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銀杏 いい匂いではない

2016年10月06日 14時47分25秒 | つれづれなるままに
     近所の遊歩道、昨夜の台風で銀杏がびっしり落ちてる。

この遊歩道は早朝散歩でよく歩く。今朝歩いてこの「銀杏びっしり」に驚いた。太い「いちょうの木」が数十本街路樹として植えられてる。雌雄異株だから実のなる木とならない木ははっきりしてる。何本かに1本は今こんな状態。臭い臭い。
残念ながら実が小さくて持って行く人とていない。今朝発見して、午後になってもこんな放置状態ですからね。拾ってももらえないなんてかわいそうな気もする。
しかも遊歩道。みんなが踏んづけていくから、臭いの巣になってる。まっこれも秋の風情と思って鑑賞しますかね。

  「匂い」:いいにおい。   「臭い」:悪いにおい。  きちんと使いわけましょう。
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生きてはったか (sky)
2016-10-06 18:08:29
ライターは一週間書かないとダメと、倉本聰さんがいってはりまっしゃろ。
犬も歩けば棒に当たる(岳さんが犬とはちゃいまっせ。ご免やっしゃ)で、何かありまっしゃろ。今朝の新聞の人生案内欄で、希望を失っている20代の男性に、日々の生活の中でどんなことでも楽しいと思ったことを見つけて書き留めておき、人に話すことを勧めた助言者の回答があり、さすがに旨い答えだと感心しました。
かくいう、我が身を振り返り、日々思うことはいろいろあれど、後で書こうなど思っている内に、家事に追われて流されてしまったりの情けない状態の連続です。
さて、銀杏は私の好物の茶碗蒸しにはおいしいけれど、確かに踏みつけられし物が臭いのは、彼らの抗議の証でしょう。せっかく花も実もある人生(樹生)だったに利用されないで踏みつけにされて潰える事への嘆きでしょうか。哀れを感じます。
以前は、二俣川のタクシー乗り場に1本大イチョウがあって、シーズンにはタクシーの床は汚れるは、臭気は車内に漂うはで閉口しましたけれど、あれも自然の営みと思えるような年齢になったというものでしょうか。
フェリスの生涯学習の講座で源氏物語を学んでいたとき、授業で「匂い」については「色」を表す講義を聴き
ましたよ。
写真のイチョウも、いずれは黄色の並木になり、「金色(こんじき)の小さき鳥の形して、夕日の歩道に降るんでしょうね」嫌わないで、温かい目でみてやってください。



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気力でしょう ()
2016-10-07 08:57:07
skyさん おはよう。
投稿をサボる理由
 ・天候不純
 ・夏から秋への季節の変わり目
 ・以上の環境下で「よし書こう」と動かされる題材不足
僕も生身の人間ですから、環境に左右されて生きてるってことです。
この銀杏話も「尻にムチして」どうにか書いたな。
二俣川のタクシー乗り場の銀杏はいやですね。運転手さんの身になって同情しちゃいますね。
遊歩道のイチョウ 今は臭い、1か月もすると落ち葉で滑るようになる。さらに踏まれて細かくなった葉っぱが溜まる。こう考えるとイチョウって銀杏で食えなかったら罪ばかりじゃないか。黄葉はいいね。
さて今日はどこに感動をみつけるか。
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おお、散歩してるんですね (kanou37)
2016-10-09 08:41:25
ようやく立ち寄れた。母は頑固で、デイサービスにいってくれない。息子の医者と重なって、どうにもならず、妹に、あるいは、母の妹である叔母に介護を要請。妹は川崎から、週三日泊まりに来てくれているが、自分の家を放り出してきているので、旦那もおかんむりらしい。夜こんこんと説得し、明日こそ行くと、その時は言ってくれるのだが、次の日はころりと忘れ、ようやく施設の車に乗せるのに、1時間を越えてしまった。ご近所の人は、そっと窓開けて、ぼくが母に声を荒げるのを見ている。二人のヘルパーさんたちにも怒りの声。笑顔だって引きつるで。
 胃が爛れて、自分の息が臭いので、2種類の胃薬で対応。焼酎が消化できず、捨ててしまう始末。91と67の闘いは続く。かわいそうがるのがいけないと、妻と、妹までも。逃げたいが逃げられず。

 以上。血圧体操してもたせてまっせ。
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大義でしょうけれど (sky)
2016-10-09 22:02:40
まず、なぜデイサービスに行きたくないかを考えてみること、聞いてみること。解ったら共感してあげること。デイサービスに向かない方もいらっしゃいます。私の母も一度
も利用したことはありません。
もう一つは、妹様の旦那のおかんむりは、理解をしてもらうしかありません。兄妹で介護を分担するのは当たり前でしょう。そう長く続くものでなく、安定するまでのここ何年かの一過性と言うべきものでしょう。
デイサービスを利用しないで、家族が一緒に相手をしてデイサービスみたいなプログラムをこなす時間は全然ありませんか?一緒委お茶を飲んだり、テレビを見たり、お体を拭いてあげることでもいいのです。要は、棄てられた、ほったらかしにされた、思われないように愛を全面にだして接することです。「デイサービスは嫌だったら行かなくてもいいよ」の当面の意思表示だけでも落ち着いて、そのうちに「行くよ」になるかもしれません。近所の人もいずれは同情して見方になってくれましょう。気にする必要はありません。
焼酎など飲まなくてもいいでしょう。少しでも時間の都合がついたら、ランチ会で気分転換しませんか?
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ぐっすり寝てくれた (kanou37)
2016-10-10 08:05:55
母はぼくが近くにいると、よく寝てくれます。排泄もあった。ホッとしています。skyさんの言うことはよくわかります。しっくり来ないのは最後の二行。焼酎はぼくの癒やし。飲まなきゃいられません。ただ、飲み過ぎちゃいけないことは、体もわかっているみたいです。ちびちびいくか‥

ところで、岳さん、出てきてね。
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遅くなりました。 ()
2016-10-10 09:31:18
kanou37君 おはよう。 昨日は早朝から義母の1周忌で岩槻、浦和と転戦してきました。昼間っから美味しいお酒に飲まれて、夕方の帰宅後は何もする力がない状態でした。
まさに奮闘記ですね。奮闘期かな。老人は自分が弱い、醜い分だけ人様の目のある場所には出たくないのは当然かもしれません。うちの場合はその点はわりと社交的な2人だったので喜んでデイサービス行ってましたね。(おやじは内心拒否感情があったかもしれん)
じゃ、「行きたくないという老人を無理やりいかせるか? 行けばだんだん慣れて、苦にしなくなるのでは?」 と考えると、一概にそれが正しいとも思えないのです。無理をさせると、別な形の抵抗がでてくるんじゃないでしょうか。
妹さんの旦那さんのことも書いてますが、どうしても他人を巻き込むことになる話です。その旦那さんに、あるいは妹さんに君が何か言ってもいい方向に向かう話ではありませんよ。妹夫婦の中でまたは妹さん自身が解決すべきことでしょう。君は君として黙々とBESTをつくしていくだけです。いつも注釈をつけるけど「やれる範囲で」ね。
僕があの当時意識して苦心したことがあります。被介護の本人、介護する関係者(親族、社会的援護者)の活動をいかに定常化、見える化するかってことでした。本人を含めたみんなが周りを理解して、参加するって環境つくりだったですよ。誰かがここの仕切りをやることが一番大事なんだろうと今でも思ってます。kanou君も一歩下がってそんな苦心をされたし。これからどれだけ今の状況が続くかわからんことだもの。変化に応じて体制を変えていけるようにしておくことが大事だと思います。そして周りの気持ちいい協力を得て、自分も少しでも楽な所に身を置くことです。
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