昨日71歳で亡くなったある女性の葬儀に参加した。
直接いろいろ話をする機会はほんの数回しかなかったが、人を介していろいろ伺ってきた範囲でも人生のあらゆる面で僕の人生にはない「生」を生きてきた方だと思ってた。
40歳でキリスト教の洗礼を受けられ、その後は「弱い人」の支援活動を30年続けてこられたようだ。
300人ほどが座れる大きい教会だったが、満席で後ろに立ってる方もいらっしゃる。車椅子の方もいらっしゃる。小中学生も来てるし、高齢の方もいらっしゃてる。全員が献花するのに30分ほどかかったのじゃないか。
改めて故人の人付き合いの広さ、愛を与えてきた人の多さ、慈悲の心の広さを思った。
単に「僕と違う生き方」をした人では片付けられない迫力のようなものを感じた式だった。
そして故人への興味も増した。これからも聞けるチャンスはあるだろう。少しづつ伺っていこう。
今日は最後のお送りをしてくる。
直接いろいろ話をする機会はほんの数回しかなかったが、人を介していろいろ伺ってきた範囲でも人生のあらゆる面で僕の人生にはない「生」を生きてきた方だと思ってた。
40歳でキリスト教の洗礼を受けられ、その後は「弱い人」の支援活動を30年続けてこられたようだ。
300人ほどが座れる大きい教会だったが、満席で後ろに立ってる方もいらっしゃる。車椅子の方もいらっしゃる。小中学生も来てるし、高齢の方もいらっしゃてる。全員が献花するのに30分ほどかかったのじゃないか。
改めて故人の人付き合いの広さ、愛を与えてきた人の多さ、慈悲の心の広さを思った。
単に「僕と違う生き方」をした人では片付けられない迫力のようなものを感じた式だった。
そして故人への興味も増した。これからも聞けるチャンスはあるだろう。少しづつ伺っていこう。
今日は最後のお送りをしてくる。

岳さん、暑い中ご苦労様でした。明日の防災訓練も無理せぬように。
うすうす知ってはいたけど、これほどの人だったのか です。1週ほど前の礼拝では神父さんに「相模原の事件が悲しい」と告げてたことを神父さんがはなしてくれました。
僕は言うだけの人、彼女は支援した人 その差は大きいんですよね。
と言いながらも「自分が楽しむ事」を優先してる僕です。
「自分が楽しむ事」を優先する生き方も大事なことだと思います。「自分がhappyでなければ,他人をhappyにできない」とは福祉部門で勤務の時の部長の持論でした。
頭の皮膚は大丈夫でしたか。葬儀でも男性も黒い日傘をさしてよいと思います。戸外では帽子も失礼にあたらないと思います。
亡くなった方は説明が面倒です。ある近親者ということで。
「自分の楽しみを追及する」ことと「他人に奉仕する」こととは背反じゃないですね。完全に一致する人から完全に一致しない人までいるんじゃないか。ナイチンゲールから「やまゆり園」の犯人まで。どんな配分でスタートするかなのかも。ぼくの場合は「自分先」が7割ってとこかな。「他人さまのことは忘れてはいけない」と知ってるとこは大事だな。