長い社会人生活の中で筆で墨の字を書くことは避けてきた。
父のことがあって、筆できちんと書きたいものが多々あり、ここんとこ墨をよく磨ってる。丁寧に書こうと気合をいれれば書けるもんだなとちょっと自信がついた。
小学校時代は「習字の時間」があった。校長自らが教えるほど力をいれてた時代だった。級位もつけられて刺激されたっけ。中学2年の9月に都会に転校してきて、とりあえず夏休みの作品として「書の生活」と書いて出した。これをある先生が認めてくれて県の大会に応募するよう勧めてくれ、入選した。いなかっぺが早速自信をもてた事件として記憶してる。でも僕の書道人生はここで止まってる。
亡き母は晩年書道師範の資格をとり教室をやってた。妻も子供3人も一時期勉強してた。だから筆と墨がなんとなく僕の周りにはあった。
こんな経緯をもってるのでやればできる素養はあるんですよ。まじめに気合をこめるかどうかなんでしょう。
父母の法名を何度か書いた。これが仏壇の中に残る。はずかしい字体でないのがうれしい。
でも自分の名前だけはどうにも形にならない。ここに自信がもてれば冠婚葬祭何がきても誇らしげに筆を使うのだが。
父のことがあって、筆できちんと書きたいものが多々あり、ここんとこ墨をよく磨ってる。丁寧に書こうと気合をいれれば書けるもんだなとちょっと自信がついた。
小学校時代は「習字の時間」があった。校長自らが教えるほど力をいれてた時代だった。級位もつけられて刺激されたっけ。中学2年の9月に都会に転校してきて、とりあえず夏休みの作品として「書の生活」と書いて出した。これをある先生が認めてくれて県の大会に応募するよう勧めてくれ、入選した。いなかっぺが早速自信をもてた事件として記憶してる。でも僕の書道人生はここで止まってる。
亡き母は晩年書道師範の資格をとり教室をやってた。妻も子供3人も一時期勉強してた。だから筆と墨がなんとなく僕の周りにはあった。
こんな経緯をもってるのでやればできる素養はあるんですよ。まじめに気合をこめるかどうかなんでしょう。
父母の法名を何度か書いた。これが仏壇の中に残る。はずかしい字体でないのがうれしい。
でも自分の名前だけはどうにも形にならない。ここに自信がもてれば冠婚葬祭何がきても誇らしげに筆を使うのだが。
中学まで授業があったらしく(←記憶なし)お宝の中から長くて大きなフェルトの下敷き?が出てきました。
中に、山脇 中三 ○×△子
「妙言無古今」と立派な字で書いた書(笑)が出てきました。今の私より字がよほど綺麗です。
文字はふだん書かないでいると、どんどん汚くなってきています。ああ、このフェルトどうするべきか・・・今回40年ぶりに日の目をみたことになります。
今はお習字の授業はあるのでしょうか?必須科目というより趣味か芸術の分野になっているたような予感が・・・岳さんはこれから時間があればまたお稽古をはじめられてはいかがでしょう?
そうかわらない時代を過ごしてきたようですね。
今思えば書道もそれなりに価値のある授業、道ではなかったでしょうか。こういうのを軽んずる世がむなしいです。
母が多くの道具を残してます。できるだけ墨にしたしもうと思ってるんです。