の勤務先企業出身投手ではないか。登場曲が「水戸黄門」から「一世風靡セピア」に替わったのはどういうことやら。

ファンの間では「古田島優勝」と呼ばれているが、とにかく劇場型にしながらも最後は抑えてまるで優勝したかのようなガッツポーズをつくる古田島。この日も一死から藤岡が四球、代走の小川が何度も牽制球を投げさせた後、ソトのヒットで二死一・三塁となる。一度コーチがマウンドに向かい、打席には佐藤。

佐藤の打球はレフトへ抜けようかという当たり、これにショート・紅林が逆シングルで追いつき、二塁へ必死のトス。これがフォースアウトとなり3アウト。数日前、緩慢なプレーで懲罰交代させられた紅林だが、やはり守備の球際の強さはチーム随一だ。古田島劇場の後で追い上げなるか。

マリーンズの種市も7回を111球、被安打4、四球1、奪三振8、何よりも無失点の好投で、8回には横山が登板。この日は抑えの益田がベンチ外で、Ⅰ氏も8・9回を誰でしのぐか予想しあぐねていたが、勝ちパターンの一人である右サイドハンドを選択。大里からの1~3番を簡単に打ち取ってしっかり役目を果たす。

9回表、バファローズは吉田が登板。1対0というビハインドの場面、勝っていても負けていても今季とにかく登板しているのがこの吉田、そして井口といったところ。しかし先頭の中村にヒットが出た後、二死一・二塁となって打席には先頭打者本塁打の岡。ここでタイムリーでも出ようものなら試合の大勢は決まったといっていい。

その岡への初球、いきなりの死球。岡はヘルメットを脱いでその場にうずくまる。Ⅰ氏に動画中継を再生してもらうと、左手を直撃したようだ。それでもベンチに下がり、治療を受けて無事に一塁に到達した。こちらに一塁側、ライト側からも大きな拍手が起こる。

満塁後、続くは代走で途中出場の小川。Ⅰ氏のいう「今調子のいい選手」の一人だが、ここで回ったチャンスをモノにするレフト前ヒット。これで2人が生還し、3対0とマリーンズがリードを広げる。

9回裏、マリーンズは左腕の鈴木が登板。先頭の西川がヒットで出塁するも、続く紅林が併殺打。最後は来田がフライに倒れて試合終了、3対0。

ヒーローインタビューは7回無失点で6勝目の種市。ホームゲームなら先頭打者本塁打の岡、あるいは追加点となった2点タイムリーの小川が出てもよかっただろう。

ドームに入った時は早くも猛暑を感じていたが、試合終了後に外に出ると怪しげな雲が広がり、ちょうど大正駅のホームに上がった時に一瞬の豪雨となった。これ、タイミングが少し遅れると外で雨に遭うことになり、ずぶ濡れで踏んだり蹴ったりだったことだろう・・・。高松まで高速バスで戻るⅠ氏とは大阪駅で分かれ、そのまま新大阪に向かう。その時には雨はすっかり上がっていたから、局地的なもの・・というよりはバファローズファンへの意地悪の洋にも思う。

うーん、これで今季の現地観戦成績は1勝6敗1中止1見送り、京セラドーム大阪では5戦全敗ということで・・・。公式戦は8月、9月とまだまだ続くが、せめて現地観戦での勝利を観ることはできるのだろうか・・・。

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第83番「正覚院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(札所めぐりの後は暑気払い・・)

2024年08月03日 | 広島新四国八十八ヶ所

第83番・正覚院に向かう。広電の廿日市電停からすぐのところに「天満宮」の看板がある小高い丘が見える。正覚院はその境内に同居している。

まずは天満宮の鳥居をくぐる。廿日市天満宮は鎌倉時代、幕府から厳島神社の神主に任命された藤原親実が桜尾城に着任後、鎌倉の荏柄天神を勧請したのが始まりである。藤原氏はその後代々厳島神社の神主を務めていたが戦国時代、大内義隆に討たれて断絶した(厳島神社の神職は、藤原氏以前に当主であった佐伯氏に移り、現在に至る)。

現在の天満宮は江戸時代、町の氏子たちの寄付によりここに移転する形で社殿が建てられた。その別当天神坊が現在の正覚院である。

石段を上ると広島湾から廿日市の木材港、建物の背後であるが宮島・弥山の景色が広がる。外は猛暑だがここは常に風が吹き抜けて心地よい。天満宮に手を合わせた後、前の休憩所で少しくつろぐ。

さて、正覚院である。歴史でいえば天満宮よりはるか昔、行基により開かれ、弘法大師空海が宮島・弥山を開いた際に真言宗に改宗した。藤原親実が桜尾城に着任した際に祈願所と定め、江戸時代に天満宮が再建されるのに合わせて別当寺となった。そして、明治の神仏分離により、同じ境内ながら別の寺社となった。それでも、棟続きではないかと思うくらい近接している。

正覚院には以前に一度来ている。広島新四国の第68番が正覚院の別院薬師堂で、現代の名仏師である松本明慶師による薬師如来を祀っている。札所番号順ということで先に別院だけ参詣したのだが、朱印は正覚院の本堂でいただくよう案内され、その際、正覚院の朱印(不動明王)もいただいた。その時に第83番もクリアにしてもよかったのだが、ここは改めて番号順ということでの再訪である。

こちらは縁側に賽銭箱その他が設けられており、廊下越しに本尊不動明王の姿も見える。外から立ってのお勤めとする。朱印は前回いただいているので特に寺の方に声をかけることもせず、そのまま天満宮の石段を下りる。

これは後で知ったことだが、今年の5月だったか、廿日市の市街地でクマが目撃され、近くの学校が臨時休校になったというニュースがあった。これに関連して、市街地の寺の境内に設置された防犯カメラに徘徊するクマの映像も流されたが、その寺とはここ正覚院だった。

さて、これで廿日市駅前の3ヶ所を回り終えた。これで広電で帰宅するのだが、せっかくの休日ということで途中楽々園で下車する。駅から歩いて5分のところにある「塩屋天然温泉 ほの湯楽々園」に向かう。広島市内で天然温泉かけ流しで、各種浴槽も揃っているので特に土日は多くの客で賑わうところだ。

こちらには何度か訪ねているが、今回初めて岩盤浴「チムジルバン汗蒸洞」も利用してみた。さまざまなタイプの岩盤浴、そしてサウナ「熱炎楽房」もある。

このサウナは通常は50度くらいの低温設定なのだが、1日数回、あのロウリュウタイムがある。これも体験と入ってみたが、サウナストーンにアロマ水が掛けられると一気に蒸気が噴き出て、そこに熱風が起こる。室内からは「熱ッ!!」と声を挙げる人もいる。そこは大型タオルを体に巻いて何とか熱さをしのぐ。時間にすればほんの数分だったのだろうが、これは効果的だ。

岩盤浴とロウリュウで火照った体をクールダウンさせるのは、室温11度の「涼風楽房」。水風呂にいきなり飛び込むよりは体にやさしいそうだ。

こちらの岩盤浴エリアは特に時間制限もなく、リクライニングソファもあればごろ寝できるスペースもあり、多くの人が室内着姿でくつろいでいる。私もこちらで寝転がった後、また別の浴室に行き、涼風でクールダウンして・・というのを何回か繰り返す。あちこち出かけ回るのもよいが、こうした一所でゆっくり過ごすのもよいものだ。

さて湯上りの後はビールだが、こちらの館内で飲むのは我慢して、ふたたび広電で五日市に移動。向かったのは、昼から営業の「大衆食堂 安べゑ」。「肉豆冨とレモンサワー」が売りのチェーン店だが、食べ飲み放題のコースが1人からでも注文できる。

何はともあれまずは生ビール。

食べ放題コースは最初に看板商品の肉豆冨、揚げ物盛り合わせが出た後の注文である。

枝豆や軽いあての後、どて焼き串やたまふわ焼きといったところをいただく。鍋で造ることでちょっとケーキ風の玉子焼きができるというのも初めて見た。

レモンサワーもシンプルなものから生絞り、自家製漬け込みなど甘口、辛口多数ある。

メニューに、クリームチーズクラッカーと韓国のりがあるのを見つけ、同時に注文。これで岡山のミシュラン居酒屋「鳥好」で注文する「のりくらっち」の再現である。もっとも、この組み合わせだと普通のスライスチーズのほうが似合うようだが・・。

締めは早い夕食を兼ねて、まぐろ刺身定食。あれこれしっかりいただけて満足。また訪ねてみたい・・・。

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第82番「洞雲寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(中世からの古刹)

2024年08月02日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、終盤の廿日市駅前シリーズの2ヶ所目は第82番・洞雲寺。JR廿日市の橋上駅舎を渡り、北側に出る。駅前の道は、JR五日市の北口から続く道で、西広島バイパスと宮島街道の間にある生活道路。

その道路沿いに洞雲寺がある。道路の南側には洞雲寺前公園というのがあるが、おそらく昔は同じ境内だったのかなと思う。

整備された境内、山門が広がる。洞雲寺が開かれたのは室町時代。当時の厳島神社の神主(おみくじを引いて「今日~も~カ~プが勝~ち勝~ち勝っち勝ち」と申した方)である藤原教親が創建し、曹洞宗の高僧である金岡用兼(きんこうようけん)により開かれた。やはり宮島が近くなると、広島新四国八十八ヶ所の札所も長年の歴史を持つ寺院が残されている。

洞雲寺は中国地方で勢力を伸ばした大内氏、そして戦国時代の毛利氏、関ヶ原の戦い後の福島氏、広島藩の浅野氏と絶えず保護を受け、その後も地元の人たちの信仰を集めて現在に至る。

本堂にお参りする前に、門をくぐって左手の高台に上がる。ここは墓地があり墓参りの方もいたが、その奥には陶晴賢の墓がある。陶晴賢といえば大内氏の家臣だったが主君の大内義隆を討ち、大友宗麟の弟・晴英を大内氏の当主に迎えながら自身が実権を握った。そこに反攻したのが、安芸の国人領主から戦国大名にのし上がろうと立ち上がった毛利元就である。さまざまな謀略、そして奇襲もあった厳島の戦いで元就が勝利し、晴賢は自害。桜尾城での首実検の後、晴賢の遺骸が葬られたのが洞雲寺である。

境内には他に元就の四男・元清や、桜尾城主であった桂元澄らの墓もある。

さて本堂に向かう。扉も開け放たれている。広島新四国の札所は観光寺院ではないので普段は扉が閉められていることが多いのだが、こうして開け放たれているとはオープンな感じなのだなと、靴を脱いで堂内に入る。

ちょうど寺の方がいらっしゃったので会釈すると・・

「入られると困ります!」と、座禅中にピシャリとやる棒のごとく厳しい言葉を浴びせられる。

まあ、そう言われればそうなのだが、別に立入禁止の表示があるわけでもなく、おっさんの勝手な思いかもしれないがどこか釈然としない・・あ、ここの本尊は釈迦如来。

朱印はといえば、上り口のところに箱があったのでいただく。扉が閉まっていて、外に朱印の箱があるなら外でのお勤めの後に受け取れば済むことだが、本堂の障子が開け放たれ、どうぞお気軽にお参りくださいという雰囲気だったのだが・・。

改めて本堂の外でお勤めとした後、再び廿日市駅を渡って次の第83番・正覚院へ・・・。

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第81番「蓮光院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(廿日市駅前シリーズ)

2024年08月01日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりはようやく最後の80番台に入り、廿日市駅前の3ヶ所、己斐、そしてなぜか東区に1回飛び、最後は宮島の3ヶ所で、第88番は弥山の本堂である。

7月27日、朝から暑い中だが1日空いたので広島新四国の続きである。もう、午前中から出かけることにする。高須から広電に乗車して広電廿日市に到着。広島新四国で廿日市には何回か来ているが、札所番号順にこだわるとそういうことになる。

まず目指すのは第81番・蓮光院。広電からすぐ北にあるJRの廿日市に出る。蓮光院はスマホ地図で見るとすぐ駅前にあるが、寺の入口はさらに路地を入ったところにある。歴史ある本堂・・というわけではなく、むしろ大きな邸宅の母屋を寺にしているように見える。

玄関横に「納経の方はインターフォンを」とあるので鳴らすと寺の方が出て来られ、中に通される。扇風機をつけて風を起こしていただく。内陣も年季が入った感じで、事あるごとに祈祷や法要が行われているのだろう。

蓮光院の本尊は阿弥陀如来で、500年以上前の作とされている。また、藕糸という糸で織られた大師像というのがあり、明治の政治家である大隈重信の母が八十八幅の大師像を各地に奉納した一つだという。他にも、極楽寺と同じく行基の作とされる観音菩薩や、江戸時代作の大日如来、不動明王等もあるとのこと。

扇風機をつけていただいたが、暑いのは暑い。その様子を見かねてか、朱印、本尊御影とともに「お接待です」と身にペットボトルのお茶をいただく。

さて次の第82番・洞雲寺は廿日市駅の反対側にあるため、駅の自由通路を渡ることにする。古くから木材の集積地として賑わった廿日市らしく、地元の木材がふんだんに使われている。駅名からして廿日市市の玄関口と思いきや、周辺施設の充実度や乗降者数では隣の宮内串戸に軍配があがるそうで・・・。

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第80番「玉照院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(久しぶりに動いた札所めぐりをかなり後になって記事に・・)

2024年07月31日 | 広島新四国八十八ヶ所

・・いったいいつまでかかっているのかという広島新四国八十八ヶ所めぐり。このカテゴリーの前回の記事が4月中旬、さすがに桜も散った後のことである。この時には第79番・浄土王院を訪ね、ようやく80番台に差し掛かった。

それから約2ヶ月空いた6月16日、この先の札所でポツンと存在する第80番・玉照院を訪ねることにした。たまたまこの日の午前中に時間が空き、午後までの一時でサクッと回ってみよう。

玉照院があるのは佐伯区の広島市植物公園の手前。公共交通機関でも五日市駅からバスで行くことができる。本来なら、広島市のスポットである植物公園とセットで訪ねた紀行文とすべきなのだろうが、6月というか夏になると見頃の植物もそれほどないようで・・(いや、6月ならあじさいが見頃じゃろ?と言われればそれまでだが)。そのまま帰宅したらちょうどこの日デーゲームで行われる交流戦・バファローズ対スワローズ戦のテレビ桟敷に間に合うだろう・・。

今回は時間短縮も兼ねて軽自動車で出かける。西広島バイパスで五日市まで行き、植物公園を目印に走らせる。もう少しでゲートというところで手前の道から上り坂の境内に入る。いったん山門の脇を抜けたスペースに駐車する。

玉照院の由来は安土桃山時代に安国寺恵瓊により開かれた国泰寺の塔頭寺院で、関ヶ原の戦い以降は福島氏、浅野氏により保護された。しかし広島への原爆投下で破壊され、現在地に移ったのは平成元年のことである。広島新四国八十八ヶ所といえばどうしても原爆の被害は避けて通れず、またその後も市内の再開発にともない郊外に移転するところも多い。札所番号があちらこちらに飛ぶのも致し方ないが、あくまで番号順に回ろうとすると本来とは逆方向への移動が重なることも・・。

本堂の扉は閉まっているので、扉の前でのお勤めとする。曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼佛である。

朱印は寺務所のインターフォンを鳴らし、対応いただいた。

さてこれで広島新四国の満願まで残り8ヶ所となった。次からはJR・広電の廿日市から間近なところが3ヶ所、西区己斐に1ヶ所、そしていよいよ宮島で最後4ヶ所である(・・・と思ったが、そのうちの1ヶ所・第85番が札所を返上して、その後に東区の荒神陸橋近くの寺院が現在第85番を名乗っているという。荒神陸橋の近くといえば、すぐ近くにマツダスタジアムがあるぞ・・)。

6月のお出かけを1ヶ月以上経ったタイミングで投稿というのも、ネタ潰し感がありありだが、まあそこはきちんとバファローズの勝利を祈ったということで帰宅。この日は、序盤に先制されたバファローズがすぐさま逆転し、その後は両チーム合わせて32安打が飛び交ったが、結果9対3でバファローズの勝利。この時は、得意の交流戦で白星を積み重ねれば、夏場以降に大きく逆転する機会が生まれると思ったのだが・・・。

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神仏霊場巡拝の道~結局神戸でのBs大花火大会は・・

2024年07月29日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、京都・善峯寺の参詣後に阪急東向日駅前の餃子の王将で昼呑みとした後、JRの向日町から新大阪に向かう。この日購入した乗車券は「彦根~広島市内」で、新大阪から新幹線経由としている。

元々今回の神仏霊場めぐりは、21日16時試合開始のほっともっとフィールド神戸でのバファローズ対イーグルス戦が目当てで、関西に遠征するなら札所めぐりの続きということで滋賀まで向かったものだ。

ただ、その滋賀・湖東シリーズもいろいろあって積み残し、またいつか出かけることになった。そしてこの日も、善峯寺を訪ねて西国三十三所の4巡目も進めることができたが、何せこの暑さである。この先、神戸での試合は16時開始だが、周りを緑に囲まれているとはいえ、屋外でまだ猛暑の名残が残っていることだろう。試合終了後には年に一度の「Bs大花火大会」が行われるが・・。

向日町から快速で新大阪に向かう中、「もう、新大阪からこのまま広島に戻ろう」という気になった。乗車券を新大阪から新幹線経由としたのは、新神戸でいったん下車して地下鉄乗り換えで総合運動公園に向かい、試合終了後は新神戸まで戻ってそのまま新幹線で広島に戻るつもりで、新神戸から広島まで遅い時間の「のぞみ」指定席を確保していた。ただ、よく考えれば広島に戻る時間も遅くなるし、翌朝からの仕事のことを考えると体力も温存したい。

・・・ということで、せっかく確保したチケットはそのままにして、「のぞみ」指定席も新大阪~広島に変更とした。新大阪13時41分発「のぞみ27号」である。ただ、空席検索を見ても指定席はほぼ満席とある。

そこで、往路と同じく7号車の「S Workシート」に目をつける。ただこちらも窓側は満席。ただ、中央部の「S Work Pシート」には窓側にも空席あり。距離関係なく追加料金が1200円かかるが、これも面白いだろうと変更をかける。

「S Work Pシート」は、3人掛けシートのB席にパーティション、ドリンクホルダーをかぶせる形で仕切り、「より広く快適にお仕事したい方」向けのシートである。この日の私は「お仕事」ではないが、ビジネス以外で利用してはいけないわけではない。

こうして身を置いてみると、この車両じたいが単身での利用を前提としているためか、実に静かである。また、パーティションがあるだけでもパーソナルスペースを確保した感じがあり、これなら通路側C席に相客がいたとしてもお互い気にならなくてよいだろう。車内を見渡してもビジネス利用とおぼしき方はほとんどいないが、7号車の特性を知ったうえで最初から予約した旅慣れた感じの方が多いように見える。

往路に乗車した通常の「S Workシート」とは異なり、目の前のテーブルは手前に引き出してパソコンの操作に適した角度にすることができる。へぇぇ。

「のぞみ27号」の広島までの停車駅は新神戸、岡山のみという最速タイプ。快適な時間もあっという間に過ぎて15時02分、広島に到着。

・・・結局、神戸での試合が始まる16時少し前に自宅に戻った。中継のJ SPORTSにチャンネルを合わせると、ちょうど試合開始前の神戸の真夏の暑いスタンドが映されていた。

この試合、バファローズの先発は佐藤。しかし初回から乱調で、2回表終了時点で6対0。バファローズはその裏に2点返すも、3回表にイーグルスが2点追加し、8対2と序盤で大きくリードする。いや~、猛暑の中、こうしたゲームを観せられたのでは厳しいだろう。

結局その後もイーグルスが得点を重ね、結局12対5で大勝。投手交代も多く試合時間もそれなりにかかり、試合終了後のBs大花火大会は20時10分頃開始とあった。J SPORTSでは、通常の試合中継を延長する形で、解説・坂口智隆、実況・大前一樹の両氏により大花火大会も中継する。

そして、満月とともに花火である。選手の登場曲、ファンからのリクエスト曲が流れる中で打ちあがる。

まあ、これでよかったのかなと思う。そのまま現地で観戦していれば、猛暑の中でバファローズのボロ負けを見ることになったし、その後の花火も帰りの時間を気にしながらとなっただろう・・。

ちなみにこの21日の試合がオールスター戦、いわゆる前半戦の最終戦となったが、バファローズは神戸でのイーグルス3連戦3連敗、その前のライオンズ戦と合わせて4連敗で終了。花火の際には大前氏、坂口氏から「これでオールスター休みもあるのでリセットして・・」と後半戦の巻き返しを期待するコメントもあった。

・・・で、オールスター戦明け最初の福岡でのホークス3連戦だったが、バファローズはいずれも完敗で3連敗。これで合計7連敗、力ない・・・。

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京都5番「善峯寺」~神仏霊場巡拝の道・107(朝から暑い~)

2024年07月28日 | 神仏霊場巡拝の道

7月21日、彦根で朝を迎える。昨日からそうだったのだが、ホテルの部屋の窓から東海道線の線路が見え、列車のコトコトいう走行音も時折聞こえる。早朝の時間帯は長い走行音が相次ぐ。貨物列車だ。JR貨物の一般コンテナが雑然と積まれているかと思えば、福山通運や西濃運輸のコンテナが何両も続く景色も圧巻である。

朝風呂、バイキング形式の朝食を済ませる。

さてこの日は、前日訪ねるのを断念した湖東の札所を回ることも考えたが、結局は次回以降にするとして、あみだくじで出た京都5番・善峯寺に向かう。善峯寺は西国三十三所の札所でもあり、終盤に差し掛かった4巡目を進めることができる。

結局彦根城は駅コンコースからの遠景として、彦根8時07分発の新快速で京都まで一気に移動する。京都で普通に乗り換え、向日町で下車。ちょうど橋上駅化に向けた工事中である。

改札を出ると見覚えのあるQRコード。JR西日本の「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」だが、あれ、今年の3月末で終了したのではなかったか。その終了に間に合うように神仏霊場巡拝の道めぐりの行程を組んだこともあったが・・。JR西日本の「JRおでかけネット」によると、この7月1日から2026年3月31日まで、JR西日本アプリ「WESTER」から参加できるとある。このスタンプラリーも紙からデジタルに移行しながら続いているが、西国三十三所開創1300年記念行事の後でも、JR、西国三十三所札所会としては参詣者を呼び込む効果があると判断したのだろう。

さて善峯寺へは向日町から阪急バスで行くのだが、橋上駅化工事にともないコインロッカーが撤去されている。善峯寺はバス停から坂道を上るので身軽になりたかったのだが、幸い、少し歩いた阪急の東向日にはコインロッカーがあるので移動する。

今回の目的地は善峯寺だが、神仏霊場の札所としては京都6番・大原野神社がある。こちらにも行くべきかどうかちょっと考える。これから乗るバスの系統としては、善峯寺行きの他に、南春日町経由洛西バスターミナル行きというのがあり、途中の灰方で分かれる。以前、西国四十九薬師めぐりでは、西国三十三所としての善峯寺を訪ねた後、灰方で下車し、南春日町に行くバスの時間までかなりあったので歩いて勝持寺、正法寺を回った際、大原野神社にも立ち寄っている。だから今回も行こうと思えば行けるのだが・・。

善峯寺行きのバスに乗車。トレッキングらしき人の姿も見える。この先、大阪府との境にあるポンポン山を経由して高槻方面に抜けるルートがある。

灰方を過ぎ、手前の小塩を過ぎて上りとなる。

善峯寺に到着。ここから山門まで距離にすれば300メートルほどだが九十九折の参道である。駐車場は山門近くにあるのだから、バス停もそちらに設ければよいと思うのだが・・。

暑い中、参道を上る。その間からは京都の市街地もちらりと見える。

善峯寺が開かれたのは平安時代中期。源信の弟子である源算が千手観音を本尊とし、後一条天皇の勅願寺となった。その後、鎌倉、室町時代には法親王が入ったことから西山門跡とも呼ばれ、多くの僧坊を抱えていたが、応仁の乱に巻き込まれるなどして伽藍の大半を失った。

現在の形で再建されたのは江戸中期、5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院による。桂昌院は仏教への信仰が篤く、京都の様々な寺院の再建に尽力している。綱吉が「生類憐みの令」を出すにいたったのも、こうした母の影響があったかもしれない。

本堂に向かい、さてお勤めをしようと準備すると、境内に西国三十三所めぐりの団体がやって来るのが見える。ここは先に朱印をいただいておいたほうがよさそうだ・・。

神仏霊場、そして西国三十三所の先達用納経軸に朱印をいただく。なお、これまでのJR西日本のデジタルスタンプラリーでは、オリジナルの散華を紙でいただいていたが、この4月から新たに始まったデジタルスタンプラリーは、この散華を境内設置のQRコードで読み取るシステムとなっている。このデジタル散華が全て貯まってエントリーすると、紙の散華が貼られた台紙が進呈されるという。まあ今の時代、こうしたデジタルのほうがとっつきやすい面はある。そのうち、朱印じたいもデジタルでいただく時代が来るのかもしれないなあ・・。

私が朱印をいただいている間に団体は本堂の中に入ってのお勤め。それが済むと外に出て、やはり納経所に列ができる。団体の場合、一般の朱印帳は添乗員が取りまとめて先に納経所に持ち込めるが、先達用納経軸は先達自らがいただくルールとなっている。「○○先達」の袈裟巻をつけている人が目立ち、結構熟練した方たちの集まりのようだ。その方々と入れ替わる形で本堂の中に入り、改めてお参りする。

この後は、奥の院を含めた庭園めぐりである。今でも3万坪(プロの野球場2個分)の広さを持つ境内、しかも奥の院まで上りが続くことで、より暑さを感じる。樹齢600年の遊龍の松から多宝塔、経堂を通る。

桂昌院の遺髪を納めた廟所もある。

善峯寺を開いた源算作とされる釈迦如来を祀る釈迦堂に着く。この辺りまで来ると他の参詣者の姿は見えず、団体も寺の滞在時間が限られているためか、先ほどの遊龍の松あたりで引き返したようだ。

奥の院の薬師堂に向かう。その手前には「悠仁親王お印」の高野槇というのがある。これまで訪ねた中で、この高野槇に気づいたのは初めてである。

そして最後のひと踏ん張り、薬師堂に到着。手水では手だけではなく腕にも水をかける。

そして、改めての眺望である。遠くは比叡山の奥の比良山地、東山、果ては大和の葛城山までを見渡すことができる。この景色が見られるのが善峯寺の楽しみである。周囲を山に囲まれた京都にあって、ここ善峯寺は数少ない初日の出スポットとして知られており、元旦には特別に6時30分から入山できるとある。一度見てみたいものだが当然バスは走っていないし、クルマで行くにしても渋滞でたどり着けるかどうか・・。

これで、前日のあみだくじで出た目的地の善峯寺をクリアしたが、この後どうするか。結局、大原野神社も次回以降に訪ねるとして、改めてあみだくじで次の行き先を決めよう。

あみだくじの前の予選くじ引きでは・・

・西明寺(滋賀4番)

・大念仏寺(大阪5番)

・法隆寺(奈良13番)

・多賀大社(滋賀1番)

・叡福寺(大阪16番)

・道成寺(和歌山6番)

・・・何やねん、前日に集中豪雨のためパスした西明寺、多賀大社の2つが入って来るとは。これは滋賀からの呼び戻しのメッセージか・・。

その中であみだくじアプリが示したのは・・道成寺。意表をついた和歌山編である。そうなると、同じ和歌山以南に残っている藤白神社とのセットで訪ねる形になりそうだ。滋賀についてはまた季節を変えて・・。

薬師堂で折り返し、庭園などの帰路をたどって本堂前に戻る。

ちょうどバスの時間に合うように戻る。向日町からのバスが到着し、ここで折り返しとなる。途中の道幅の狭い区間での周囲確認や、折り返しのための誘導のため、乗務員がもう一人ついている。バスに乗り込むとエアコンがギンギンに効いていて、逆サウナ状態である。もう、灰方で下車して改めて大原野神社に向かうことはなくなったから、そのまま阪急東向日まで涼んで行くことにしよう・・。

時刻はちょうど昼。もう、今回の打ち上げでいいでしょう・・ということで目に留まったのは、東向日駅前にある餃子の王将。拙ブログで最近登場した餃子の王将といえば「鹿児島王将」だが、こちらは本家の「京都王将」である。

そして餃子、生ビール。歩いたといっても善峯寺の境内一周だけのことだが、アップダウンもあったし、これも札所めぐりの楽しみということでいいだろう。餃子以外にも他に注文し、これで整うことができた。

コインロッカーから荷物を取り出し、JRの向日町まで戻り快速の加古川行きに乗る。この後は新大阪で新幹線に乗り換え、新神戸で下車してほっともっとフィールド神戸に向かうことに・・・。

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神仏霊場巡拝の道~彦根にて一献・・はちょっとやりすぎたか

2024年07月27日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日の神仏霊場巡拝の道めぐりは途中の札所で朱印がいただけなかったり、突然の大雨に遭ったために思うように進まず、結局湖東にはまたいつか来ることにして終了。宿泊地の彦根に着き、東口にあるトヨタレンタカーにてクルマを返却し、東西の自由通路を通る。

この通路からは、かつて石田三成の居城だった佐和山城が向こうにあり、そして手前には近江鉄道の駅と車庫が広がる。明日、近江鉄道でまず多賀大社まで行き、さらに八日市を経て近江八幡に出ようかとも考えたが、先ほどのあみだくじで出た京都・向日市の善峯寺に行くことにする。西国三十三所の4巡目も終盤なので・・。

そして西口からは彦根城の天守閣も見える。彦根まで来たのだから国宝の名城を訪ねるべきなのだろうが、まあ以前にも行っているし・・。

駅前では彦根藩初代の井伊直政の像が出迎える。武田氏の滅亡後、かつて仕えていた武将たちを受け入れたことで「井伊の赤備え」としてその名を挙げた武将である。その「赤備え」を今に受け継ぐのが「ひこにゃん」・・?

その向こう、平和堂の外壁には「大相撲彦根場所」の看板が見える。関西から西日本にかけての秋巡業で、横綱照ノ富士の顔も見える。駅のコンコースにポスターが貼られていたが、横綱照ノ富士のほか、大関の琴櫻、豊昇龍、貴景勝、さらに大関陥落後の霧島が並ぶ。巡業が決まった時は霧島もまだ大関だったのだろう。その中で目玉なのが、彦根出身の枝川親方(元・蒼樹山)。

・・この記事を書いている時点で大相撲名古屋場所も終盤だが、カド番の大関・貴景勝は負け越して大関陥落が決定、そして1場所での大関復帰を目指していた霧島も10勝に届くことがなくなった。一方で一気に上がって来た大の里や、新三役で勝ち越した平戸海といった若手もいるわけで、10月の彦根場所はさぞ賑わうことだろう。

この日の宿泊は駅前のABホテル。朝食、大浴場つきということで選択した。予定を早く切り上げたため、しばらくは部屋でゆっくりしよう。ということで1階の大浴場に向かう。北海道から九州までの各地の名湯を本物のような入浴感で楽しめるとあるが、さすがに源泉をそこから汲んできたわけではなく、その成分を分析して入浴剤で再現しているのかな。ちなみにこの日の名湯は「白浜の湯」。

湯上がりには部屋で大相撲中継を観戦。ちょうど窓の外には広い駐車場が広がり(元々はいろいろな建物があったのだろう)、その向こうにJRの線路が見える。さすが東海道線で、この先翌朝まで列車の走行音を聞くことになる。8両の快速、12両の新快速、さらには25両の貨物列車も通る。

結びの一番で横綱照ノ富士が勝ったのを見届けて、外に出る。この日の一献である。事前にいくつかの店を予約しようとしたが、満席、あるいはおひとり様お断りという状況で特に決めずに来た次第。

そんな中、駅前にほど近いところに大衆酒場を見つけた。「丸又食堂 旭町スタンド」。面白そうなので入ってみる。立ち飲み仕様に見えるがそれぞれに椅子が用意されている。

ジョッキには○に又の文字が入る。同じ紋様の看板が店内にあり、「文政十一年創業 味噌醤油醸造所」とある。文政年間といえば今から約200年前、中山道の愛知川宿で創業した醤油屋である。この「旭町スタンド」は、コロナ禍で活気が失われた彦根駅前に賑わいを取り戻すのと、縮小する醤油市場を新規事業で活性化させたいということで開業し、昼は十割そば、そして夜は大衆酒場として客を呼んでいる。

メニューもそこそこある中、一番人気の近江牛のすじ煮込みをいただく。そういえばこの日近江八幡を出発した後、近江牛を扱う業者の看板をあちこちで見た際に、「近江牛をいただくことはできるのか」としたが、リーズナブルな煮込みで出会えたことにする。

カレー味のポテサラに味噌キャベツ。この辺りも含めて大衆酒場らしい。

店名を冠した「丸又ハイボール」や、「びわ湖ハイボール」というのもいただく。後者の「びわ湖ハイボール」とは、琵琶湖ブルーをイメージしたラムネ色のシロップを使った一品。

これもこの店名物という串カツを何品かいただく。そして最後は漬物の盛り合わせ。こちらの醤油を使った一品だ。

これで一次会は終了として、ふと隣には「近江ちゃんぽん亭」がある。近江ちゃんぽんは彦根の「麺家をかべ」発祥とされており、長崎のちゃんぽんとはまた別の美味さがある。野菜や肉もしっかり摂れる理想的な一品と言える。

ホテルに戻り、ふたたびの入浴。

落ち着いたところで、先ほど道の駅で購入した鮒ずしを取り出す。鮒ずしといえば好き嫌いが分かれる品物の一つだが、私は好き。これをいただくと滋賀に来たと実感するが、居酒屋ならどこにでもあるというものではなく、手にするなら道の駅や、それこそ地元スーパーの平和堂が確実だ。

しかるべく飲み、いろいろなものをいただいた。まずは滋賀県で一夜を過ごしたことを良しとして、翌21日は京都、そして花火ナイターが行われる神戸へ・・・。

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滋賀3番「金剛輪寺」~神仏霊場巡拝の道・106(千体地蔵に願いを込めた後には・・)

2024年07月26日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズとして先ほど湖東三山の一つ、百済寺を訪ねたが、朱印の書き手がいない「書き置きの日」ということで参詣を断念。「明日なら書き手がいる予定」とのことだが、公共交通機関でのアクセスは難しく、かといって改めて明日レンタカーを借りるのもどうかと思う。まあ、もう一度滋賀に来る機会ができたと思うことにしよう。

気を取り直して、同じ湖東三山の一つで、今回のあみだくじの目的地である金剛輪寺に向かう。百済寺からは5~6キロほどで、国道307号線に出てしばらく走ると間もなく到着する。

名神高速の湖東三山パーキングエリア、スマートインターの横を過ぎる。そういえば以前、西国四十九薬師めぐりでこの先の西明寺を訪ねた時、レンタカーで湖東三山のスマートインターで下車した。その時にも金剛輪寺へ続く交差点を過ぎたのだが、この時は湖東三山を回るというよりは西国薬師めぐりがメインで、西明寺の後は桑實寺や善水寺などを急いで回った。

金剛輪寺の駐車場に到着。「聖観音」の大きな提灯がかかる総門をくぐる。石垣と青紅葉が並ぶ参道を歩くと受付に着く。ここでは境内の参詣ルートについて案内してくれる。特に予習もせずに訪ねたのだが、ここから本堂までは徒歩10数分の参道が続くという。その間には「千体地蔵」が祀られているそうだ。また金剛輪寺は桃山時代~江戸時代にかけて整備された庭園も知られており、本堂とどちらが先でも構わないので鑑賞するよう案内される。

まずは青紅葉の参道を進み、西谷堂に着く。阪神淡路大震災の犠牲者への供養塔もある。

庭園の入口に着き、ここから本堂まで上り道となる。参道の両側に千体地蔵が祀られており、一つ一つに番号が振られている。千番からカウントダウンとなり、「一〇〇〇 金剛輪寺」とある。この先は奉納した方の名前が刻まれ、一つ一つの前には風車が供えられている。いつ頃からこうした千体地蔵となったのだろうか。

かと思えば、参道の脇には番号こそ振られていないが多数の地蔵像が祀られている。参道の千体地蔵と比べてどちらが先に祀られたのだろうか。

地蔵像をカウントダウンしながら進むが、結構長い階段が続く。

10分あまりで、本堂に続く最後の階段に着く。地蔵像もとうとう最後の一番となったが、そこにある名前を見て驚いた。「武村正義」とある。この方、滋賀県知事や大蔵大臣、内閣官房長官など務め、「新党さきがけ」の代表でもあったあの武村さんなのか。

千体地蔵の第1番がこの方の名前ということは、何らかの形で関わったのかな。もっともそれは政治家としてではなく(政教分離の原則もあるので)、あくまで地元の一市民としての奉納であったということで・・。

階段を上がると二天門に到着。ちょうどこの頃、木々の向こうで雷らしいごろごろいう音が聞こえるようになる。

金剛輪寺の歴史は奈良時代、聖武天皇の勅願で行基が開創したという、多くの寺院に見られるもの。一方で近江に移り住んだ渡来系の人たちにもゆかりがあるともされている。平安時代に慈覚大師円仁により再興され、現在の本堂は国宝で、鎌倉時代、元寇に勝った記念として近江の守護・佐々木(六角)頼綱により建立されたとある。

本堂に上がる。まずは外陣でのお勤めとして、開放されている内陣にも入る。本尊は行基作とされる秘仏の聖観音像で、厨子の周りは四天王像、阿弥陀如来像が守護するかのように鎮座する。またその奥には慈恵大師や十一面観音、大黒天などさまざまな仏像が並ぶ。湖東三山は戦国の兵火の被害に遭ったところだが、金剛輪寺については本堂が山深いところに建っていたため被害が及ばなかったという。そのため多くの仏像が残されることになった。

内陣を一回りした後、無事に朱印をいただく。

さて本堂を出ると、雨が降り出した。やはり先ほどの雷鳴は雨を呼んでいたのか。朝、広島を出た時に雨が降っていたので折り畳み傘を差し、その後リュックに入れて邪魔にも感じていたが、ここで雨が降り傘を開くことになるとは、湖東三山が意地悪しているようにも守ってくれているようにも思われる。

千体地蔵の並ぶ階段を下り、名勝庭園に向かう。金剛輪寺の本坊・明寿院の庭園である。ただ、ここでは雨の中の鑑賞である。

湖東三山ということで、金剛輪寺も紅葉の名所である。ここまでの参道、そしてこの庭園は紅葉の時季には多くの人で賑わうそうだ。まあ今回は急な雨の中での鑑賞となったが・・。

さてこの先だが、すぐ近くには西明寺がある。ただ、先ほど百済寺が次回以降に繰り越しとなったことから、雨の中、西明寺をめぐることもないかなという気になった(以前に西国四十九薬師めぐりで訪ねたこともあるし)。ならば、宿泊地の彦根に向かうことにして、途中経由する多賀大社には行っておこうか・・。

そのまま国道307号線を走り、休憩のため道の駅「せせらぎの里こうら(甲良)」に立ち寄った。滋賀の土産もいろいろある。鮒ずし、ちゃんとありますねえ・・・これは今夜の彦根のホテルで晩酌のあてとしましょう。

・・・ここで買い物を終えて外に出ると、先ほどの小雨から一転、豪雨となっていた。油断して傘をレンタカーの中に置いていたため、駐車場を横切るだけでずぶ濡れになった。

この先クルマを進めて多賀大社に到着したが、外は豪雨のまま。少し待てば止むのかもしれないが、もう今日はいいかなという気になった。結局この日は近江八幡から彦根までのルートで、永源寺、金剛輪寺の2ヶ所をめぐって終了である。湖東には百済寺、西明寺、多賀大社、そして近江八幡には日牟禮八幡宮が残ることになり、この先まだまだ楽しめそうだ。

多賀大社を過ぎ、コンビニの駐車場にいったん立ち寄り、ここで次の行き先を決めるあみだくじとする。くじ引きアプリによるエントリーは・・

・天龍寺(京都8番)

・四条畷神社(大阪20番)

・阿倍野神社(大阪3番)

・仁和寺(京都12番)

・善峯寺(京都5番)

・根来寺(和歌山9番)

翌21日はほっともっとフィールド神戸で16時開始のバファローズ対イーグルス戦観戦を予定しており、午前中~午後早くまで時間が取れる。和歌山の根来寺以外であれば1ヶ所に立ち寄り、その次の行き先を決めることができそうだ。

そして出たのは・・・善峯寺。西国三十三所第20番で、西国4巡目の終盤で数少ない残り札所である。彦根からならJRで向日町まで行き、そして参詣後に神戸に移動する時間は十分に取れそうだ。

湖東シリーズを終え、翌日の行き先もとりあえず決めた。・・・ということでクルマが彦根の市街地に近づくと、先ほどまでの勢いがウソのように雨が上がった。今や夏場にはどこで発生してもおかしくない急な豪雨。やはり、何かおちょくられているような気分だ・・・。

予定よりも早く、彦根駅東口近くのトヨタレンタカーに到着。後は、宿泊では初めてとなるこの地でゆっくりするか・・・。

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滋賀9番「百済寺」~神仏霊場巡拝の道・・・まさかの「これを何と読む!」

2024年07月25日 | 神仏霊場巡拝の道

7月20日、神仏霊場巡拝の道は湖東シリーズである。まずは永源寺を訪ね、これから湖東三山の百済寺、金剛禅寺、西明寺を順番に回る。遅めの出発のため、レンタカーを使える時間も限られるがどうだろうか。

湖東三山とは琵琶湖の東に並ぶ天台宗の古刹で、永源寺ともども紅葉の名所として知られる。室町時代には敏満寺、大覚寺と合わせて湖東五山と呼ばれていたが、その後の戦乱による衰退~復興の中で広い寺域を保った3つの寺院が湖東三山となった。

さてレンタカーは愛知川沿いから鈴鹿山脈の西を進み、湖東三山の看板も見える。まず目指すのは百済寺である。

百済寺への石標もあり、集落を抜けて山道を上る。そして駐車場に到着。暑い中である。

百済寺は1400年以上前、聖徳太子により開かれたとある。寺の名前に「百済」とあるから朝鮮半島とも関係あるのかなと思うが、聖徳太子が近江を訪ねた時、この地の山中に不思議な光を見たので行ってみると杉の霊木があった。その木で十一面観音を彫り、お堂を建てたのが始まりである。木の上半分が百済の龍雲寺で東向きに安置されたことから、寺に「百済」の名前がついたという。聖徳太子の伝説がどこまで真実かはさておき、渡来系の人たちの氏寺として開創、発展したとされており、天台宗の比叡山延暦寺が開かれた後はその勢力下に入った。

「百済寺三百坊跡図」という看板がある。平安から中世にかけて、先ほど走って来た山道の一帯に多数の僧坊を有していたが、その後は火災や兵火のために焼失と復興を繰り返した。この時代の寺院はどこも受難の時代である。室町時代の明応年代の火災で本堂等を焼失した後、朝廷に再建を願い出る文書の中に、伽藍、諸堂その他合わせて三百坊を有していたとの記述があった。昭和になって遺跡調査が行われ、これらの坊の存在も確認されたそうだ。

・・・と、ここまで札所の歴史について書いたのはいいが、門をくぐり受付に向かう。朱印受付とあったので神仏霊場の朱印帳を差し出すと、係の方が「申し訳ないんですが・・」とした後、「今日は書き置きの日です」という。え?書き置きの日って・・。

話によると、この日は午前中まで書き手がいらっしゃったようだが、その方が不在で午後は書き置き対応になったという。「明日はいてると思うんですが・・」というがどうだろうか。これが書き置き、バインダー方式の札所めぐりなら何とも思わないが、神仏霊場については直書きにこだわりたい(だからといって、目の前の方に書いてくれというわけにもいかない)。

まあ、これまでにも正月や大型連休の時の訪問で「書き置きのみの対応」という文字を見せられ「これを何と読む!」という対応もあり出直すことになった札所もある。参詣だけしてもよかったが、参詣前の受付でこうした対応となってしまってはお参りも改めての機会でいいかな・・。明日か・・明日どうするか・・。

百済寺は公共交通機関で訪ねるには決して至便ではないところにあり、時刻表による事前のシミュレーションが必須のようだ。

気を取り直して、今回のあみだくじでの目的地である金剛禅寺に向かうことに・・・。

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滋賀8番「永源寺」~神仏霊場巡拝の道・105(クールジャパンはここにも)

2024年07月24日 | 神仏霊場巡拝の道

今回の神仏霊場巡拝の道めぐり、当初の予定から遅くなって午後からのスタートだが、近江八幡でレンタカーに乗り、午後の半日で彦根に向かう。

その途中の札所、特に公共交通機関だと不便なところをレンタカーで回れればと思う。予定では滋賀8番・永源寺、9番・百済寺、そしてあみだくじの目的地である3番・金剛禅寺、拝観時間に間に合えば4番・西明寺まで押さえられるかなというつもり。

時刻は12時15分すぎ、トヨタレンタカーを出発し、まずは永源寺に向かう。近江八幡からは約25キロである。近江鉄道の八日市行きに近いところを走るが、沿線には近江牛の看板がいろいろ並ぶ。一口に近江といっても範囲は広いが、かつてこの辺りを領有した蒲生氏郷や豊臣秀次が牛馬の畜産を奨励し、江戸時代に彦根藩の井伊氏も太鼓用の牛革確保の名目で畜産を行い、そこから出た肉を食べることを黙認したことが現在の近江牛のルーツという。

・・だた、こうして看板にひかれるが、今回、近江牛を口にする機会はあるのかどうか。いや、別に豪華なステーキやしゃぶしゃぶをいただこうというのではないが・・。

国道421号線に入り、八日市の街中や名神高速のインターを過ぎ、永源寺の看板を見る。

最後は愛知川にかかる橋を渡り、無料の駐車場に到着。「永源禅寺」の石柱と看板があり、いよいよ参詣である。

外は厳しい暑さだが、愛知川に注ぐ水路を渡る石橋に立つとほんのわずかだが涼しい風が流れてくる。

しばらく参道が続く。石段の途中には眼鏡をかけた石像が現れ、ドキッとする。どなたか特定の方をモデルにしたのだろうが、私の身近にいる方によく似ていて・・。そして上がりきると十六羅漢像が並ぶ。

総門をくぐったところに券売機があり、ここで入山料を納める。そして出た紙のきっぷをこの先の納経所に出すようにとある。何だか手間に見えるが。永源寺は紅葉の名所として知られるところで、その時季には多くの参詣者で賑わうのだろう。ここに券売機があるのも混雑緩和の狙いがあるのかな。

紅葉の名所とは真逆の真夏の暑さの中だが、「青紅葉」というのも悪くない。もっとも、5月の初夏あたりなら「青紅葉」という形容もありだが、この暑さで「青」も濃いものに感じられる・・。

受付で紙のきっぷ、そして朱印帳も差し出し、先に神仏霊場の朱印をいただく。

永源寺が開かれたのは南北朝時代。近江の守護である佐々木(六角)氏頼が、美作出身で鎌倉や元などで修行を積んだ禅僧・寂室元光を招いたのが始まりである。その後は多くの僧が集まり多くの支院も持ったが、戦火により焼失、衰退した。後に同じ臨済宗の妙心寺や彦根藩などの支援で再興し、明治以降は永源寺派として独立し、大本山となった。

本堂にあたる方丈は江戸時代中期、井伊氏の援助で建立されたもの。まずは広間にあがり、お勤めとする。

ここ永源寺は「クールジャパン」の取り組みにも貢献しているようだ。インバウンド向けの「源 ROOTS OF JAPAN 永源寺エリア 日本の原風景を訪ねて」という動画が、CJPF(クールジャパン官民連携プラットフォームという、いかにもうさんくさげな団体の名称)アウォードのムービー部門でグランプリを獲得したという。

気温30度を軽く超える中での「クールジャパン」か・・・。「クールジャパン」、「クールジャパン」という、上からの押し付け言葉を聞くと、別の意味で「寒さ」を感じる・・・・もっとも身体はちっとも涼しくならないが。

ただこの暑い中、永源寺には良い意味での涼しさを感じさせるスポットがあった。風穴である。現在は石垣で綴じられているとはいえ、その隙間から冷風が漂ってくる。昔は食料の貯蔵庫として使われていたそうだ。

これ以外にも手水の水は冷たいし、やはり山に近く、昔から愛知川の恵みとともにあった地である。近隣の名物として、水を活かしたイワナなどの川魚、こんにゃくなども有名だという。

まずは最初の札所を押さえ、次はそのまま県道を伝って湖東三山の一つである百済寺に向かう・・・。

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神仏霊場巡拝の道~ペナントレース前半最終戦は神戸での「Bs大花火大会2024」

2024年07月23日 | 神仏霊場巡拝の道

NPBプロ野球は7月21日の試合で前半戦終了。まあ厳密にいえば公式戦143試合のうち半数以上の90試合近くを消化しているのだが、7月下旬のオールスター戦が一つの区切りである。

オールスター第1戦はファイターズの本拠地・エスコンフィールド。前半の健闘もありファイターズの選手も多数ファン投票等で選出されているが、先発・山﨑福也が2番・DHという二刀流での登場、さらにファイターズの選手がそれぞれ歴代のユニフォームを身にまとうなど、オールスターならではの演出である(かつての「日拓ホームフライヤーズ」の「七色のユニフォーム」をオマージュしたかのようだ)。もっとも、その山﨑は2回に9失点と完全にのされてしまったのだが・・。

さて、前半戦のパ・リーグはホークスが2位マリーンズに10ゲーム差で独走状態。そこにマリーンズ、ファイターズ、イーグルスが続き、その後ろを前年まで3連覇のバファローズが置かれ、さらに大きく引き離れてライオンズという順位。バファローズも前半は連勝を伸ばした時期もあったが、投打に故障者が相次ぎ、残された打線も打たずつながらず、さらに頼みの投手陣も先発・リリーフとも昨年とはがらりと入れ替わるなどいろいろあり、借金5、首位ホークスとは15.5ゲーム差、4位のイーグルスとも3.5ゲーム差の5位での折り返しとなった。まあ、まだクライマックスシリーズ進出には望みがあるかなというところ。

その前半戦の最終戦が21日の神戸でのイーグルス戦。この日は16時開始、そして試合終了後には神戸での最大イベント「Bs大花火大会」が行われる。今季神戸での観戦はまだだったこともあり、思い立った時には前売りチケットがほぼ完売だったのだが、そこはリセールサイトを通して指定席を確保することができた。

・・・そしてここからが本題なのだが、神戸に行くのなら試合と組み合わせて、神仏霊場巡拝の道である。前回6月、山科の毘沙門堂でのあみだくじで出たのが、滋賀3番・金剛輪寺である。

ただこの金剛輪寺、湖東三山の一つである名刹なのだが、公共交通機関だと結構難所である。鉄道からは遠く、公式ホームページによるとJRの稲枝駅から予約型乗り合いタクシーで行くとある。まあ、そういう乗り物を体験するのも悪くないが・・。

地図を見ると、湖東地区は他にも未訪の寺社がある。札所番号は省略するが、近江八幡には以前に「朱印が書き置きのみ」との理由でカウントしなかった日牟禮八幡宮、永源寺、そして湖東三山の百済寺、西明寺、さらに多賀大社がある。乗り合いタクシーではなく、新幹線~東海道線でアクセスし、レンタカーを組み合わせれば一度に回れそうだ。

ということで、試合前日の20日早朝に広島を出発し、まずは近江八幡に到着。ここでレンタカーを借りて、駅から近い日牟禮八幡宮は後回しでもいいから、公共交通機関不便な永源寺、百済寺、金剛輪寺、西明寺を優先し、これも近江鉄道で行ける多賀大社も後でいいかなとする。そしてレンタカーを彦根で乗り捨てて1泊。翌21日は近江鉄道沿線の多賀大社、日牟禮八幡宮を優先するか、あるいはあみだくじで行き先を変えるかはその時次第として、午後には神戸に向けて移動、16時からの試合観戦、そして試合終了後の大花火大会という流れだ。もっとも、花火が試合終了30分後ということは、その試合展開によっては開始が遅くなることもあり、帰りの新神戸からの新幹線が大丈夫かという懸念はあるのだが、一応、新神戸から広島まで遅めの「のぞみ」指定席は確保した。

さて20日早朝に新幹線に乗るところ、朝一番で広島でこなさなければならない用事ができた。指定席を後の時間に変更する必要があるのだが、土曜日朝ということもあり、京都までの「のぞみ」の普通車は窓側席は満席、空席も3人掛けの通路側か、真ん中の席がぽつぽつある程度。

ただその中、7号車の「S Work」車両に目が留まる。今は「e5489」からでも座席指定予約ができる。不思議とこの車両だけ窓側席も空いていたが、やはり特別な席として敬遠されているのだろう。私も普通車の指定席と同料金で利用できると知ったのはこれが初めてで、ビジネス利用とはいえないが空席なら確保しよう・・・。

乗車したのは広島9時12分発臨時「のぞみ120号」。7号車の2人掛け席に向かう。ここで目立つのは3人掛け席の真ん中をパーティションで区切った「S Work Pシート」。7号車じたい、周りに気兼ねすることなくビジネスに必要なパソコン操作や携帯電話での会話が可能な車両ということで人気だが、さすがに土曜日となるとそうした需要も低くなるか。

今回利用したE席じたいは通常のN700系と変わることはないが(N700Sなので座席のひじ掛け一つ一つにコンセントがある)、単独利用のビジネス客が主なターゲットとあってか、インバウンドの客もおらず室内も静かで(客同士の歓談や座席を転換しての利用はご遠慮とある)、結構快適な移動となった。

もっとも、私もごくたまに出張で新幹線に乗ることはあるが、その道中で仕事用のパソコンを開けることはしない。せっかくの新幹線車内、車窓を見ながらゆったりしたいものである。パソコンを開けるとすれば発車前、あるいは到着後の構内のビジネスコーナーか、コーヒー店か、はたまた別料金でコワーキングスペースを使うくらい・・。

新大阪を過ぎ、京都に到着。相変わらず国内外の客でごった返す中、京都から東海道線に乗り換え、まずは近江八幡に到着。

昔ながらの町並みや長命寺方面に続く北口(2023~2024年の年越しもこの地だった)とは逆の南口、駅直結のイオンを過ぎて(滋賀はイオンと平和堂の激戦区です)、しばらく歩いたところのトヨタレンタカーに到着。時刻は12時を回ったところで、彦根での返却は18時予定なので利用時間は6時間。

出発を遅らせた時点でこの日訪ねるスポットは限られることになり、近江鉄道でもカバーできる日牟禮八幡宮と多賀大社は後回しにして、永源寺と湖東三山は大丈夫かな・・という思いで出発する。この日のパートナーはトヨタレンタカーおなじみのヤリス・・・。

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