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幹細胞で腎臓を作ったって

2015年11月12日 21時24分15秒 | つれづれなるままに
国内の研究機関で鼠だかなんだか、そのての小動物で幹細胞から腎臓の作成に成功したとか。しかもそれを膀胱につながる尿管をつなげたら腎臓としての機能を発揮したらしい。研究者は将来人工透析受けてる人の労が軽減されるのではと話してるらしい。
まずは言葉の定義上のモヤモヤ  今回の変化は「発見」「発明」「発展」どう表現すればいいの? こんなことどうでもいいことなんだけど僕ちょっとひっかかってる。今の言葉の定義では説明できない事象が起きてるってことじゃない。 まっ それだけのことなんだけど、これが次に言おうとすることにつながる。

古くなった臓器を自分の細胞で作った新しい臓器で交換可能になるってこと。
端的に言おう。 「いいの そんなことして」。
「あそこが傷んでます。新しくしましょう。」なんて医者に言われる時代が来るのか?
部品の取替え? あれれ 生きてる人体って部品の寄せ集め? 

医学って 命を救う、病を取り除く、痛みを解消する そこまでだったはず。あくまでもその肉体が生を受けた瞬間に授かった機能の範囲で と僕は思ってる。 
今の技術はここを飛び越えてるんじゃないか。「できるからやる」っていうのは何か違ってるように思うのだが。
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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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生きていたい人のクオリティオブライフの手段として (sky)
2015-11-13 14:08:33
有ってもいいかなと思う。もちろん個人の選択の上。
5月の同期会で女性群で話題になった、白内障のオペ、意外に多くの人が経験済み。私も、昨年の夏、眼科医師に乗せらた感ありても、やってしまった。このオペ、病院の稼ぎ頭だそうな。入院させても病床の回転がよく、さほど危険なオペでもないので、医療トラブルの危惧は少ない。高齢化社会で、市場の伸びは確実にある。
「貴女は、眼圧が高く、このまま放置すると、緑内障の発作を起こす、白内障が始まっているので、今元気で体力のあるうちに、オペをすれば、緑内障の発病もなくなる」と、その女医さんとは、四半世紀にわたる付き合い、腕もいい、彼女目がけて患者さんが集まる。彼女の腕が落ちないうちにと思った。
その時、私の内なる葛藤は、生まれてこの方付き合ってきた水晶体を砕いて抜いて、レンズを入れることについて。しかし、当時、女優アンジェリーナ・ジョリーが母から受けたDNAを恐れた、がん予防のため、胸の削除・再生を受けた勇気に感じ入った。
左眼3泊4日、1週間空けて、右眼3泊4日、入院中、我が家のKと、D.Lがどうなっていたかは、推して知るべし。ブラビとアンジーの生活にどう影響したかは知るよしもなく、アンジーの胸の美しさはいつまでか、気になる。白内障のオペは、50年以上の歴史あり、入れたレンズの耐性年数60年、お釣りが来ちゃいます。
人工腎臓も、こんなものかな。
ノーベル賞の先生の細胞も、失脚した彼女の細胞も、それに浴して生きていたい人には必要で、先生方も、テクノロジーも、さらに、さらにフロンティアを目指すのでしょう。難しい問題は、いろいろ出てくるでしょうが、人類は、乗り切っていけるのか、どうか。
 
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白内障 ()
2015-11-13 19:38:58
skyさん 貴女も手術してるんだ。ぼくもかみさんもやってないけど、亡くなった僕の両親はともにやってたな。それと同期会時女性の中で話題になったとあるから、「切り傷にマーキロ」感覚の医療行為なんだな。
そこでまたNET検索、調査した。自前の臓器を破壊して人工物を入れる手術じゃないか。怖い怖い。でも医者からみると「あ~らよっ」って感じの呪術みたいだね。危険が少ない、金取れる、患者多い手術なら眼科としてはやれるようにならんといかんわな。そういう世の流れの中にみんな生きてるってことだ。
本論の「腎臓を作っちゃう」話にからませると、(僕の思う不気味さは何かを考えながら) どうも生死にかかわる臓器を他から作って交換し、延命することに異論ありってことかな。入れ歯を入れるのなんかも構わない。他人の臓器を貰って交換するのがぎりぎりOKかな。(でも怪しい)
上の論は「ひとが生きる」側からの話。「人が死ぬ」側からの論も捨ててはいけない。「そうまでしてでも死んではいけないのか?」ということだね。そこを「個人の選択よ」というのは一見最終解答のようだけど、その時当の本人は意思表示できない。周囲は「ああしとけばよかった」なんて後悔したくない、非難されたくない思いが先になって、怪しい世界に入り込む。そんな例ばかりだと思いませんか。
「利口に死ぬために」なんて本が出てきそうな予感。
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他人の臓器をもらってまでも (sky)
2015-11-13 20:59:50
これには疑問を感じる。誰かが死んでから・・・を、前提にしていることには、私は組しません。一般的に拒否反応は、本能的にそれを語っているかと思う。身内間の場合、拒否反応は聞かれないようだ。母が子に片方の腎臓を移植(職場であった事実)ニュースにもなった、父子間の生体肝臓移植などはそれこそギリギリOKかな。
岳さんもご存じと思いますが、健康保険被保険者証の裏面に臓器提供に関する意思表示欄があります。「3.私は、臓器を提供しません。」に○をつけています。これは、以前ある医師から、「ここをOKすると、助けてもらえませんよ。」と聞いているから。
無理矢理に生かすのは哀れと思いますが、それは万策尽きて、すべがない場合です。
生きる希望、生きる価値、生きる可能性がある限り、生きていたいと思う心、生き続けるパワー、生物として自然なことではありませんか。
 
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整理できてきたぞ ()
2015-11-14 11:33:02
skyさん こういうことかな。
「人を生かす技術」については
 人の死を前提にした「臓器移植」はNoGood。 同感。
 死を前提にしない「臓器移植」は親子間ならOK。 悩ましい。
 幹細胞から臓器再生で移植。貴女の考え不明。 悩ましい。

「患者の意思」について
 「生きる希望、生きる価値がある限り」と書いてるけどその通りだと思う。むしろ技術の前にこれが問われないといかんよね。上の技術のところで「悩ましい」としたのは「患者の意思」抜きで周りが、医者が決めるのはおかしいと思うから。
 ただですよ、先のコメントでも書いたけど、その時患者本人の意思としての「生きる希望、生きる価値」が確認できないんじゃないだろうか。すると「流されて」技術にすがる結果になる(なってる)。
 遺漏しちゃったばかりに という話よく聞く。
自分の「意思」を常日頃はっきりさせておくことがとっても大事なことだなと今思い至ってる。
毎年「元旦の計」でこの意思を書いておくのもひとつかな。真剣に悩んでみるとまた別の世界がみえてくるかもな。
 今回は実に硬いコメントになったな。
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幹細胞から…について、うっかり落としてしまった。 (sky)
2015-11-14 20:03:56
これは、じっくり書こうと思って、落としてしまい、コメンテーターとしてはミスで、許されよ。
この腎臓を造って、がひっかかってしまった。私の場合、これは、生々しい問題です。米国帰りたてだったの私の主治医が、「貴女は、腎臓が一つです」と診断してから、26年が過ぎた。「もっとやせないと、、15年、20年、30年先には透析をうけているかも」と、2か月に一回驚かせれている。老醜をさらしたくない、80過ぎて劇場でOPAが見れるかどうか心配になる。さて、長生きしたとして、ネズミちゃんから造った腎臓に置換されろのは遠慮したい。生きとし生けるもの、神が造りしものに、優劣はないとしても。四つ足を食べると四つ足になってしまう。と、思われていたはるか昔があった。
ブタの心臓の弁を移植された人はブタになっていない。時代が過ぎれば、動物の部品だって、感覚的にその程度のものになるのだろうか。食用として命を奪っているのだから、医療用としても、大差ないのかな。
しかしやはり、移植を要する臓器は自分の細胞から造ってもらいたい。臓器でない、膝や股関節などの人工関節などの置換オペが、高齢化社会に、盛んになりつつあるらしいが、これは、術後長く寝かす必要があり、白内障のオペみたいなわけにはいかない。よって、患者の希望する日常行動生活に問題なくば、やりたがり医師以外はやらない。
医療関係の、研究や開発は、究極的には、市場主義か。
「悩ましい」の二番目について、この場合、親が子を助けたいと思うことは自然なことで、提供する側がOKならば、受け手の子側は、意思をどうこうできないのは、しかたがないかな。親から生まれてくる時もそうでしょう。
「貴女の考え不明」の答えになったかしら、いささか、不明。自信なし。時間を取って考えたい。
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驚き ()
2015-11-14 21:49:55
skyさん そんな個性をもって生を受け、生をまっとうされてるとは当然ですが知らないし、おどろきの事実。
でも「老醜をさらす」ことにはならんぜよ。醜の元を作る機能が人の半分てことだから。むしろ「透析」を考えにゃならんわけだ。透析に人生の1/6の時間をとられて、好きなOPAに行く時間がなくなるってことはあるね。
そういう方には朗報かな。幹細胞って基本自分の細胞のはずだから「他人の」感覚は薄いだろう。
実際今人間で可能だとしたら、貴女のような場合は否定する意を持たない。「欠陥の修復」であり、本人にもやりたい意思があるわけだから。白内障手術とと同じかな。
ここでもう少し具体的な定義が。 「神が作りたもうた人本来の姿を物理的に変更すること」 これはだめ ということかな。「人工物での交換」これもOKの範囲だな。
医療分野の研究開発も市場原理に左右されること という点は納得。そうしかならんだろうね。倫理が先に来ることはないだろう。
こういう世界にドンドンなっていくから「どういう治療は受け、どういう治療は受けない」を自分で定めておく方が「利口」なんとちがうやろか。
僕の中には「老人がただ生かされてる」ことが多すぎないかとの懐疑心があるんだよ。昔はそこで「死」だったものを単に延ばせばいいってものじゃない。「長寿国」と賞賛されても嬉しくない。
別話。ボージョレ飲んだら上品にいたいのが品を落としかねないが。
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貴方の猜疑心と、岸恵子さん主張の安楽死 (sky)
2015-11-15 00:00:57
考え方が同じです。6月と8月に、彼女の朗読会の後のインタビューで同じようなことを言っていた。彼女82歳。でも年を感じさせない。彼女は、フランスでも、安楽死を認めろと主張しているそうな。
80歳過ぎても美しい彼女にあこがれはあるが、私は80歳まで生きられないと思う。透析も移植も必要なく、その前に召されそうだ。それもいいかもしれない。一方、治療の選択を「利口」にすることは賛成。硬いコメント群もおもしろかったです。
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安楽死か ()
2015-11-16 09:41:32
skyさん あえてこの単語は使わないで書いてきたのよ。でも出てきちゃうね。
そうですか岸恵子さんは仏で積極的に主張されてるんですか。ぼくの中ではまだ考えがまとまってないのよね。岸さんほど積極的ではないけど、ある程度は認めてるかな。
肉体の物理的状況がある一定以上で本人の意思があることで認めてもいいかな。本人以外の意思が入ることは絶対あってはならない。 
こうなったらこうなったで、またややこしい問題がいろいろでてくるだろうね。その境界みたいなところで。ほんとに人間てややこしい生物だなと思うね。生きづらくし、死にづらい社会にドンドンしていく。だから個人として利口でありたいね。
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